Innocent Hand

心符

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第二章

哀しみの少女

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~数日後~


紗夜のBirthday。

正明は、買ってきたケーキにロウソクを立てていく。

それを嬉しそうに見つめる紗夜。

『あれ?』

『どうしたのパパ?』

『一本足りないんだよ。困ったなこりゃ。』

紗夜の顔が少し沈んだのを横目で見る正明。

『お~い智代、ロウソクなかったか?』

奥の部屋にいる妻に声を書けた。


『そんなものありません。』

冷たい声が静かに響く…。



正明と智代は、二年前に病気で娘を亡くしていた。

落胆した妻の寂しさを紛らわす為、正明は『ビート』を飼うことにしたのである。

その為に、ペットが飼えるこのマンションへ引っ越しもした。

娘の様にかわいがった愛犬を亡くした智代は、葬儀の日から…変わった。


元々気に入らなかった紗夜には、よりキツくあたるようになっていたのである。


紗夜は、二人の子ではなかった。


正明の仕事は警察官である。

半年前、警部である正明は、ある一家惨殺事件に関わった。

どこにでもある様な普通の家で、父親、母親、長男が殺された事件。

父親と母親は頭部が無くなるほど潰され、長男に至っては、11階の窓を突き破って投げ捨てられていた。


そんな中、たった一人生き残ったのが、紗夜である。

怯えきった少女。

少女は事件の記憶も、家族の記憶をも失っていた。

正気になって、初めて見たのが、正明の笑顔であった。

丁度娘と同じ歳の少女を、正明は放って置けず、身寄りのない紗夜を、引き取ることにしたのである。



妻もきっと受け入れてくれると思っていた。

が、智代は紗夜を気味悪がり、娘として可愛がることはなかったのである。


正明が仕事でいない間、智代は紗夜にキツくあたり、手をあげることも度々であった。


それでも紗夜は、智代を愛している大好きな『パパ』のために、そのことは一言も言わなかったのである。


『参ったなぁ…。』

そう言いながら、紗夜の顔を伺う正明。

『イイよ…。サヤはロウソクなんてなくても。パパがいればいい。』

愛しくてたまらない健気な笑顔。

『よし!。そこのコンビニまで買いに行こう。』

『ほんとに!』

少女の目が輝く。

『智代、ちょっとコンビニまで行ってくるからな。』

(………)

返事はなかった。

『私も行く!』

『よ~し。二人で夜のお散歩だ。』



こうして、二人はすぐ近くのコンビニへ出かけたのである。


『うっひゃ~、寒いな。雪でも降るかな。寒くないか紗夜?』

『うん。パパの手、あったかい。』

『そうか?紗夜の手もあったかいぞ。ハハ。』


コンビニが見えて来た。


『んん?』

コンビニの前では、若い男女が三人、バイクの横でタバコをふかしていた。

どう見ても未成年である。

『紗夜、先に中でロウソクを探しててくれるかな。』

『は~い。』

紗夜がコンビニへと入ったのを見届けて、正明は若者達に話かけた。

『こらこら、君たちはまだ未成年だろう。タバコをかしなさい。』

『はぁ?なんだぁおっさん。』

ピアスをした男が、鋭い眼で見上げる。

『たっちゃん、こいつなに様ぁ?』

女が指を差した。手の甲にあるドクロのタトゥーに、正明が目を細める。

『殺されたくなかったら、あっち行けや、おっさん。』

たっちゃんと呼ばれた男が立ち上がる。

『き…君は…!』

その顔に見覚えがあった。

『なんでこんなやつらと…?』

その言葉に女が反応した。

『あんだと!クソじじぃ。』

正明は、つかみかかる腕を取り、軽く地面へと転がす。

『いってー!』

『あっ、大丈夫か?』

条件反射とはいえ、思いのほか女が派手に転がったので、正明は少し焦った。

『てめぇ!』

女を気遣い、かがんだ正明の腹に、ピアスの男が蹴りをいれた。

『グッ!』

その足を抱えて、正明は男の方へ踏み出す。

片足を取られ、後ろに転ぶ男に、正明がのしかかる。


『クソ!どきやがれ。』

正明の下で男がもがく。

その背後で、もう一人の男が、ヘルメットを降りかざした。


『ガンッ!!』

思いきり降り下ろしたヘルメットが、正明の後頭部を打った。

『うっ…』

意識が遠のき、その体がゆっくり男に重なる。

そこへ、更にヘルメットが打ち付けられた。

『ガッ!ガッ!ガッ!!』

『たっちゃん!もうやめて。死んじゃうよ。』

怯えた声で女が止めようとする。

下の男は、正明の血で真っ赤であった。

何とか抜け出そうとする男。

正明がその男の耳を掴み、ゆっくり上体を起こす。

その顔面へ、最後の一降りが襲った。

『ガンッ!!』

『ぎゃー!!』

下にいた男が悲鳴を上げる。

横へ吹っ飛んだ正明の手には、ピアスと男の耳が握られていた。



『パパッ!!』

開いたコンビニのドアの外に、紗夜が立っていた。


女と血だらけのヘルメットを持った男が振り向き、目が合った。


『くっそー!このヤロウ。』

耳を押さえ、キレた男が正明の顔面を踏みつける。

『ガシッ!ガシッ!』

異変に気付き、店員が表に出て来た。

『ヤベェ、行くぜ!』

慌ててバイクへまたがる。

『バカヤロー!早く乗れ!』

放心状態の女が、我に返り後ろにまたがる。

けたたましい音を響かせて、二台のバイクは、夜の街へ逃げて行った。



紗夜がゆっくり近づく。

『パ…パ…』

『さ……サ…ャ…』

『パパ!』

仰向けの正明の顔は悲惨なものであった。

『サ…ヤ。……』

何かを呟く正明へ、紗夜は耳を近づけた。

『サ…ヤ、お前は何も…何も見なかったんだ。い…いいね。何も。な…に…も…』

それっきり彼の目は、二度と開くことはなかった。

『ぃゃ…。…いヤァー!!パパ!パパ!パパァ!!』

少女の悲しい叫びが響く。

握り締めた小さな手のひらの中で、ロウソクが粉々になる。


その震える黒髪に、初雪がひらひらと舞い降りていった。


この夜から、紗夜の心は、目を開くことをやめた。

医者の診断では、ひどいショックにより、脳が見ることを拒んでいる。

とのことであった。



警察官殺人事件として、捜査は夜を徹して行われた。

そして、その2日後、三人の容疑者が捕まり、異例の早さで有罪判決が下されたのである。



~事件から一週間~

姫城家のマンション。


見えない目で、砕けたロウソクを見つめる紗夜。

『さっさと食べなさい!』

こげたパンが二枚、乱暴に皿に載せてあった。

紗夜の体が『ビクッ!』と揺れる。

手のひらから落ちたロウソクを拾おうとした手を、智代が踏みつけた。

『いたい!ママ、やめて。いたいからやめて。』

怯えた小さな声でつぶやく。

『いつまでこんなものを持ってるの!もうパパはいないのよ!』

正明が死んでから、智代の精神は壊れ、全く別人になっていた。

ロウソクの袋を拾いあげる。

『お願い、返して。ママ、お願い。ぶってもいいから、返して。』

この頃既に、少女の体は傷だらけであった。

小さな手を広げて差し出す紗夜。

『バシッ』

『アァ!』

テーブルにさしてあった長い菜箸で、その手のひらをぶつ。

『お前のパパはもう死んだのよ!お前が、お前が殺したんだよ!』

『バシッ!バシッ!』

何度も何度もぶった。

智代の目から涙が溢れる。

『返して!私の正明さんを返して!!』

そのまま泣き崩れる智代。

紗夜は、幾スジも血が滲んだ手のひらを握りしめて、その母をじっと見つめていた…。



智世の錯乱はどんどんエスカレートしていった。

そしてある夜。




『富士本です。今、現場に到着しました。』

辺りには大勢の人だかりが出来ていた。

救急隊員に、富士本が尋ねる。

『刑事課の者です。どうですか?』

『ひどい有り様だよ、全く。ベランダから飛び降りた様で、即死だねこりゃ。』

マンションの前に、シートを被せられた智代の亡骸が横たわっていた。


『娘さんは?』

『あぁ、救急車の中にいるよ。目が…見えなくて良かったよ。可哀想に、見つけた時は、ひどく怯えていて、ショック状態だったが、だいぶ落ち着いた様だ。』

『そうですか。』

『さて、どうしたものか…』

困った顔で救急車の方を見る隊員。

『とりあえず私が預かります。あの子の父親に大変世話になったもんで。』

救急車のドアを開ける。

『さあ、心配しないで。おいで…。』
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