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第1章/青き咆哮 第2話『傭兵部隊長選出』

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   一

「フン……わしは太守アミールじゃ。国王ではない」
 商人上がりの太守は羊の値踏みをするかのように、アサドの全身をねめつけている。
 アサドはそんな視線など一向に感じてもいない様子で静かに立っていた。
 その姿には雇い主に謁見し、その腕を高く買ってもらおうとする傭兵の卑屈さなどみじんも無い。
「アル・シャルクから独立したわけでも、反旗を翻したわけでも無いぞ、わしはな」
 言いながら太守は手にした杯に口を近づけた。

 杯を口元に持っていくのではなく、口を杯に近づける。アルコール中毒の兆候であった。
 喉を鳴らして一気に飲み干す。
 からになった杯の底をもの足りぬようにチラリと見てから、太守はアサドに視線を移した。
「ただ、前国王を亡き者とした反逆者どもが国政を壟断する、今現在のアル・シャルクには従えん」
 王は己の言葉に興奮したのかぐっと立ち上がったが、その足はふらついている。
「…だから、独立した」
 再びドサリと玉座に腰を下ろし、芝居がかった口調で嘆息して見せながら、謁見の間を見渡した。
「誠の忠臣よのぉ、儂は……そうではないか?」
 その無気力そうな態度とは裏腹に威圧的な響きが声にこもる。
「はっ!」
 周囲の重臣どもが一斉に頭をたれて肯定の意を表す。
 莫迦莫迦しい田舎芝居であった。

「前国王のはつぐ方が現れれば、わしはすぐさまウルクルをお渡しする…そうであろう?」
「はっ!」
 間髪入れず、声が返る。
 わざと答えの分かった問いを発しているのだ──歪んだ虚栄心の固まり。
「まあ、嗣ぐお方がおれば、の話だがな……くくくく。そのような義の人はなかなかおらん、故にわしがこうして泣く泣くウルクル太守として、骨身を削っておるわけだ」
 どろりとした目をアサドに向けながら、太守は再びゆっくりと玉座から立ち上がった。
「ウルクルはアル・シャルクに負けるわけにはいかん! そこで我がウルクルでは傭兵は各部隊に分散させず、傭兵のみで構成された独立の部隊を新設することにした」


   二

 玉座のかたわらに控えているファラシャトの顔が曇った。
 そんな話は初耳だった。
 父はこの男に大兵力を与えようと言うのか?
 無謀だ、あまりにも。
 氏素性さえはっきりしないこの男に、ウルクルの死命を決する札を握らせるとは!
「太守、それはあまりに性急なご決断。いきなりやってきた傭兵に、部隊長を任しては全軍の士気にかかわります。他の傭兵たちも納得はいたしませぬ」
 思わず一歩踏み出す彼女に向かって、大守は唇をゆがめて言った。
「近衛隊長、それくらいのこと、分からぬ儂と思うてか。………入れ!」
 太守の声と共に正面の大扉が開く。

 鈍い響きを発しながら堂々たる体躯の男たちが入ってきた。
 だれ一人として正規の軍服を着ていない、一目で傭兵と分かる男達だ。
「そこでだ、部隊をまとめる部隊長もそなたらの中から、その能力のある者を選出したいと思う。アサド殿どうかな?」
「……御意」
 アサドの短い答えに満足したのか、太守は眼を細め舌舐めずりしながら頷く。
「さて、残りの者はどうじゃ?!」
 太守が促すまでもなく、傭兵達は最初からそのつもりだった。
 お墨付きが出たのだ、これ以上の議論は無用だった。
「へ、へへへへへ……」
「ほお、そいつは面白い」
「ろくな経験もない青二才や、お上品な部下しか指揮したことのない軍人様が、俺らをまとめられるわけがないからな」
 ざわめきがうねる。

 あらかじめ聞かされていたのだろう、既に傭兵達の目が興奮して潤んでいた。
 こうなっては止まらない。
 下手に制止すれば血の気の多い男たちが暴走するのは目に見えている。
 あきらめのため息を短くつくと、それでもファラシャトは、はやる傭兵共に釘を差した。
「いいか! 武器の使用はなし…だ。必ず素手で決着をつけるように!」
「あたりめぇだ!」
「俺が相手になってやる」
 口々に腕自慢の男共が呼応し、謁見の間に低いうなり声が満ちる。


   三

 壮絶な殴り合いが始まった。
 肉体と肉体がぶつかりあう、鈍い音が続く。
 勝った男には新たな挑戦者が次々と戦いを挑み、それは勝ち抜き戦の様相を呈してきた。
 太守は濁った目でその壮絶な戦いを見つめていた。
 麦酒の入った杯が小刻みに震えている。興奮しているのだ。
「大将、どうすんの?」
 男達をクリクリした眼で見つめていたミアトが振り向いて尋ねた。
「何がだ?」
「まっった~とぼけちゃって…やるんだろ? もちろん」
 握り拳を軽く前に突き出しながら、ミアトはアサドの腹を小突く。
「さぁて……」
 腕を組んで広間の壁にもたれたアサドは、男達に眼をそそいだまま動かない。
「まさか、誰かの指揮下に入るつもり?」
 いかにも意外だという顔で、ミアトが伸び上がってアサドの顔を覗き込む。

 いつの間にか、ファラシャトがアサドの横に立っていた。
「腕力だけで、部隊が統率できると考えることが、無能な証拠だ」
 アサドの突然の言葉に、ファラシャトは怪訝な顔をして問い返した。
「今、闘っている連中が?」
「いいや、あんたの父上が…だ」
 そのあからさまな言葉に、ファラシャトが一瞬、気色ばんだ。
「隊長選出は単なる口実、本当は莫迦バカな傭兵どもが殴り合い傷つけ合うのを楽しみたいだけ…なんだろう?」
 とっさに反論しようとしたファラシャトだったが、アサドの視線が自分の父である太守に向けられていることに気づいた。

 太守は半開きにした唇からだらしなく涎を垂らしながら、肉弾戦に見入っていた。
 眼が限界まで見開かれこめかみに薄く血管が浮いている。
 手にした酒杯から麦酒がこぼれているのにも気付かない。
 とてもウルクルの運命を左右する人物には見えない。
「たしかにな。だが力がなければ、こいつらを抑えられないのも事実だろう? そうやって戦いに加わること自体を拒否するか?」
「こんなくだらぬまねをする人間は、せいぜい十人だろう。そろそろ誰が強いか、わかる」
「じゃあ、大将そいつと勝負?」
 ワクワクとしたミアトの問いかけにアサドは肯定も否定もせずに、ただ目の前で繰り広げられる戦いを見つめている。


   四

 その姿からはこれから戦いに望もうとする人間の気迫もたかぶりも、まったく感じられない。
 まるで、河の流れを一日中眺めている老人のようだ。
「ふん…それでいいのか?」
「何がだ?」
「おまえは傭兵だろう? 稼ぎの少ない一兵卒でも良いのかと訊いているんだ」
 ファラシャトが尋ねた。その口調に侮蔑がこもっている。 
 傭兵は、生き残ってこそ、稼いでこそ、手柄を挙げてこそである。このままアサドが戦いに加わらなければ、いかに赤獅団とて特別扱いはされず、当然大きな稼ぎは望めない。
「良くはないな」
「だったら?」
 ファラシャトの問いかけには答えず、アサドは腕を組んだままじっと戦況を見ている。

「おらぁ! まだ俺にかかってくる奴がいるかぁ!」
 ひときわ大きな声が広間に響いた。
 それは、顔面から血を滴らせて倒れている数名の屈強な男達を、仁王立ちして見おろしている男から発せられた声だった。
 どうやらこの男が最終的な勝者らしい。
 年齢は三十代前半だろうか。
 大きく隆起した肩の筋肉と身体の数カ所に走る刀傷が、この男の過酷な戦歴を物語っていた。左の耳が根本から引きちぎられたように無くなっている。戦場で失ったのだろうか、それが男の風貌をいっそう凄みのあるものにしていた。

 本人もそれを自覚しているのであろう。
 ワザと傷跡を誇示するかのように首を傾げ気味にしてまわりに見せつけている。
「どうやら決まりのようだな。それでは傭兵部隊の隊長は……」
「へへへ、へっへっへっへへへへへへへ……」
 男がそう言いかけたとき、背後から間の抜けただみ声が響いた。
「へへへ……つ強い奴が、たた隊長しゃんか。じゃじゃ、じゃあオデが一番隊長しゃんにぴったりだ~よ」
 人垣を押し分けて、大きな影が、片耳の男の前に現れた。

 それは並外れた巨躯の持ち主だった。



■第1章/青き咆哮 第2話『傭兵部隊長選出』/終■
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