賢者の失敗

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13 囚われる

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「トノ、怪我はないか」

 イヴァンがべっとりと血糊のついた短剣を投げ捨て、ベッドへと近寄る。
 男達は時折うめき声が発しながらのたうちまわっていた。男達に息があるのにほっとする。しかし、彼らは盗賊だ。己の力だけが頼りだろう。イヴァンがこの先、男達をどうするのか知らないが、一息に殺されるより余程酷なことなのかもしれない。

「よく頑張ったじゃねえか。窓辺まで逃げたのだろう? レオニードがお前の部屋から灯りが漏れたのを見つけてな……おい、トノ?」

 汚れた手をシーツで拭い、イヴァンは反応のない私に腕を伸ばした。
 頬をなぞられても動かない私を見て、ちらりと背後に視線をやり、ちっと舌打ちをする。
 今更ながら、血にまみれた男達を隠そうと思ったのか、大きく腕を広げて私を胸の中に覆いこもうとした。
 気付いた時には、無防備に曝け出されたその腹を、渾身の力を込めて殴りつけていた。
 まさか殴られるとは思っていなかったのだろう。イヴァンは「おあっ?」と素っ頓狂な声を出して僅かに後ずさる。
 鳩が豆鉄砲を食ったような顔でイヴァンは私を見ていた。

「なーにが、『お前と居るより安全だろうよ』――――だ! こんのくそたわけ! 約束も守れない半端ものが、よくも偉そうに格好がつけられたものですね。こんなことなら、あのお子様の相手をしていた方が百倍ましでしたよ」

 多分、この時の私は恐怖と怒りの余り頭の螺子が外れていたのだと思う。
 でなければ貞操の恩人、かつ私の命綱を握るこの男に、考えもなしにこんな発言はしなかった。

「契約不履行で帰らせていただきます!」

 ベッドの上で正座して、三つ指ついてそう言い放った私を、イヴァンは唖然とした顔で見ていた。
 しんとした沈黙が部屋を支配していた。いや、違った、男達のうめき声は絶えず聞こえていた。
 殴った方の手首がずきずきと痛みを訴え始めた頃になって、私の脳はようやく回転を始めた。
 しまった――――
 顔から血の気が引いていく。どう言いつくろって男の機嫌を取ろうか。

「や、あのー。すみません。ちょっと、動転していたみたいで。助けていただいてありがとうございます。イヴァンさん達のおかげで命拾いしました。草葉の陰から父母も感謝している事と思います」

 恐る恐る、三つ指をついたその姿勢のまま頭を下げる。と、イヴァンがくしゃりと顔を歪ませた。

「お前なあ、さっきの今でその殊勝な態度は無理があるだろうよ」

 イヴァンの笑い声が部屋の中に響き渡る。
 「そんだけ噛みつく気力がありゃ、問題ねえな」と、ひいひいと腹を抱えて爆笑するイヴァンの横を、呆れた顔で彼を眺めながらレオニードが通り過ぎる。
 返り血一つ浴びていないレオニードの手に、肩を支えられたかと思うと、あっという間に抱き上げられていた。

「今はまだ気が張っているだけでしょう。後の始末をお願いしますよ」

 三つ編みの男に声をかける。騒ぎの最中も微笑を崩さぬ男が頷いたのを見て、レオニードは部屋を出た。
 レオニードの部屋にでも向かうのかと思ったが違った。
 渡り廊下から外に出たレオニードは林の中へと進み、館が見えなくなるところまで来ると、私を抱えたまま、切り株へと腰を降ろす。
 月の光も疎らにしか届かぬ暗闇の中で、レオニードは静かに語りかけた。

「怒りは恐怖を押さえ込めるのに有効です。しかし感情のままに涙を流すこともまた必要なことであると私は考えます。貴方はまだ成長途中の重要な時期にある。体だけでなく心もです。今回の出来事が貴方の今後の成長を阻害しては、私もイヴァンも貴方に顔向けが出来ません」

 だからお泣きなさい。
 そう諭すレオニードの顔が、暗がりのせいでよく見えなくて良かったと思った。
 とっくにそんな重要な時期は過ぎているのですが……
 どうするよ。どうするよ?
 相手が盗賊だとしても、元はといえばこいつらのせいなんだとしても、こうまで言われてしまうと後ろめたいという気持ちがむくむくと湧いてくる。

「あの、私は大丈夫です。それはすごく怖かったし、驚きましたけど……無事なうちに助けていただきましたし……」

 レオニードは何も言わなかった。
 ただゆっくり背中を擦り出した彼を見て、ああ、泣くまでは解放してもらえないのだと悟った私は、レオニードの胸に顔を伏せて、声を上げた。
 最初は演技であったのに、不思議なもので段々と本当に涙が出てくる。
 後少しで半年が過ぎるというのに、なんだって、こんな知らぬ土地で理不尽な目に合わないといけないのか。
 ああ、くそう。さっさと日本へ帰してくれ。
 子供のようにわんわんと声を上げて泣くうちに、疲れがどっとあふれ出してきた。
 レオニードの言うように確かに気が張っていたのかもしれない。
 重い瞼と格闘する私の様子に気付いたのか、レオニードは私を抱いて立ち上がった。

「戻りましょう。今晩は私の部屋で休んでください」

 レオニードのこの気遣いは掛け値なしに有難かった。
 レオニードが側にいれば、安心して眠れるだろう。
 部屋に着くと、新しい服を用意される。律儀にもレオニードが席を外してくれている間に、綺麗な服に袖を通すと、本格的に睡魔が襲い掛かってきた。とにかく疲れていた。
 レオニードに声をかけて、ベッドに潜り込む。
 レオニードは掛布を引き上げ、私の肩を覆うと、額に手を当てた。

「ゆっくりと、おやすみなさい」

 机に浅く腰掛け、紙の束を手に取る。その姿が、金茶の髪の神官長を思い起こさせた。
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