上 下
7 / 9

7 犬猿の二人 前

しおりを挟む
「おい、お前たち――」

 電気の通わない、なばりの夜が更けるは早い。
 五百枝いおえは青年たちに声を掛けただけなのだが、暗がりの中一色触発でいがみ合っていた若者たちは、必要以上に尖った反応を返してしまう。

「は? なんだよオッサン」

「わっ! オジサン、驚かさないでください」

 ヤンチャに見える志津摩しづまと呼ばれた青年が、苛立ちそのままで五百枝に突っ掛かり、生真面目そうなもう一人の青年織部おりべまで、五百枝をオジサンと称していた。

「……」

『ヤりまするか、五百枝様?』

 美しすぎる五百枝を軽々オッサン扱いできる若さに由良は怯む。それと、主人に心酔している膨れ上がった三毛猫が怖い。

(あなおそろしや)

 だが、当の五百枝は少し口角を上げ、不敵な笑みを浮かべるだけだった。

「――さるもりいぬもりだな? 少しばかり用がある」

『大人の余裕でございまするな。小僧ども、寛大な五百枝様に感謝するがよい』

 主が流したので、生成きなりも追随したようだ。

(そ、そうよね。自分に自信があれば、他人の言葉なんて気にならないよね。それになんだかんだ、五百枝は優しいし)

 由良は色男の余裕を垣間見た。申の守と戌の守にオバサンと呼ばれても流せる力を貰えた気がする。

 しかし――

「? ごちゃごちゃ何言ってんだ? 今、取り込み中だってくらいわかんだろ。後にしてくれよオッサン」

「待てよ志津摩。オジサンはきっと、何か事情があって声を掛けてきたんだ。ですよね、オジサン? 友が失礼しました」

 志津摩の態度もいただけないが、悪意なくオジサンと連呼する織部もなかなか質が悪い。

「ハッ。出た出た、織部のイイコちゃん」

「なんだと!」

 織部が志津摩を諫めたが、それが面白くないと志津摩はケチをつける。
 こうなると、二人の足もとにいた猿と犬の精霊も牙を剥いて、いがみ合いの再開だ。

「自分の旅銀どころか、友への祝いまで盗られる奴に馬鹿にされるいわれはない! あなたの宿代を立て替えたお陰で、私まですっからかんだ!」

「俺は頼んでねぇ。お前が勝手にお節介をしてきたんだろ!」

「お前……」

 いよいよ五百枝のこめかみに青筋が立っていた。

(やばっ。五百枝が限界みたい。ここは私がなんとか治めないと!)

 未だ由良には気づかぬほどヒートアップする犬猿の二人を宥めようと、気合いを入れた彼女が一歩を踏み出す。
 その時、檜皮ひわだの大きな声が辺りに響いた。

『由良、危ない!』

 いきなり由良の足首に張りついた檜皮が、檜皮色した皮のアンクレットに変化する。
 足が軽やかに弾み、反転しながら大きく真横に跳んで華麗な着地を決めていた。

「ヒイッ!」

 その直後、先ほどまで由良が立っていた場所に、禍々しい生き物の鋭い爪が振り下ろされる。
 間一髪で斬撃から逃れていた。初めて目にしたそいつは、動物をごちゃ混ぜにした様な見た目でおぞましく、全身の肌が粟立った。

「グルルルル」

 虚しく空を切った爪を地面に突き立て、不気味な化け物が悔しげに呻く。

「こ、これって妖怪?」

『そうだよ。しかも、けっこう強めだね~』

 由良は腰が抜けそうになっていたが、グラグラしつつも踏ん張っていた。

ぬえだ!」

「どうしてこんな所に?」

「大丈夫か由良!」

 危険に気づいた男たちとその精霊らが、一斉に鵺と由良を取り囲む。

「う、うん。檜皮の力でなんとか無事みたい」

 しかし、なぜか鵺は由良にだけ狙いを定めていた。

「うわっと」

『あれれ。ずいぶん粘着質だね』

 五百枝たちには目もくれず、由良だけを襲い続ける。

「なんであの女だけ狙う? 恨みでも買ったのか? これじゃあ矢を放てねぇ」

「私も間に入って防ぐ隙がない。あの人、何か鵺を怒らせるようなことでもしたのかな?」

 初対面だが由良を助けようと、鵺との間合いをはかる志津摩と織部だが、間髪いれずに由良へ接近してしまうため、なかなか手を出せずにいた。

「身に覚えは全くないのよッと」

 由良は妖怪の攻撃を、檜皮の援護でなんとか切り抜けている。

『由良。僕たち鼠の回避能力を授けているけれど、まだ干支守になったばかりでよく馴染めてないんだ。今は考えるのを止めて、逃げることに集中しよっか』

「うん!」






 何度も何度も執拗に切り裂こうとしてくる爪から逃れるが上半身が追いつかず、由良はちょっぴり無様な格好で踊らされていた。

「チッ」

 五百枝は自分に鵺の注意をひきつけようと試みていたが、鵺の標的は一向に変わらない。

(あいつの身体は現し世にある。ここにあるのは、あくまでもニニギが作った人形ひとがたか)

 鵺と由良が目まぐるしい攻防を繰り広げていたとしても、五百枝は鵺だけに狙いを定め、仕留める腕も自信もあった。
 しかし、万が一にでも由良を傷つけてしまわないかと思うと、生成に命じることができずにいた。

(上物が傷を負って魂が飛び出たら、あいつはどうなる? 今の俺に魂を留める力はない。剥き出しの魂を攻撃されたら一貫の終わりだ)

 鼠の精霊檜皮からは、今ニニギの力を感じない。

(だが、あいつならきっと、鵺だけでなく俺の太刀からも由良を守りきれるはずだ。それでも――)

『五百枝様……』

 自分を手にしようとしない主を、生成が珍しく不安げな瞳で見ている。
 生成の動揺を感じても、五百枝は鵺とその先にいる由良の方へ刃を向けられずにいた。


 そんな中、しだいに由良はどう回避するべきか、檜皮がどう導こうとしてくれているのかが読めるようになり、襲いかかる鵺を上手くかわしていた。

『良い調子だよ。でも、このままじゃ埒が明かないよね。――よし、墨にお願いしてみよっか。和美さんと墨を思い浮かべて。由良を娘のように感じていたから、きっと助けてくれるよ』

「やってみる」

 考えている暇はない。素直に先ほど会ったうしもりとその精霊を思い浮かべる。

 一瞬の隙を見逃さず、とうとう鵺の爪が由良の中心を捉えようとした時、腕にはめていた和美のヘアゴムが黒光りし、由良の身体を包む。

『絶対大丈夫。このままガッツリ受け止めちゃって』

「えっ!?」

 檜皮が回避をしなくなり、とうとう鵺が由良の身体を捉えた。

「キャアアア! あ、あれ?」

 地面に押さえ込まれてしまったが、切り裂かれたり押し潰されずに済んでいた。
 墨の艶やかな毛並みの様に輝く胸当てが、力強く由良を護っているのだ。

 鵺と由良の激しい攻防が止み、入り乱れていた動線が点となる。
 ここぞとばかりに、五百枝が生成に指示を出した。

「生成、来い!」

『畏まりました五百枝様』

 五百枝の手の平にスウッと生成は溶け込み、輝く白がねの太刀となる。
 志津摩と織部の判断も早かった。

「琥珀!」

「山吹!」

 猿の精霊は弓となって申の守の手に収まり、鵺の頭や四肢を狙って志津摩が矢を放つ。盾となった犬の精霊を携えた織部は、由良と鵺の間へと入り追撃を防いでいた。

「これなら思う存分ヤれるな」

 五百枝が低い声で呟いた。織部に阻まれ由良へ近寄れない鵺は、気がふれたように吠えている。

「消えろ」

 迷いない太刀筋で、五百枝が刀を振り抜いた。

「うっわあー」

「えげつねぇ」

「ちょっとオジサン、私が居るのに危ないですって!」

 志津摩の矢に射貫かれ動きが鈍った鵺は、叫ぶ間もなく五百枝に一刀両断にされ、禍々しい空気とともに霧散していた――
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

貴方といると、お茶が不味い

わらびもち
恋愛
貴方の婚約者は私。 なのに貴方は私との逢瀬に別の女性を同伴する。 王太子殿下の婚約者である令嬢を―――。

処理中です...