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第492章『着任の挨拶』

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第492章『着任の挨拶』

 広大とは言えど海兵隊の管理下に在る同じ敷地内、歩いて行けない距離でもないが、それでも互いの立場というものも有るから、司令官二人と最先任が雁首揃えて徒歩でてくてくと向かうのは色々と都合が悪い。高根と黒川のそんな言葉で用意された車の助手席で揺られながら、敦賀は前方に見え始めた目的地、在大ワシントン軍司令部の仮設本部棟をじっと見詰めていた。
 ウォルコット陸軍大佐――、全く気乗りのしない顔合わせ。態々ワシントン本国から派遣されて来る程の人物なのだから有能である事は間違い無いのだろうが、軍高官の子弟という事がどうにも引っ掛かる。自らの腕と運の強さだけが頼りと言い切っても過言ではない大和海兵隊とは違い、ワシントン軍では政治力や上との繋がりというものも重要視されるだろう。
 そんな中で大佐迄昇進している人物、統合参謀本部議長の子供世代なのだとすれば、高根と同年代かそれよりも少し下、もしかしたら自分と同年代かも知れない。ワシントン軍の規模が大和軍とは比較にならない程に巨大なものである事はこの一年の間に輸入されて来た資料や公開された情報、それ等を取り上げた報道で知った。そんな中で着実に出世の階段を昇り続けて来た人物、もし本当に自分と同年代なら、年齢と階級、そして属する組織の大きさを併せて考えれば、相当に有能な人物か親族の虎の威を借りた狐か、若しくはその両方か。
 いずれにせよどうにも厄介な人物と付き合わなければならなくなりそうだ、と敦賀がまた溜息を吐いた直後、車は仮設本部棟の正面玄関前で停止した。
 駆け寄って来たワシントン海兵隊の士官が後部席の扉を開け、そこから降りた高根と黒川に向かい直立不動で挙手敬礼を行う。周辺にいた他のワシントン軍人達も次々とそれに倣い同盟国の将官二人へと敬意を向ける中、敦賀は自ら扉を開けて助手席から外へと出た。
「高根総司令!黒川団長!お待ちしてました!!」
 そこに駆け寄って来たのは沿岸警備隊准将の金子、テイラー付きの通訳官として任用される様になった彼もまた軽くではあるが二人へと向けて右手を掲げ、
「こちらです、テイラー団長もウォルコット大佐もお待ちです」
 そう言いながら三人を本部棟内部へと招き入れた。
「どうよ、金子さん、こっちの仕事は。海が恋しいんじゃないですか?」
「いやぁ、そんな事考える余裕も無い位に忙しくて……」
「テイラー団長も兼任してるんでしょう?」
「そうなんですよ。自分はそれに通訳として付き合わないといけないから」
 艦隊総司令はグレアム海軍中将が務めているが、陸上部隊の総司令に関してはテイラーのまま、合同教導団の団長との兼任は多忙を極めている事は想像に難くないが、金子の言う通りそのほぼ全てに帯同し通訳を務めている金子の忙しさも相当なものだろう。海上と陸上で勝手が違うのにと彼の苦労を高根と黒川が労わりながら廊下を歩き階段を昇り、総司令兼団長の執務室の在る三階の廊下へと入った時、先頭を歩いていた金子の歩みが、突然止まった。
「金子さん?」
 一体どうしたのかと三人が金子の視線が向けられた方向を見てみたところ、そこに在ったのは執務室内で自分達を待っている筈のテイラーの姿。黒に近い程の濃い褐色の肌の色の所為で表情は読み取り難いが、気配に気付いてこちらへと向けられた視線がかち合った直後に大きく見開かれる双眸、白目の部分が肌の色で引き立てられて事更に白く大きく見え、ひどく驚いている事だけは手に取る様に理解出来た。
『ダイキ!ちょっと待ってくれ、トラブル発生だ!』
『トラブルって……どうしたんです?』
『とにかく待ってくれ!おい!もう来たぞ!入れるからな!!』
 金子の問い掛けにテイラーは碌に答える事も無く、背にしていた自らの執務室の扉を僅かばかり開けると中へと顔を突っ込み、中にいるのであろう誰かへと向かって言葉を放る。通訳無くしてはワシントン人とはまだまともに意思疎通の出来ない三人だけでなく、テイラーの言葉を理解している筈の金子でさえ状況が飲み込めず、暫くの間はテイラーと室内の人物――、恐らくはウォルコット大佐とやらの押し問答を見ている事しか出来なかった。
 それが漸く終わりを迎えたのは数分も経ってから、
『とにかく!待たせてるんだ、もう入れるぞ!!大丈夫、バレやしない!!』
 という言葉の後、テイラーは扉を一旦閉めて三人へと向き直り、笑顔を浮かべて大股でこちらへと歩いて来る。
『どうもお待たせしました、準備が整った様です、ご案内しましょう』
 その言葉と共に差し出される右手、それを高根、黒川の順で握り返し、敦賀はテイラーに対し挙手敬礼を示しテイラーはそれに対し軽く右手を掲げて見せる。その後はもう室内へ入りましょうと一行を先導して歩き始め、そして、
『御紹介します。合同教導団に対しての包括的アドバイザーとして本国から呼び寄せた、ウォルコット陸軍大佐です』
 という言葉と共に半身を引いて見せ、三人は金子の通訳を聞きながら、流れる様に室内へと滑り込んだ。

「タカコ・シミズ・ウォルコットです……宜しく」

 そこにいた人物の姿と彼女が紡いだ名前、そして声に、三人の動きが停止した。
 長い黒髪は夜会巻きで纏め上げられ、纏っている制服はワシントン陸軍のもの。膝丈のスカートからはストッキングを履いた足が伸び、足には踵の高い靴。以前の彼女がそれらを纏っている姿は見た事が無いが、それでも、懐かしい、見慣れた人物が、そこにいた。
 最初に動いたのは敦賀、無言のまま一歩、二歩、と歩き出し、彼女のほんの一m前迄歩み寄り、して、ゆっくり、しかしはっきりと言葉を吐き出した。

「……アリサ、お前、何やってんだ」

 マクギャレットの名前だけは理解出来たのか、テイラーが顔を顰めながら
「...Oh, shit!! Goddamn!!」
 と、小さな声で毒吐いて顔を手で覆う。それを見たマクギャレットもまた溜息を吐きながらいつもの無表情へと戻りつつ、
『だから言ったじゃないですか……絶対にバレますよって』
 と、そう言いながら被った鬘を取り去り、以前よりも少し伸びた自らの頭髪を空気へと晒して見せた。
 その後室内に流れるのは何とも奇妙で気まずい空気、そんな中で口を開いたのは、高根だった。
「あー……、で、ウォルコット大佐は、何処に?」
「それが……少し目を放した隙に脱走しまして……今他の者が探してはいるんですが」
「そうか、相変わらずみたいだな、あいつも」
「お恥ずかしい限りです」
 高根の言葉の端々に感じる違和感、まさか、と敦賀がそちらを見てみれば、企みが大成功したとでも言わんばかりの意地の悪そうな、それでいて実に楽しそうな笑み。
「真吾……てめぇ、知って――」
 どういう事だと問い詰めようと敦賀が高根に向かって一歩踏み出した時、廊下から実に騒がしい足音や大声が聞こえて来た。
『いたぞー!捕まえろ!!』
『ボス!いい加減に観念して下さいよ!!団長の執務室にもう来てるんですよ!!』
『わーっ!ヤスコ!トルゴ!!牙を剥くな!!お前等どっちの味方だ!!』
『いよぉぉぉし!捕まえたぁぁぁぁぁ!!』
 複数の男の怒声に、そして、それに混じる犬が唸る声。声の幾つかには聞き覚えが有る、主に扮したマクギャレットを見て敦賀の胸に生じた何とも言えないざわつきは収まる事は無く高まり、強まるばかり。廊下の声と気配が段々と近付いて来るのが分かる、どうか、自分がこの一年間求め続けて来た人物がそこにいてくれる様に、祈る様な気持ちで扉へと踏み出した敦賀の歩みは、その扉が荒々しく開かれた事により、たった一歩で止まってしまった。

『遅くなりまして申し訳有りません!司令をお連れしました!!』

 最初に姿を現したのはワシントン陸軍の制服を纏ったカタギリ、それに続いて見覚えの有る顔初めて見る顔の複数の男達が同じ様に陸軍や海兵隊の制服を纏い入室し、その中心に、求め続けていた人物がいた。

「……タカコ・シミズ・ウォルコットです……遅くなりまして、申し訳有りません。只今着任致しました」

 若干不貞腐れた様な面持ちで、それでも別れる前と変わらない真っ直ぐで鋭い光を放つ双眸が、敦賀達へと向けられていた。
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