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第65章『准将』

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第65章『准将』

 年が明け、黒川が太宰府から博多に出て来る度にタカコを誘い出す様になって少々の時間が経過した。監視者だからと同行しようとする敦賀を高根を使って牽制し遠ざけ、或る時は本部やその近くで茶を飲みつつ何やら話をしていたり、また或る時には
「今日中にちゃんと送り届けるから」
 そう言って夜の中洲で食事をして来た事も有る。
 タカコの方も嫌がっている様子は全く無く、話しているのを遠目に見た時も中洲から帰って来た時も実ににこやかに黒川と言葉を交わしていて、それがまた敦賀の不機嫌に拍車を掛けている。
 そんな彼の不機嫌に気付いているのかいないのか、黒川は今日もまた海兵隊本部を訪れ、司令執務室の応接セットで高根と向かい合って茶を飲んでいた。
「……お前さぁ、最近敦賀煽り過ぎじゃねぇか?そりゃ確かに煽りまくって奴に発破掛けろって言ったのは俺だけどよ」
「ああ、今日はその件でちょっとお前に確認したい事が有ってな」
「確認って……何だよ?」
 いつもの柔和な笑みを湛えたまま口を開く黒川、高根は彼がこれから言い出すであろう事を予感しつつも一応はと問い掛けてみる。
「彼女を生涯この大和に縛り付けておけるのなら、別に相手は敦賀じゃなくても構わねぇな?」
「……一応聞いておくが、その別の相手って誰よ?」
「俺」
 やはり、高根はそう思いながら溜息を吐き、大袈裟に頭をがしがしと掻いて見せる。
「いや、構わねぇ、俺は構わねぇよ?でもよ、おめぇ千鶴ちゃんの事どうするんだよ?」
「千鶴は千鶴だ、今でも愛してる嫁さんで、それは死ぬ迄変わんねぇよ。でもよ、千鶴は……もう死んでる、そして俺はまだ生きてるんだよ。もう更新されない想い出だけじゃなく、生きてる人間の熱とそいつとの想い出を作るこの先を望むのが、そんなにいけねぇ事かね?千鶴を蔑ろにする気は無ぇよ、でも俺はこれからの時間を共に過ごす相手も欲しい」
「……そこ迄言うのなら俺は反対はしねぇけどよ」
 事実、黒川が質問した通り高根自身はタカコをこの大和に留めておけるのであれば、その為の楔と鎖の役を誰がしようと関係は無い、そう思っている。けれど最初に思い付きその役目をさせようと思ったのは敦賀であり、職務に身命を捧げて来た彼にそろそろ幸せになって欲しいと思っているのもまた事実で。
「あーあ、敦賀かわいそー、奴がタカコにベタ惚れなのはおめぇも分かってんだろうがよ」
「あの童貞に任せてたら百年経っても進展なんかしねぇよ。それに男女の中なんて動いたもん勝ちだろうが、色々とお膳立てしてやったのに何も出来ねぇガキに俺が遠慮しなきゃいけない理由が何処に有るんだよ」
「まぁ確かにな、奴は奥手つーか時間掛かり過ぎだな」
 普段高根に接する物腰からは想像がつかない程に真摯な黒川、その彼がこう言って来たという事はタカコに対しての気持ちは本当なのだろう、敦賀があの体たらくでは如何に腹心の幸せを願っているとは言っても限度というものが有る。そうなれば、本来の目的を考えれば、大和海兵隊総司令高根真吾大佐の出す答えは一つしか無かった。
「分かった、好きにしろ。ただ、敦賀に対しての気持ちも有るし、俺はおめぇを応援はしねぇぞ。無論邪魔もしねぇが」
「構わん、承認さえ取れれば後は自分で何とかするよ、女口説くのなんてえらい久しぶりだがな」
 高根の言葉を聞いた黒川はにっこりと笑って立ち上がる。
「それじゃ、早速攻め込むからよ、今日も彼女借りて行くぜ?ああ、後一つ」
「後一つ、何よ?」
「今日は帰す気無ぇから」
「いきなりかよ!」
「いきなりじゃねぇよ。もう前々から策は巡らして有る、それを今日決めるんだよ。じゃあな」
 そう言って軽やかな足取りで執務室を後にする黒川、高根はやれやれと言った面持ちでそれを見送り、湯呑の中に残った茶を飲み干して天井を仰いだ。
 黒川がタカコを気に入っているのには気付いていた、何の偶然かタカコが黒川の過去、妻の千鶴について知り、似た様な過去を抱えた二人がお互いを意識し始めていた事も。けれどそれは同じ境遇の者同士の親近感だとばかり思っていたのだ、千鶴を溺愛していた黒川が今更他の女を意識するとは思ってもみなかった。
 妻を亡くして九年、生きている人間にとってはそれなりに長い時間だろう、その間に黒川が千鶴との事を昇華し想い出に変えられたというのなら、その上でタカコとこれからの人生を歩みたいと言うのなら、親友として反対する理由は何処にも無い。
 ただ、そうなると敦賀が不憫でならないな、そう思う。黒川という男は非常に有能だ、三年前に四十一歳という若さで准将の地位を掴み取っただけの事は有る、人との関わり方、相手の心の掴み方に関しては如才無いの一語に尽きる。その彼がタカコを標的と見据えたのなら、そうそう遠くない内に彼女の心は黒川へと向くだろう。
 敦賀が対人関係に難が有りその上不器用で奥手だという事は勿論有るのだが、例えそれが無かったとしても彼にとっては分が悪いどころの話ではない。
「……俺としては別にどっちでも良いんだけどよ……流石にちょっと可哀想かなぁ……」
 目的の為なら別にどちらでも、それは真意ではあるのだが、活骸の群れに素手で立ち向かうが如くの敦賀の状況には流石に同情を禁じ得ないな、そう思いつつ溜息を一つ吐いた。
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