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第13章 休戦会談と蠢く策謀編

第12話 若干好転しかれども、あまりにも彼女の闇は深く

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 ・・12・・
 3の月5の日
 午後1時40分
 ロンドリウム協商連合・フィリーネ私邸


 アカツキとリイナが2の月末までの中期休暇を満喫し日常の軍務に戻った頃。
 人類諸国は妖魔帝国との休戦条約締結に向けた準備が着々となされていた。
 主要参加国は連合王国、協商連合、法国、連邦。さらには後方支援に留まっていた共和国や王国も一応は参加する形となった。
 円滑な条約交渉のために、各国は活発に外交が繰り広げられている。特に最も正面で戦っていた連合王国と法国は賠償金のバランスや捕虜返還に関して毎週のように折衝がされており、赤字国家の法国はなるべく現金を受け取りたいとのことなので、連合王国は控えめな金額――奪還した旧東方領に眠る資源を鑑みれば黒字国家の連合王国が配慮した形になる――を請求するなど大きな支障は無く進んでいた。
 少なくとも人類諸国間での内輪揉めにならないようにする為の会議が軍官合同で進む中、フィリーネは世間と隔絶した生活を相変わらず送っていた。
 私邸から一歩も出ない生活も既に四半期以上経過している。そのせいでフィリーネは随分と痩せてしまっていた。
 元々スレンダーな体型であるフィリーネ。それが痩せたというのは健康的なものではなく、不健康甚だしいもの。外見こそ大きな変化はないものの、一目でやつれているのが分かるほどだった。
 しかし、そんな彼女にも若干の良い変化があった。

「久しく外にすら出ることは無かったけれど、いつの間にか少しずつ暖かくなってきていたのね。屋敷の庭からだけれど、外の空気はこんなに澄んでいるなんて。以前の私なら、当たり前に出来ていたことなのにね」

「屋敷の外じゃなくても大きな進歩ですよ。こうして、扉の向こう側へ。空の下に立てた事に大きな意味があるんです」

「たったこれだけよ? あの部屋から出るのさえ億劫で、湯浴み一つするのに苦労してたのが、ようやく屋敷内を歩けるようになったのが先々月。それから二ヶ月も経って、やっと、やっと屋敷の庭に出ることが出来た……。くっだらないわよ。本当に、くっだらない」

 アッシュの発言に対してフィリーネは深呼吸をしてから言うと、言い切った後に鼻で笑う。無論、自分に対してだ。
 しかし、それに反して瞳の濁りは若干ではあるが和らいでいた。
 カウンセリングを受けるようになってから、孤独だった彼女は少しずつアッシュに自身の話をするようになった。
 人というものはどの時代どの人種であっても、誰かに悩みや澱んでいた様々を話すと心が楽になるという。だからフィリーネはこれまでの数ヶ月で自身の半生――当たり前だが今世だけの部分――を語った。
 特に多かったのは、リチリア以降の人々の掌の返しようである。前世を含めてあまりに凄惨な仕打ちを受けている彼女にとってトドメを刺した出来事を、淡々と話していた。
 アッシュはそれに対してひたすらに聞き役に周り、時には同調した。優しく問いかけ、フィリーネが答え、彼はまた彼女の鍵を一つずつ外すように暖かい言葉を与える。
 それらはフィリーネが欲しくてやまなかったものだった。
 とはいえ、フィリーネに刻まれた傷はあまりにも深かった。

「フィリーネ様は、深い深い心の傷を負われたのです。身体の傷は医療魔法もありますから治りますが、心の傷は魔法ですら治療することは叶いません」

「知ってるわよ。魔法医学は非魔法医学に比べて優れている面もあるけれど、心は別。麻薬で誤魔化す方法もあるけれど、愚策だわ。まあ、あれだけ一日中煙草を吸ってたらどっちもどっちだけれどもね」

「出来れば控えて頂きたいとは思うのですが、無理強いは出来ませんので……」

「いいじゃない。どうせ誰も心配なんてしないわ」

「残られた執事やメイドの方達は常に貴女の心身を案じられていますよ?」

「あいつらが? 使用人風情が厚かましいわ」

「長年お傍に仕えていた方達です。やはり、信じられないと?」

「奴らだってどこで陰口を叩いているか分かったもんじゃないわよ。どうせ外の連中と同じに決まってる」

「では、貴女の元部下達は」

「誰一人として一度とすらここに来なかったじゃない。手紙一つすら寄越さなかった」

「…………」

 アッシュもといゾリャーギは自身の部下達の情報網を駆使して実は知っていた。
 クリス大佐など、一部の者達はフィリーネをまだ信じていた事を。屋敷に近付けないからせめて手紙を出そうと。
 だが、手紙は届いていない。反対派閥が全て握り潰しているからだった。現在、フィリーネの屋敷は厳しく兵達によって管理されている。その中には手紙などの検閲もあり、軍経由は勿論のこと例えプライベートであっても事前に揉み消されていたのだ。
 故に彼女の手元に届くのは軍からの聴取命令か、異動関連の資料のみ。
 それらを全て知っているゾリャーギだが、任務の支障になる発言は当然言わなかった。
 ちなみにだが、アカツキがフィリーネに直に手紙を出さなかった――対照とされている自分が出して神経を逆撫でするかもしれないという懸念も含まれているが――のも、反対派閥が何をしているかを知っていたからである。

「私は完全に見捨てられたのよ。一応は祖国の為に行動を成していた。大切な人って程じゃないにしても、部下達は守ろうと思っていたのよ。それはあんたにも話したでしょ?」

「ええ……」

「なら、カウンセラーなんて珍しい職業をしる頭のいいあんたなら分かりきってるでしょ? 結果はどう?」

「それは」

 いくら協商連合の三の月とはいえ、まだ風は寒い。先月まではボサボサだったが今月になってようやく整えられた彼女の髪が揺れる。瞳の先はどこにあるかは掴めない。

「私は、一人ぼっちよ」

「…………」

「この世界で、誰も私を必要とする者はいない。両親は幼い内に死んだわ。祖父母も寿命だから二十代の頃に亡くなった。それでも私はずっと軍に身を置いて、色んなことを成しえたはず。改革だってそう。アレは結果として協商連合の軍官民全ての為になったはずなのに。ブカレシタで連合王国並に戦えたのは改革のおかげのはずなのに。リチリアだって救ったのに」

「…………」

「なのに、こんな仕打ちを受けている。大切にしていた部下にすら裏切られた。だから私は一人ぼっちなの」

「…………外は冷えます。身体に障りますから、室内なかに戻りましょう」

 最早、フィリーネは涙すら枯れていた。
 昨年ならばまだ流した涙もあった。だが、カウンセリングによって状況が若干好転したとてあくまでも表面上だけの話であり、心の面は手遅れだった。
 当然アッシュはそれも知っている。だからこそ、堕ちるのも時間の問題だとも。
 フィリーネとアッシュはいつも話をしているリビングに戻る。フィリーネの正面に、アッシュは座る。
 去年末にかけて彼女が破損させたりする物は廃棄され、もしくは必要ないからと処分したから随分と殺風景になっていた。
 今日は屋敷に誰もいない。彼が来る日は執事もメイドも休暇を名目にして追い払っていたからだ。
 フィリーネはガラスのテーブルに置いてあった、先程まで果物があった皿と切る時に使っていたナイフの隣にある煙草の箱を手に取り、出すと、火をつけて紫煙を吐く。この時だけが、彼女にとっての安息だった。

「実はね、いつにするかまでは決めていないけど近いうちに屋敷の執事やメイドに使用人連中全員、クビにするのを考えているの」

「はい……? 誰かではなく全員ですか?」

「そうよ。全員」

「せめて執事とメイドは一人ずつ残さないと身の回りが不自由になると思うのですが……」

 アッシュは目を点にすると、あまりにもあっさりと返答があったので少し困惑する。
 この世界において、貴族や富裕層の衣食住は使用人によって支えられている。彼にとってフィリーネはその類に漏れておらず、到底自活出来るなどとは思っていなかったのだ。

「食材ならリストと多めのチップを渡せば外の兵が買ってくるでしょ。炊事くらいなんてことないわ。洗濯は外部委託すればいいし、断られそうなら金を多めに出せばいい。掃除くらいなら私だって出来るもの」

「意外ですね……。そこまで自分で自分の衣食住を行えるとは」

「連合王国の貴族連中や法国の盲信者連中、他の国の富裕層と一緒にしないでよ。なんとでもなるわ」

「ですが、庭や屋敷の掃除などは? 一人では余りにも広すぎると思われるのですが」

「どうせ誰も来ない屋敷よ? 必要があると思って?」

「それは……」

「そもそもこの屋敷自体不要かとも思い始めたのよ。あんたの言う通り、一人じゃ広すぎるもの」

 アッシュは少し後悔していた。カウンセラーを演じる自分が患者の地雷を踏んだような気がしたからだ。
 だが、張本人はまったく地雷を踏まれた様子の素振りをしていなかった。
 それどころか、フィリーネはこんな言葉を口にしたのである。
 それは余りにも、爆弾発言であった。

「アッシュ」

「なんでしょうか、フィリーネ様」

「私の担当になった可哀想なカウンセラー。本当に貴方は、アッシュなのかしら? カウンセラーなのかしら? ねえ、『ゾリャーギ・エフセエフ』? ひひひっ」

 瞬間、フィリーネはテーブルに置いてあったナイフを握りアッシュへ襲い掛かった。
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