13 / 28
13 囚われる
しおりを挟む
「トノ、怪我はないか」
イヴァンがべっとりと血糊のついた短剣を投げ捨て、ベッドへと近寄る。
男達は時折うめき声が発しながらのたうちまわっていた。男達に息があるのにほっとする。しかし、彼らは盗賊だ。己の力だけが頼りだろう。イヴァンがこの先、男達をどうするのか知らないが、一息に殺されるより余程酷なことなのかもしれない。
「よく頑張ったじゃねえか。窓辺まで逃げたのだろう? レオニードがお前の部屋から灯りが漏れたのを見つけてな……おい、トノ?」
汚れた手をシーツで拭い、イヴァンは反応のない私に腕を伸ばした。
頬をなぞられても動かない私を見て、ちらりと背後に視線をやり、ちっと舌打ちをする。
今更ながら、血にまみれた男達を隠そうと思ったのか、大きく腕を広げて私を胸の中に覆いこもうとした。
気付いた時には、無防備に曝け出されたその腹を、渾身の力を込めて殴りつけていた。
まさか殴られるとは思っていなかったのだろう。イヴァンは「おあっ?」と素っ頓狂な声を出して僅かに後ずさる。
鳩が豆鉄砲を食ったような顔でイヴァンは私を見ていた。
「なーにが、『お前と居るより安全だろうよ』――――だ! こんのくそたわけ! 約束も守れない半端ものが、よくも偉そうに格好がつけられたものですね。こんなことなら、あのお子様の相手をしていた方が百倍ましでしたよ」
多分、この時の私は恐怖と怒りの余り頭の螺子が外れていたのだと思う。
でなければ貞操の恩人、かつ私の命綱を握るこの男に、考えもなしにこんな発言はしなかった。
「契約不履行で帰らせていただきます!」
ベッドの上で正座して、三つ指ついてそう言い放った私を、イヴァンは唖然とした顔で見ていた。
しんとした沈黙が部屋を支配していた。いや、違った、男達のうめき声は絶えず聞こえていた。
殴った方の手首がずきずきと痛みを訴え始めた頃になって、私の脳はようやく回転を始めた。
しまった――――
顔から血の気が引いていく。どう言いつくろって男の機嫌を取ろうか。
「や、あのー。すみません。ちょっと、動転していたみたいで。助けていただいてありがとうございます。イヴァンさん達のおかげで命拾いしました。草葉の陰から父母も感謝している事と思います」
恐る恐る、三つ指をついたその姿勢のまま頭を下げる。と、イヴァンがくしゃりと顔を歪ませた。
「お前なあ、さっきの今でその殊勝な態度は無理があるだろうよ」
イヴァンの笑い声が部屋の中に響き渡る。
「そんだけ噛みつく気力がありゃ、問題ねえな」と、ひいひいと腹を抱えて爆笑するイヴァンの横を、呆れた顔で彼を眺めながらレオニードが通り過ぎる。
返り血一つ浴びていないレオニードの手に、肩を支えられたかと思うと、あっという間に抱き上げられていた。
「今はまだ気が張っているだけでしょう。後の始末をお願いしますよ」
三つ編みの男に声をかける。騒ぎの最中も微笑を崩さぬ男が頷いたのを見て、レオニードは部屋を出た。
レオニードの部屋にでも向かうのかと思ったが違った。
渡り廊下から外に出たレオニードは林の中へと進み、館が見えなくなるところまで来ると、私を抱えたまま、切り株へと腰を降ろす。
月の光も疎らにしか届かぬ暗闇の中で、レオニードは静かに語りかけた。
「怒りは恐怖を押さえ込めるのに有効です。しかし感情のままに涙を流すこともまた必要なことであると私は考えます。貴方はまだ成長途中の重要な時期にある。体だけでなく心もです。今回の出来事が貴方の今後の成長を阻害しては、私もイヴァンも貴方に顔向けが出来ません」
だからお泣きなさい。
そう諭すレオニードの顔が、暗がりのせいでよく見えなくて良かったと思った。
とっくにそんな重要な時期は過ぎているのですが……
どうするよ。どうするよ?
相手が盗賊だとしても、元はといえばこいつらのせいなんだとしても、こうまで言われてしまうと後ろめたいという気持ちがむくむくと湧いてくる。
「あの、私は大丈夫です。それはすごく怖かったし、驚きましたけど……無事なうちに助けていただきましたし……」
レオニードは何も言わなかった。
ただゆっくり背中を擦り出した彼を見て、ああ、泣くまでは解放してもらえないのだと悟った私は、レオニードの胸に顔を伏せて、声を上げた。
最初は演技であったのに、不思議なもので段々と本当に涙が出てくる。
後少しで半年が過ぎるというのに、なんだって、こんな知らぬ土地で理不尽な目に合わないといけないのか。
ああ、くそう。さっさと日本へ帰してくれ。
子供のようにわんわんと声を上げて泣くうちに、疲れがどっとあふれ出してきた。
レオニードの言うように確かに気が張っていたのかもしれない。
重い瞼と格闘する私の様子に気付いたのか、レオニードは私を抱いて立ち上がった。
「戻りましょう。今晩は私の部屋で休んでください」
レオニードのこの気遣いは掛け値なしに有難かった。
レオニードが側にいれば、安心して眠れるだろう。
部屋に着くと、新しい服を用意される。律儀にもレオニードが席を外してくれている間に、綺麗な服に袖を通すと、本格的に睡魔が襲い掛かってきた。とにかく疲れていた。
レオニードに声をかけて、ベッドに潜り込む。
レオニードは掛布を引き上げ、私の肩を覆うと、額に手を当てた。
「ゆっくりと、おやすみなさい」
机に浅く腰掛け、紙の束を手に取る。その姿が、金茶の髪の神官長を思い起こさせた。
イヴァンがべっとりと血糊のついた短剣を投げ捨て、ベッドへと近寄る。
男達は時折うめき声が発しながらのたうちまわっていた。男達に息があるのにほっとする。しかし、彼らは盗賊だ。己の力だけが頼りだろう。イヴァンがこの先、男達をどうするのか知らないが、一息に殺されるより余程酷なことなのかもしれない。
「よく頑張ったじゃねえか。窓辺まで逃げたのだろう? レオニードがお前の部屋から灯りが漏れたのを見つけてな……おい、トノ?」
汚れた手をシーツで拭い、イヴァンは反応のない私に腕を伸ばした。
頬をなぞられても動かない私を見て、ちらりと背後に視線をやり、ちっと舌打ちをする。
今更ながら、血にまみれた男達を隠そうと思ったのか、大きく腕を広げて私を胸の中に覆いこもうとした。
気付いた時には、無防備に曝け出されたその腹を、渾身の力を込めて殴りつけていた。
まさか殴られるとは思っていなかったのだろう。イヴァンは「おあっ?」と素っ頓狂な声を出して僅かに後ずさる。
鳩が豆鉄砲を食ったような顔でイヴァンは私を見ていた。
「なーにが、『お前と居るより安全だろうよ』――――だ! こんのくそたわけ! 約束も守れない半端ものが、よくも偉そうに格好がつけられたものですね。こんなことなら、あのお子様の相手をしていた方が百倍ましでしたよ」
多分、この時の私は恐怖と怒りの余り頭の螺子が外れていたのだと思う。
でなければ貞操の恩人、かつ私の命綱を握るこの男に、考えもなしにこんな発言はしなかった。
「契約不履行で帰らせていただきます!」
ベッドの上で正座して、三つ指ついてそう言い放った私を、イヴァンは唖然とした顔で見ていた。
しんとした沈黙が部屋を支配していた。いや、違った、男達のうめき声は絶えず聞こえていた。
殴った方の手首がずきずきと痛みを訴え始めた頃になって、私の脳はようやく回転を始めた。
しまった――――
顔から血の気が引いていく。どう言いつくろって男の機嫌を取ろうか。
「や、あのー。すみません。ちょっと、動転していたみたいで。助けていただいてありがとうございます。イヴァンさん達のおかげで命拾いしました。草葉の陰から父母も感謝している事と思います」
恐る恐る、三つ指をついたその姿勢のまま頭を下げる。と、イヴァンがくしゃりと顔を歪ませた。
「お前なあ、さっきの今でその殊勝な態度は無理があるだろうよ」
イヴァンの笑い声が部屋の中に響き渡る。
「そんだけ噛みつく気力がありゃ、問題ねえな」と、ひいひいと腹を抱えて爆笑するイヴァンの横を、呆れた顔で彼を眺めながらレオニードが通り過ぎる。
返り血一つ浴びていないレオニードの手に、肩を支えられたかと思うと、あっという間に抱き上げられていた。
「今はまだ気が張っているだけでしょう。後の始末をお願いしますよ」
三つ編みの男に声をかける。騒ぎの最中も微笑を崩さぬ男が頷いたのを見て、レオニードは部屋を出た。
レオニードの部屋にでも向かうのかと思ったが違った。
渡り廊下から外に出たレオニードは林の中へと進み、館が見えなくなるところまで来ると、私を抱えたまま、切り株へと腰を降ろす。
月の光も疎らにしか届かぬ暗闇の中で、レオニードは静かに語りかけた。
「怒りは恐怖を押さえ込めるのに有効です。しかし感情のままに涙を流すこともまた必要なことであると私は考えます。貴方はまだ成長途中の重要な時期にある。体だけでなく心もです。今回の出来事が貴方の今後の成長を阻害しては、私もイヴァンも貴方に顔向けが出来ません」
だからお泣きなさい。
そう諭すレオニードの顔が、暗がりのせいでよく見えなくて良かったと思った。
とっくにそんな重要な時期は過ぎているのですが……
どうするよ。どうするよ?
相手が盗賊だとしても、元はといえばこいつらのせいなんだとしても、こうまで言われてしまうと後ろめたいという気持ちがむくむくと湧いてくる。
「あの、私は大丈夫です。それはすごく怖かったし、驚きましたけど……無事なうちに助けていただきましたし……」
レオニードは何も言わなかった。
ただゆっくり背中を擦り出した彼を見て、ああ、泣くまでは解放してもらえないのだと悟った私は、レオニードの胸に顔を伏せて、声を上げた。
最初は演技であったのに、不思議なもので段々と本当に涙が出てくる。
後少しで半年が過ぎるというのに、なんだって、こんな知らぬ土地で理不尽な目に合わないといけないのか。
ああ、くそう。さっさと日本へ帰してくれ。
子供のようにわんわんと声を上げて泣くうちに、疲れがどっとあふれ出してきた。
レオニードの言うように確かに気が張っていたのかもしれない。
重い瞼と格闘する私の様子に気付いたのか、レオニードは私を抱いて立ち上がった。
「戻りましょう。今晩は私の部屋で休んでください」
レオニードのこの気遣いは掛け値なしに有難かった。
レオニードが側にいれば、安心して眠れるだろう。
部屋に着くと、新しい服を用意される。律儀にもレオニードが席を外してくれている間に、綺麗な服に袖を通すと、本格的に睡魔が襲い掛かってきた。とにかく疲れていた。
レオニードに声をかけて、ベッドに潜り込む。
レオニードは掛布を引き上げ、私の肩を覆うと、額に手を当てた。
「ゆっくりと、おやすみなさい」
机に浅く腰掛け、紙の束を手に取る。その姿が、金茶の髪の神官長を思い起こさせた。
10
お気に入りに追加
75
あなたにおすすめの小説
異世界の美醜と私の認識について
佐藤 ちな
恋愛
ある日気づくと、美玲は異世界に落ちた。
そこまでならラノベなら良くある話だが、更にその世界は女性が少ない上に、美醜感覚が美玲とは激しく異なるという不思議な世界だった。
そんな世界で稀人として特別扱いされる醜女(この世界では超美人)の美玲と、咎人として忌み嫌われる醜男(美玲がいた世界では超美青年)のルークが出会う。
不遇の扱いを受けるルークを、幸せにしてあげたい!そして出来ることなら、私も幸せに!
美醜逆転・一妻多夫の異世界で、美玲の迷走が始まる。
* 話の展開に伴い、あらすじを変更させて頂きました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
逃げて、追われて、捕まって
あみにあ
恋愛
平民に生まれた私には、なぜか生まれる前の記憶があった。
この世界で王妃として生きてきた記憶。
過去の私は貴族社会の頂点に立ち、さながら悪役令嬢のような存在だった。
人を蹴落とし、気に食わない女を断罪し、今思えばひどい令嬢だったと思うわ。
だから今度は平民としての幸せをつかみたい、そう願っていたはずなのに、一体全体どうしてこんな事になってしまたのかしら……。
2020年1月5日より 番外編:続編随時アップ
2020年1月28日より 続編となります第二章スタートです。
**********お知らせ***********
2020年 1月末 レジーナブックス 様より書籍化します。
それに伴い短編で掲載している以外の話をレンタルと致します。
ご理解ご了承の程、宜しくお願い致します。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
【本編完結】異世界再建に召喚されたはずなのにいつのまにか溺愛ルートに入りそうです⁉︎
sutera
恋愛
仕事に疲れたボロボロアラサーOLの悠里。
遠くへ行きたい…ふと、現実逃避を口にしてみたら
自分の世界を建て直す人間を探していたという女神に
スカウトされて異世界召喚に応じる。
その結果、なぜか10歳の少女姿にされた上に
第二王子や護衛騎士、魔導士団長など周囲の人達に
かまい倒されながら癒し子任務をする話。
時々ほんのり色っぽい要素が入るのを目指してます。
初投稿、ゆるふわファンタジー設定で気のむくまま更新。
2023年8月、本編完結しました!以降はゆるゆると番外編を更新していきますのでよろしくお願いします。
異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?
すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。
一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。
「俺とデートしない?」
「僕と一緒にいようよ。」
「俺だけがお前を守れる。」
(なんでそんなことを私にばっかり言うの!?)
そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。
「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」
「・・・・へ!?」
『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。
※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。
ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
女性の少ない異世界に生まれ変わったら
Azuki
恋愛
高校に登校している途中、道路に飛び出した子供を助ける形でトラックに轢かれてそのまま意識を失った私。
目を覚ますと、私はベッドに寝ていて、目の前にも周りにもイケメン、イケメン、イケメンだらけーーー!?
なんと私は幼女に生まれ変わっており、しかもお嬢様だった!!
ーーやった〜!勝ち組人生来た〜〜〜!!!
そう、心の中で思いっきり歓喜していた私だけど、この世界はとんでもない世界で・・・!?
これは、女性が圧倒的に少ない異世界に転生した私が、家族や周りから溺愛されながら様々な問題を解決して、更に溺愛されていく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる