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第2章 黒領主の旦那様

34 お元気で!

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 ――帰国するまで、残り三日となっていた――

 試練をクリアしたことで魔法の勉強もお母様に合格をいただき、ウィンドラ公国での時間の過ごし方に余裕が出た。

 とりあえず、お世話になったコテージを自分たちの手で磨き、少しずつ荷物を纏めている。

「状況が良い方向に変化しても、お母様と会える時間は変わらないのよね」
『公務に費やす時間はどうにもならないよ~』
『ムー』

 その小さな手で、隙間の掃除を手伝ってくれているココとムムに癒される。
 ユージーンも「公国で頼まれていたことをすっかり忘れていた」と、今はコテージを出ていた。




「クローディア様、いらっしゃいますか?」

 寂しくなっていたところに来客があった。ニナさんの声だ。

「時間があったので、少しずつ帰国の準備をしておりました」
「もしよろしければ、街をご案内しようかと思いまして。いかがでしょうか?」

 一人の時間をもて余していたので、とても素敵な申し出だった。二つ返事でニナさんに「是非」と返事をし、街中に出るのを渋るココとムムに留守を楽しんで私は初めてウィンドラ公国の街に繰り出した。


「ロシスターの皆さんへ、お土産を買いたいと考えていたので助かりました。何かオススメはありますか?」
「そうですね。飛竜関係のアイテムやお酒が特産品です。騎士家系のロシスターの皆様には喜ばれると存じます。見に行ってみましょう」

 あとは別便で、留守を守ってくれている使用人の皆に名産品を手配したら完璧かしら。――あ!?

「お母様は、何が好きかしら? 貴重な時間をいただいて忙しくさせてしまったから、何か御礼がしたいの」

「レイラ様はあまり物欲がありません。女性らしい物も好まれないので、なかなか手強いのです。ですが、断言できます――」

 クイっとニナさんが眼鏡を上げる。ゴクリと喉が鳴ってしまった。身を固め、ニナさんの回答を待つ。

「クローディア様からの贈り物でしたら、全てお喜びになるでしょう」

 緊迫感からのできるメイドスマイル。身体の力が抜けた。その言葉が嬉しくて、なんだかフワフワした気分になる。
 長年近くに居たニナさんがそう言ってくれるのなら、間違いないだろう。

「それなら、お母様に刺繍を施した贈り物をしてみようかしら……」

 今までお祖父様やコンラッドさんの目を気にして、イスティリアを想起させる物はお母様の周囲にはないと予想する。

 先ほど荷物を整理していて、箱を開けなかったハイドコットンの枕カバーがあることに気づいていた。
 枕が変わるとなかなか寝つけず、領特産の長繊維の細糸で織った柔らかい生地が自慢のカバーを持ってきたのだ。

 お母様の指導が激しく、お世話になることなくぐっすり眠りにつけていたから、今回は出番がなかった。

「ハイドコットンの枕カバーに、ハイド家の家門を刺繍をしたら喜んでくれるかしら?」
「それは大層お喜びになるかと存じます」

 幸い、ハイド家の歴史は古い方なので紋章はシンプルだ。手を動かし続ければ、出立まで間に合うはず。

 計画が固まり、手芸用品店を訪れた後はコテージでひたすら作業に没頭した――




 この季節にしては穏やかな日差しが心地よい暖かな午後。暖炉前に椅子を置いて一針一針刺す。ポカポカしてきて、目蓋が重い。

 お母様は公務で忙しく、共に過ごせる時間は少なく感じてしまったりもするが、それでも毎日時間をやり繰りしては会ってくれる。
 いくら鍛えていると言われても、母が無理をし過ぎていないか心配だ。

「夜直を支配す宵時神――我が魔力と命を引き換えに癒しを与えよ――――か……」

 手仕事を続けながら、お母様から教えて貰った禁忌の魔法を呟いていた。
 針を刺し、しばらく会えぬ母に想いを馳せながら――




「――ディア……。風邪をひくよ?」
「……ユージーン。お帰りなさい。作業の途中で眠ってしまったみたい。どうしても、完成の目処を立てたくて」

「起こしてごめん。でも、もう九割完成に見えるよ? 今日は眠った方がいい。万が一またここで眠ったら、今度は有無を言わさず俺の布団に連れていくからね!」
「はいッ! 至急寝仕度します! おやすみなさい、ユージーン」

 慌てて私は片付け湯に入り、部屋に入って布団に潜った。

「ゆっくりおやすみ、クローディア」

 愛しい人に挨拶し、眠りにつけるっていいな。目覚めたらまた、一番最初におはようと言えるんだ。

 私はフカフカの寝具に包まれ、目を閉じた。ウィンドラの枕も悪くない――




 そして、とうとう私とユージーンがイスティリア王国に帰る日がやってきた。

「ココとムムをよろしくね。これからは公直属の飛竜でやり取りしましょう」
「いつか落ち着いたら、お母様もイスティリアに来てくださいますか?」

 母は少しだけ逡巡した後、こう答えた。

「そうね。必ず行くわよ。クライヴのお墓にも行かないとね」
「その時はご案内しますね。ご公務で無理をなさいませんように。お体を大切にしてください」

 ニナさんが眼鏡の奥をハンカチで拭っている。母も私も涙は見せず、笑顔で抱き合った。
 だってまた会えるから。今度からはいつでもたった一日で、ウィンドラ公国の母に会いに来られるんだから。

 飛竜の背に乗った私とユージーンに、母はいつまでも手を振ってくれていた。

「お母様、お元気で!」

 飛竜の加護で風圧は感じないのだが、ユージーンが後ろからしっかりと私を抱きしめてくれた。お母様に会えた喜びと、愛する人に守られている安らぎで、私は多幸感に包まれながらウィンドラ公国をあとにした。

 またこの時も、私は周囲の人たちの想いに気づいていなかったのだ――
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