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第21章 英雄の慟哭と苦悩と再起編

第5話 リシュカが送るある作戦

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 ・・5・・
 12の月20の日
 午前11時過ぎ
 ホルソフ・妖魔帝国軍前線司令部
 リシュカ執務室

 アカツキが復帰して三日が経った、年末に差し掛かった二十の日。
 統合軍が意図してアカツキ復帰を隠蔽しており、彼が再び戦場に立つことを決意した事を知るはずもないリシュカは、上機嫌な様子で帝国式紅茶を飲みながら過ごしていた。
 彼女が座る執務椅子からすぐ、執務机には現在の戦況が書かれていた。
 戦線はマーチスが指揮した通りにムィトゥーラウから約一〇〇キーラ地点で一時的な膠着状態となっていた。
 こうなったのは両軍共に理由がある。
 統合軍の場合は、これまでの大幅な後退や士気低下などによる戦線崩壊の危機を脱して再編成を完了したこと。統合軍自らの予想に比して兵力が残せた面が強い。特にアカツキが、途中からリイナが代理指揮を執っていた三個軍が当初予想より多くが無事だったこともある。
 妖魔帝国軍の場合は兵士の体力消耗もあるが兵站、つまり補給線に問題が生じたことによるものである。
 帝国軍は約二十日間で統合軍の頑強な抵抗を各所で受けながらも戦線を大きく広げた。これにより想定より損害は生じたものの許容範囲内。それより問題だったのは急な戦線拡大により補給線が伸びて兵器や物資の補給が追いつかなくなったことである。
 帝国軍はもとより今くらいは戦線を広げるつもりだったが、補給の見積もりが甘かった。故に今の位置で一旦停止し補給線確立を待つしか無かったのである。
 リシュカはこれに対して、

 「帝国軍は急速な近代化を果たしているけれど、この広い国土じゃ補給に課題が出るのは仕方ないよ。図上で上手くいっても現実と乖離は生じる。こればかりかは経験してみないと分かんないしね。ま、ここまで戦果拡大出来れば良しとしようじゃないの」

 と、涼しい顔つきで述べていた。
 リシュカの言うように帝国軍の参謀本部は兵站について無謀な計画を立てずに比較的現実的なものを立案し実行していた。
 しかし、未経験の領域たる本作戦で計画通り行く方が難しい。結果、今のように一旦停止せざるを得なくなったものの、それでも八割程度は計画に沿って進んでるのだから上々。リシュカはそう考えていた。
 さて、リシュカは紅茶に口を付けながら今後の戦略を頭の中で組み立てていた。隣にはリシュカの片腕として帝国軍全体に名を馳せるオットーがいた。

 「クソ英雄がぶっ倒れたのは帝国軍全体に伝わっていて、兵士達の士気は高まってる。ムィトゥーラウまであと約一〇〇キルラだし航空部隊は射程圏内。ただこっちの洗脳光龍の損害が無視出来ないくらいになってるなあ……。ま、でも元々使い捨てだし航空部隊に迎撃関連は統合軍に一日の長があるから仕方ないか。攻勢再開までは極力投入せず、戦力を集中させるかなあ」

 「光龍の追加約一〇〇は年明けに到着致します。ソズダーニアについてもほぼ同じ時期に約四〇〇が到着。閣下の仰る通り補給が追いついてから集中投入がよろしいかと。統合軍にはその分猶予を与えてしまいますが、今や統合軍はムィトゥーラウとオディッサに裏切り者共の国しか勢力圏が残っておりません。その上英雄を欠いています。問題は無いかと」

 「まーね。第二戦線の南方植民地は着々と占領地を広げてるし、統合軍中核の連合王国軍はアルネセイラの事で本国は立ち直れてない。そこにクソ英雄がぶっ倒れたとなればだいぶ楽になると思うよ。オットー、お前はいつくらいまでにムィトゥーラウを確保できると思う?」

 「そうですね……。年内は無理だとしても年明け一の月までにはムィトゥーラウを陥落出来るでしょう。次のオディッサは春あたりでしょうか。オディッサを陥落すれば裏切り者共の国は孤立しますし元々大した兵力もありませんから放置しても構いません。そしてオディッサを奪還してしまえば夏にはブカレシタ。さらにその先、人類諸国の本土に向かえるでしょう。第二戦線含めてあくまで計画通り行けばではありますが」

 オットーは自信に満ちた顔で分析しながらも、決して慢心をしない回答をする。
 確かに今の帝国軍の兵力と指揮ならばムィトゥーラウの奪還に多大な時間をかけることは無いだろうし、オディッサを陥落させれば妖魔諸種族連合共和国など恐るるに足りない。
 しかしオットーは、アカツキが欠けたとはいえ統合軍の参謀機能が喪失するとまでは思わなかった。リシュカの分析も含まれているが自身の分析でもアカツキの影響が色濃い統合軍参謀本部は独自でどうにかしてくるだろうからだ。
 無論、英雄が倒れているというマイナス要素は大きい。それでも近代軍が個人ではなく集団で回っている以上は指揮系統のみならば影響は限定的だろうとオットーは思っていた。
 もう一つ、彼が頭に入れているのが第二戦線南方植民地である。
 現在南方植民地は陸軍及び海兵隊がフリューラガルにトラートを制圧し北進している。周辺海域についてはボルティック艦隊がいるから問題はない。
 だが、統合軍がボルティック艦隊を無視するとは思えないことから判明して比較的すぐにオディッサ駐留の海軍はフリューラガル方面に向かっただろうと思われる。
 中核を成す協商連合海軍は本国動乱で中央指揮系統が混乱しているとはいえ、統合軍の中で運用されているのだから統合軍として動くだろう。協商連合海軍はマシ程度ではあるものの愚かな政権の影響力が少ないからそれなりに有能な人物がいる。
 加えて協商連合海軍に比較して数は多くないものの連合王国海軍は脅威だ。帝国軍が空母ならぬ龍母をを運用するのと同じく、連合王国海軍は空母を運用している。さらに近代化を果たした法国海軍もいることから数の上では統合軍が若干の有利。
 帝国軍は性能に勝る洗脳光龍を運用しているから初撃でダメージを与えれば統合軍海軍はある程度沈められるだろうが、艦隊決戦になる可能性は高い。
 それが起こりうるのが恐らく年末か年明け。オットーはこちらの戦術的勝利か引き分けになると予想していた。

 「まあ妥当なとこだろうね。統合軍は今月からのこっちの攻勢で数を減らしていて、一〇〇万いるかどうかってとこじゃないかな。ブカレシタから援軍が来てたとしてもそう多くはないはず。対して私達は数で勝ってるし、兵士達はやる気に満ち溢れてるからね。春が終わる頃までにオディッサは一つの目標になると思うよ」

 「もしあのアカツキが健在ならば易々と行かなかったでしょうが、非戦力化出来ましたからね。この状態が長引けば長引くほど統合軍にとって不利になります。閣下の作戦はまさに妙策でありましたね」

 「ま、ずっとくたばってくれてた方がこっちとしてはいいよね」

 リシュカは煙草に火をつけると、紫煙を天井へ向けて言う。
 正直なところ、アカツキつまりかつての部下があそこまで精神的に潰れるのは失望だった。もう少し反抗してきてくれたらいいもののあのザマである。
 だが、それはあくまで個人的な話であって帝国軍全体として鑑みればああなってくれた方が得なのは違いない。
 第二戦線は現地組に任せっきりになるが、とりあえず自分は主戦線たるここに集中すべきだと頭を切り替えた。
 時刻は正午。まもなく昼食の時間である。
 そろそろ世話役の士官でも呼んで昼食を運んでもらおうかとリシュカは思っていたところ、部屋の外から慌ただしく走る誰かの音を感じる。すぐに扉がノックされた。入ってきたのは司令部要員だった。

 「リシュカ閣下、失礼致します!」

 「なになに、どうしたの」

 「前線より緊急報告が入りまして、こちらをご覧頂けますでしょうか……」

 「私が預かろう」

 オットーは司令部要員から魔法無線装置で送られた文面が書かれた紙を受け取り見ると、目を見開いて驚愕していた。

 「ば、馬鹿な……」

 「何が書かれてたのよ。寄越しなさい」

 「は、はっ……!」

 オットーはリシュカに紙を渡す。
 そこにはこう書かれていた。

『本日一〇四五頃、召喚士偵察飛行隊によを強行航空偵察にてムィトゥーラウより東八〇キーラ地点でアカツキ・ノースロードを確認。リイナ・ノースロード、エイジスを伴い視察をしていたと思われる。なお、当該召喚動物は被撃墜。アカツキ・ノースロードは健在であったのは間違いなし』

 「………………へぇ」

 リシュカは顔から表情が消え失せた。
 自信が精神をへし折ったアカツキがわずか一週間足らずで復帰したことはリシュカに少なからず衝撃を与えたのである。

 「リ、リシュカ閣下……?」

 「何か?」

 「いえ、なんでも……」

 オットーは黙ったままの状態に耐えきれず思わず声をかけるものの、纏い出した殺気に気圧されてそれ以上何も言えなくなった。最も哀れなのは司令部要員である。彼は部屋から早く出たくてたまらなかった。
 リシュカが再び口を開いたのは一分以上経ってからだった。

 「そっか、そっかぁ」

(お前にとって私は、そんなもんだよなあ。この世界で大切な人とものが沢山あるもんなあ。運命の女神とやらにまで好かれやがって。)

 リシュカは心中が冷えきるのを感じた。
 世界というものはとにかくリシュカに残酷なのは、多くのかけがえのない人々を失った前世も含めてよく知っている。
 そして今世でも国に裏切られて今がある。
 元より神様が嫌いなリシュカだったが、やはり神はクソッタレだと改めて感じた。

 「あ、あの……。自分は失礼していいでしょうか……?」

 「ん? あぁ、さっさと帰りな。昼食の時間でしょ」

 「は、はっ! 失礼致します!」

 目の前の司令部要員に興味なさげには返したリシュカと、助かった、この部屋から出られると胸を撫で下ろした司令部要員はすぐに部屋を退出した。

 「リシュカ閣下……」

 「なあにオットー」

 「アカツキ・ノースロードの復帰……。いつかはと考えてはいましたが、こんなにも早くとは予想しておりませんでした……」

 「私もだね。だから誰も責めるつもりなんてないって。ただ」

 「ただ……?」

 「そうこなくっちゃ、ってねぇ……?」

 「…………!!」

 オットーはリシュカの表情を目にして恐怖で寒気が走った。背筋から冷や汗が流れ、まるで彼女に心臓を握られているような気分になったのである。
 何故か。
 リシュカ・フィブラは笑っていたのである。ただの笑みではない。それだけで人を殺せそうな笑みだったのだ。

 「このまま大人しくしてくれてたら、失望こそすれ許してあげようと思ったけどこれはいけないよねぇ。ねぇ、オットーぉ?」

 「え、えぇ……」

 「オットー、こういう時ってどうすればいいと思う?」

 「ど、どうとは……?」

 「そんな簡単な事もわかんないの?」

 「も、申し訳ございません……」

 一体この人は何を考えついたんだとオットーは怖くて怖くて仕方がなかった。
 オットーはリシュカを尊敬している。死ねと命じられれば喜んで死ぬくらいに尊敬しているし、彼女の危機とあらば自分の命と引換に守ろうと思うくらいには。
 だが、時折リシュカは底知れぬ何かを内包しているように思えるのだ。それこそ世界を本当に滅ぼしそうな位に。
 だからオットーはリシュカが何をしようとしているのか自分から聞こうとなぞ思えなかった。

 「とっても単純な話だよ。立ち上がったのなら、もう一度奴の心をへし折ればいい。いや、折るくらいじゃ甘いね。二度と立ち上がれないくらいに精神的に殺してやって、それから八つ裂きにして殺せばいいんだよ」

 「それは、つまり、捕縛して処刑するかその場で殺すかということでしょうか……?」

 「それは最後にする。じゃなくて、殺す前にやること」

 「…………リイナ・ノースロードの拉致か殺害でありますか」

 「甘い」

 「はい……?」

 オットーの常識の範囲で思いついたのは、アカツキの妻リイナである。
 何らかの形でリイナを拉致をするか殺せばアカツキは怒り狂うだろうが一時的に精神を折れるだろう。間違いなく冷静な判断が出来なくなる。
 ところがリシュカはそれを甘いと言ってのけた。

 「いずれはリイナ・ノースロードもだけど、その前に幾らでも殺れる相手がいるじゃん。それも、もっと容易く」

 「まさか……」

 「そのまさか。今からリストを作るから待ってな」

 リシュカは執務机に備え付けられている棚から紙を出して書き始める。
 数分後に完成したそれを見せられたオットーは、この人は末恐ろしいことを考えるものだと思った。

 「ぶっちゃけそこにある中でも成人組はついで。軍関係者はさらについで。最優先目標はそいつね」

 「決して不可能ではないと思われます。しかし、これは中央に問い合わせねばなりませんね……」

 「ゾリャーギに送りなさい。今じゃ根城になってる協商連合からでもいいし、連邦でも共和国でもいい。どこから向かうかはアイツに任せる。陛下にはとっておきの作戦だとも伝えさせるよ」

 「りょ、了解……。正式な書類は――」

 「今から作る。昼食は軽食でいい」

 「はっ……」

 この人は本気だ。
 オットーは戦慄していた。紙に書かれているのは軍人ではない者もいる。それもアカツキにとっては最も失いたくない人までいるのだ。

(まさか最優先目標が『子供』とは……。いや、『煉獄の太陽』で無関係の民間人が老若男女関係無く死んだのだから今更か……)

 オットーは自分に言い聞かせた。これは戦争で、リシュカは帝国が勝つ為に作戦を実行させろと言っているのだと。
 それに、自分に拒否権はない。有無を言わせない気配を強く感じているからこそ敬礼をするしか無かった。
 この日の夕方、リシュカは一つの作戦提案書を書き上げて魔法無線装置ではなくわざわざ書簡として帝都へ送った。
 そしてこの書簡はそう日を経たずゾリャーギ、皇帝レオニードのもとへ届くのだった。
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