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第429章『絆』

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第429章『絆』

 斜面を駆け上がり、若しくは逆に斜面を駆け下りて急激に遠ざかって行くタカコ達、敦賀はその様子を見ながら担いでいた背嚢をその場へと投げ捨て、少しでも動き易くなろうと戦闘服の上着も脱ぎ捨てる。周囲ではガシャリガシャリという音があちこちで上がり、足元に半長靴の爪先に地面に置かれた誰かの小銃の筒先が触れたのをちらりと見ながら、敦賀は左手で武蔵を収めた鞘を、右手で武蔵の柄を握り一瞬小さく息を吸うと次の瞬間武蔵の刀身を一息に大気に曝け出した。
 今迄この鋒を本気で『人間』に向けた事は無い、タカコや高根に向けた事は有るもののじゃれ合いの範疇の事。あれ等の出来事で怒りはしていたものの殺気を込めた事は無い、しかし、これは、今から自分達がしようとしている事は違う、自分達と同じ『人間』を、この手で直接殺すのだ。
 自分には既にその経験が有る、火発奪還作戦、そしてそれに先だっての鳥栖演習場での迎撃作戦、そこで何人もを無力化して来た。その事を気に病んだ事も無ければ夢に見た事も無い、軽々と一線を越えられる人間性だった事は幸運だった。しかし他は、海兵隊の仲間達はどうなのか、先程太刀を手に敵を仕留めた仲間はそれに囚われてはいないだろうか、これから手に掛ける仲間は一線を越えて尚自我を保っていられるのだろうか、そう考えつつ
「……考えても仕方無ぇな……もう始まっちまった……!」
 そう吐き捨てて走り出せば、左右を幾筋もの鋭い風が吹き抜けて行く。
「ボーッとしてんなよ先任!」
「お先に!」
 それは、島津や藤田、そして大勢の海兵隊の戦友達。皆同じ様に装備を打ち捨て戦闘服を脱いで身軽になり、太刀を手にして四方八方に駆けて行く。周囲は暗く光は頼り無い筈なのに、鋭くぎらついた眼差し、そして全身から立ち昇る、周囲の空気を歪める覇気が見えた気がした。戦友達のそれに敦賀はぶるりと身体を震わせ、口元を歪めてにやり、と笑うと、
「誰にもの言ってやがるてめぇ等……!!」
 何処か楽しそうに、冒険に出ようとする子供の様な高揚感を滲ませた口調でそう言い、遅れてなるものかとばかりに更に加速し闇の中へと走り出して行った。

 先行していた部隊は大和海兵隊の待ち伏せからの迎撃を受け全滅したが、自分達の部隊は初動が僅かに遅れた事が幸いし、指揮官であるシミズ大佐の制止命令が間に合い難を逃れる事が出来た。大佐の新たな命令は
『大和海兵隊は無視して構わない、Pを狙い撃ちにして即時無力化させろ』
 というもの。
 敵の制圧を目論むのであれば、強い個体を狙い撃ちにして無力化するという事が最も効率的で手っ取り早い。技術的にも戦術的にも大きく劣る大和陣営は雑兵の集合体と見て良いだろう、Pの指揮官である『もう一人のシミズ大佐』の薫陶を受けそれなりの進歩は遂げたと聞いているが、それを齎し今尚大きな影響力と牽引力を持つ彼女、そしてその直属の部下達を無力化出来れば、精神的支えを失う事にもなり一気に瓦解するに違い無い。
 夜間の狙撃は確実性に問題が有るものの夜明け迄待てば彼等が市街地へと戻ってしまう、何とかこの場に留めておいて無力化をする為に持ち出したのが、先程Pへと向けて発射した蛍光塗料を使用した特殊弾頭。外殻は強化プラスチックで出来ており、内部は二つに分かれており二種類の薬剤が充填されている。発射の衝撃で全体に亀裂が入り、弾着の衝撃でそれが壊れ薬剤が混ざる事により発光を始め、その持続時間は約十時間。残存力も高く、当ててさえしまえば一晩中分かり易い的になってくれる優れものだが、当たらなければ意味が無かったから、立ち止まり纏まって話を始めてくれたのは幸運だったと言うべきだろう。
 固まって居続ければ的になるだけという事は彼等も理解しているのだろう、直ぐに散開したが塗料は遠目にも目立つ、事実、追跡を開始した自分達の視界の中心にP達の姿を捉えておく事は呼吸よりも容易い。ここ迄持ち込んでしまえば装備も人員も潤沢な自分達の方が圧倒的に有利である事は明らかであり、長引いたとしても持久戦の後に体力と弾薬を使い果たした彼等を仕留めるだけで良い状態になっている。無論、それよりも前にさっさと片付けてしまうのが一番なのだが、さあ、何処迄楽しませてくれるのか、男はそんな事を考えつつ薄く笑いながら、小銃を握る手と地面を蹴る足に力を込めた。

 全速力で逃走を開始したものの、戦闘服を脱ぎ捨てていない所為で遠くからもよく見えるのだろう、自身の周辺の地面や木々が鋭い音を立てて爆ぜ、放たれた弾の内、数発は腕や脚を掠った。どうせ脱ぎ捨てたところで塗料を頭にも被ってしまったから意味は無いのだが、それが無かったとしても今回に限っては絶対に脱ぐ事が出来ない、タカコはそれを自分自身で再確認しつつ高く茂り始めた叢へと飛び込んで身を伏せる。
 自分の意図している事を部下が理解している事への懸念は無い。何度も共に視線を潜り抜けて来た、全幅の信頼を置く部下達、彼等が戦場、そして作戦下に於いて頭脳である自分の意図を読み違える事等、有り得ない。
 残して来た大和海兵隊は――、と、そこ迄考えてタカコは僅かに顔を歪め、泣きそうな顔をしながらも力の無い笑い唇へと浮かべた。先程離脱した時に背後に感じた音や気配、あれは、小銃を手放し背嚢を打ち捨てたものだ、そして、彼等は恐らく携行していた太刀を鞘から抜き、それのみを手にする事を選んだのだろう。
 そうなれば自分達Pにとって事態は有利に推移する、塗料が染み込み光を放つ戦闘服を脱ぎ捨てない事に、もう一つの意味が出て来る。離脱迄の僅かの間にその事を考えなかったわけではない、しかし、それを大和陣営に伝える機会は無かった。突発的な出来事で、それに即応して自分達はこうして動いているのだから。にも関わらず、彼等はこちらの考えに呼応するかの様に動き始めた、まるで、自分達と同じ意識を共有しているかの様に。
『っ……、近くに、居過ぎたな……』
 敦賀だ、この作戦の指揮は恐らく敦賀が執っている。火発奪還作戦の際、彼の意識と自分の意識が急速に繋がり始めたのを感じていたが、それは未だに続いていたのかと思い至り、タカコは消え入りそうな声で呟いた。
 彼には、自分達がどう動くのかが分かっているのだろう、村正を渡された時にも感じたその片鱗を今こそ確かに感じ取り、何とも言い表し様の無い、綯い交ぜになった感情を抱えたまま、タカコは手榴弾を取り出してピンを抜き、敵の気配が迫る方向へと投擲する。僅かの後に響く爆音と振動、その方向から吹き付ける土や石、木片を払いながら起き上がり、再び走り出した。
 この戦闘が終わる頃には制圧艦隊がやって来る、戦いは終わる。そうなれば、彼と会う事はもう二度と無いだろう。そんな時になって心の強い繋がりを感じるとは何とも皮肉な事だが、だとしても今はその幸運に感謝しよう。この戦いを、極限の状況での命の遣り取りを楽しもうか、そう思いながら顔を上げ、闇を見据えてその中へと走り溶けて行った。
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