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3 新婚旅行の申し込みと発育不良のΩ
四 発情期が来ない
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具合悪ーい……。
俺はぐったりしながら待合の椅子で待っている。
病院。かかりつけの内科。
朝から具合が急に悪くなって、俺の様子を気にしつつ出社する文弥さんを見送ってからひとりで出てきた。道中どんどん悪化してきて、もはや動けない。
大学で上京してからずっと同じ先生に診てもらっていて、引っ越して離れたけれど、電車に乗ってやってきた。近くのクリニックに変えたほうがいいのかな。問診票をなんとか書き終えて呼ばれるの待ち。
「宮下尚さーん」
「あ、はい」
看護師さんに呼ばれて立ち上がる。立ち眩みもする。血圧をはかったあと、弱りながらふらふらと診察室に入った。いつもの先生でちょっとほっとする。
三十歳前後の、まだ若い雰囲気の男性医師だ。このクリニックの二代目。
顔立ちがきれいで、優しくて親切な先生。
「尚くん、今日はどうしたの? 顔色悪いね」
「あ、えっと、体調が悪くて……」
「どこか痛む?」
「いえ、その、なんとなく、全体的に具合が悪いというか、だるいです」
「いつ頃から?」
「ここ一週間くらいです」
目を見たり、喉を見たり、聴診器を当てられたりと一通り済ませ、「血液検査しようか」と言われて血をとった後、俺は切り出した。
「あの」
「血圧も心音も肺音も異常ないね」
「その、実は、抑制剤をやめまして……」
先生が俺を見た。
「パートナーができたの?」
「えーっと、はい」
「結婚してる?」
「はい。先々週に……」
「そうか……尚くんに、パートナーか」
俺は思い切って聞いた。
「あの、俺、妊娠、するんでしょうか?」
気になってたこと……。
ここ二週間、文弥さんとは本当に毎晩セックスしていて、避妊は一回もしていない。
先生は、「念のため尿検査しておこうか」と言いつつ、俺を見て、はっきり言った。
「尚くんはΩとしては発育不良で、今の状態で妊娠する可能性は低いと思うよ」
「そう、ですよね……」
Ωとして生まれたけど、自分が子どもを産むなんて予定はぜんぜんなかったから、バース検査以来ずっと発育不良って言われてたけど、放置してたんだ。
「抑制剤やめたの。そろそろ発情期?」
「はい」
「それでただの体調不良なら、まぁ、可能性は低いね。ほぼ不可能。ちゃんとした発情期の特徴は出てないし、異常行動もないよね」
ぜんぜん、ただの体調不良。発情期っぽさなんてまったくこれっぽっちもない。異常行動の意味はわからないけど、ないと思う。
いいんだか、悪いんだか、わからない。
文弥さんは、俺との子どもを欲しがっている気がする。
種付けはαの本能だ。そして後先のことなんて何も考えてないっぽい。
一年契約なんだから、子どもなんてできないほうがいいんだ。作ろうとしてマジでできたらどうするの? って思ってる。
だけど……。
無邪気な文弥さんを見ていると、ふつうのΩよりもさらにできづらい体だってこと、言いづらいような、言わなきゃいけないような、言っちゃだめなような……。
言ったらどうなるんだろう。何を思うんだろう。考えるのが怖い。
「僕じゃ診れないから、産科のほうがいいね。紹介状を書こうか?」
「えっ」
「パートナーとの子どもが欲しいんでしょ? じゃあ、Ωもみてくれる産科。僕の知り合いの産科医。そんなに気負わなくても、発育不良のΩにはよくあることだよ。尚くんはアレルギーも既往症もないし、健康だから、治療一年以内でほぼ改善すると思う」
そっか。ふつうは、相手がいて、結婚していて、抑制剤をやめたら、子どもを望むものなんだ……。
文弥さんと同じくらい、いや、俺のほうこそ、そこから先のことは、なんにも考えてなかった。
「あのう、先生」
「ん?」
「もし、別れるとしたら……このままのほうがいいですよね。発情期は、来ないほうが……」
先生は首を傾げた。
「…………別れる?」
「その、期限付きというか……ちょっと事情があって、いまはパートナーなんですけど……」
大きなマスクの隙間から垣間見える先生の表情が、どんどん険しくなっている気がする。いや、気のせいじゃない。
先生の低い声。
「どういうこと?」
「その、一年ぐらいで離婚かなって……」
「事故番?」
「事故じゃないんですけど、経済的な理由で、一時的に番になってまして……」
先生は、呆れたみたいに額を押さえた。
「とりあえず、抑制剤を飲み続けなさい。噛まれてない? なんか赤いな」
先生は俺の首を覗き込む。
「あ、少し噛まれるかも。優しくですけど」
「噛むのはすぐにやめさせなさい。強く噛もうが弱く噛もうが、αの唾液が皮下に入ったらおんなじことなんだから」
「あ、はい……」
「番が解消になったときに辛いのはαじゃなくて、Ωのほうだよ。リスクはΩ性が負う。αはΩの体のことなんて考えちゃくれない」
「あの、その、お、お互いに事情があって……」
「だがその様子だと、性交はしているんでしょ。しかも、きみは、妊娠しづらいことを理由に避妊を怠っている」
そのとおりで俺は何も言えない。
「別れるなら、妊娠なんてもってのほか。望まない妊娠をする気? 何を考えてるんだ? 君はそれでいいのか? 君がよくても子どもはどうなる? 命をなんだと思ってるんだ!?」
先生が珍しく声を荒げ、後ろの看護師さんは目を丸くしている。
先生は咳払いをした。
「とにかく、抑制剤は飲んで。避妊薬も出すよ。将来のない関係はさっさと解消しなさい。わかったね」
「はい……」
正論すぎてぐうの音も出ない。俺は椅子を立ち、ぺこりと頭をさげて出ようとする。先生は「尚くん」と呼んできて、俺は振り返った。
「身勝手なパートナーなら、力になる。αは傲慢なのが多いから。何かあれば話しを聞く。かならず連絡して」
「あ……ありがとうございます」
俺はやっとの思いで診察室を出た。
俺はぐったりしながら待合の椅子で待っている。
病院。かかりつけの内科。
朝から具合が急に悪くなって、俺の様子を気にしつつ出社する文弥さんを見送ってからひとりで出てきた。道中どんどん悪化してきて、もはや動けない。
大学で上京してからずっと同じ先生に診てもらっていて、引っ越して離れたけれど、電車に乗ってやってきた。近くのクリニックに変えたほうがいいのかな。問診票をなんとか書き終えて呼ばれるの待ち。
「宮下尚さーん」
「あ、はい」
看護師さんに呼ばれて立ち上がる。立ち眩みもする。血圧をはかったあと、弱りながらふらふらと診察室に入った。いつもの先生でちょっとほっとする。
三十歳前後の、まだ若い雰囲気の男性医師だ。このクリニックの二代目。
顔立ちがきれいで、優しくて親切な先生。
「尚くん、今日はどうしたの? 顔色悪いね」
「あ、えっと、体調が悪くて……」
「どこか痛む?」
「いえ、その、なんとなく、全体的に具合が悪いというか、だるいです」
「いつ頃から?」
「ここ一週間くらいです」
目を見たり、喉を見たり、聴診器を当てられたりと一通り済ませ、「血液検査しようか」と言われて血をとった後、俺は切り出した。
「あの」
「血圧も心音も肺音も異常ないね」
「その、実は、抑制剤をやめまして……」
先生が俺を見た。
「パートナーができたの?」
「えーっと、はい」
「結婚してる?」
「はい。先々週に……」
「そうか……尚くんに、パートナーか」
俺は思い切って聞いた。
「あの、俺、妊娠、するんでしょうか?」
気になってたこと……。
ここ二週間、文弥さんとは本当に毎晩セックスしていて、避妊は一回もしていない。
先生は、「念のため尿検査しておこうか」と言いつつ、俺を見て、はっきり言った。
「尚くんはΩとしては発育不良で、今の状態で妊娠する可能性は低いと思うよ」
「そう、ですよね……」
Ωとして生まれたけど、自分が子どもを産むなんて予定はぜんぜんなかったから、バース検査以来ずっと発育不良って言われてたけど、放置してたんだ。
「抑制剤やめたの。そろそろ発情期?」
「はい」
「それでただの体調不良なら、まぁ、可能性は低いね。ほぼ不可能。ちゃんとした発情期の特徴は出てないし、異常行動もないよね」
ぜんぜん、ただの体調不良。発情期っぽさなんてまったくこれっぽっちもない。異常行動の意味はわからないけど、ないと思う。
いいんだか、悪いんだか、わからない。
文弥さんは、俺との子どもを欲しがっている気がする。
種付けはαの本能だ。そして後先のことなんて何も考えてないっぽい。
一年契約なんだから、子どもなんてできないほうがいいんだ。作ろうとしてマジでできたらどうするの? って思ってる。
だけど……。
無邪気な文弥さんを見ていると、ふつうのΩよりもさらにできづらい体だってこと、言いづらいような、言わなきゃいけないような、言っちゃだめなような……。
言ったらどうなるんだろう。何を思うんだろう。考えるのが怖い。
「僕じゃ診れないから、産科のほうがいいね。紹介状を書こうか?」
「えっ」
「パートナーとの子どもが欲しいんでしょ? じゃあ、Ωもみてくれる産科。僕の知り合いの産科医。そんなに気負わなくても、発育不良のΩにはよくあることだよ。尚くんはアレルギーも既往症もないし、健康だから、治療一年以内でほぼ改善すると思う」
そっか。ふつうは、相手がいて、結婚していて、抑制剤をやめたら、子どもを望むものなんだ……。
文弥さんと同じくらい、いや、俺のほうこそ、そこから先のことは、なんにも考えてなかった。
「あのう、先生」
「ん?」
「もし、別れるとしたら……このままのほうがいいですよね。発情期は、来ないほうが……」
先生は首を傾げた。
「…………別れる?」
「その、期限付きというか……ちょっと事情があって、いまはパートナーなんですけど……」
大きなマスクの隙間から垣間見える先生の表情が、どんどん険しくなっている気がする。いや、気のせいじゃない。
先生の低い声。
「どういうこと?」
「その、一年ぐらいで離婚かなって……」
「事故番?」
「事故じゃないんですけど、経済的な理由で、一時的に番になってまして……」
先生は、呆れたみたいに額を押さえた。
「とりあえず、抑制剤を飲み続けなさい。噛まれてない? なんか赤いな」
先生は俺の首を覗き込む。
「あ、少し噛まれるかも。優しくですけど」
「噛むのはすぐにやめさせなさい。強く噛もうが弱く噛もうが、αの唾液が皮下に入ったらおんなじことなんだから」
「あ、はい……」
「番が解消になったときに辛いのはαじゃなくて、Ωのほうだよ。リスクはΩ性が負う。αはΩの体のことなんて考えちゃくれない」
「あの、その、お、お互いに事情があって……」
「だがその様子だと、性交はしているんでしょ。しかも、きみは、妊娠しづらいことを理由に避妊を怠っている」
そのとおりで俺は何も言えない。
「別れるなら、妊娠なんてもってのほか。望まない妊娠をする気? 何を考えてるんだ? 君はそれでいいのか? 君がよくても子どもはどうなる? 命をなんだと思ってるんだ!?」
先生が珍しく声を荒げ、後ろの看護師さんは目を丸くしている。
先生は咳払いをした。
「とにかく、抑制剤は飲んで。避妊薬も出すよ。将来のない関係はさっさと解消しなさい。わかったね」
「はい……」
正論すぎてぐうの音も出ない。俺は椅子を立ち、ぺこりと頭をさげて出ようとする。先生は「尚くん」と呼んできて、俺は振り返った。
「身勝手なパートナーなら、力になる。αは傲慢なのが多いから。何かあれば話しを聞く。かならず連絡して」
「あ……ありがとうございます」
俺はやっとの思いで診察室を出た。
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