賢者の失敗

小声奏

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21 猫と獣

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 私は頑張ったと思う。
 イノブタモドキの腹を裂いて、立ち上る臭気に耐えて内臓を掻き出し、水で浚った。
 でもそこまでだった。皮を剥ごうとしても、さっぱり刃先が進まない。いくらも作業は進まないうちに、握力は限界を迎え、短剣を取り落とす始末だ。もう、皮ごと焼けばいいんじゃないの。
 川原に座り込んで動けなくなった私に代わり、男達は器用に処理を進めていき……イノブタモドキだった茶色い獣は、あっという間に肉屋に並べてあっても違和感が無いブロック肉になった。

「お前の体力の無さはなんとかならねえのか」

 盗賊家業の自分達と比べてもらっては困る。きっと彼らの前世は牛馬だったのだろう。もしくは馬+鹿。

「で、いつまでそうやってるつもりだ。ただでさえ体力がねえってのに、この上風邪までひく気か」

 生暖かい臓腑の感触を消し去ろうと、水に浸けたままの腕を見てイヴァンは眉を顰める。

「もう、終わります」

 川から離れると、途端に体から血の匂いが漂う。川の水に塗れた手で鼻を覆うと、胸のすく青い香りがしたが、一瞬で消える。腕の血は落とせても、服に飛び散った血を、ここの水では洗えない。そんな事をしてはイヴァンの言うとおり一発で風邪をひくだろう。
 早く戻ってお風呂に入ろう。
 笑顔で肉を担ぐ男達と共に彼らの根城に帰ると、レオニードが扉の前で仁王立ちして待ち構えていた。
 木立を分けて出てきた私たちを見つけると、灰色の双眸をぴたりと止める。

「イヴァン」

 ただ一言、名前を呼んだだけなのに、レオニードが怒っていると誰もが理解出来ただろう。

「ちっ」

 イヴァンは頭に手をやり、その白い癖っ毛をかき混ぜた。

「めんどくせえなあ」

 長身を屈めて私の耳元に唇を寄せる。

「トノ、ちょっと走って抱きついて来い」

 そしてレオニードの服を血で汚せと? 神経質なレオニードの事だ。きっと嫌がる。無論、表情には出さずに。 イヴァンはレオニードが服の汚れに気を取られているうちにずらかるつもりなのだろうか。

「どうしてですか」
「いいから、やれ。やれば、女物の服を用意するのは止めてやる」
「……分かりました」

 私はイヴァンを一瞥すると、駆け出した。
 地を蹴って、ジャンプし、幼い子供が父親にするように、その首にかじりつく。

「レオニードさん! イヴァンさんが新鮮な肉が食いたきゃ、自分でさばけって無理矢理……うわあああああん」
「おっまえっ!」

 背後でイヴァンの呆気に取られたような声が聞こえる。
 言われた事はやった。走って、抱きついた。何の文句がある?

「一生懸命やったんですけど、上手く出来なくて……レオニードさんにお借りしている服も汚してしまって。ごめんなさい」

 涙の流れていない顔を見られないよう、胸板に顔を押し付けて、首を振る。
 背中にそっと、大きな掌が添えられた。

「分かりました。トノは悪くありません。さあ、風呂へ入って汚れを落としていらっしゃい。後は私が話をつけておきます」

 レオニードは側をうろちょろとして様子を窺っていたユーリーに私を託すと、イヴァンに向かって歩き始めた。

 結果、今後私は、イノブタモドキをさばかなくて良くなった。
 イヴァンを含む今日のメンバーが狩りから解体まで責任を持ってやってくれるらしい。
 持つべきものは会長型アンドロイド・レオニードだ。

 こうして新鮮な肉が確保され、さらにレオニードが見つけてきた自生している野菜数種が加わって、食糧事情はぐっと改善された。
 ここでの暮らしに体が馴れると、レオニードの起床に合わせて目が覚めるようになり、毎朝のラジオ体操兼、ちょっとした嫌がらせが日課になった。
 今のところ、私の策は順調に進んでいる。
 盗賊達の大半は私を「トノ」と名前で呼ぶ。幹部達数人からは、可愛がられるようになった。
 イヴァンに対しては概ね従順に従い、時々逆らってみせた。気に入られすぎて、手放してくれなくなっては困るし、かといって飽きられて、獣の餌にされても困る。
 ――退屈しのぎにはなるけれど、連れ歩くには面倒。
 私の目指すポジションは調整がとてつもなく難しい。
 加減を間違えて、イヴァンを怒らせれば一巻の終わりだ。イヴァンが私を他の人間から護ってくれるのは、彼がこの猿山のボスだからに他ならないと私は考えていた。ならず者を纏めるには、一にも二にも侮られないことが肝心だろう。舐められたら終わり。あっという間にボスの首は挿げ替えられるに違いない。だから彼は自分の意に背く者に、徹底的な制裁を加える。そんなイヴァンに唯一諫言する事が出来るのがレオニードだ。だが、彼とてイヴァンが一度下した決断には逆らえない。それはロニの一件で明らかだ。
 私の些細な反抗は薄氷を踏むが如き危険な賭けだ。

 そんな、私一人が立つだけでひびが入りそうな薄氷の上に、一人の人間が転がり込んできたのは、ある日の夕刻のことだった。
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