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第2章 黒領主の旦那様

25 クライヴとレイラ その2

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「おめでとうございます! とても元気な女の子ですよ!」

 常日頃から騎士団で鍛えていた私のお産は軽く済んだらしい。これで軽いなんて信じられないが、ハイド伯爵家のベテラン使用人のお姉様方が口々に言うのだから本当なのだろう。



 クローディアと名付けられたわが娘を、できる限り自分の手で育てた。乳母もつけず、どうしてもクローディアの側を離れる時はニナに頼んで、私は娘のぬくもりを独り占めにしていた。

 私と同じ黒髪黒目。まだハッキリとしないから断言できないけれど、目元は私に似て大きい方かも。スラリと通った鼻筋と口もとは、クライヴに似て形が良い。

「親バカだけれど、将来きっと美人になるわね」
「違いないよ。おれたちの可愛い娘だ」

 満たされた三ヶ月だった。愛する人と愛する人との子と過ごした、私の人生で一番輝いていた時間。幸福の絶頂。私がいなくなっても、クライヴがクローディアを、クローディアがクライヴを支え、助け合い仲睦まじく生きて行けるよう願った。

 それは、私の勝手な望みだったのよね――




 そして……、無情にも時は流れ、別れの時が訪れた……。

「レイラ様。公国より、公直属の飛竜が到着いたしました」
「そんなにせっつかなくても、逃げたりしないわよ」

 おくるみにくるまれた愛しい我が子を、愛した男に託した。ぬくもりが離れ、冷たくなった腕が空を彷徨う。

「クライヴ……。クローディアをお願いします」
「大丈夫だよ。レイラの使命を果たしておいで。私をクローディアの父にしてくれてありがとう」

 ごめんなさい。こんな母でごめんなさい、クローディア。私は貴女を周りにお願いすることしかできないわね。大きくなった貴女に謝ることさえも許されないわね。

「ずっとハイドで、クローディアと一緒に君を待っている」

 いいの? それでもいつか、私の役目を果たした日には、二人に会いに来てもいいかしら?

 ――名のれなくても、罵られてもいいの。いつか訪れるかもしれないその日だけを生きる糧にさせて?

 これ以上考えると泣いてしまう。クライヴとクローディアの別れを泣き顔で終わらせたくない……。

 それから心を塞いだ。私には泣く資格さえないのだから。
 それ以降を思い出そうとしてもよく思い出せなかった……。クライヴの表情も、クローディアが笑っていたのか泣いていたのか眠っていたのかさえも……。



「レイラ様……。グズッ――」
「ニナが泣いても何も解決せん。うるさいから黙れ」
「コンラッド様。貴方様も目が真っ赤ではないですか……」
「レイラ様のこんなお姿を見ていられるか……」

 ニナとコンラッドに支えられ飛竜に乗ってウィンドラまで帰ったらしいが、別れてからの私はもぬけの殻。記憶が曖昧だった。

 公になってからは、ただ国のため我武者羅に身を捧げた。長かったのか短かったのかさえ、感覚が麻痺して感じることはない。

 同じ年頃の子を見れば、これくらい成長しているのかなと思う。でも、いつも夢で見るクローディアは幼いままだった。私の時間は流れながらも、停まってしまったの。



“公として一国の頂にいるレイラ様に、私が立場を忘れ手紙をお送りしたこと、そして、これから友として口出すことをお許しください”

 公国に戻って十六年。初めてオリバーから私の元に手紙が届いた。これまで父とコンラッドが握りつぶしていたのか、オリバーが本当に初めて手紙をしたためてくれたかは分からない。

 ただ、十六年経って手紙が届けられたことに、重要な意味があると思った。

“クライヴが亡くなって四年が過ぎ、やっと君の娘が私の娘になるよ。三男のユージーンを覚えているかい? あいつがクローディアの心を射止め、婚約したんだ”

 昔の友に戻った文面。クライヴの死。クローディアとユージーン君の婚約。入り乱れる感情を大きく息を吸って整え続きを読む。

“でも、クローディアは王国では苦労する闇属性だろう? 差し出がましいのは承知の上で、レイラにお願いする。彼女に魔法を教えてはくれないか? 幸いハイド領は二人で良い経営状態にしているから、公国に行けそうなんだよ”

「ああ……、クローディアが……」


 クローディアがウィンドラに来られるなんて……。会ってはならないと躊躇する気持ちもあった。けれど、名乗らずに会えばクローディアを悲しませることはないと言い訳し、私はただ一人の愛した人との間に生まれた我が子に会う決意を固めた。

 名乗れないのは、私の負った罪の償いのほんの一部。それくらい母親がいなかった我が子の苦しみに比べたらどうってことはない。

 私は加害者なんだから……。


 ***


 遠くを見つめ長嘆し、レイラ様は俺に語り続けた。

「オリバーがきっかけを作ってくれたのよね。大きくなったユージーン君とも会えて嬉しかったわ。貴方がクローディアの婚約者だと知って、とても安心していたのよ」
「父からは昔の話を何も聞いておりませんでした……」

「そうだったのね。――クローディアの話しを聞いて、娘が経験したあまりの現実に堪えきれず涙を流してしまったわ。きっとオリバーは、私とクローディアがどうしていきたいのかを優先するため何も伝えなかったのね。ユージーン君にも言わなかったのは、そんな想いからじゃないかしら」
「そうかもしれません。父は無骨な騎士ですから。でも、クローディアにはデレデレなんですよ?」

 少しだけおどけると、レイラ様の空気が和らいだ気がした。

「こちらに来て――」

 言われたとおり、レイラ様の元に歩み寄る。真っ白な手が俺の手をとる。

「ソフィアは亡くなったのね。クローディアからソフィアの話が出てこないから」
「母はその後、流行り病に罹り亡くなったのです……」

「……。ユージーン君は二人に似て、とても強くて優しい騎士になったわ。あれでもコンラッドはそれなりに強いのよ? ――クローディアを助けてくれてありがとう。好きになってくれてありがとう」

 公としての姿はなく、ただ一人の母親として何度も何度も俺に頭を下げる。とても冷たい手だ。剣だこがあるから鍛練を重ねてきた御方と分かるが、とてもか細く心許ない。今にも消えてしまいそうな儚さだ。
 俺は父よりまだまだガキなんだろう。どうしても口に出してしまった。

「レイラ様はクローディアに名乗るお気持ちはないのですか?」
「今さら名乗ったところで、あの子を悲しませるだけじゃないかしら……。何一つ母親らしいこともできなかった私には、そもそも名乗る資格などないわ……」

「……分かりました」

 レイラ様の気持ちがそれで定まっているのなら、俺がこれ以上立ち入ってはならない。もどかしいが、レイラ様とクローディアが一緒に暮らせるわけではないのだ……。父も分かっていてクローディアをレイラ様に会わせたのだろう。

 何か考えるところがあったのかもしれない。

 悶々とした気持ちはありながらも、俺はクローディアとレイラ様にとって何が一番望ましいのか、時間をかけて思案していこうと思っていた――
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