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第53章『鬼の居ぬ間に』

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第53章『鬼の居ぬ間に』

「……もう一度言ってもらえますか、広江大尉」
「や……あの……大尉如きが准将に反論は……な?分かるだろ?」
 タカコが黒川に連れ出された翌日の夜、帰還した主力部隊が後処理に慌ただしく動き回っている海兵隊本部、その一角でタカコの監視の代理を任せた大尉の広江に向かい敦賀が鋭い視線と殺気をぶつけている。
 処理に追われつつもタカコの様子が気になった敦賀が広江に声を掛けたのだが返って来たのは泳ぐ視線とはっきりしない返答、何が有ったと問い詰めれば昨夜突然尋ねて来た黒川が
「彼女と食事の約束をしていてね、今日中にはきちんと送り届けるから安心してくれ」
 そう言ってにこやか且つ強引にタカコを連れ出して行き、しかも帰って来た彼女は酔い潰れて黒川に背負われていたとの事、それを聞いた瞬間敦賀の機嫌は最悪へと向かって急降下したという按配だった。
「あの……馬鹿女が……!」
 取り敢えず仕事には戻ったものの腹の虫は収まらない、たった二日の事、大人しくしていろよと言い含めて出たというのによりによってあの男と二人きりになるとはと大きく舌打ちをする。
 十六で任官してもう十八年、海兵隊はこの本部以外に基地を持っていないからここから他に異動した事は無い。自分が任官した翌年に高根が任官と同時にここに着任し、それから直ぐ彼の繋がりで自分よりも三年年早く任官し当時博多駐屯地に勤務していた黒川とも知り合った。それ以来海兵隊と陸軍という違いは有れど彼の人となりを具に見て来たが、結婚する前の彼の行状を知っている身としては惚れた女をあれと二人きりにする等言語道断だ。
 海兵隊の隊員だった今は亡き妻千鶴、彼女と出会ってからは憑き物が落ちた様に身綺麗になり千鶴一筋になりはしたものの今はまた独り身、当時が蘇らないとも限らないと全速で仕事を片付けてタカコの部屋へ向かう。
「馬鹿女、てめぇ何考えてやがる!」
 吹き飛ばす勢いで扉を開けて中へと入れば、部屋の主は煎餅を齧りつつ寝台に寝転がって読書の最中、何を呑気にしてやがるとつかつかと歩み寄り手にしていた煎餅と本を取り上げた。
「何だよいきなり!後処理の手伝いはさっき迄してたぞ、もう良いからって言われてさっき戻って来たところだよ!」
「そんな事言ってんじゃねぇ!龍興と昨日の夜出掛けてたって本当か!」
 予想もしていなかった詰問の内容なのか目を丸くするタカコ、
「はぁ?いや、確かに中洲に出て奢ってもらったけど……それが?」
 寝台の上に身体を起こしながらそう答え、悪いとは欠片も思っていないであろうその様子に敦賀の怒りと苛立ちは更に増幅する。
「俺や真吾がいねぇ時に陸軍の奴と二人きりになってんじゃねぇ、何処から情報が漏れてるか未だに分かってねぇんだぞ!それに――」
 『奴等に何をされたか忘れたのか』、その言葉を吐き出すには理性が残り過ぎていた。忘れるわけが無い、きっと今でも本人が一番覚えているに決まっている、思い出したくもない事だろうが忘れる事は出来ないだろう、それを自分が今になって抉る事は躊躇われた。
「それに、何さ?」
「……それに、お前、龍興が若い頃何て呼ばれてたか知ってるか、中洲の種馬だぞ、それ位に女遊びの激しかったあの野郎と二人きりとか正気かてめぇ」
「は!?タツさんが!?あのタツさんが種馬!?」
 誤魔化す様にして黒川の過去について触れれば、それが大層意外だったのか食いついて来るタカコ、黒川の話に何故食いつくのかと敦賀が苛立ちを増幅させた直後、背後から聞き覚えの有る、そして聞きたくもない声が聞こえて来た。
「ひでぇなぁ、若気の至りをばらすなんてよぉ?」
 振り返った敦賀の視線の先には扉の枠に凭れ掛かりいつもの笑みを浮かべる黒川の姿、制服と同じ色の外套を脱ぎ腕に掛けつつ室内へと入って来る彼に、敦賀は殺気を漲らせて声を掛ける。
「……何の用だてめぇ……営舎に無断で入って来るんじゃねぇよ」
「いや、無断じゃねぇよ?タカコちゃんの部屋知らなかったし、そこ等辺にいた奴にちゃんと断って部屋の場所も聞いたし」
「准将の星ちらつかせてりゃ誰だって教えるだろうがよ……殺すぞてめぇ……で、何の用だ」
「いや、お前等が後処理で忙しくしてる隙にタカコちゃん連れ出そうと思ったんだけどよ、何でもうここにいるんだよ、邪魔すんじゃねぇよ」
「あぁ!?」
 聞き捨てならない事を実ににこやかにさらりと言って退ける黒川、どういうつもりだと彼の方に向き直る敦賀、対峙して一触即発状態の二人の間に空気を読まずに入りこんだのはタカコだった。
「ねぇタツさん!今敦賀から聞いたんだけど、若い頃中洲の種馬って呼ばれてたって本当なの?」
「んー、確かにそんな時期も有ったよ?でもそれ結婚前の話だから、千鶴と知り合う前ね。千鶴と知り合ってからは彼女しか見てなかったし今もそうよ?」
「種馬って事は方々に子供いるって事!?」
「いやいや、言葉のあやだからそれ、そこ等辺はきっちり気を付けてたぜ?何、そんなに意外かい?」
「凄い意外!だって今のタツさんっておっさん丸出しだけど紳士じゃん、千鶴さんへの熱い想いも意外だけどそんなクズい過去とかもっと意外だわ」
「ク……結構きつい事言うよね、君も」
「そう?だって――」
 と、そこで二人の会話を叩き斬ったのは敦賀、タカコの襟首を掴んで自分の後ろへと押し遣り再び黒川と対峙する。
「てめぇがこいつに初めて会った時に言ったよなぁ?相手が欲しいなら商売女扱ってるところに行けってよ?うちが保護してる捕虜に粉掛けてんじゃねぇよ種馬」
「おじさんはなぁ、誰が相手でも良いわけじゃねぇんだよ青二才、気心の知れた若い女の子とお話したいってのがそんなに悪ぃか」
「若い?てめぇこいつの歳知らねぇのか、三十二だぞ三十二、何処が若いってんだ」
「おじさんより十二も年下なら充分若いわ」
 タカコを放置して始まった男二人の睨み合い、当事者である筈のタカコは鼻の頭をぽりぽりと掻き
「……何やってんだこの馬鹿二人」
 そう小さく呟いた。
 と、啀み合う二人の向こう、扉の前に現れた高根が無言でこちらへと手招きをしているのに気が付いて、二人を放置してそちらへと歩み寄れば、
「何やってんだあの二人」
 そう問い掛けられた。
「いや……私にもよく分からん、何か用か」
「ああ、後処理も終わったんで一杯引っ掛けに行くかと思ってよ、お前もどうかと思って来てみたんだが、行くか?」
「行く行く、直ぐに出られるよ」
「あの二人どうすんだよ」
「放置で良いんじゃね?ほら、行こ」
 そんな遣り取りを交わし営外へと向かって歩き出す高根とタカコ、敦賀と黒川がそれに気付き
「真吾!てめぇ何してやがる!」
 そう声を揃えて後を追い始める迄、後少し。
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