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第6章/碧き烈母 第6話『漆黒の妖魔参戦』
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一
「どうするつもりだ?」
ファラシャトがアサドを詰問した。
カジム将軍との面会の場を脱し、なんとか追撃を振り切った。
ウルクルの城壁までは、もうあと一駆けである。
今はもう、馬の歩みはゆっくりで、息を整えている。
「何がだ?」
「とぼけるな!」
のんびりとしたアサドの返答に対して、ファラシャトの言葉には棘があった。
「ウルクルは元々、アティルガン朝アル・シャルクの領土だった。現に太守は、ディフィディ・アーバスが王位簒奪者であるが故に独立したと、内外に喧伝している。おまえも、それを闘技場で聞いたよな?」
ファラシャトは一気に捲し立てた。
たしかに太守は、そんな事を言っていた。
「おまえが真実に、アティルガン王家の第一王子ならば、ウルクルの領土は、正統な継承者に返すのが、筋だろう?」
だが、アサドの言葉は、意外なほどに冷静であった。
「太守の言など、アル・シャルクから独立するための大義名分にすぎん。のこのこ名乗り出たら、王家の血筋を騙る偽物として、処刑されるだけだろう。わざわざ首を差し出すほど、俺は不用意じゃないさ」
「それは……そうだが。だからといって、きさまが傭兵部隊長ごときで、納まる器か?」
「分かっているなら、聞くな」
また、いつものように良いようにアサドにあしらわれる。
話題を変えなくては…そう思ったファラシャトの心を察したように、ヴィリヤー軍師が口を挟んだ。
「一番の問題は…カジム将軍亡き後の、アル・シャルク軍ですな」
助け舟に救われた思いで、ファラシャトがヴィリヤー軍師の言葉に続ける。
「なぜだ軍師殿? アル・シャルク軍はバルート副司令官に続き、総司令官をも失って、指揮系統が混乱するはず。ウルクルにはむしろ、打って出る好機到来ではないか?」
「果たして、そううまくいくかどうか……。その名を内外に知られるカジム将軍ですぞ? 士気は高まり、復讐のために今までに倍する力を発揮するでしょう」
意外なヴィリヤーの言葉に、ファラシャトは眼を剥いた。
だがアサドとサウド副官はその言葉に頷いた。
二
「確かに、ヴィリヤー軍師の申されるとおりですな。今までは名将カジム将軍の陰に隠れてはおりましたが、ラビン副司令官は有能な男です。行動力もあり、なにより部下の人望も厚い。名将軍の下で、長く実質的な指揮も執っていて経験も充分。それに───」
そこまで語って、サウド副官が言い淀んだ。
「それに?」
次の言葉を促すファラシャトに、しばし沈黙していたサウドがゆっくりと答えた。
「ラビン副司令官は、カジム将軍のただ一人の息子です。必ずや父の復讐を果たそうと考えるでしょう」
「む、息子!?」
「それは真実ですか?」
意外な事実に、ファラシャトとヴィリヤーは絶句した。
だが、カジム将軍と古くからの友人であるらしいサウド副官の言葉に、間違いはなかった。
「カジム将軍が、アサド・アハマルの諱を第一王子に贈ったように、拙者もまた親友でもあったカジム将軍の第一子に、猛獣にちなんだ諱を贈りもうしたので」
「言われてみれば、どこか面影が重なりますね」
ヴィリヤー軍師は、面会の場で見たカジム将軍とラビン副司令官の顔を、思い出していた。
太い獅子鼻も、ガッチリとした肩幅も、よく似ている。
アル・シャルクでは、生まれた子に通称とは別に、動物や気象にちなんだ、諱を贈る。
赤き獅子、黒き蠍、岩の亀───名付け親は、実の親とはまた異なる絆を、贈った相手と結ぶ。
成人の儀式や初陣の立会人、婚礼の場にも立ち会う。
その関係は、どちらかが死ぬまで続くのである。
東方の遊牧の民には、一般的な風習であった。
サウド副官がラビン副司令官の名付け親であることは、有り得る話であった。
「では…将軍の死を契機に、アル・シャルク軍はいっそう団結すると、そう考えた方がよいでしょうね」
ヴィリヤーが沈痛な口調で続けた。
我慢できずにファラシャトが叫んだ。
「かえって危険な敵になったではないか! どうするつもりだアサド?」
「戦力的には五分以上になったと言えるな」
淡々としたアサドの言葉にファラシャトはカッとした。ウルクルの運命を他人事のように言う態度が、ひどく気に障ったのだ。
「おまえは…!」
三
「もしアル・シャルクが総攻撃をかけてくるとしたら、明日だろうな」
虚空を見つめながら、アサドが嫌な予想を口にする。
兵は迅速果断を尊ぶ。
カジム将軍の死に、怒りの熱気がアル・シャルク軍には今、満ちているであろう。
堰に溜まった水のようなものである。
蟻の一穴から、怒涛の奔流が始まるように。
動くなら、明日しかない。
「そんな他人事のような言い方!」
「ウルクル軍は、勝てますか?」
ファラシャトの怒りを無視するように、ヴィリヤーが割って入る。
ここは軍師として、その総攻撃の事実上の指揮官になるであろう男の、考えを聞いておきたい。
できれば、サウド副官の策も。
お嬢様の八つ当たりには、付き合っていられないのだ。
「復讐に燃えるアル・シャルク北方方面軍とのこの戦、勝算はおありか?」
「わからん」
アサドの答えは、そっけなかった。
「カジム将軍が語っていたように、シダットが暗黒神と契約を結んだのならば、本国から強力な妖魔ジンが派遣される可能性がある。そうなれば、戦力が一気に逆転するかもしれんな」
そう、妖魔はいた。
しかも、会談の陣屋にあって、息を潜めてアサドたちの会話を、聞いていたのだ。
あの蜘蛛の妖魔とは比べ物にならない、強力な妖魔。
「人間相手ならともかく、妖魔が相手では作戦の立てようが無い……」
そう呟くサウド副官の言葉に、ヴィリヤー軍師の顔が曇る。
「こちらにもミアトがいるではないか!」
ファラシャトが口を挟んだ。
蚊帳の外に置かれて、不満が溜まっていたのだ。
これでも近衛師団の隊長である。あからさまな見下しは、不愉快だ。
「なにしろあいつは境界に立つ者だ、黒い翼で空を飛び、火炎を吹き出す。あれだけの力があれば…」
「リーサンデのような下級の妖魔ならともかく、将の位の妖魔が現れたら境界に立つ者ニームのミアトでは、荷が重い。過剰な期待は禁物だ」
四
アサドがピシャリと遮った。
妖魔リーサンデの、圧倒的な妖力を思い出して、ファラシャトは戦慄した。
あれですら下等な妖魔だと言うのか。
では、あれ以上に強力な妖魔とは……。
カジム将軍を貫いた巨大な黒い爪、アサドの剣すら跳ね返したあの鋭利な何物かは……。
「あれは強力な妖魔なのか?」
「地の族の妖魔にはあまり詳しくはないが、あれが身体の一部だとしたら、大した妖魔ではないだろう。妖魔は妖力が強大になればなるほど、姿形は人間に近づくと言われている。だが……あれを操っている妖魔が、さらにいる可能性もあるな」
「勝てるのか?」
「闘ってみなければわからん」
「それはそうだが……」
ファラシャトは、言葉を呑んだ。
アサドの力強い言葉を期待している、自分に気づいたからだ。
いくつもの難局を乗り切ってきたこの男に、大丈夫だと言ってほしかったのだ。
それぐらい心細く、不安に思っていた。
自分の弱気に気づいて、恥ずかしくなったのだ。
そんなファラシャトの恥じらいに気づかず、アサドは遠くを見る目で、つぶやいた。
「それに、たとえ将の位の妖魔に勝っても“あいつ”に勝てなくては無意味だ」
「あいつ?」
抑揚のないアサドの声に殺気を感じて、ファラシャトは一瞬、身を固くした。
「俺は…一度だけ、見た」
アサドの声がどこか遠く、だが怒気を孕んだものになっていた。
「金の髪と金の眼の……最強の妖魔を!」
■ 第6章/碧き烈母 第6話『漆黒の妖魔参戦』 /終■
「どうするつもりだ?」
ファラシャトがアサドを詰問した。
カジム将軍との面会の場を脱し、なんとか追撃を振り切った。
ウルクルの城壁までは、もうあと一駆けである。
今はもう、馬の歩みはゆっくりで、息を整えている。
「何がだ?」
「とぼけるな!」
のんびりとしたアサドの返答に対して、ファラシャトの言葉には棘があった。
「ウルクルは元々、アティルガン朝アル・シャルクの領土だった。現に太守は、ディフィディ・アーバスが王位簒奪者であるが故に独立したと、内外に喧伝している。おまえも、それを闘技場で聞いたよな?」
ファラシャトは一気に捲し立てた。
たしかに太守は、そんな事を言っていた。
「おまえが真実に、アティルガン王家の第一王子ならば、ウルクルの領土は、正統な継承者に返すのが、筋だろう?」
だが、アサドの言葉は、意外なほどに冷静であった。
「太守の言など、アル・シャルクから独立するための大義名分にすぎん。のこのこ名乗り出たら、王家の血筋を騙る偽物として、処刑されるだけだろう。わざわざ首を差し出すほど、俺は不用意じゃないさ」
「それは……そうだが。だからといって、きさまが傭兵部隊長ごときで、納まる器か?」
「分かっているなら、聞くな」
また、いつものように良いようにアサドにあしらわれる。
話題を変えなくては…そう思ったファラシャトの心を察したように、ヴィリヤー軍師が口を挟んだ。
「一番の問題は…カジム将軍亡き後の、アル・シャルク軍ですな」
助け舟に救われた思いで、ファラシャトがヴィリヤー軍師の言葉に続ける。
「なぜだ軍師殿? アル・シャルク軍はバルート副司令官に続き、総司令官をも失って、指揮系統が混乱するはず。ウルクルにはむしろ、打って出る好機到来ではないか?」
「果たして、そううまくいくかどうか……。その名を内外に知られるカジム将軍ですぞ? 士気は高まり、復讐のために今までに倍する力を発揮するでしょう」
意外なヴィリヤーの言葉に、ファラシャトは眼を剥いた。
だがアサドとサウド副官はその言葉に頷いた。
二
「確かに、ヴィリヤー軍師の申されるとおりですな。今までは名将カジム将軍の陰に隠れてはおりましたが、ラビン副司令官は有能な男です。行動力もあり、なにより部下の人望も厚い。名将軍の下で、長く実質的な指揮も執っていて経験も充分。それに───」
そこまで語って、サウド副官が言い淀んだ。
「それに?」
次の言葉を促すファラシャトに、しばし沈黙していたサウドがゆっくりと答えた。
「ラビン副司令官は、カジム将軍のただ一人の息子です。必ずや父の復讐を果たそうと考えるでしょう」
「む、息子!?」
「それは真実ですか?」
意外な事実に、ファラシャトとヴィリヤーは絶句した。
だが、カジム将軍と古くからの友人であるらしいサウド副官の言葉に、間違いはなかった。
「カジム将軍が、アサド・アハマルの諱を第一王子に贈ったように、拙者もまた親友でもあったカジム将軍の第一子に、猛獣にちなんだ諱を贈りもうしたので」
「言われてみれば、どこか面影が重なりますね」
ヴィリヤー軍師は、面会の場で見たカジム将軍とラビン副司令官の顔を、思い出していた。
太い獅子鼻も、ガッチリとした肩幅も、よく似ている。
アル・シャルクでは、生まれた子に通称とは別に、動物や気象にちなんだ、諱を贈る。
赤き獅子、黒き蠍、岩の亀───名付け親は、実の親とはまた異なる絆を、贈った相手と結ぶ。
成人の儀式や初陣の立会人、婚礼の場にも立ち会う。
その関係は、どちらかが死ぬまで続くのである。
東方の遊牧の民には、一般的な風習であった。
サウド副官がラビン副司令官の名付け親であることは、有り得る話であった。
「では…将軍の死を契機に、アル・シャルク軍はいっそう団結すると、そう考えた方がよいでしょうね」
ヴィリヤーが沈痛な口調で続けた。
我慢できずにファラシャトが叫んだ。
「かえって危険な敵になったではないか! どうするつもりだアサド?」
「戦力的には五分以上になったと言えるな」
淡々としたアサドの言葉にファラシャトはカッとした。ウルクルの運命を他人事のように言う態度が、ひどく気に障ったのだ。
「おまえは…!」
三
「もしアル・シャルクが総攻撃をかけてくるとしたら、明日だろうな」
虚空を見つめながら、アサドが嫌な予想を口にする。
兵は迅速果断を尊ぶ。
カジム将軍の死に、怒りの熱気がアル・シャルク軍には今、満ちているであろう。
堰に溜まった水のようなものである。
蟻の一穴から、怒涛の奔流が始まるように。
動くなら、明日しかない。
「そんな他人事のような言い方!」
「ウルクル軍は、勝てますか?」
ファラシャトの怒りを無視するように、ヴィリヤーが割って入る。
ここは軍師として、その総攻撃の事実上の指揮官になるであろう男の、考えを聞いておきたい。
できれば、サウド副官の策も。
お嬢様の八つ当たりには、付き合っていられないのだ。
「復讐に燃えるアル・シャルク北方方面軍とのこの戦、勝算はおありか?」
「わからん」
アサドの答えは、そっけなかった。
「カジム将軍が語っていたように、シダットが暗黒神と契約を結んだのならば、本国から強力な妖魔ジンが派遣される可能性がある。そうなれば、戦力が一気に逆転するかもしれんな」
そう、妖魔はいた。
しかも、会談の陣屋にあって、息を潜めてアサドたちの会話を、聞いていたのだ。
あの蜘蛛の妖魔とは比べ物にならない、強力な妖魔。
「人間相手ならともかく、妖魔が相手では作戦の立てようが無い……」
そう呟くサウド副官の言葉に、ヴィリヤー軍師の顔が曇る。
「こちらにもミアトがいるではないか!」
ファラシャトが口を挟んだ。
蚊帳の外に置かれて、不満が溜まっていたのだ。
これでも近衛師団の隊長である。あからさまな見下しは、不愉快だ。
「なにしろあいつは境界に立つ者だ、黒い翼で空を飛び、火炎を吹き出す。あれだけの力があれば…」
「リーサンデのような下級の妖魔ならともかく、将の位の妖魔が現れたら境界に立つ者ニームのミアトでは、荷が重い。過剰な期待は禁物だ」
四
アサドがピシャリと遮った。
妖魔リーサンデの、圧倒的な妖力を思い出して、ファラシャトは戦慄した。
あれですら下等な妖魔だと言うのか。
では、あれ以上に強力な妖魔とは……。
カジム将軍を貫いた巨大な黒い爪、アサドの剣すら跳ね返したあの鋭利な何物かは……。
「あれは強力な妖魔なのか?」
「地の族の妖魔にはあまり詳しくはないが、あれが身体の一部だとしたら、大した妖魔ではないだろう。妖魔は妖力が強大になればなるほど、姿形は人間に近づくと言われている。だが……あれを操っている妖魔が、さらにいる可能性もあるな」
「勝てるのか?」
「闘ってみなければわからん」
「それはそうだが……」
ファラシャトは、言葉を呑んだ。
アサドの力強い言葉を期待している、自分に気づいたからだ。
いくつもの難局を乗り切ってきたこの男に、大丈夫だと言ってほしかったのだ。
それぐらい心細く、不安に思っていた。
自分の弱気に気づいて、恥ずかしくなったのだ。
そんなファラシャトの恥じらいに気づかず、アサドは遠くを見る目で、つぶやいた。
「それに、たとえ将の位の妖魔に勝っても“あいつ”に勝てなくては無意味だ」
「あいつ?」
抑揚のないアサドの声に殺気を感じて、ファラシャトは一瞬、身を固くした。
「俺は…一度だけ、見た」
アサドの声がどこか遠く、だが怒気を孕んだものになっていた。
「金の髪と金の眼の……最強の妖魔を!」
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