賢者の失敗

小声奏

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06 ハカラへの旅路

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 これであなたも納得でしょう。さあ行きましょうと言わんばかりに、林の中へと誘おうとするロニに、私はしつこく抵抗した。

「待って下さい。あなたの話を鵜呑みに出来るに足る信頼関係にないとは思いませんか?」

 証拠を出せ。証拠を。
 ロニは呆れたように溜息をついた。

「全く、頑固な上に疑い深いと来ている。叔父貴が手を焼くはずだ」

 叔父?
 誰の事だろう? とロニの顔を凝視する私に、彼は薄く笑った。

「ユハ・サリオラですよ。ご存知でしょう? 俺はあいつの甥なんですよ」

 あー、はいはい。そっちは証拠がなくても信じられますよ。目の色といい髪色といい、何より気障ったらしいその態度が、血の繋がりを充分に感じさせるもんな。でも、

「申し訳ありませんが、ユハさんの甥御さんだからといって、無条件に信じられるわけではありません」

 むしろ余計に信用ならなくなりました。
 気分を害するかと思いきや、ロニは目を見開いた後、ははっと声を出して笑った。

「いや、なるほど。叔父貴が執心するわけだ」

 では、これでどうです。そう言ってロニは懐から白い封書を取り出し目の前でちらつかせて見せた。
 ひらひらと振られる封蝋の印璽がイサークのものであることを、目で追って確認すると、私はロニに笑顔で手を差し出した。

「ありがとうございます。受け取らせていただきます」
「ここで渡すと思いますか?」

 渡せよ。
 封書で口元を覆ったロニの目は、何とも不穏な光を宿して笑みの形に曲げられていた。

「神官長殿に気取られぬようにと重々仰せ付かっております。さあ参りましょう」

 穏やかでない言葉に呆気に取られる私に向かって、恭しく腰を折ると、今度こそロニは腰を浚い、林の奥へと足を踏み出した。
 ただでさえ日は殆ど落ち、薄暗い時間であったのに、林の中は足元を見るのがやっとの光しか届かない。背後を振り返ってみても、とうに野営地は見えないような奥にまで来て、やっとロニは歩を止めた。

「どうぞ」

 さっきとは打って変わって、繊細なガラス細工を扱うような手つきで、再び封書取り出すと、私の掌の上にのせる。
 わざわざエイノに見つからぬように、ユハの甥であるロニに頼んでまで届けたかった封書……
 焦燥感に似た胸騒ぎに押されて、私は乱雑に封を開け、書面に目を走らせた。
 イサークらしい堂々とした迷いのない文字が掠れのない黒々とした墨で綴られている。

 サカキ・ケイコ 
 上に記した者の神官見習いの任を解く

 ぶるぶると書状を持つ手が震えた。

「ロニさん?」
「はい」
「これは、いつ私に渡すようにと言われたものですか?」

 不自然な程平坦な声で尋ねる私に、ロニは悪びれもせずに答える。

「神官長殿が、不穏な動きを見せた時に渡すようにと――――」

 つまり! それって、エイノが私をこの旅に連れ出す素振りを見せた時に渡せと、そういう事ですよね!?

「私の考え違いでなければ、4日ほど渡すのが遅くはないですか?」

 じろりと睨みつけると、ロニはにやりと不敵な笑みを浮かべた。

「おや、そうですか? 俺はラハテラの麓にある神殿に辿り着く前に渡せば良いと心得ておりましたが。神官長殿も、まさか移動中の天幕で手はお出しになるまいと思いまして」

 違うだろ。違うだろおおおおお。
 私にエイノに着いて行く気がないならば、ハカラに連れ出される前にこれを出してキノスに留まれって事でしょうが!
 これさえあれば、私は堂々とキノスに残れた。
 いくら神官の長たる立場に在る実力者のエイノでも、イサークの勅命には逆らえない。
 それをこうやってのこのこ着いてきたって事は、つまりは私はエイノを選んだと思われているわけで……
 私は大きく溜息を吐いた。
 おかしいと思っていたのだ。エイノのハカラ行きの日程はイサークも勿論知っていただろう。なのに、その事に対して、注意を促すでも、探りを入れるでもなく、彼は演習に参加した。
 直前まで私がハカラ行きのメンバーに入っていなくて、エイノの動向を懸念していなかったのではないかとも思っていたが、ひょっとしたらそうではなかったのかもしれない。
 こうして勅書をしたためる事で、何だかんだと言いながらイサークは私に判断を委ねてくれていたのだろう。

「分かっていてやりましたね?」

 恐らく、イサークにもユハにも私がエイノと共にキノスを後にしたという情報は伝えられているはずだ。

「はてさて何のことやら……」

 ロニは肩を竦めてとぼけてみせた。一々誰かさんを彷彿とさせる仕草でニ倍腹が立つ。

「しかし、殿下も用意がよろしくなったことだ。随分と回りくどくていらっしゃるが」

 恐らく叔父貴の入れ知恵でしょうがね。と笑うとロニは足を踏み出し、すっと距離を詰めた。

「あなたに出会ってからは傍目にも逞しくおなりだが、良くも悪くも温室育ちの殿下とは何かと合わないでしょう? 王室など堅苦しいだけだ」

 眼前に迫ったロニに、私は一歩後ずさる。

「叔父貴の女癖の悪さは治りません。あなたは進んで苦労を買うような方でもない。違いますか?」

 眉をしかめて口元に笑みを浮かべ迫るロニに嫌な予感を覚えて、さらに後退すると、とんっと背中に硬いものが当たった。
 木の前に追い詰められたらしい。右に逃げるべきか左に逃げるべきか、と確認する私の視線に気付いたのか、ロニは両手を幹について、逃げ道を封じた。

「神官長殿は、生真面目が過ぎて、面白みのない方です」

 ロニの顔が迫る。

「俺では、駄目ですか?」

 ロニは切なげに目を細めた。

「今まで言葉を交わす機会もありませんでしたが、ずっと見ていました。今すぐに選んでいただけるとは思っていませんが、どうか俺も視野に入れては下さいませんか」

 言ってることとやってることが違うだろ。
 ぐいぐいと迫るロニの胸を押し返そうと腕を押し当ててつっぱると、ふっと鼻で笑われた。

「言ったでしょう。俺にとってはか弱い女性には違いないと」

 手首を掴まれたかと思うと、あっというまに幹に縫いとめられる。

「可愛らしい抵抗だ」

 鼻先を唇が掠めた。
 その瞬間、笑ってやった。さっきロニがやったように鼻から空気を抜くのではなく、思いっきり、馬鹿にしたようにアハハハハハハと。
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