94 / 122
第二部 三流調剤師と大罪
20
しおりを挟む
ご丁寧なことに階段にも光石は設置されていた。天井ではなく両側の壁に一列に並んでいる。
背後で聞こえる壁の動く音に急かされて、皆は走って階段を降りた。百段までは数えていたけれど後は覚えていない。
階段を降り切ると、まばゆい光に包まれる。
「なんだ、これは……」
ウォーレスが呆然と呟く。
そこは四方を光石で囲まれた、だだっ広い空間だった。天井は低い。ラグナルが背伸びをして手を伸ばせば届くだろう。
ガランとした部屋の全てが発光している。
眩しさに目を細めながら、私はラグナルの腕を軽く叩いた。
「ラグナル、ありがとう」
ようやく地に降ろされる。
棒術の才はなかったけれど、特別運動神経が悪いわけではない。里にいたころは、一人で蔵書を読むか、一人で山に分け入って遊ぶか、という寂しい生活を送っていたので、それなりに動けると思っていた。それがロフォカレに所属して、鍛えられたキーランやウォーレスの身のこなしを目の当たりにし、さらには術師であるルツとノアの姉弟までもが魔獣討伐において華麗な体配りを見せるものだから、すっかり自信を失っていた。そこにきてラグナルだ。
――私が自分で動くより、抱えられていたほうが早いってどういうこと。
お荷物感に落ち込む。
そんな私の隣でルツが途方にくれた顔をしていた。
「ルツ、術は?」
「ありません」
キーランに聞かれルツが答える。その声にはかすかに震えていた。
「さっきもなかったんです。ずっと、水脈を超えてからは何も感じない。なのに……」
罠は作動した。
ノアが左手をあげる。
「僕もわかんなかった。仕掛けが作動してもね。イーリスは?」
「同じく何も」
術の気配が読み取れない。
その事実に誰もその場を動くことができない。一歩先に罠が仕掛けられているかもしれないのだから。
「八方塞がりだな」
ウォーレスが「参った」と言って天を仰ぐ。
唯一の救いは壁が動く音が止んでいる点だろうか。
「上の様子を見てくる。皆はその場で待機だ」
そう言ってキーランは階段を上っていった。
彼が戻るのを最後の一段に腰掛けて待つ。
「明後日はアガレスの番だっけ? ここに僕たちがいるって気づくと思う?」
各ギルドは一日置きに遺跡の探索に入る。情報、地図を共有し、戻らないチームがあれば、救出に向かう手筈になっていた。
「無理だろうなあ。なんせ道が塞がっちまってる……くそっ」
ウォーレスは額に手を当て俯いていた。悪態は自分に向けてだろう。
「ちょっとウォーレス落ち込まないでくんない。らしくなくて気持ち悪い」
「そうですよ。己を改めるいい機会だと思えばいいじゃありませんか。ホルトンに戻ったらそろそろ身を固めるのもいいかもしれませんよ」
多分、魔術師姉弟はウォーレスを激励したつもりなんだと思う。ノアはキーランには尊敬を、ウォーレスには親しみを抱いているし、ルツも家族のようにウォーレスの酒癖、女癖の悪さを心配している。
――でもルツ、それ逆効果だから!
ノアはいい。彼が天邪鬼なのは皆がよく知っている。
問題なのはルツの発言だ。キーランはルツに惚れている。領主の城にいるときから……いや、狒々神戦のときからなんとなく感じていたが、この一年で確信に変わった。女遊びで培った手練手管を本命には発揮できない。なかなか拗らせている。
顔を上げたウォーレスはなんとも情けない顔をしていた。
「ホルトンに帰ったらウォーレスの奢りだね。ラグナルめいっぱい食べよう」
おどけて言うと、ウォーレスがさらに眉を下げる。
「そりゃないぜ。ラグナルとキーランの胃袋を満たそうと思ったらいくらかかることやら。こうなったら、お宝を見つけて帰らんとな」
ウォーレスはパンと両手で頬を叩いた。
見計らったようにキーランの足音が聞こえて、がっしりとした体躯が見える。
「上はどうにもならんな。わざわざ罠の発動と同時に階下に降りる階段が姿を現した。この部屋に導かれたと考えるのが妥当だろう」
皆の視線が何もない部屋に向けられる。
「この石のどこかに何かしらの仕掛けがあると見るべきか?」
「時間経過って次の罠が作動するって可能性もあるんじゃない?」
ウォーレスとノアが意見を出し合う。
「まずは石に仕掛けがあるか探るとしよう。手前から順にだ。ルツ、イーリスはそのまま待機。ウォーレスは俺のあとに。ノアとラグナルは二人を守ってくれ」
キーランの指示のもと、皆が動く。
待機のルツとノアもスタッフやワンドを構えて臨戦態勢だ。
ラグナルは黒剣に手をかけている。
「ラグナル、黒魔法の許可を先に出しといていい?」
「わかった」
私たちのいる階段を背に立つラグナルに尋ねるとあっさり頷いた。
――あれ? これってこの先ずっと許可しますって言っとけばいいんじゃない?
「ああ、一生分先出しはなしだ。遺跡を抜けるまで、だな」
一段、高い場所にいるとラグナルと目線がほぼ同じになる。いつもは見下ろしてくる黒い目が眼前で眇められた。
――なぜばれた。
「やだなぁ、そんなこと考えてないよ」とごまかすと、ラグナルの目がますます疑わしいといいだけに鋭くなる。
普段からやや人相の悪いラグナルに凄まれると、かなりの迫力だ。
つつっと視線を外す。と、なぜか横目でこちらを睨んでいたノアと目があった。
「こんな状況でいちゃつけるとか、余裕だね」
いちゃついてはいない、と思う。
「ノアやめさなさい。イーリスもラグナルも今は物音一つ逃さないようにしなければ」
ルツの正論に皆は一斉に黙った。
術の探知ができない以上五感を総動員しなければならない。
キーランとウォーレスは一つ一つの石を慎重に確かめていた。
それは気の遠くなるような作業だった。
二人が調べるのを、口を噤んでひたすら待つ。
やがて、床、壁、天井。全てを調べ終わった二人が戻ってきた。
どこにも仕掛けは見つからなかったのだ。
「重量という可能性もあるな」
「鞘で殴って衝撃を与えるのは?」
「魔力を流してみるのはどうでしょう?」
「案外階段じゃない?」
キーラン、ウォーレス、ルツ、ノアが次々と意見を出すなか、私はレリーフの絵柄について考えていた。
魔術師が持っていた短杖、もし、あれが印術師の使うワンドなら?
――まさか。ありえない。
そう思うものの、だとしたらあのおかしな構図の説明がつく。
あれは、狒々神を支配し使役する印術師の図だったのではないだろうか……
背後で聞こえる壁の動く音に急かされて、皆は走って階段を降りた。百段までは数えていたけれど後は覚えていない。
階段を降り切ると、まばゆい光に包まれる。
「なんだ、これは……」
ウォーレスが呆然と呟く。
そこは四方を光石で囲まれた、だだっ広い空間だった。天井は低い。ラグナルが背伸びをして手を伸ばせば届くだろう。
ガランとした部屋の全てが発光している。
眩しさに目を細めながら、私はラグナルの腕を軽く叩いた。
「ラグナル、ありがとう」
ようやく地に降ろされる。
棒術の才はなかったけれど、特別運動神経が悪いわけではない。里にいたころは、一人で蔵書を読むか、一人で山に分け入って遊ぶか、という寂しい生活を送っていたので、それなりに動けると思っていた。それがロフォカレに所属して、鍛えられたキーランやウォーレスの身のこなしを目の当たりにし、さらには術師であるルツとノアの姉弟までもが魔獣討伐において華麗な体配りを見せるものだから、すっかり自信を失っていた。そこにきてラグナルだ。
――私が自分で動くより、抱えられていたほうが早いってどういうこと。
お荷物感に落ち込む。
そんな私の隣でルツが途方にくれた顔をしていた。
「ルツ、術は?」
「ありません」
キーランに聞かれルツが答える。その声にはかすかに震えていた。
「さっきもなかったんです。ずっと、水脈を超えてからは何も感じない。なのに……」
罠は作動した。
ノアが左手をあげる。
「僕もわかんなかった。仕掛けが作動してもね。イーリスは?」
「同じく何も」
術の気配が読み取れない。
その事実に誰もその場を動くことができない。一歩先に罠が仕掛けられているかもしれないのだから。
「八方塞がりだな」
ウォーレスが「参った」と言って天を仰ぐ。
唯一の救いは壁が動く音が止んでいる点だろうか。
「上の様子を見てくる。皆はその場で待機だ」
そう言ってキーランは階段を上っていった。
彼が戻るのを最後の一段に腰掛けて待つ。
「明後日はアガレスの番だっけ? ここに僕たちがいるって気づくと思う?」
各ギルドは一日置きに遺跡の探索に入る。情報、地図を共有し、戻らないチームがあれば、救出に向かう手筈になっていた。
「無理だろうなあ。なんせ道が塞がっちまってる……くそっ」
ウォーレスは額に手を当て俯いていた。悪態は自分に向けてだろう。
「ちょっとウォーレス落ち込まないでくんない。らしくなくて気持ち悪い」
「そうですよ。己を改めるいい機会だと思えばいいじゃありませんか。ホルトンに戻ったらそろそろ身を固めるのもいいかもしれませんよ」
多分、魔術師姉弟はウォーレスを激励したつもりなんだと思う。ノアはキーランには尊敬を、ウォーレスには親しみを抱いているし、ルツも家族のようにウォーレスの酒癖、女癖の悪さを心配している。
――でもルツ、それ逆効果だから!
ノアはいい。彼が天邪鬼なのは皆がよく知っている。
問題なのはルツの発言だ。キーランはルツに惚れている。領主の城にいるときから……いや、狒々神戦のときからなんとなく感じていたが、この一年で確信に変わった。女遊びで培った手練手管を本命には発揮できない。なかなか拗らせている。
顔を上げたウォーレスはなんとも情けない顔をしていた。
「ホルトンに帰ったらウォーレスの奢りだね。ラグナルめいっぱい食べよう」
おどけて言うと、ウォーレスがさらに眉を下げる。
「そりゃないぜ。ラグナルとキーランの胃袋を満たそうと思ったらいくらかかることやら。こうなったら、お宝を見つけて帰らんとな」
ウォーレスはパンと両手で頬を叩いた。
見計らったようにキーランの足音が聞こえて、がっしりとした体躯が見える。
「上はどうにもならんな。わざわざ罠の発動と同時に階下に降りる階段が姿を現した。この部屋に導かれたと考えるのが妥当だろう」
皆の視線が何もない部屋に向けられる。
「この石のどこかに何かしらの仕掛けがあると見るべきか?」
「時間経過って次の罠が作動するって可能性もあるんじゃない?」
ウォーレスとノアが意見を出し合う。
「まずは石に仕掛けがあるか探るとしよう。手前から順にだ。ルツ、イーリスはそのまま待機。ウォーレスは俺のあとに。ノアとラグナルは二人を守ってくれ」
キーランの指示のもと、皆が動く。
待機のルツとノアもスタッフやワンドを構えて臨戦態勢だ。
ラグナルは黒剣に手をかけている。
「ラグナル、黒魔法の許可を先に出しといていい?」
「わかった」
私たちのいる階段を背に立つラグナルに尋ねるとあっさり頷いた。
――あれ? これってこの先ずっと許可しますって言っとけばいいんじゃない?
「ああ、一生分先出しはなしだ。遺跡を抜けるまで、だな」
一段、高い場所にいるとラグナルと目線がほぼ同じになる。いつもは見下ろしてくる黒い目が眼前で眇められた。
――なぜばれた。
「やだなぁ、そんなこと考えてないよ」とごまかすと、ラグナルの目がますます疑わしいといいだけに鋭くなる。
普段からやや人相の悪いラグナルに凄まれると、かなりの迫力だ。
つつっと視線を外す。と、なぜか横目でこちらを睨んでいたノアと目があった。
「こんな状況でいちゃつけるとか、余裕だね」
いちゃついてはいない、と思う。
「ノアやめさなさい。イーリスもラグナルも今は物音一つ逃さないようにしなければ」
ルツの正論に皆は一斉に黙った。
術の探知ができない以上五感を総動員しなければならない。
キーランとウォーレスは一つ一つの石を慎重に確かめていた。
それは気の遠くなるような作業だった。
二人が調べるのを、口を噤んでひたすら待つ。
やがて、床、壁、天井。全てを調べ終わった二人が戻ってきた。
どこにも仕掛けは見つからなかったのだ。
「重量という可能性もあるな」
「鞘で殴って衝撃を与えるのは?」
「魔力を流してみるのはどうでしょう?」
「案外階段じゃない?」
キーラン、ウォーレス、ルツ、ノアが次々と意見を出すなか、私はレリーフの絵柄について考えていた。
魔術師が持っていた短杖、もし、あれが印術師の使うワンドなら?
――まさか。ありえない。
そう思うものの、だとしたらあのおかしな構図の説明がつく。
あれは、狒々神を支配し使役する印術師の図だったのではないだろうか……
0
お気に入りに追加
715
あなたにおすすめの小説
【完結】婚約者に忘れられていた私
稲垣桜
恋愛
「やっぱり帰ってきてた」
「そのようだね。あれが問題の彼女?アシュリーの方が綺麗なのにな」
私は夜会の会場で、間違うことなく自身の婚約者が、栗毛の令嬢を愛しそうな瞳で見つめながら腰を抱き寄せて、それはそれは親しそうに見つめ合ってダンスをする姿を視線の先にとらえていた。
エスコートを申し出てくれた令息は私の横に立って、そんな冗談を口にしながら二人に視線を向けていた。
ここはベイモント侯爵家の夜会の会場。
私はとある方から国境の騎士団に所属している婚約者が『もう二か月前に帰ってきてる』という話を聞いて、ちょっとは驚いたけど「やっぱりか」と思った。
あれだけ出し続けた手紙の返事がないんだもん。そう思っても仕方ないよでしょ?
まあ、帰ってきているのはいいけど、女も一緒?
誰?
あれ?
せめて婚約者の私に『もうすぐ戻れる』とか、『もう帰ってきた』の一言ぐらいあってもいいんじゃない?
もうあなたなんてポイよポイッ。
※ゆる~い設定です。
※ご都合主義です。そんなものかと思ってください。
※視点が一話一話変わる場面もあります。
決めたのはあなたでしょう?
みおな
恋愛
ずっと好きだった人がいた。
だけど、その人は私の気持ちに応えてくれなかった。
どれだけ求めても手に入らないなら、とやっと全てを捨てる決心がつきました。
なのに、今さら好きなのは私だと?
捨てたのはあなたでしょう。
側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。
とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」
成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。
「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」
********************************************
ATTENTION
********************************************
*世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。
*いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。
*R-15は保険です。
【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?
つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。
彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。
次の婚約者は恋人であるアリス。
アリスはキャサリンの義妹。
愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。
同じ高位貴族。
少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。
八番目の教育係も辞めていく。
王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。
だが、エドワードは知らなかった事がある。
彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。
他サイトにも公開中。
私があなたを好きだったころ
豆狸
恋愛
「……エヴァンジェリン。僕には好きな女性がいる。初恋の人なんだ。学園の三年間だけでいいから、聖花祭は彼女と過ごさせてくれ」
※1/10タグの『婚約解消』を『婚約→白紙撤回』に訂正しました。
記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。
せいめ
恋愛
メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。
頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。
ご都合主義です。誤字脱字お許しください。
旦那様は離縁をお望みでしょうか
村上かおり
恋愛
ルーベンス子爵家の三女、バーバラはアルトワイス伯爵家の次男であるリカルドと22歳の時に結婚した。
けれど最初の顔合わせの時から、リカルドは不機嫌丸出しで、王都に来てもバーバラを家に一人残して帰ってくる事もなかった。
バーバラは行き遅れと言われていた自分との政略結婚が気に入らないだろうと思いつつも、いずれはリカルドともいい関係を築けるのではないかと待ち続けていたが。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる