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第11章 リチリア島の戦い編・後〜闇には闇を、狂気には狂気を〜

第8話 彼女にとって現実は厳しく残酷であった

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 ・・8・・
 10の月7の日
 午後3時20分
 イリス法国中南部・ネポラ市郊外
 フィリーネ一時滞在中の別荘

 五の日にリチリア島を後にしたフィリーネとクリス、彼女の監視も兼ねている護衛兵一個小隊の一団は二日間の協商連合艦艇での移動を経て中南部の中心都市であり港町であるネポラ市に、七の日午前に到着した。彼女には行動制限があるためにそのまま一時滞在先となる別荘へと到着した。ここはフィリーネの一族が祖父の代から静養地として所有している物件で、近年は使う機会がめっきり減ったものの清掃などは行き届いており綺麗であった。
 フィリーネはこの別荘に着くなりリビングにこもってしまった。部屋の外にこそ兵士達はいないが別荘の周りや屋内には配置されている。ただし監視兵とはいえ軍法会議で裁かれるような件を何一つしてない彼女であるから真剣に監視しようと考える兵はいない。むしろ、噂の真偽を図りかねて複雑な心境と表情で遠目から見ているくらいであった。
 そのフィリーネは協商連合軍で二型軍服と呼ばれる平時に着用する軍服姿で、リビングでただただぼうっとして、紙煙草を吸っていた。リビングには大窓とそれに続くベランダがあり、ベランダからは高台にある別荘なのでネポラの街並みと海を一望できる。しかし彼女は到底景色を楽しむ気分でないのでリビングのソファに深く腰を下ろして、延々と紫煙をくゆらせている。既にガラス製の灰皿には十本近い煙草が置かれている。
 彼女はしばらく無言だったが、ぶつぶつと独り言をし始めた。

 「思考がマトモに戻ってきてずっと考えてる。私はリチリアを救ったはずなのに、どうしてこうなっているわけ……?」

 「英雄だなんて思わないし、そんな柄でもないけれど、この仕打ちはなに……?」

 「私が何をしたって、言うの? 前世でも似たような振る舞いをしてた。けれど、かつての部下はあんな反応をしなかった。なのに、どうして? その差は、なに……?」

 「武器の差か? かつては同じ武器だから持ち物は対等ではあったよね。だからああはならなかった?」

 「第一解放のせい? まさか。発言が少々不味かったかもしれないけれど、あの時だって理性は残ってた。ナニかに冒されそうで、けれど味方を殺すつもりなんて欠片もない。殺意は全部、敵に向けていた」

 「疑問の行き着く先は、どれも召喚武器、か……。ははっ、笑える。将兵の勇気と努力の結晶が勝利をもたらしたのは否定しない。でも、でも、妖魔共が上陸した際の作戦だって、シャラクーシだって、キャターニャだって、キュティルのあの時だって、私は率先して前に出た。一人でも多く殺して、勝とうとしていた。そもそも、そもそもだよ。私がリチリアにいなかったらどうなってたのよ。今頃妖魔共の占領地だったでしょうに! ああもうわけわかんないなんなのよ! クソッタレッッ!」

 フィリーネは考えれば考えるほど、明瞭になった思考は苛立ちや怒りへと導いていき、ついにはテーブルに置いていた私物の手鏡を強く投げた。
 落下すると、手鏡は大きな音を立てて割れる。

 「フィリーネ、コーヒー、を……」

 「あ……、クリ、ス……」

 唯一入室を彼女から許されている軍服姿のクリスがリビングへ入ってきたのは、手鏡が割れた瞬間だった。どう見ても故意に投げた結果である位置に散乱する鏡の残骸。最悪のタイミングだった。
 体が硬直し、次の言葉が出ないフィリーネ。だがクリスは目を見開いた時間は僅かですぐに平静に戻り、

 「ちょっと待っていろ。危ないからそこを動かないようにな」

 「…………うん」

 クリスは物体を引き寄せる無属性の生活で使われる魔法を用いて割れた手鏡の破片を手早く集め、ごく軽量の物なら浮かばせられるこれも無属性の魔法で塵箱ごみばこへ捨てた。

 「大丈夫だったか? 怪我は?」

 「大丈、夫。その、ごめんなさい……」

 「いいんだ。気にするな」

 「うん……」

 フィリーネの返答は先程までの激情が嘘かのように弱々しかった。
 クリスはひとまずテーブルの端に置いていたコーヒーカップとソーサーをフィリーネの前に置き、自身の分は傍に置いて自らはフィリーネの隣に座った。
 彼もフィリーネも無言のまま。沈黙が続く。彼女はコーヒーに手をつけず、クリスは少しだけ口につけた。
 それから数分経ち、話し始めたのはフィリーネだった。

 「…………あんたも、私を恐れているの」

 「俺はお前を恐れていない。怖がっていない。お前はお前だから」

 「そう……」

 「だが、周りは違う」

 クリスは一度言葉を区切ると、続ける。

 「お前に大きな恩があるヨルンはあの殺気に怖じけたとはいえ、お前への信頼は揺るがないのは確かだ。目の当たりにしていないレイミーも。それに、特に慕っている二つの大隊の何人かは」

 「じゃあ……」

 「でもな、大部分の彼等は違うんだよ」

 大部分の彼等。言わずもがなリチリア島にいた多くの将兵。ニコラやテオドーロなどごく一部を除いた法国軍と協商連合軍の彼等の事だ。あれ以来、ほとんどの者がフィリーネに近付かなかった。近付かないだけならまだいい。ヒソヒソ話をして、フィリーネが力ない瞳で見ると遠ざかろうとする者の方が多かった。

 「どうして、よ……。どうして、なの……。私は多くの妖魔共を屠って、時には兵達を救ったじゃない……。出来る限り、あいつらが生き延びるように策を巡らせたじゃない……。だから全滅すら有り得たあの戦いで、約一万の将兵が生き残ったじゃない……。讃えなくてもいい……。勲章なんて興味ない……。どうせ後でついてまわってくるから。――ええそうよ。私の戦い方が過激だったのは認めるわ。敵への殺意が誤解されたんでしょうね。でも、でも……、こんなのって、ないわよ……。私は、持っている力を使って、守った、はずなのに……」

 フィリーネはついに顔を両手で覆ってしまった。
 現実が全く優しくないのを彼女は前世も含めて知っていた。現実は常に厳しいもので、隙あらば自分をドン底へ叩き落とそうとしている。だからフィリーネは常に努力し続けていた。例え世界が己に対していかに厳しかろうとも、必ず貫きたい理想を守るために。
 それは大切な人を守ること。すなわち部下達も守ること。それは結果的には世界を守る事にも繋がる。
 だが、またしても裏切られたとフィリーネは感じていた。自分の所業がどうであれ味方は殺していないし、むしろ救ってきた。だというのに、この仕打ちなのである。軍組織という全体を鑑みれば妥当なのかもしれないが、それはあまりにも彼女にとって残酷すぎた。
 それでも、クリスは伝えなければならなかった。どうしてこの結末を迎えてしまったのかを。

 「そこなんだよ、フィリーネ」

 「なにが、よ……」

 「お前は自分の持つ力で、敵を打ち倒していったのは事実だ。それによって、沢山の命が救われたのも、事実だ。フィリーネ。恐らくだが、街の書店にあるような魔法と召喚武器の無い世界を描いた架空戦記ならばこうはならなかっただろう。何故ならば人々は誰しもが銃と身体のみで戦うからだ。だが現実は違う。召喚武器と魔法がある。召喚武器と魔法は大いなる力だ。大いなる力は味方にとってこれほどまでに頼もしいものはない。だけどな、それが例え自分に矛先が向いていなかったとしても向いたように見えてしまえば人は恐れる。なぜだか分かるか? 大きすぎる力は、味方すらも恐怖を感じる事があるからだ」

 「わけわかんないわよ……。私がいつ、友軍に刃を向けたっていうのよ……」

 「お前の力は典型的な『個』の力だ。例えば連合王国のアカツキのような、全体を引き上げる『個』の力とは違う。こんな事を言いたくないが、お前の召喚武器に侵食されながらの戦い方も影響しているの、だろう……」

 「ふさげないでよ……。ふざけんなよ! いつ! 私が! 私が……。なんで……」

 フィリーネはもうまともな返答が出来なくなっていた。頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。ついに、涙を瞳から零し始めてしまった。
 クリスは、言葉を続けた。慰めにならなかったとしても。

 「ただフィリーネ、これだけは俺が自信を持って言える。お前はリチリアを窮地から救った。例え彼等がどう考えようが、事実は揺るがない。だから総本部も厳しい処分までは下さないだろう」

 「抜剣しなければ、ただの双剣の召喚武器が、実質取り上げられている、状態なのに……?」

 「ほとぼりがさめるまでの処置だろう」

 「今がまるで、謹慎者のような扱いなのに……? こんなの、犯罪者みたいじゃない……」

 「助けられた側の法国も、扱いかねているからだろう。自由にはさせられないし、かといってお前の功績には感謝していないわけじゃないからな。だから対応だって悪く無かった」

 「当たり前でしょ……。法国のすべき仕事をしたのは私達なんだから……」

 「とにかく、本国へ帰ろう。帰ってから、ゆっくりしよう……。お前には、辛い出来事が最後になってあってしまったのだから。だから、俺も傍に――」

 「…………出てって」

 「え……?」

 「出てってって言ってるの……! 一人に、させて……」

 「…………分かった」

 例えクリスが暖かい言葉をかけても今のフィリーネには届かない。いや、届いているのかもしれないが受け入れられないのかもしれない。きつい言葉ばかりかけてしまうかもしれない。これ以上誰かに嫌われたくはない。
 だから、フィリーネはそう言ってしまった。
 クリスは受け入れ、黙って部屋を後にしていった。
 リチリア島の戦いの英雄は、協商連合軍随一の将官は、フィリーネには戦いの前のような姿はすっかり消えてしまっていた。
 翌日、彼女達はネポラの街を出立した。法国内では馬車を、連合王国内では列車を、協商連合までは連合王国軍が快く寄港を許可した港で待っていた協商連合海軍艦艇でロンドリウムへと到着した。
 それは、ブカレシタの戦況が既に大きく動きを見せている最中だった十の月も二十一の日の事であった。
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