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3 あるひとりぼっちの夜
一 被害者の会
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三月上旬。土曜日の晩。午後八時。
おしゃれメガネ倉本ことヒロと、紗英ちゃんと、久しぶりに呑んでる。場所は、ヒロの実家の小料理屋。女将のヒロ母ちゃん。
八王子。主にビール。餃子パーティー。
前に呑んだのは去年の秋頃かな。半年ぶりくらいか。約一年半前に出会って、いろいろあって仲良くなって、他のひともまじえつつ、時々メシ行ったり呑んだり。
ヒロんちに来るのは初めて。
ヒロ母ちゃんはヒロに似てる。だけど、二十九歳の息子がいるとは到底思えないような、背の高い、たおやかな美女。着物の上に割烹着。カウンター内で餃子を焼いてくれている。
カウンターに三人で並んで座り、軽く近況。
真ん中の紗英ちゃんが、ジョッキのビールを一気飲みしたあと質問してきた。
「小野寺さん、司法試験、一発合格ですって?」
俺は彼女の豪快な飲みっぷりに内心慄きつつ、ひとつ頷く。
「あ、うん」
「おめでとうございます」
「あ、はい。ありがとうございます。伝えておきます」
「元係長、ほんっと嫌味な男だよなー」
とヒロ。
二人とも、和臣さんの状況はすでに耳に入っていたらしい。会社で聞いたとヒロは言った。紗英ちゃんは葉子さんに聞いたみたい。
「どなた? 共通のお知り合い?」
とヒロ母。
「あのー、えーと……」
俺が言い淀んでいると、ヒロがさらっと答える。
「多紀の旦那で、俺の元上司」
「いえ、旦那じゃなくて恋人です」
「あらあら。司法試験合格だなんて、優秀な方なのねぇ」
「多紀のこと以外は弱みないよな、元係長」
「とーってもハンサムなんです、おばさま」
ハイスペックイケメンに、このたび司法試験合格までついてきた。あのひとの弱点は、溢れてやまぬ性欲と、それを抑えられないという理性の欠如。
「とーってもハンサムな未来の弁護士さん? ぜひお目にかかりたいわねぇ」
「やだよ。俺たち、『小野寺被害者の会』だからっ、な?」
「ふふっ。そうだな」
「わたしと多紀ちゃんはともかく、ヒロちゃんはやっかみでしょー?」
「うるせぇ。お紗英様もだろっ!」
そんなふうにだらだら喋っててさ。
ふと、紗英ちゃんが訊ねてくる。
「小野寺さん、会社、お辞めになったんですね。お元気?」
「あ、たぶん」
「多分?」
「実は一月から別居してるんだ。司法修習で」
俺は答えた。
司法試験に合格したあと、一年間、司法修習という実務の研修があって、その最後に二回試験という考試を受けて、合格したら、晴れて法曹になるんだそうだ。妹さんは裁判官、太郎さんは検察官、次郎さんは弁護士、というふうに。法曹三者っていうんだって。
和臣さんとは、毎日連絡はしてる。一日二往復くらい。俺もいま仕事が忙しくて、和臣さんも忙しそうにしてる。通話は三日に一度の頻度。
ヒロが訊ねてくる。
「あ、司法研修所? 別居なの? 和光じゃなかった?」
「和光のときは通いなんだけど、いまは甲府」
「甲府? 遠いね。なんでまた」
「親兄弟がいる管轄では、修習できないんだって」
関東から東北にかけてのエリアは、お兄さん二人と妹さんがいる都合もあって、さらに、伯父さんや従兄弟たちがいる管轄からも外されてしまったらしい。
「ふーん。じゃ、一人暮らしなんだ」
「うん」
ほぼ二ヶ月近く会っていない。こんなに長く会わないのは、バンコク以来。
今頃、何してるんだろう。
「多紀ちゃん、寂しいんだったら会いにいかないと!」
と紗英ちゃん。
「紗英ちゃん、別に寂しくないよ」
なんだよ、寂しいって。大人なんだから、寂しいなんてさ。孤独には慣れてるし、一人暮らしだって慣れてるじゃん、俺。
和臣さんは、この丸二年、勉強漬けだった。さしもの和臣さんも、家事に手が回らなくなってきて、俺がメインで家事をしていた。
そんな多忙な日々が終わって、気づいたらあの人はいなくなっていて、俺はただ仕事に行って帰って一人分の家事をして、を繰り返す、拍子抜けみたいなひとりぼっちの日々に、刺激も楽しさもないなってだけ。
和臣さん、うるさいひとではなかったはずなのに、部屋がやたら静か。存在感あったなぁ。ぽっかりしてる。
紗英ちゃんは柔らかく微笑んだ。
「なんだか不安そうよ?」
「いや……うーん……なんかさ……」
ヒロが言った。
「えー、多紀、寂しいの? 会いにいけばー? 悩むのは健康に悪いじゃん?」
「イケメンで元商社マンで司法試験合格だなんて、順風満帆前途洋々ねぇ。鼻高々じゃないの。しっかり捕まえとかないと」
「あ、浮気を疑ってるとか? 小野寺さん、モテるものね。しないと思うけど、不安なのはわかるわ」
「でも元係長、多紀しか見てなくない? 元係長が会社やめるときさぁ、相田って呼び捨てただけでブチ切れられたんですけど。下の名前を呼び捨てで飲み友達してるなんて知られたら首絞められそう」
「あらあら、束縛するタイプ?」
「愛情たっぷりです、おばさま」
「ひどいのはNOね」
「俺の見立てでは相当やべー」
まあ、やべーストーカーだけど、束縛はそんなにしないかな?
友達と出かけるのとかも、いまは、別に反対したり不機嫌になったり嘆いたりはしない。どこにいくか、誰と行くかは言うようにしてるし。
今日だってちゃんと言ってある。どうやら忙しいみたいで、気にかける余裕がない雰囲気だった。
今頃、なにしてんのかな。
おしゃれメガネ倉本ことヒロと、紗英ちゃんと、久しぶりに呑んでる。場所は、ヒロの実家の小料理屋。女将のヒロ母ちゃん。
八王子。主にビール。餃子パーティー。
前に呑んだのは去年の秋頃かな。半年ぶりくらいか。約一年半前に出会って、いろいろあって仲良くなって、他のひともまじえつつ、時々メシ行ったり呑んだり。
ヒロんちに来るのは初めて。
ヒロ母ちゃんはヒロに似てる。だけど、二十九歳の息子がいるとは到底思えないような、背の高い、たおやかな美女。着物の上に割烹着。カウンター内で餃子を焼いてくれている。
カウンターに三人で並んで座り、軽く近況。
真ん中の紗英ちゃんが、ジョッキのビールを一気飲みしたあと質問してきた。
「小野寺さん、司法試験、一発合格ですって?」
俺は彼女の豪快な飲みっぷりに内心慄きつつ、ひとつ頷く。
「あ、うん」
「おめでとうございます」
「あ、はい。ありがとうございます。伝えておきます」
「元係長、ほんっと嫌味な男だよなー」
とヒロ。
二人とも、和臣さんの状況はすでに耳に入っていたらしい。会社で聞いたとヒロは言った。紗英ちゃんは葉子さんに聞いたみたい。
「どなた? 共通のお知り合い?」
とヒロ母。
「あのー、えーと……」
俺が言い淀んでいると、ヒロがさらっと答える。
「多紀の旦那で、俺の元上司」
「いえ、旦那じゃなくて恋人です」
「あらあら。司法試験合格だなんて、優秀な方なのねぇ」
「多紀のこと以外は弱みないよな、元係長」
「とーってもハンサムなんです、おばさま」
ハイスペックイケメンに、このたび司法試験合格までついてきた。あのひとの弱点は、溢れてやまぬ性欲と、それを抑えられないという理性の欠如。
「とーってもハンサムな未来の弁護士さん? ぜひお目にかかりたいわねぇ」
「やだよ。俺たち、『小野寺被害者の会』だからっ、な?」
「ふふっ。そうだな」
「わたしと多紀ちゃんはともかく、ヒロちゃんはやっかみでしょー?」
「うるせぇ。お紗英様もだろっ!」
そんなふうにだらだら喋っててさ。
ふと、紗英ちゃんが訊ねてくる。
「小野寺さん、会社、お辞めになったんですね。お元気?」
「あ、たぶん」
「多分?」
「実は一月から別居してるんだ。司法修習で」
俺は答えた。
司法試験に合格したあと、一年間、司法修習という実務の研修があって、その最後に二回試験という考試を受けて、合格したら、晴れて法曹になるんだそうだ。妹さんは裁判官、太郎さんは検察官、次郎さんは弁護士、というふうに。法曹三者っていうんだって。
和臣さんとは、毎日連絡はしてる。一日二往復くらい。俺もいま仕事が忙しくて、和臣さんも忙しそうにしてる。通話は三日に一度の頻度。
ヒロが訊ねてくる。
「あ、司法研修所? 別居なの? 和光じゃなかった?」
「和光のときは通いなんだけど、いまは甲府」
「甲府? 遠いね。なんでまた」
「親兄弟がいる管轄では、修習できないんだって」
関東から東北にかけてのエリアは、お兄さん二人と妹さんがいる都合もあって、さらに、伯父さんや従兄弟たちがいる管轄からも外されてしまったらしい。
「ふーん。じゃ、一人暮らしなんだ」
「うん」
ほぼ二ヶ月近く会っていない。こんなに長く会わないのは、バンコク以来。
今頃、何してるんだろう。
「多紀ちゃん、寂しいんだったら会いにいかないと!」
と紗英ちゃん。
「紗英ちゃん、別に寂しくないよ」
なんだよ、寂しいって。大人なんだから、寂しいなんてさ。孤独には慣れてるし、一人暮らしだって慣れてるじゃん、俺。
和臣さんは、この丸二年、勉強漬けだった。さしもの和臣さんも、家事に手が回らなくなってきて、俺がメインで家事をしていた。
そんな多忙な日々が終わって、気づいたらあの人はいなくなっていて、俺はただ仕事に行って帰って一人分の家事をして、を繰り返す、拍子抜けみたいなひとりぼっちの日々に、刺激も楽しさもないなってだけ。
和臣さん、うるさいひとではなかったはずなのに、部屋がやたら静か。存在感あったなぁ。ぽっかりしてる。
紗英ちゃんは柔らかく微笑んだ。
「なんだか不安そうよ?」
「いや……うーん……なんかさ……」
ヒロが言った。
「えー、多紀、寂しいの? 会いにいけばー? 悩むのは健康に悪いじゃん?」
「イケメンで元商社マンで司法試験合格だなんて、順風満帆前途洋々ねぇ。鼻高々じゃないの。しっかり捕まえとかないと」
「あ、浮気を疑ってるとか? 小野寺さん、モテるものね。しないと思うけど、不安なのはわかるわ」
「でも元係長、多紀しか見てなくない? 元係長が会社やめるときさぁ、相田って呼び捨てただけでブチ切れられたんですけど。下の名前を呼び捨てで飲み友達してるなんて知られたら首絞められそう」
「あらあら、束縛するタイプ?」
「愛情たっぷりです、おばさま」
「ひどいのはNOね」
「俺の見立てでは相当やべー」
まあ、やべーストーカーだけど、束縛はそんなにしないかな?
友達と出かけるのとかも、いまは、別に反対したり不機嫌になったり嘆いたりはしない。どこにいくか、誰と行くかは言うようにしてるし。
今日だってちゃんと言ってある。どうやら忙しいみたいで、気にかける余裕がない雰囲気だった。
今頃、なにしてんのかな。
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