上 下
13 / 101

第12章『筋肉』

しおりを挟む
第12章『筋肉』

 タカコが対馬区へ出撃する為の準備として敦賀について海兵隊式剣術の鍛錬を始めてから半年程の月日が経過した。
 季節は春、桜の蕾が綻び始めた或る日の昼下がり、大和海兵隊の道場では日常となりつつある光景が繰り広げられていた。
 硬く締まった木材同士がぶつかり合う高い音、それなりの重量の有る物体が道場の床へとぶつかる振動が続いて道場内に響き渡る。
「もう少し踏ん張り利かねぇのかてめぇは、何時になったら俺の相手が不足無く務まる様になるってんだ?あ?」
「いやちょっと待って、私が戦う相手は活骸であってお前じゃないから、色々とおかしいからそれ」
 弾き飛ばされたのはタカコの身体と持っていた木刀、敦賀の手加減無しの一閃を何とか捌こうとしたものの体格差と体重差は如何ともし難く、あっさりと薙ぎ払われて道場の床へと倒れ込んだ。休憩だ、そう言ってさっさと壁際へと下がる敦賀、その彼の背に若干恨みがましい視線をぶつけつつ、タカコも木刀を手に立ち上がり彼の後をついて歩き出す。
 鍛錬を始めてから半年、優位に立てたのは最初の不意打ちだけ。その後は持ち方構え方等の基礎の基礎から徹底的に叩き込まれ、少しでも我流に走ろうとすれば即座に手厳しい指導を受けてそれを正された。
 敦賀曰く、
「基礎を習得せずに我流でやろうとするな屑、百年早ぇ。オラ、最初からもういっぺん通してやってみろ」
 との事で、海兵隊式の剣術の規範から外れる事を一切許さない指導がずっと続いている。
 尤も、タカコ自身も武術や格闘術に於いて基本基礎が何よりも大事であり、そこを習得せずに大成する等不可能であるという事は理解しているから、その辺りの事について文句を言うつもりは無い。
 何が不服なのかと言えば、敦賀の基準が当初の目的からずれているという事に他ならない。確か自分は活骸と戦うに足るレベルに達する為に海兵隊式の剣術の鍛錬を積み始めた筈なのだが、最近彼が言うのは
「まだまだだな、いつになったら俺の相手に足る様になるんだてめぇは」
 という事ばかり。いやちょっと待て、本末転倒という言葉を知っているか、目的と手段が入れ替わってはいないか。そう突っ込みたいのは山々なのだが、強くなるという結果が同じなら問題は無いし、余りにも掛け離れる様であれば高根の方から執り成しが入るだろう、そう思いつつ静観しているのが現状だ。
 と、壁際に腰を下ろして汗を拭きつつ水を飲めば、同じ様にして横にいた敦賀がこちらをじっと見下ろしているのに気が付いて、その彼を見上げながらタカコは口を開く。
「……?何だよ?」
「……お前、ちょっと脱いでみろ」
 その言葉に、タカコの表情と動きが固まった意味に、敦賀自身は全く気が付いていなかった。直後流石に脱げは拙いとかと思い直し
「……いや、語弊が有るな、ちょっと確かめたい事が有る」
 とそう付け足し、前触れも無くタカコの身体へと手を伸ばす。初めに掴んだのは二の腕、そこを数度軽く掴み数度撫で上げて次は肩と背中に手を伸ばす。近付くお互いの顔、身体、突然の敦賀の動きに暫し呆然としていたタカコだったが、頬に掛かった彼の息と間近に感じた体温に漸く動きを取り戻し、拘束から逃れようともがき出した。
「おま!ふざけんな!何やってんだよ!離せって!」
「うるせぇ、じっとしてろ、痛い目見てぇか馬鹿女」
 身長差は三十cm、その上男女差も有っては敦賀はタカコにとっては力技で押し退けるには少々厳しい相手なのか、敦賀はタカコの抵抗をいとも容易く封じ込め、道場の床に押し倒し腹と脚を触り、その後は身体を裏返して俯せにさせて背中と尻へと手を伸ばした。
「わーっ!変態先任に襲われるぅぅぅ!ちょっと!誰か助けろ!!」
 周囲としては状況が状況なだけにタカコを助けてやりたいのは山々なのだが、何せ相手は鬼の海兵隊最先任上級曹長、中隊長級の士官ですら時には下手に出る人間相手に物申す度胸の持ち主はその場にはおらず、誰も止めに入らなかった事はタカコにとっては大きな不幸だった。
 どれだけ暴れても怒鳴りつけても敦賀は動じずタカコを離す事は無く、彼女が解放されたのは、敦賀が気が済んだのか彼女の上から完全に身体を退かしてから。
「おまっ、お前マジふざけんな!こんなところで盛るとか何考えてんだこのケダモノ!」
「あぁ?誰がてめぇみてぇな下品な馬鹿女に盛るってんだよ、ちょっと確かめたい事が有っただけだ……おい、ヒロ!」
「何だ?何か用か?」
「この馬鹿女に一本付き合ってみてくれ、ちょっと確かめてぇ事が有る」
「俺は別に構わんが……」
「という事だ、オラ、行って来い」
 タカコの抗議を軽く受け流した敦賀が声を掛けたのは丁度道場へと姿を現した三宅、その彼の返事を受け、敦賀はタカコへといつもの調子で命令を出す。
「は?何で」
「良いから行け」
 反論なぞ聞く気も無いのかタカコを見ようともしない敦賀、タカコはそんな彼の様子に溜息を吐き、諦めた様に頭を掻きつつ木刀を手に立ち上がる。
「何かよく分からんが災難の様だな」
「全くだ」
 そんな遣り取りを交わしつつ三宅と正対し、鋒をお互いに向けて構えを取る。そして、
「――始め!」
 他の隊員のその言葉と共に、三宅へと向かって大きく踏み込んだ。

「敦賀、おめぇ道場でタカコ押し倒したって?」
「……違ぇ、筋肉の付き方を確かめたかっただけだ」
 道場での騒動から二時間程後、場所は海兵隊総司令執務室。書類に目を通していた高根の下に敦賀がやって来てデスクの前に立つ。その彼に向かって耳に入っていた騒動を口にすれば、返って来たのは実に不機嫌そうな声音だった。
「……筋肉の?どういう事だ?」
 声音ではなく言葉に疑問を感じて書類から視線を上げれば、敦賀はそれを受けて淡々と話し出す。
「……最初から今迄、体格に全く変化が無かったんだ、だから、腕が多少上がっても前線に出るには全く及ばねぇと思ってた。それが今日どうも気になって触ってみたら、要求される水準かそれ以上の筋力はもうしっかりと付いてた。恐らくは、大和に来る前から身体自体は完全に出来上がってたんだろうよ。試しにヒロと一本やらせてみたらしっかりと獲りやがったあの馬鹿女」
「そうか、それなら何で俺に報告を上げなかった。昨日今日で達したわけじゃねぇだろう、今日三宅から一本獲れたってならもうとうに対馬区に出せる水準に達してたんじゃねぇのか?」
 尤もな高根の言葉、敦賀はそれに一瞬押し黙り、何ともばつの悪そうな面持ちで口を開いた。
「……正直鍛えるのに注力し過ぎて目的を忘れてた、俺から一本取れない内はまだまだだと思ってたが、相手が俺じゃねぇのをさっき思い出した」
 その言葉に高根は思わず吹き出した。いつも寡黙で冷静な敦賀、その彼が目的を忘れる程に彼女を鍛える事に没頭していたとはと声を放って笑い、一頻り笑った後で眦に浮かんだ涙を拭きつつ、司令として部下である敦賀に問い掛ける。
「……それで?タカコを対馬区に出せるかどうか、お前の判断を聞こう」
「……問題無い、対馬区に出撃させても充分な働きが期待出来る」
 出会いから七ヶ月半、鍛錬を始めてから半年。
 漸く、タカコの待ちわびていた『その時』がやって来た。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

虐げられた令嬢、ペネロペの場合

キムラましゅろう
ファンタジー
ペネロペは世に言う虐げられた令嬢だ。 幼い頃に母を亡くし、突然やってきた継母とその後生まれた異母妹にこき使われる毎日。 父は無関心。洋服は使用人と同じくお仕着せしか持っていない。 まぁ元々婚約者はいないから異母妹に横取りされる事はないけれど。 可哀想なペネロペ。でもきっといつか、彼女にもここから救い出してくれる運命の王子様が……なんて現れるわけないし、現れなくてもいいとペネロペは思っていた。何故なら彼女はちっとも困っていなかったから。 1話完結のショートショートです。 虐げられた令嬢達も裏でちゃっかり仕返しをしていて欲しい…… という願望から生まれたお話です。 ゆるゆる設定なのでゆるゆるとお読みいただければ幸いです。 R15は念のため。

【完結】公女が死んだ、その後のこと

杜野秋人
恋愛
【第17回恋愛小説大賞 奨励賞受賞しました!】 「お母様……」 冷たく薄暗く、不潔で不快な地下の罪人牢で、彼女は独り、亡き母に語りかける。その掌の中には、ひと粒の小さな白い錠剤。 古ぼけた簡易寝台に座り、彼女はそのままゆっくりと、覚悟を決めたように横たわる。 「言いつけを、守ります」 最期にそう呟いて、彼女は震える手で錠剤を口に含み、そのまま飲み下した。 こうして、第二王子ボアネルジェスの婚約者でありカストリア公爵家の次期女公爵でもある公女オフィーリアは、獄中にて自ら命を断った。 そして彼女の死後、その影響はマケダニア王国の王宮内外の至るところで噴出した。 「ええい、公務が回らん!オフィーリアは何をやっている!?」 「殿下は何を仰せか!すでに公女は儚くなられたでしょうが!」 「くっ……、な、ならば蘇生させ」 「あれから何日経つとお思いで!?お気は確かか!」 「何故だ!何故この私が裁かれねばならん!」 「そうよ!お父様も私も何も悪くないわ!悪いのは全部お義姉さまよ!」 「…………申し開きがあるのなら、今ここではなく取り調べと裁判の場で存分に申すがよいわ。⸺連れて行け」 「まっ、待て!話を」 「嫌ぁ〜!」 「今さら何しに戻ってきたかね先々代様。わしらはもう、公女さま以外にお仕えする気も従う気もないんじゃがな?」 「なっ……貴様!領主たる儂の言うことが聞けんと」 「領主だったのは亡くなった女公さまとその娘の公女さまじゃ。あの方らはあんたと違って、わしら領民を第一に考えて下さった。あんたと違ってな!」 「くっ……!」 「なっ、譲位せよだと!?」 「本国の決定にございます。これ以上の混迷は連邦友邦にまで悪影響を与えかねないと。⸺潔く観念なさいませ。さあ、ご署名を」 「おのれ、謀りおったか!」 「…………父上が悪いのですよ。あの時止めてさえいれば、彼女は死なずに済んだのに」 ◆人が亡くなる描写、及びベッドシーンがあるのでR15で。生々しい表現は避けています。 ◆公女が亡くなってからが本番。なので最初の方、恋愛要素はほぼありません。最後はちゃんとジャンル:恋愛です。 ◆ドアマットヒロインを書こうとしたはずが。どうしてこうなった? ◆作中の演出として自死のシーンがありますが、決して推奨し助長するものではありません。早まっちゃう前に然るべき窓口に一言相談を。 ◆作者の作品は特に断りなき場合、基本的に同一の世界観に基づいています。が、他作品とリンクする予定は特にありません。本作単品でお楽しみ頂けます。 ◆この作品は小説家になろうでも公開します。 ◆24/2/17、HOTランキング女性向け1位!?1位は初ですありがとうございます!

【完結】実家に捨てられた私は侯爵邸に拾われ、使用人としてのんびりとスローライフを満喫しています〜なお、実家はどんどん崩壊しているようです〜

よどら文鳥
恋愛
 フィアラの父は、再婚してから新たな妻と子供だけの生活を望んでいたため、フィアラは邪魔者だった。  フィアラは毎日毎日、家事だけではなく父の仕事までも強制的にやらされる毎日である。  だがフィアラが十四歳になったとある日、長く奴隷生活を続けていたデジョレーン子爵邸から抹消される運命になる。  侯爵がフィアラを除名したうえで専属使用人として雇いたいという申し出があったからだ。  金銭面で余裕のないデジョレーン子爵にとってはこのうえない案件であったため、フィアラはゴミのように捨てられた。  父の発言では『侯爵一家は非常に悪名高く、さらに過酷な日々になるだろう』と宣言していたため、フィアラは不安なまま侯爵邸へ向かう。  だが侯爵邸で待っていたのは過酷な毎日ではなくむしろ……。  いっぽう、フィアラのいなくなった子爵邸では大金が入ってきて全員が大喜び。  さっそくこの大金を手にして新たな使用人を雇う。  お金にも困らずのびのびとした生活ができるかと思っていたのだが、現実は……。

うちの娘が悪役令嬢って、どういうことですか?

プラネットプラント
ファンタジー
全寮制の高等教育機関で行われている卒業式で、ある令嬢が糾弾されていた。そこに令嬢の父親が割り込んできて・・・。乙女ゲームの強制力に抗う令嬢の父親(前世、彼女いない歴=年齢のフリーター)と従者(身内には優しい鬼畜)と異母兄(当て馬/噛ませ犬な攻略対象)。2016.09.08 07:00に完結します。 小説家になろうでも公開している短編集です。

【完結】結婚してから三年…私は使用人扱いされました。

仰木 あん
恋愛
子爵令嬢のジュリエッタ。 彼女には兄弟がおらず、伯爵家の次男、アルフレッドと結婚して幸せに暮らしていた。 しかし、結婚から二年して、ジュリエッタの父、オリビエが亡くなると、アルフレッドは段々と本性を表して、浮気を繰り返すようになる…… そんなところから始まるお話。 フィクションです。

【完結】後妻に入ったら、夫のむすめが……でした

仲村 嘉高
恋愛
「むすめの世話をして欲しい」  夫からの求婚の言葉は、愛の言葉では無かったけれど、幼い娘を大切にする誠実な人だと思い、受け入れる事にした。  結婚前の顔合わせを「疲れて出かけたくないと言われた」や「今日はベッドから起きられないようだ」と、何度も反故にされた。  それでも、本当に申し訳なさそうに謝るので、「体が弱いならしょうがないわよ」と許してしまった。  結婚式は、お互いの親戚のみ。  なぜならお互い再婚だから。  そして、結婚式が終わり、新居へ……?  一緒に馬車に乗ったその方は誰ですか?

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

冷宮の人形姫

りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。 幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。 ※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。 ※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので) そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。

処理中です...