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終章/蒼き奔流 第4話『ウルクル決戦す』
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一
赤獅剣は、台座に飲み込まれた。
今度も、火花は飛ばなかった。
「すげぇ! まるで計ったみたいだね、大将」
ミアトの言う通り、剣の両刃の部分までを呑み込んだ台座の穴は、まるで最初からアサドの剣を、そこに納める為に造られたようにも見えた。
だがアサドはミアトの言葉を無視して、黙って長剣を凝視している。
その刃の長さの6割ほどが、台座に突き刺さっていた。
やがて、剣から白い冷気が流れ出し、瞬く間にその白く輝く刀身に沸々と水滴を纏いはじめた。
冷気は剣全体を包むように下方に流れ、台座の上に滑り落ち、床にまで漂いだす。
冷気に促されるように、刀身の結露がいっそう巨大な玉となる。
つい先刻、台座に結露が生じた時よりも格段の早さで、
剣から台座へ、
台座から床へ、
水滴が集まり、
溢れては滴り、
流れ落ちる───。
その様はまるで、剣から無限に水が湧き出て来るかのようにさえ見える。
ゴ……ゴゴゴゴ…………オオオオ……オオ………………ゴゴゴゴゴゴ!
鏡に囲まれた空間全体が、何かに共鳴するように、微かな音を立て始めた。
「水……水だよ、大将!」
突然、ミアトが自分の足元を見て素っ頓狂な声を上げた。
いつの間にか、彼らの足下には指の第一関節分ほどの水が溜まっていた。
「あてずっぽうだったが、どうやら正解だったようだな」
ふぅと大きなため息を付き、アサドがつぶやく。
「こ…これは?」
「この剣は赤獅剣と呼ばれているが、その名の通り〈水を産む獅子の剣〉だという伝説が、アティルガン家に伝わっているのだ。もしや…と思ってな」
「アサド…水を司った古代の王、水を産む獅子の剣…なんという偶然……い、いや…」
サウドが呆然と呟いた。
二
「ア…アサド殿、この剣は一体いつから王家に伝わっていたのですか? ま…さかこれは…!」
アサドに問うサウドの顔は、何故か蒼白になっている。
「アティルガン家の何代目かが得た……としか、伝わってはいないのだ」
今のアサドには、赤獅剣の由来には興味が無いのか、サウドの問いに軽く答えると、あたりを見回した。
「どうやらこの聖搭は、ただの神殿ではなく、水を作り出すための装置でもあるらしいな」
アサドは無造作に、台座の上の剣の棟に手の甲を当てた。
「アサド殿!」
「大将!」
サウドとミアトが同時に叫び、ミアトが慌ててアサドの手を離そうとする。だが……
「大丈夫だ。おまえ達も触ってみろ」
「ほ…ほんとに大丈夫なの? じゃ、じゃあ……ありゃ? 冷たいよ、これ!」
もともと冷たい刀身が、ミアトの手が貼り付きそうになるくらい、冷えきっている。
「さっきの火花が、剣に何らかの作用をもたらしたようだな。刀身が信じられないほど冷たくなっている」
「なるほど、この潤んだ空間の中で、剣に結露がたやすく生じるはずですな」
やはり刀身に触れたサウドが、納得したように頷いた。
いつの間にか、鏡の間の壁にも天井にも、大量の結露が生じ、滴となって落ちてくる。
アサド達の服は、まるで河に飛び込んだかのように、グッショリと濡れていた。
「うわっ、は…早くここから出ないと、おぼれちゃうよ~」
「どうやら、その心配はなさそうだな。見ろ」
「ありゃりゃりゃ?」
アサドが台座を指し示した。
水が底面に溜まった分だけ、台座の底がズズズとせり上がってくるではないか。
「これ、どういう仕掛け?」
「判らんが、これに掴まっていれば上まで連れていってくれそうだ」
「…の、ようですな」
三人が台座にしがみついたが、彼らの重さなど関係ないかのように、台座は一定の速度を保ったまま、どんどん上昇していく。
やがて、遥か上方にあった穴の入り口がもう目の前まで近づき、穴から覗き込んでいる部下たちの驚いた顔が、判別できるようになった。
「……サウド」
「何でしょうか?」
「決戦は近い。場所はこの聖塔だ」
三
「勝算はおありでしょうな?」
当然だ…とアサドの顔が、眼が、全身が語っていた。必勝の確信を得た時、その碧眼は晴れ渡った蒼天のごとき輝きを宿す。
「ヴィリヤーに使いを出せ。ウルクル城邑の民は全て脱出させ、瀝青の丘の東南に集結させろと」
「従わぬ者は?」
「生きる希望を強く持つ者だけで充分だ。あの無能な太守と運命を共にするのもまた、本人の意志だ」
いつものアサドに戻っていた。
冷静で、冷酷にさえ感じる、傭兵隊長に。
「解り申した───して、私の役目は?」
「もちろん、ウルクルに残った民の護衛と救出だ」
「フフフ……やっとあなたらしくなってきましたな」
サウドの口の端に、自然と笑みが浮かんだ。
「ついに雌雄を決するときが来た」
アサドの低い錆を含んだ声が、赤獅団の面々に、そう、告げた。
アサドたちが、瀝青の丘の聖塔で戦の準備を決意した翌日───
ウルクルもまた、決戦に向かっていた。
「ついに雌雄を決するときが来た!」
ウルクル太守のひっくり返った声が、高い空に虚しく響く。
集められた兵達の眼には、確実な死への恐怖と、諦念と無気力だけが浮かんでいた。
ファラシャトの復讐戦。
いくらそう大義名分を掲げられても、所詮は太守の私怨。しかも、衆寡よく敵を退けた勇将アサドは、もう、いない。ろくな作戦も、勝算もない。
それは一兵卒の目から見ても無謀な総力戦…であった。
昨夜、最後の軍議の席で太守の無謀を再度諌めた大臣は、その場で斬首された。
老いた太守の全身を満たしているのは、ただ、狂気と酒だけであった。
その暴挙に、重臣達は気色ばみ、将軍達の中には剣の柄に手を掛ける者もあった。
広間に不穏な空気が満ちた時、
「太守のご命令とあらば、致し方ありません。我らは従いましょう」
突然、それまで黙然と太守の言動を見ていたヴィリヤーが、声を発した。
「な…何を言う! ヴィリヤー殿」
大臣の一人が狼狽して叫ぶ。
「太守の命令は絶対、曲げるわけにはいきませぬ!」
四
他の者の反論を許さぬかのように、再びヴィリヤーの声が強く響いた。
「ヴィリヤー、よくぞ申した! それでこそわしが選んだ我がウルクルの軍師じゃ」
思わぬヴィリヤーの賛意に気を良くした太守が、酒杯を掲げて上機嫌で叫ぶ。
その口は呂律が回らず、その眼は朦朧としている。
軽く頭を下げると、ヴィリヤーは太守に背を向け、重臣達に向き合った。
「我に秘策あり、全兵力を結集しての総力戦ならば、総司令官無き今のアル・シャルク軍など畏るに足らず」
「貴公の作戦など信用できん!」
即座に、反論が飛んだ。
「それでも結構。私の作戦は信用して頂かなくとも…だが…」
低い呟くような声で彼は言葉を継いだ。
「砂漠には獅子が、待っている」
「獅子…だと!」
その場の重臣達は総て、その言葉の意を悟った。
そう、ヴィリヤーの作戦は信用できなくとも、あの男の作戦ならば……。
「全軍集結。これより最後の決戦に入る。各々部下に下知しておけ」
こうして、ウルクルの全兵が集められた。
もちろん、ヴィリヤーの真意など知らぬ兵達は、確実な死の予感に怯えるしかない。
金細工を施した豪華な甲冑に身を包んだ太守は、痩せ衰えた肉体に狂騒のみを漲らせ、戦車に陣取った。かさつき皺ばんだ手に持った剣を掲げ叫ぶ。
「城門を開け!」
重く鈍い音を響かせて門が開かれ、跳ね橋が堀の向こうに渡される。
「突撃ぃ!」
無謀な、最悪の、そして狂気の進軍が始まった。
ウルクル軍の総突撃は、アル・シャルク軍にも驚愕をもたらした。
「ウルクル軍、こちらに進軍してきます!」
「兵力は?」
「およそ五千! ほぼ全軍です」
物見からのやウギ馬屋の報告に、総司令部の幕舎にいたラビン新司令官は、ひどく困惑した。
「何ぃ? ウルクル軍は正気か?」
■終章/蒼き奔流 第4話『ウルクル決戦す』/終■
赤獅剣は、台座に飲み込まれた。
今度も、火花は飛ばなかった。
「すげぇ! まるで計ったみたいだね、大将」
ミアトの言う通り、剣の両刃の部分までを呑み込んだ台座の穴は、まるで最初からアサドの剣を、そこに納める為に造られたようにも見えた。
だがアサドはミアトの言葉を無視して、黙って長剣を凝視している。
その刃の長さの6割ほどが、台座に突き刺さっていた。
やがて、剣から白い冷気が流れ出し、瞬く間にその白く輝く刀身に沸々と水滴を纏いはじめた。
冷気は剣全体を包むように下方に流れ、台座の上に滑り落ち、床にまで漂いだす。
冷気に促されるように、刀身の結露がいっそう巨大な玉となる。
つい先刻、台座に結露が生じた時よりも格段の早さで、
剣から台座へ、
台座から床へ、
水滴が集まり、
溢れては滴り、
流れ落ちる───。
その様はまるで、剣から無限に水が湧き出て来るかのようにさえ見える。
ゴ……ゴゴゴゴ…………オオオオ……オオ………………ゴゴゴゴゴゴ!
鏡に囲まれた空間全体が、何かに共鳴するように、微かな音を立て始めた。
「水……水だよ、大将!」
突然、ミアトが自分の足元を見て素っ頓狂な声を上げた。
いつの間にか、彼らの足下には指の第一関節分ほどの水が溜まっていた。
「あてずっぽうだったが、どうやら正解だったようだな」
ふぅと大きなため息を付き、アサドがつぶやく。
「こ…これは?」
「この剣は赤獅剣と呼ばれているが、その名の通り〈水を産む獅子の剣〉だという伝説が、アティルガン家に伝わっているのだ。もしや…と思ってな」
「アサド…水を司った古代の王、水を産む獅子の剣…なんという偶然……い、いや…」
サウドが呆然と呟いた。
二
「ア…アサド殿、この剣は一体いつから王家に伝わっていたのですか? ま…さかこれは…!」
アサドに問うサウドの顔は、何故か蒼白になっている。
「アティルガン家の何代目かが得た……としか、伝わってはいないのだ」
今のアサドには、赤獅剣の由来には興味が無いのか、サウドの問いに軽く答えると、あたりを見回した。
「どうやらこの聖搭は、ただの神殿ではなく、水を作り出すための装置でもあるらしいな」
アサドは無造作に、台座の上の剣の棟に手の甲を当てた。
「アサド殿!」
「大将!」
サウドとミアトが同時に叫び、ミアトが慌ててアサドの手を離そうとする。だが……
「大丈夫だ。おまえ達も触ってみろ」
「ほ…ほんとに大丈夫なの? じゃ、じゃあ……ありゃ? 冷たいよ、これ!」
もともと冷たい刀身が、ミアトの手が貼り付きそうになるくらい、冷えきっている。
「さっきの火花が、剣に何らかの作用をもたらしたようだな。刀身が信じられないほど冷たくなっている」
「なるほど、この潤んだ空間の中で、剣に結露がたやすく生じるはずですな」
やはり刀身に触れたサウドが、納得したように頷いた。
いつの間にか、鏡の間の壁にも天井にも、大量の結露が生じ、滴となって落ちてくる。
アサド達の服は、まるで河に飛び込んだかのように、グッショリと濡れていた。
「うわっ、は…早くここから出ないと、おぼれちゃうよ~」
「どうやら、その心配はなさそうだな。見ろ」
「ありゃりゃりゃ?」
アサドが台座を指し示した。
水が底面に溜まった分だけ、台座の底がズズズとせり上がってくるではないか。
「これ、どういう仕掛け?」
「判らんが、これに掴まっていれば上まで連れていってくれそうだ」
「…の、ようですな」
三人が台座にしがみついたが、彼らの重さなど関係ないかのように、台座は一定の速度を保ったまま、どんどん上昇していく。
やがて、遥か上方にあった穴の入り口がもう目の前まで近づき、穴から覗き込んでいる部下たちの驚いた顔が、判別できるようになった。
「……サウド」
「何でしょうか?」
「決戦は近い。場所はこの聖塔だ」
三
「勝算はおありでしょうな?」
当然だ…とアサドの顔が、眼が、全身が語っていた。必勝の確信を得た時、その碧眼は晴れ渡った蒼天のごとき輝きを宿す。
「ヴィリヤーに使いを出せ。ウルクル城邑の民は全て脱出させ、瀝青の丘の東南に集結させろと」
「従わぬ者は?」
「生きる希望を強く持つ者だけで充分だ。あの無能な太守と運命を共にするのもまた、本人の意志だ」
いつものアサドに戻っていた。
冷静で、冷酷にさえ感じる、傭兵隊長に。
「解り申した───して、私の役目は?」
「もちろん、ウルクルに残った民の護衛と救出だ」
「フフフ……やっとあなたらしくなってきましたな」
サウドの口の端に、自然と笑みが浮かんだ。
「ついに雌雄を決するときが来た」
アサドの低い錆を含んだ声が、赤獅団の面々に、そう、告げた。
アサドたちが、瀝青の丘の聖塔で戦の準備を決意した翌日───
ウルクルもまた、決戦に向かっていた。
「ついに雌雄を決するときが来た!」
ウルクル太守のひっくり返った声が、高い空に虚しく響く。
集められた兵達の眼には、確実な死への恐怖と、諦念と無気力だけが浮かんでいた。
ファラシャトの復讐戦。
いくらそう大義名分を掲げられても、所詮は太守の私怨。しかも、衆寡よく敵を退けた勇将アサドは、もう、いない。ろくな作戦も、勝算もない。
それは一兵卒の目から見ても無謀な総力戦…であった。
昨夜、最後の軍議の席で太守の無謀を再度諌めた大臣は、その場で斬首された。
老いた太守の全身を満たしているのは、ただ、狂気と酒だけであった。
その暴挙に、重臣達は気色ばみ、将軍達の中には剣の柄に手を掛ける者もあった。
広間に不穏な空気が満ちた時、
「太守のご命令とあらば、致し方ありません。我らは従いましょう」
突然、それまで黙然と太守の言動を見ていたヴィリヤーが、声を発した。
「な…何を言う! ヴィリヤー殿」
大臣の一人が狼狽して叫ぶ。
「太守の命令は絶対、曲げるわけにはいきませぬ!」
四
他の者の反論を許さぬかのように、再びヴィリヤーの声が強く響いた。
「ヴィリヤー、よくぞ申した! それでこそわしが選んだ我がウルクルの軍師じゃ」
思わぬヴィリヤーの賛意に気を良くした太守が、酒杯を掲げて上機嫌で叫ぶ。
その口は呂律が回らず、その眼は朦朧としている。
軽く頭を下げると、ヴィリヤーは太守に背を向け、重臣達に向き合った。
「我に秘策あり、全兵力を結集しての総力戦ならば、総司令官無き今のアル・シャルク軍など畏るに足らず」
「貴公の作戦など信用できん!」
即座に、反論が飛んだ。
「それでも結構。私の作戦は信用して頂かなくとも…だが…」
低い呟くような声で彼は言葉を継いだ。
「砂漠には獅子が、待っている」
「獅子…だと!」
その場の重臣達は総て、その言葉の意を悟った。
そう、ヴィリヤーの作戦は信用できなくとも、あの男の作戦ならば……。
「全軍集結。これより最後の決戦に入る。各々部下に下知しておけ」
こうして、ウルクルの全兵が集められた。
もちろん、ヴィリヤーの真意など知らぬ兵達は、確実な死の予感に怯えるしかない。
金細工を施した豪華な甲冑に身を包んだ太守は、痩せ衰えた肉体に狂騒のみを漲らせ、戦車に陣取った。かさつき皺ばんだ手に持った剣を掲げ叫ぶ。
「城門を開け!」
重く鈍い音を響かせて門が開かれ、跳ね橋が堀の向こうに渡される。
「突撃ぃ!」
無謀な、最悪の、そして狂気の進軍が始まった。
ウルクル軍の総突撃は、アル・シャルク軍にも驚愕をもたらした。
「ウルクル軍、こちらに進軍してきます!」
「兵力は?」
「およそ五千! ほぼ全軍です」
物見からのやウギ馬屋の報告に、総司令部の幕舎にいたラビン新司令官は、ひどく困惑した。
「何ぃ? ウルクル軍は正気か?」
■終章/蒼き奔流 第4話『ウルクル決戦す』/終■
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