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26 猫と獣と神官長
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キュイと言えば、シルヴァンティエの北の国境に接する国だ。
先王、つまりイサークの祖父の時代には幾度となく小競り合いを繰り返していたという。
現王の代になってから友好路線に切り替えたと聞いたが……
「キュイは気候の厳しい国。貧しい民の一部が賊となり、以前よりシルヴァンティエに入り込む事があったのだ。特に冬場に数が多くなると聞いている」
「彼らもそうだと……」
言いながら、私は違和感を覚えていた。
超の付く俺様イヴァンや、几帳面で綺麗好きなレオニードに「貧しい」という言葉がどうにも合わない。
それに――
私は、レオニードの長持ちをちらりと見た。
あの中には、以前机の上に広げられていた書類が収められている。
様々な植物について書かれた書類に用いられていた文字はシルヴァンティエと同じもの。彼らが話している言葉もそう。だから、言語を同じくする、ツィメンかリザラスの線が濃いと思っていたのだが……
貧しさ故に盗賊に身を落とすようなツィメンの民が、果たして他国の言語を読み書き出来るものだろうか。
喉の奥に小骨が引っかかったようにすっきりしない。そんな私の横でエイノは、イヴァン達の情報を記した紙を折り始めた。
まさか、本当に紙飛行機を飛ばす気だろうかと、引き気味に眺めるなか、エイノは紙を折り進める。
出来上がったのは一羽の鳥だった。形は折り紙の鶴にとても似ている。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ」
「これ、どうするんです?」
「飛ばすに決まっておろう」
私は無言でエイノの掌の上に納まる鳥を見た。貧弱な翼に、不相応に大きな体、さらにはバランスに欠いた長い首。とてもこれが森の中に潜むという神官の元へ辿り着けるとは思えない。これなら、紙飛行機のほうがまだマシだろう。
「……冗談ですよね?」
エイノは些か呆れたような眼差しで、私と手の中の鶴を見比べた。
「まさか、お前はこれを投げて飛ばすと思っておるのではあるまいな」
そのまさかですが、何か。
「術をかけるのだ。見ておれ」
そう言ってエイノは濁声でぶつぶつと何事かを呟いた。
それは、不思議な光景だった。
エイノの口から滑り出る言葉に応えるように、折り紙が、ぴくりと小刻みに動き出したのだ。そればかりか、白い紙が、羽根の生えた翼に変わり、直線だった首がしなやかな曲線を描く。
ただの折り紙は、あっという間に本物の鳥になった。
白鷺を小さく小さくしたようなそれは、美しくも愛嬌がある。
「本物みたい」
思わず指で突つき、その感触にぎょっとする。手触りは元の紙のままだったのだ。
柔らかな羽は、藁半紙に似たごわごわとした手触りで、体温も感じられなかった。
だが、触れさえしなければ、どこからどう見ても本物だ。
「すごいですね。でも、そうと知らなければ鳥にしか見えないんですが……」
紙で作られた小鳥は、エイノの手の中で翼を羽ばたかせ始めていた。
森の中の神官も本物と見分けがつかないのではないだろうか。
そんな私の杞憂を感じ取ったのか、エイノはふっと笑声を漏らした。
「お前の眼には鳥に見えても、術者としての素質のあるものには、もとの紙のままに映る」
「え? じゃあエイノさんには……」
「紙にしか見えぬな」
その答えを聞いて、私は感心した。
神官と呼ばれる人々のほとんどが不思議な力を持っていることは知っていたが、それを改めて目の当たりにした気がしたのだ。
なによりエイノが使える術が、壁と覗き魔の術だけじゃなかったのが驚きだ。
「連絡を取り合い脱出の機会を待つ。そう遠い先の話にはなるまい。それまでの辛抱だ」
「はい」
私は心強い気持ちで頷いた。
ラハテラ行きの一行には、大礼の際に聖域に赴いた時ほどではないが、そこそこの数の兵士達も同行していた。それに加えてイヴァン達の情報が筒抜けなら、無傷で脱出するのも、そう難しい話ではないように思える。
納得した私の顔を見て、エイノは窓辺に歩み寄った。
何とはなしに後に続く。
エイノの白い指先が掛け金を外し、きぃと微かな音を立てて窓が開いた。
エイノがふっと息を吹きかけると、紙で出来た小鳥はふわりと浮かび上がり……
その瞬間、私は重要なことを思い出した。
「エイノさん、待った!」
今にも飛び立とうとしていた鳥を、渾身の力でもって叩き落す。
小鳥は勢いよく床に墜落した。ぱたぱたと力なく翼を動かす姿が哀れだ。
さっき、紙の感触を確かめておいてよかった。そうでなければ、叩き落とすことに躊躇してしまっていたかもしれない。
「何をする」
エイノがむっとした様子で、小鳥を拾い上げる。私は答える前に、窓を閉め掛け金を留めた。
「その小鳥、神官意外にも術者として素質のある人には、紙に見えたりしますか?」
「当然だ」
「医術師にも」
「無論」
エイノは眉間に皺を刻んだまま頷いた。
「じゃあ、まずいですよ。それを飛ばすのは」
「なに?」
訝しげに眉を寄せるエイノ。
私は右手首を撫でながら言った。
「盗賊の中に術を使える人がいますから」
先王、つまりイサークの祖父の時代には幾度となく小競り合いを繰り返していたという。
現王の代になってから友好路線に切り替えたと聞いたが……
「キュイは気候の厳しい国。貧しい民の一部が賊となり、以前よりシルヴァンティエに入り込む事があったのだ。特に冬場に数が多くなると聞いている」
「彼らもそうだと……」
言いながら、私は違和感を覚えていた。
超の付く俺様イヴァンや、几帳面で綺麗好きなレオニードに「貧しい」という言葉がどうにも合わない。
それに――
私は、レオニードの長持ちをちらりと見た。
あの中には、以前机の上に広げられていた書類が収められている。
様々な植物について書かれた書類に用いられていた文字はシルヴァンティエと同じもの。彼らが話している言葉もそう。だから、言語を同じくする、ツィメンかリザラスの線が濃いと思っていたのだが……
貧しさ故に盗賊に身を落とすようなツィメンの民が、果たして他国の言語を読み書き出来るものだろうか。
喉の奥に小骨が引っかかったようにすっきりしない。そんな私の横でエイノは、イヴァン達の情報を記した紙を折り始めた。
まさか、本当に紙飛行機を飛ばす気だろうかと、引き気味に眺めるなか、エイノは紙を折り進める。
出来上がったのは一羽の鳥だった。形は折り紙の鶴にとても似ている。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ」
「これ、どうするんです?」
「飛ばすに決まっておろう」
私は無言でエイノの掌の上に納まる鳥を見た。貧弱な翼に、不相応に大きな体、さらにはバランスに欠いた長い首。とてもこれが森の中に潜むという神官の元へ辿り着けるとは思えない。これなら、紙飛行機のほうがまだマシだろう。
「……冗談ですよね?」
エイノは些か呆れたような眼差しで、私と手の中の鶴を見比べた。
「まさか、お前はこれを投げて飛ばすと思っておるのではあるまいな」
そのまさかですが、何か。
「術をかけるのだ。見ておれ」
そう言ってエイノは濁声でぶつぶつと何事かを呟いた。
それは、不思議な光景だった。
エイノの口から滑り出る言葉に応えるように、折り紙が、ぴくりと小刻みに動き出したのだ。そればかりか、白い紙が、羽根の生えた翼に変わり、直線だった首がしなやかな曲線を描く。
ただの折り紙は、あっという間に本物の鳥になった。
白鷺を小さく小さくしたようなそれは、美しくも愛嬌がある。
「本物みたい」
思わず指で突つき、その感触にぎょっとする。手触りは元の紙のままだったのだ。
柔らかな羽は、藁半紙に似たごわごわとした手触りで、体温も感じられなかった。
だが、触れさえしなければ、どこからどう見ても本物だ。
「すごいですね。でも、そうと知らなければ鳥にしか見えないんですが……」
紙で作られた小鳥は、エイノの手の中で翼を羽ばたかせ始めていた。
森の中の神官も本物と見分けがつかないのではないだろうか。
そんな私の杞憂を感じ取ったのか、エイノはふっと笑声を漏らした。
「お前の眼には鳥に見えても、術者としての素質のあるものには、もとの紙のままに映る」
「え? じゃあエイノさんには……」
「紙にしか見えぬな」
その答えを聞いて、私は感心した。
神官と呼ばれる人々のほとんどが不思議な力を持っていることは知っていたが、それを改めて目の当たりにした気がしたのだ。
なによりエイノが使える術が、壁と覗き魔の術だけじゃなかったのが驚きだ。
「連絡を取り合い脱出の機会を待つ。そう遠い先の話にはなるまい。それまでの辛抱だ」
「はい」
私は心強い気持ちで頷いた。
ラハテラ行きの一行には、大礼の際に聖域に赴いた時ほどではないが、そこそこの数の兵士達も同行していた。それに加えてイヴァン達の情報が筒抜けなら、無傷で脱出するのも、そう難しい話ではないように思える。
納得した私の顔を見て、エイノは窓辺に歩み寄った。
何とはなしに後に続く。
エイノの白い指先が掛け金を外し、きぃと微かな音を立てて窓が開いた。
エイノがふっと息を吹きかけると、紙で出来た小鳥はふわりと浮かび上がり……
その瞬間、私は重要なことを思い出した。
「エイノさん、待った!」
今にも飛び立とうとしていた鳥を、渾身の力でもって叩き落す。
小鳥は勢いよく床に墜落した。ぱたぱたと力なく翼を動かす姿が哀れだ。
さっき、紙の感触を確かめておいてよかった。そうでなければ、叩き落とすことに躊躇してしまっていたかもしれない。
「何をする」
エイノがむっとした様子で、小鳥を拾い上げる。私は答える前に、窓を閉め掛け金を留めた。
「その小鳥、神官意外にも術者として素質のある人には、紙に見えたりしますか?」
「当然だ」
「医術師にも」
「無論」
エイノは眉間に皺を刻んだまま頷いた。
「じゃあ、まずいですよ。それを飛ばすのは」
「なに?」
訝しげに眉を寄せるエイノ。
私は右手首を撫でながら言った。
「盗賊の中に術を使える人がいますから」
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