21 / 28
21 猫と獣
しおりを挟む
私は頑張ったと思う。
イノブタモドキの腹を裂いて、立ち上る臭気に耐えて内臓を掻き出し、水で浚った。
でもそこまでだった。皮を剥ごうとしても、さっぱり刃先が進まない。いくらも作業は進まないうちに、握力は限界を迎え、短剣を取り落とす始末だ。もう、皮ごと焼けばいいんじゃないの。
川原に座り込んで動けなくなった私に代わり、男達は器用に処理を進めていき……イノブタモドキだった茶色い獣は、あっという間に肉屋に並べてあっても違和感が無いブロック肉になった。
「お前の体力の無さはなんとかならねえのか」
盗賊家業の自分達と比べてもらっては困る。きっと彼らの前世は牛馬だったのだろう。もしくは馬+鹿。
「で、いつまでそうやってるつもりだ。ただでさえ体力がねえってのに、この上風邪までひく気か」
生暖かい臓腑の感触を消し去ろうと、水に浸けたままの腕を見てイヴァンは眉を顰める。
「もう、終わります」
川から離れると、途端に体から血の匂いが漂う。川の水に塗れた手で鼻を覆うと、胸のすく青い香りがしたが、一瞬で消える。腕の血は落とせても、服に飛び散った血を、ここの水では洗えない。そんな事をしてはイヴァンの言うとおり一発で風邪をひくだろう。
早く戻ってお風呂に入ろう。
笑顔で肉を担ぐ男達と共に彼らの根城に帰ると、レオニードが扉の前で仁王立ちして待ち構えていた。
木立を分けて出てきた私たちを見つけると、灰色の双眸をぴたりと止める。
「イヴァン」
ただ一言、名前を呼んだだけなのに、レオニードが怒っていると誰もが理解出来ただろう。
「ちっ」
イヴァンは頭に手をやり、その白い癖っ毛をかき混ぜた。
「めんどくせえなあ」
長身を屈めて私の耳元に唇を寄せる。
「トノ、ちょっと走って抱きついて来い」
そしてレオニードの服を血で汚せと? 神経質なレオニードの事だ。きっと嫌がる。無論、表情には出さずに。 イヴァンはレオニードが服の汚れに気を取られているうちにずらかるつもりなのだろうか。
「どうしてですか」
「いいから、やれ。やれば、女物の服を用意するのは止めてやる」
「……分かりました」
私はイヴァンを一瞥すると、駆け出した。
地を蹴って、ジャンプし、幼い子供が父親にするように、その首にかじりつく。
「レオニードさん! イヴァンさんが新鮮な肉が食いたきゃ、自分でさばけって無理矢理……うわあああああん」
「おっまえっ!」
背後でイヴァンの呆気に取られたような声が聞こえる。
言われた事はやった。走って、抱きついた。何の文句がある?
「一生懸命やったんですけど、上手く出来なくて……レオニードさんにお借りしている服も汚してしまって。ごめんなさい」
涙の流れていない顔を見られないよう、胸板に顔を押し付けて、首を振る。
背中にそっと、大きな掌が添えられた。
「分かりました。トノは悪くありません。さあ、風呂へ入って汚れを落としていらっしゃい。後は私が話をつけておきます」
レオニードは側をうろちょろとして様子を窺っていたユーリーに私を託すと、イヴァンに向かって歩き始めた。
結果、今後私は、イノブタモドキをさばかなくて良くなった。
イヴァンを含む今日のメンバーが狩りから解体まで責任を持ってやってくれるらしい。
持つべきものは会長型アンドロイド・レオニードだ。
こうして新鮮な肉が確保され、さらにレオニードが見つけてきた自生している野菜数種が加わって、食糧事情はぐっと改善された。
ここでの暮らしに体が馴れると、レオニードの起床に合わせて目が覚めるようになり、毎朝のラジオ体操兼、ちょっとした嫌がらせが日課になった。
今のところ、私の策は順調に進んでいる。
盗賊達の大半は私を「トノ」と名前で呼ぶ。幹部達数人からは、可愛がられるようになった。
イヴァンに対しては概ね従順に従い、時々逆らってみせた。気に入られすぎて、手放してくれなくなっては困るし、かといって飽きられて、獣の餌にされても困る。
――退屈しのぎにはなるけれど、連れ歩くには面倒。
私の目指すポジションは調整がとてつもなく難しい。
加減を間違えて、イヴァンを怒らせれば一巻の終わりだ。イヴァンが私を他の人間から護ってくれるのは、彼がこの猿山のボスだからに他ならないと私は考えていた。ならず者を纏めるには、一にも二にも侮られないことが肝心だろう。舐められたら終わり。あっという間にボスの首は挿げ替えられるに違いない。だから彼は自分の意に背く者に、徹底的な制裁を加える。そんなイヴァンに唯一諫言する事が出来るのがレオニードだ。だが、彼とてイヴァンが一度下した決断には逆らえない。それはロニの一件で明らかだ。
私の些細な反抗は薄氷を踏むが如き危険な賭けだ。
そんな、私一人が立つだけでひびが入りそうな薄氷の上に、一人の人間が転がり込んできたのは、ある日の夕刻のことだった。
イノブタモドキの腹を裂いて、立ち上る臭気に耐えて内臓を掻き出し、水で浚った。
でもそこまでだった。皮を剥ごうとしても、さっぱり刃先が進まない。いくらも作業は進まないうちに、握力は限界を迎え、短剣を取り落とす始末だ。もう、皮ごと焼けばいいんじゃないの。
川原に座り込んで動けなくなった私に代わり、男達は器用に処理を進めていき……イノブタモドキだった茶色い獣は、あっという間に肉屋に並べてあっても違和感が無いブロック肉になった。
「お前の体力の無さはなんとかならねえのか」
盗賊家業の自分達と比べてもらっては困る。きっと彼らの前世は牛馬だったのだろう。もしくは馬+鹿。
「で、いつまでそうやってるつもりだ。ただでさえ体力がねえってのに、この上風邪までひく気か」
生暖かい臓腑の感触を消し去ろうと、水に浸けたままの腕を見てイヴァンは眉を顰める。
「もう、終わります」
川から離れると、途端に体から血の匂いが漂う。川の水に塗れた手で鼻を覆うと、胸のすく青い香りがしたが、一瞬で消える。腕の血は落とせても、服に飛び散った血を、ここの水では洗えない。そんな事をしてはイヴァンの言うとおり一発で風邪をひくだろう。
早く戻ってお風呂に入ろう。
笑顔で肉を担ぐ男達と共に彼らの根城に帰ると、レオニードが扉の前で仁王立ちして待ち構えていた。
木立を分けて出てきた私たちを見つけると、灰色の双眸をぴたりと止める。
「イヴァン」
ただ一言、名前を呼んだだけなのに、レオニードが怒っていると誰もが理解出来ただろう。
「ちっ」
イヴァンは頭に手をやり、その白い癖っ毛をかき混ぜた。
「めんどくせえなあ」
長身を屈めて私の耳元に唇を寄せる。
「トノ、ちょっと走って抱きついて来い」
そしてレオニードの服を血で汚せと? 神経質なレオニードの事だ。きっと嫌がる。無論、表情には出さずに。 イヴァンはレオニードが服の汚れに気を取られているうちにずらかるつもりなのだろうか。
「どうしてですか」
「いいから、やれ。やれば、女物の服を用意するのは止めてやる」
「……分かりました」
私はイヴァンを一瞥すると、駆け出した。
地を蹴って、ジャンプし、幼い子供が父親にするように、その首にかじりつく。
「レオニードさん! イヴァンさんが新鮮な肉が食いたきゃ、自分でさばけって無理矢理……うわあああああん」
「おっまえっ!」
背後でイヴァンの呆気に取られたような声が聞こえる。
言われた事はやった。走って、抱きついた。何の文句がある?
「一生懸命やったんですけど、上手く出来なくて……レオニードさんにお借りしている服も汚してしまって。ごめんなさい」
涙の流れていない顔を見られないよう、胸板に顔を押し付けて、首を振る。
背中にそっと、大きな掌が添えられた。
「分かりました。トノは悪くありません。さあ、風呂へ入って汚れを落としていらっしゃい。後は私が話をつけておきます」
レオニードは側をうろちょろとして様子を窺っていたユーリーに私を託すと、イヴァンに向かって歩き始めた。
結果、今後私は、イノブタモドキをさばかなくて良くなった。
イヴァンを含む今日のメンバーが狩りから解体まで責任を持ってやってくれるらしい。
持つべきものは会長型アンドロイド・レオニードだ。
こうして新鮮な肉が確保され、さらにレオニードが見つけてきた自生している野菜数種が加わって、食糧事情はぐっと改善された。
ここでの暮らしに体が馴れると、レオニードの起床に合わせて目が覚めるようになり、毎朝のラジオ体操兼、ちょっとした嫌がらせが日課になった。
今のところ、私の策は順調に進んでいる。
盗賊達の大半は私を「トノ」と名前で呼ぶ。幹部達数人からは、可愛がられるようになった。
イヴァンに対しては概ね従順に従い、時々逆らってみせた。気に入られすぎて、手放してくれなくなっては困るし、かといって飽きられて、獣の餌にされても困る。
――退屈しのぎにはなるけれど、連れ歩くには面倒。
私の目指すポジションは調整がとてつもなく難しい。
加減を間違えて、イヴァンを怒らせれば一巻の終わりだ。イヴァンが私を他の人間から護ってくれるのは、彼がこの猿山のボスだからに他ならないと私は考えていた。ならず者を纏めるには、一にも二にも侮られないことが肝心だろう。舐められたら終わり。あっという間にボスの首は挿げ替えられるに違いない。だから彼は自分の意に背く者に、徹底的な制裁を加える。そんなイヴァンに唯一諫言する事が出来るのがレオニードだ。だが、彼とてイヴァンが一度下した決断には逆らえない。それはロニの一件で明らかだ。
私の些細な反抗は薄氷を踏むが如き危険な賭けだ。
そんな、私一人が立つだけでひびが入りそうな薄氷の上に、一人の人間が転がり込んできたのは、ある日の夕刻のことだった。
0
お気に入りに追加
74
あなたにおすすめの小説
新たな婚約者は釣った魚に餌を与え過ぎて窒息死させてくるタイプでした
蓮
恋愛
猛吹雪による災害により、領地が大打撃を受けたせいで傾いているローゼン伯爵家。その長女であるヘレーナは、ローゼン伯爵家及び領地の復興を援助してもらう為に新興貴族であるヴェーデル子爵家のスヴァンテと婚約していた。しかし、スヴァンテはヘレーナを邪険に扱い、彼女の前で堂々と浮気をしている。ローゼン伯爵家は援助してもらう立場なので強く出ることが出来ないのだ。
そんなある日、ヴェーデル子爵家が破産して爵位を返上しなければならない事態が発生した。当然ヘレーナとスヴァンテの婚約も白紙になる。ヘレーナは傾いたローゼン伯爵家がどうなるのか不安になった。しかしヘレーナに新たな縁談が舞い込む。相手は国一番の資産家と言われるアーレンシュトルプ侯爵家の長男のエリオット。彼はヴェーデル子爵家よりも遥かに良い条件を提示し、ヘレーナとの婚約を望んでいるのだ。
ヘレーナはまず、エリオットに会ってみることにした。
エリオットは以前夜会でヘレーナに一目惚れをしていたのである。
エリオットを信じ、婚約したヘレーナ。それ以降、エリオットから溺愛される日が始まるのだが、その溺愛は過剰であった。
果たしてヘレーナはエリオットからの重い溺愛を受け止めることが出来るのか?
小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。
【完結】夫の愛人達は幼妻からの寵愛を欲する
ユユ
恋愛
隣国の戦争に巻き込まれて従属国扱いになり、政略結婚を強いられた。
夫となる戦勝国の将軍は、妻を持たず夜伽の女を囲う男だった。
嫁いでみると 何故か愛人達は私の寵愛を欲しがるようになる。
* 作り話です
* R18は多少有り
* 掲載は 火・木・日曜日
愛されない花嫁は初夜を一人で過ごす
リオール
恋愛
「俺はお前を妻と思わないし愛する事もない」
夫となったバジルはそう言って部屋を出て行った。妻となったアルビナは、初夜を一人で過ごすこととなる。
後に夫から聞かされた衝撃の事実。
アルビナは夫への復讐に、静かに心を燃やすのだった。
※シリアスです。
※ざまあが行き過ぎ・過剰だといったご意見を頂戴しております。年齢制限は設定しておりませんが、お読みになる場合は自己責任でお願い致します。
美醜逆転の異世界で騎士様たちに愛される
彩
恋愛
いつの間にか異世界に転移してしまった沙紀は森で彷徨っていたところを三人の騎士に助けられ、その騎士団と生活を共にすることとなる。
後半からR18シーンあります。予告はなしです。
公開中の話の誤字脱字修正、多少の改変行っております。ご了承ください。
【完結】王子妃になりたくないと願ったら純潔を散らされました
ユユ
恋愛
毎夜天使が私を犯す。
それは王家から婚約の打診があったときから
始まった。
体の弱い父を領地で支えながら暮らす母。
2人は私の異変に気付くこともない。
こんなこと誰にも言えない。
彼の支配から逃れなくてはならないのに
侯爵家のキングは私を放さない。
* 作り話です
【完結】偽物聖女として追放される予定ですが、続編の知識を活かして仕返しします
ユユ
ファンタジー
聖女と認定され 王子妃になったのに
11年後、もう一人 聖女認定された。
王子は同じ聖女なら美人がいいと
元の聖女を偽物として追放した。
後に二人に天罰が降る。
これが この体に入る前の世界で読んだ
Web小説の本編。
だけど、読者からの激しいクレームに遭い
救済続編が書かれた。
その激しいクレームを入れた
読者の一人が私だった。
異世界の追放予定の聖女の中に
入り込んだ私は小説の知識を
活用して対策をした。
大人しく追放なんてさせない!
* 作り話です。
* 長くはしないつもりなのでサクサクいきます。
* 短編にしましたが、うっかり長くなったらごめんなさい。
* 掲載は3日に一度。
【完結】平凡な容姿の召喚聖女はそろそろ貴方達を捨てさせてもらいます
ユユ
ファンタジー
“美少女だね”
“可愛いね”
“天使みたい”
知ってる。そう言われ続けてきたから。
だけど…
“なんだコレは。
こんなモノを私は妻にしなければならないのか”
召喚(誘拐)された世界では平凡だった。
私は言われた言葉を忘れたりはしない。
* さらっとファンタジー系程度
* 完結保証付き
* 暇つぶしにどうぞ
六股聖女の七度目の召喚 〜正体を隠して日本に戻るまでの一年間を逃げ切りたい聖女ヤマダと六人の王の攻防記〜
小声奏
恋愛
静まり返った円卓を囲むのは錚々たる顔ぶれだった。
武王アレクシス・アルバーン
耕王カミーユ・カルノー
歌王サルヴァトーレ・サルヴォ
商王ダニエル・ダールクヴィスト
幻王ナルヒ
賢王パーヴェル・バタノフ
六大陸の代表者による世界初の講和会議が開かれようとしていた。
会議を取りまとめ採決を下すのは異世界から召喚された聖女ヤマダこと私。
いろいろと問題はあるけれど、1番の大問題は彼ら全員が私の元カレだという点である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる