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第六話 怒声

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 こんな高級な店でのマナーが分からない。
 と、思ったら、ゲンが大皿を一つ自分の前に置くと、そのまま食べ始めた。
 何だか焼きそばのような食べ物だ。
 直箸で、なれない左手だからか、はじめて箸を使う外人の様に、あたり一面につゆを飛ばしながら食っている。
 昔見た映画の、ギャングがスパゲッティーを食っている時のようだ。

「少し聞いて良いか」

 俺は一つの疑問が起きた。
 それを解決する為、恐いがゲンに話しかけた。
 ゲンは俺の方を、頬を大きく膨らまし、じろりと見た。

「木田さん、何ですか」

 ダーが代わりに答えてくれるらしい。

「この店とゲンの関係を……」

「あー、ここはゲンさんの店です」

 はい、いただきました。ゲンの店。少しそんな気がしていました。
 まあ、その言葉とゲンの食い方見れば、どんな食べ方をしても文句は言われない事が分かりました。
 安心してマナー無視の食べ方が出来ます。

「そうですか。じゃあ俺も料理をいただきます」

 一応ことわりを入れた。
 そして、大皿の料理を、少しずつ取って、表情の無い少女あずさちゃんの前に置く。
 あずさちゃんは料理も見ないで、俺の顔を見た。
 料理より大人の顔色の方が気になるようだ。

 ――俺はもう涙が出そうだよ。

「食べてみてご覧。気にいった料理があれば教えてね」

 俺は不細工な豚の様な顔で、目一杯やさしい笑顔を作った。
 表情の無い少女は、少し顔を後ろに動かした。
 表情が無くても分かります。
 あなた、いま、ドン引きしましたね。

 ――違う意味で涙が出そうです。

 少女は本当にちょっぴりずつ、料理を恐る恐る口に運んだ。
 一通り食べ終った。
 でも、表情が変わらないので、どれが気にいったのか全く分からない。

「あずさちゃん、どれが美味しかった?」

 確認の為聞いて見た。
 ゆっくり、指をさした。
 指をさしたのは、3つの皿だった。
 ニラ玉のような食べ物と、回鍋肉の様な食べ物、そして唐揚げだった。

 俺は一つだけ自分の小皿に唐揚げを取り、少女の前に大皿のまま料理を三皿置いた。

「ゲンを見てご覧、ほら、あのおじさん。あんな風に食べて良いからね」

 俺はもう一度懲りもせず、一番の笑顔を作った。
 少女は慣れたのか、そのまま俺をじっと見つめてうなずいた。
 よかった。ドン引きされなかった。

 少女は、大皿の料理を、最初は少しずつ恥ずかしそうに口に運んだ。
 時々つゆをこぼすと、体をビクンと動かし俺の顔を見る。
 俺は、ドン引きされた笑顔を、その都度返した。
 少女は少し動けなかったが、俺が何もしないと分かると、ふたたび料理を食べ始めた。

 何度かその繰り返しを続けると、少女は少し位こぼしてもいい事を学んで、こぼしても気にしなくなった。
 しかもここで一番えらいゲンの、汚い食べ方が役に立ってくれている。
 あれでもいいのかと思ったのか、どんどん食べ進めている。

 どの位うまいのかと思って、さっき取った唐揚げを食べてみた。

 ――うめーーー!!!

 材料が一級品なんだろう、今まで食べた唐揚げの三倍はうまい。
 まあでも、料金は十倍でしょう。
 それなら、近所の唐揚げ屋の唐揚げでいいや。俺は低所得者ですからね。

 少女は必死にむさぼる様に食べている。
 まるで蝶の幼虫が葉っぱを食べている様だ。
 そういえば昔、学校の校庭で見つけて、飽きずにずっと見ていた事があったなー。そんな事を思い出していた。
 着ている服が薄いので、お腹の膨らんでいく様子がよく分かる。

「けほっ」

 少女は少しむせた。
 それが引き金になったのか次の瞬間とんでも無い事が起った。

 少女の口から、鉄砲水の様に、胃の中の物が飛び出した。
 ビューーッと吹き出したのだ。
 少女のおなかが、一気に何も食べてない状態まで戻ってしまった。全部出てしまった様だ。

 こんな時、ゲンは無表情だからありがたい。
 でも、ダーとポンの表情が見る見る怒りの表情になっていく。

 少女は大きな声でヒーーッと声を出し、パニックになっている。
 光の無い瞳が、凄い勢いで、上下左右に動いている。

 悪いのはあずさちゃんじゃないのに、可哀想な事をした。
 そうだよね。あずさちゃんの胃袋は、こんな脂っこい食べ物を食べたらビックリしますよね。

 俺はガタンと大きな音を出して、席を立ってしまった。決して音を出そうと思ったわけでは無い。
 あずさちゃんはひっくり返るぐらい、体をビクンと動かし驚いた。

「ごめんなざーーーいい!! ひぎぃーーーー!!!」

 あずさちゃんは謝ると、両手で口を押さえ泣き声を出さない様にしている。
 それでも抑えきれない泣き声が出てしまっている。
 こんな時、あずさちゃんの両親が、幼いあずさちゃんに何をしていたのか想像が出来る。泣く事も許されなかった様だ。

「ごめんよ、脅かしてしまったね。あせって椅子をならしてしまっただけなんだ。俺は決して怒ってないからね」

 俺は、あずさちゃんに触るか触らないかに近づいて左手を背中に回しそっと少しだけふれた。
 右手は、俺の中にいる蜂蜜さんにお願いしてお掃除をしてもらった。
 机も床も俺の右手が触れると汚れは綺麗に無くなった。
 もちろん目にも止らぬ速さでやっている。
 最後にあずさちゃんの服を綺麗にする。汚れの付いていた所が真っ白に変わった。

「ほら、あずさちゃん見てご覧、綺麗になったから、何も気にしなくても良いからね」

 あずさちゃんは、すごい勢いで俺に抱きついて来た。
 椅子がガタンと鳴った事で、吊り橋効果まで出てしまった様だ。

 あずさちゃんは俺と同じで可愛い顔をしていない。
 俺は豚で、あずさちゃんはガイコツだ。
 でも、俺はこの瞬間、あずさちゃんを最高に可愛いと思ってしまった。
 この子のこれまでの短い人生は、どれだけつらくて苦しい物だったのだろうか。これからは俺があずさちゃんを、最強に甘やかしてやろうと思った。
 そうだ、今日から俺は、あずさちゃんをあめ玉のように甘やかすアメダマンになってやろうと心に誓った。

「ゲン、脂の入っていない胃に優しい、お粥を頼むよ」

 このままでは、あずさちゃんは、おなかが空いたままになると思ってゲンに頼んだ。

「おい!!」

 ゲンはポンの椅子を蹴って、あごをクイクイ動かした。
 ゲンはすぐに怒る奴だと思っていたが、この事には腹を立てていない様だ。
 ポンはあわてて部屋を出て、注文に走ってくれた様だ。



 お粥が来ると、まだ俺の胸で泣きじゃくっているあずさちゃんをひざに乗せ椅子に座った。

「今度は、胃に優しいお粥だよ。少しずつ食べよう」

 お粥は、ポンが特別に頼んでくれたのか、お米だけでお湯が多めのやさしいお粥だった。
 あずさちゃんは、コクンとうなずいた。
 さっき戻したばかりだから、食べるのもつらいだろうに、俺が進めたからか素直に食べてくれるようだ。
 慌てない様にゆっくり、食べさせた。

 それをゲンは黙って見ている。
 ゲンの顔からは何を考えているのかは分からないが、ゲンはゲンで、あずさちゃんに思う事があるのだろう。
 ゆっくり、ゆっくり、休み休みお粥を食べさせていたから、食べ終わるまでに随分時間がかかった。

「どけーーーっ!!! じゃまだーーー!!!」

 部屋の外に怒鳴り声が聞こえたのは、あずさちゃんが、デザートの杏仁豆腐を一口くちに入れた時だった。
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