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第13章 休戦会談と蠢く策謀編

第13話 それは人類諸国側の英雄としてあるまじき

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 ・・13・・
「ひ、ひぃ! な、ななな、何をするんですか!?」

 アッシュの喉元にまで食い込みかけた果物ナイフ。それは寸前の所で止まっていた。
 悲鳴をあげる彼に逃げ道はない。何故ならば、突如として襲い掛かったフィリーネはソファに座っていた彼の襟元を空いた方の片手を使って掴み押し倒し、馬乗りになって頸動脈に果物ナイフを突きつけていたからである。
 彼の視線の先にあるのは狂気の笑みを見せるフィリーネ。一瞬だが、彼の脳裏には元同僚のチャイカ姉妹が浮かぶが即時に修正する。そこにある表情は、あの二人以上のおぞましい何かを感じたからだ。
 そのフィリーネは、嘲笑してこう言う。

「演技してるつもりかもしれねえけど、バレバレだっての。ただのカウンセラーがこうされて瞳の一つさえ揺らさずにいるわけねえだろ」

「わ、訳が分かりませんよ!! 気付いたら貴女が意味不明な事をしているからじゃないですか!! そもそもゾリャーギって誰ですか!!」

「しらばっくれるなら殺すぞ? ひひひっ」

「はぁ!? 殺す!? 自分が何をしたって言うんですか!!」

「ガタガタうっせえな。だったら証拠を示してやろうか?」

「自分はアッシュです! ただのカウンセラーで、ラットン中将からのご依頼で貴女の心の傷を癒す為に……! だから、お願いですから、離してくだ、さい……!」

 フィリーネが持つ果物ナイフが皮膚に食い込むと、アッシュはまた悲鳴を出して懇願する。
 するとフィリーネは不気味な笑い声を上げると、歪に口角を曲げたまま話し始めた。

「てめえはアッシュじゃなくてゾリャーギ・エフセエフ。協商連合の公認カウンセラーじゃなくて、妖魔帝国皇帝直属諜報機関の一翼を担う諜報員。いや、潜入官といっても差し支えないね」

「だから、ゾリャーギなんて知りませんよ……! そもそもなんで妖魔帝国のそれも皇帝に近い人物が人類諸国にいるだなんて思われたんですか! ここは遠く離れたロンドリウムなの、に……! 貴女、とうとう狂ってしまわれてしまったのですか!?」

「狂ってねえよ失礼だな。証拠が欲しけりゃくれてやるよ。その一、ド素人がこんなに落ち着いて話せるかよ。瞳に動揺が見られねえ。その二。左腕で何をしようとした? 私も引きこもりが随分長かったから危うく反撃されるとこだったけど、惜しかったね。落っこちた灰皿で殴ろうとしたろ? 軍人でもねえやつが咄嗟に武器を持とうなんてしねえって」

「誰だって左腕が空いたのなら、必死で身を守ろうとします……! 辛うじて話せているのは、死にたくないからです……!」

「その三、匂いが違う。隠してるつもりかもしれねえけどさ、微かに匂うんだって。ずっと気になってたから書斎で調べてみた。お前から時折香る、とある種族特有の匂い。二百五十年前のだから読み解くのにも苦労したよ。お前さあ、夢魔族インキュバスだな?」

「インキュバス……? なんですかそれ! 創作じゃないんですよ……!」

「二百五十年前ですら希少種だもんな? だけどね、機密文書で実在が確認されてんだよ。その四。こいつが今から完全な確信に至る要素。『精神支配マインドコントロール』」

「…………っ!」

 フィリーネが唱えた魔法は闇属性上級魔法『精神支配』。いわゆる相手を洗脳させる高度な闇魔法だ。この魔法は術式が複雑な上に効果に見合わない――対象は一人だけ。さらに相手が闇魔法に対する抵抗力を備えていると効果が発揮しにくい――ので、存在は知っていてもほとんど会得しようとする者がいない。
 だがフィリーネは尋問で使える機会があるだろうと自身の魔力保有量の多さから覚えていたのである。
 しかし、フィリーネが唱えた『精神支配』は抵抗された。しかも完全にである。この魔法は完全に効果が無かったとしても副次効果で相手に激しい頭痛や吐き気を与えるが、アッシュは顔をしかめる程度であった。
 つまり、アッシュには高い闇属性魔法抵抗力がある。それもそのはず。

「やっぱりね。この手の魔法が得意な夢魔族だから、闇属性魔法への抵抗力も妖魔帝国人種の中でトップクラスに高い。きひひっ、ねえねえゾリャーギ。これでもどうやって言い訳してくれるのかなあ?」

「…………」

「だんまりなんて面白くないね? それとも拷問が必要?」

「…………ちっ。病人だからとタカをくくってた自分をぶん殴りたくなるぜ……。とても数ヶ月引きこもってた女とは思えねえ動きじゃねえか……」

 アッシュ、いやゾリャーギはついに舌打ちをして白状した。これ以上の抵抗は無駄だと思ったからだ。

「きひひ、やっぱりお前ゾリャーギだったじゃない。けしかけて正解だったわ」

「てめえ……。まさか吐かせる為に……」

「半分正解、半分不正解だよ。あのクソジジイが私の心配をしてカウンセラーを寄越してくる自体が怪しかったのよ。どうやって反対派閥を説得したか知らないけどさ」

「いや、それは本当の事なんだが……」

「あっそ興味ないね。けどね、おかしい点は幾つもあったよ。例えば、素人にしては動きに軍人っぽさがほんの少しだけ感じられた。これは元軍人の可能性もあるから考慮に値しないと思っていたけれど、あえて言うなら私が目眩で倒れそうな時にやたら反射神経が良かった。何度かあったけれど、全部抱きとめてくれたでしょ?」

「それは……」

「後はそうだね。あんたって北部出身のくせに訛りが薄かったんだよ。どっちかというと、ここらへんの話し方。それとなんでか、連邦訛りも若干あった。どれもこれも一年かそこらの滞在で移っちゃう程度のだけど、あんたが話したのとクソジジイが寄越したあんたの身を保証する履歴書と合わない点があった」

「訛り、か……。気をつけてはいたが盲点だったぜ……。これでも一応、こっちにいたのは長かったんだがな」

「協商連合北部より南部や連邦の発音調子があるから、不思議だと思っていたの。それと他にもあるけど聞いておく?」

「勘弁してくれ。諜報員としての自信を失いそうになる……。ったく、腐ってもてめえは軍人でSランクだって事かよ」

「違うわね。疑心暗鬼の賜物よ。全てを疑ってかかれば、拾えるものもあるもの。もしお前がゾリャーギじゃなくて本物だったとしてもたかがカウンセラー一人が廃人になるだけ。ついに狂ったか。いっそ隔離収容所にぶち込めってなるだけで今更どうってことはないって。どうせもう失うものなんて無いし」

「てめえ……。そのなんだ、クソッタレの一言に尽きるぜ」

「それはどうも」

 ゾリャーギは悪態をつく。確信を得ていたかと思いきや、五分五分の賭けで見破ってこようとした彼女に対して、仮にも人間一人を平気で潰そうとしているのに、狂っているとすら感じていた。ある意味では、皇帝以上だとも。

「で、本題。私の所に妖魔の手先が来て、一体何が目的なのかしら?」

「打ち明けたら命を取らない約束でもしてくれんのか?」

「ひひっ、どうしようね。殺したらそれはそれで一時ひとときは楽しそうだけど、聞いてやるよ」

「てめえなあ……」

「それでどっちなの。早く選べよ」

「……分かった。話してやるからせめてナイフを離してくれ」

 ゾリャーギは本当にフィリーネが自分を殺そうとしており、なおかつ相手がSランク魔法能力者の中でも最も殺しに特化した人物である点からここから状況をひっくり返すのは難しいと判断した。いくらゾリャーギとはいえここは敵地。一対一では分が悪いのだ。
 フィリーネはようやくナイフだけはゾリャーギの頸動脈から離す。しかし、すぐにでも殺害出来るよう魔法の詠唱の準備だけはした。

「俺の目的はてめえの暗殺じゃねえ。ましてや廃人化ですらもねえ。情報収集ってわけでもねえ」

「へえ、意外。てっきり妖魔帝国の連中は失意の私が何らかの機会で復帰するのを恐れて無害化するのかと思ってた。じゃあ、何の為に? どうせ命令の大元は戦争狂の皇帝だとは思うけど」

「正解だ。俺は皇帝陛下のとあるご命令でてめえのもとへやってきた。その命令は、『フィリーネ・リヴェットを妖魔帝国へ拉致すること』だ」

「はあ? 私を拉致? くくくくく、あははははははっ!! きひひひひひっ!! 何それバッカじゃないの! 面白過ぎて、久しぶりに笑っちゃったっての!」

 フィリーネはゾリャーギから語られた任務内容に腹を抱えて笑う。一見荒唐無稽な任務だからだ。
 だが、決して実現可能性がゼロの任務ではなかった。

「…………俺もめちゃくちゃな命令だとは思ったが、今のてめえなら可能だろうと踏んだ。上官も、同様の分析をした」

「ブライフマンだったっけ。そいつも情報なら知ってるよ」

「ダダ漏れじゃねえか。どんだけジトゥーミラ・レポートで流れてんだよ」

「連合王国や協商連合はレポートの内容なら全部知ってる。お前の軍の捕虜がペラペラ話してくれたらしいからね」

「そうかよ。道理で情報面を含めて戦争に勝てねえわけだ。……話を戻すぜ。てめえ、フィリーネを拉致する任務は理想的なものと最低限果たすべき面があった」

「理想は?」

「理性のある状態、つまりは完璧な状態でてめえを連れ帰る事だ」

「最低限は?」

「洗脳でも何でもしていいから、とにかくてめえの肉体は持ち帰る事」

「ふうん。でもさあ、どうやってやるつもりなのよ。ここはロンドリウム。妖魔帝国の一番近い都市でも向かうのは困難じゃない? ダボロドロブにしてもブカレシタにしても、今や人類諸国の支配地域だけど」

「方法ならある。転移魔導具を数個使った大盤振る舞いに、皇帝陛下が開発を命じられた海軍の新兵器がある」

「…………もしかして、潜水艦?」

「なんで知ってるんだよ……。ジトゥーミラ・レポートでそこまで漏洩してんのか?」

「まさか。潜水艦なんて単語はどこにも無かったわ。ただ、私を連れ帰る為には陸路は無理だろうから、転移魔導具を使った上で海路を用いると思っただけ。そうだね、今の時期は連邦海路は無理だから、壊滅してガバガバになってる法国の海なら可能かも」

「全部お見通しかよ。これだから『改革者』は末恐ろしいぜ」

「『改革者』? 何それ」

「お前や、連合王国のアカツキみたいな人類諸国に変革をもたらした奴に付けられてる俗称みたいなもんだ」

「ふうん。先月嫁と休暇に出てどうせくんずほぐれつでもしてたろうクソッタレも『改革者』って呼ばれてるのね」

 フィリーネはアカツキという人物名がゾリャーギから放たれると、憎々しげに言う。

「随分な言い様なんだな。仮にもてめえら側の英雄なのに」

「当然でしょ。私と同じ道を辿ってるのに、全然違うんだから。あいつは沢山を手に入れたのに、かけがえのない人もいるのに、私には何にもないのよ。ソレが憎たらしくないとでも?」

「…………いいや」

 ゾリャーギは視線を逸らして言うが内心では、

(同じように見えて大違いだぞ。奴は人に好かれる魅力もあれば、実績もある。それらは反感をなるべく買わない形で行われたもんだろ。何より、あらゆる配慮と揺るがない権力に後ろ盾がある。それは全部、奴の人となりによるものだろ。)

 と感想を抱いていたが、命を握られている今は激怒させるような発言は口が裂けても出来なかった。

「あんなヤツのことなんてどうでもいいの。で、私はどうすればいいと思う?」

「どうすればって……。お前、話は聞いてただろ? 俺はお前を妖魔帝国へ拉致するんだぞ?」

「そうだね。人類諸国の重要人物だった私が妖魔帝国に拉致されたら大騒ぎになる。現時点で順調に交渉が進む条約なんてご破綻になるんじゃない?」

「そらそうだ。だから秘密裏にバレないよう行わなきゃならねえ。ところがどっこい、お前がこんなトチ狂った行動をしてくれやがったから大失敗だっての。しかも俺自身が命の危機ときた」

「本当に? 本当に失敗しちゃったのかなあ?」

「……てめえなあ、幾らこの後命を取るつもりだかなんだか知らねえが馬鹿にすんのもいい加減に」

「――いいよ」

「…………は?」

 ゾリャーギは自分の耳を疑った。フィリーネが何と言ったか、信じられなかったからだ。
 彼女はひどく真顔だった。狂気に満ちた表情ではない。去年のように心の壊れた病人のような顔つきでもない。
 だがしかし、やはり彼女の内面は壊れきっていた。

「妖魔帝国に、私を連れてっても良いって言ってんのよこの鈍感男」
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