三流調剤師、エルフを拾う

小声奏

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第二部 三流調剤師と大罪

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 いくら害意がなかろうが、魔女は魔女。
 極度の緊張状態に皆が置かれていた。
 ポタリ、ポタリと床の上に血だまりが出来ていく。
 ややしてラグナルは殺気を削ぐように長くゆっくり息を吐いた。彼の力が抜けたのを見て取ったオーガスタスが刃を離すと、黒剣は鞘に収められる。

「暖かい寝台をとのご希望でしたな。ではここの客室はいかがですかな。ホルトンにご滞在の間、お好きにお使いください」

 掌から流れる血を拭いもせず、オーガスタスは和かに言葉を紡ぐ。

「私はイーリスの家がいいんだけど? ゆっくり話したいし」

 リュンヌは不満気に口を尖らせる。
 これ以上彼女の機嫌を損ねるのは得策ではない。そう判断して私はラグナルの後ろから進みでる。

「なら――」

 しかし、オーガスタスが遮った。

「イーリスはまだまだ若輩。偉大なる魔女と昼夜ともにあれば参ってしまうでしょう。どうかご勘弁を」

 深々と頭を下げるオーガスタス。
 魔女の怒りを買うのを承知で矢面に立つ。その背中は実際よりもずっと大きく見えた。キーラン達が全幅の信頼を寄せるのもわかる。

「あなた随分、気骨があるのね。気に入ったわ。仕方ないから言う通りにしてあげる」

 魔女に認められるって、そうそうないと思う。

「あの、手当を……」

 私はポーチからサオ茸の軟膏を出してオーガスタスの掌に塗っていく。五指すべてに切り傷ができていた。利き手ではないとはいえ、しばらく不便だろう。

「人間は不便ね。こんなときにホウリのエルフがいれば便利なのに、ダークエルフじゃ役にたたないわね」

 手当の様子を眺めながら魔女が言う。
 ラグナルの気配がちょっぴり不穏なものになった気がしたけど、彼は黙って耐えた。

「お待たせしました。え、と、話を聞きたいとの仰せでしたよね」

 包帯を巻き終わると、私はリュンヌに向き直った。
 何がなんだからわからないが、私の話を聞いて満足してくれるならいくらでも語ってやる。ついでにラグナルの印の解除をお願いできれば万々歳。そんな気持ちで。

「そうねえ、その前にお腹が空いたわ。どこか美味しい料理をだすところ知らない?」

 魔女はどこまでもマイペースだった。


 人気のない街の端の端にある料理屋に案内したいところだが、美味しい料理をと指定された手前、味の保証がもてない店にはいけない。
 結局私はロフォカレの隣にある店に魔女を案内した。
 馴染みの人間に声をかけて、店の隅、目立たない場所に通してもらう。
 お勧めの品を一通り注文して、料理が運ばれてくるのを待つ。
 席についたのはリュンヌ、ラグナル、私の三人。
 ゼイヴィアはオーガスタスに付き合って、師匠の家に向かった。痛み止めと化膿止めを処方してもらうためだ。
 オーガスタスは食事についてくる気のようだったけど、これ以上彼に負担をかけるわけにはいかない。そう思ったのはゼイヴィアも同じだったらしく、オーガスタスを半ば引きずるようにしてギルドを出て行った。

「わぁ、美味しそう。人間の一番いいところは料理に対する探究心よね」

 目の前に置かれた鳥肉の香草焼きにリュンヌは目を輝かせる。
 その様子はどこから見ても無邪気な少女そのままだ。
 淡水魚の塩焼き、ごろごろ野菜煮込み、香ばしく焼けたパンに、新鮮な果実のジュース。その小さな体のどこに入るのかという量を平らげ、リュンヌは満足げに腹をさすった。

「美味しかった! ごちそうさまでした」

 本当に普通の少女にしか見えない。
 そのせいだろうか、息の詰まるような緊張は徐々に薄れてきていた。

「それでリュンヌ……私のことですか」

 私は他の席の人々に聞こえぬよう、リュンヌの側に椅子を寄せて話し始めた。
 確か幸せかどうか聞いてたよね?

「今の私は幸せとも、そうでないとも言えます」

 本当は今のところ幸せと言えるぐらいには満たされている。しかし彼女がどちらの答えを望んでいるかがわからない以上迂闊に答えられない。

「信頼できる人々がそばにいて、食べていけるだけの収入がありますので、その点では幸せであると言えます。一方で郷を追われ、自身だけが頼りの生活には不安を感じます。怪我や病に倒れたら、貯蓄はすぐに底を尽きてしまうでしょうし。その点では不幸だと言えると思います」

 できうる限り曖昧に言葉にした。
 リュンヌは布で口元を拭いながら、私を見た。
「ようするに、一生困らないお金があれば幸せってこと?」

 ……今の説明だとそうなりますね。
 何か言いたげなラグナルは無視して、どう説明したものかと考えを巡らせる。
 リュンヌの求める答えを用意せねばならないが全く見当がつかない。
 ラートーンの名を出されたときは、彼を陥れたトヨ・アキーツを恨んでいるのかと思ったが、それにしては態度が友好的だ。

「あなた達、彼の力を使って儲けているんじゃなかったの? 東の大陸では大層羽振りがよかったそうじゃない」

 いったいいつの話をしているんだ。
 それははるか昔のことである。魔女にとっては千年前だろうが十数年前がそう変わらないのかもしれないが、短い人の生では何代も世代が変わるほど時が過ぎ去っていると言うのに。

「昔の話です。尊い方の怒りを買い、故郷を追われました。支配を免れた力は解呪だけ。その力もいつまで受け継がれるか」
「そういえばそうだったかしら。ごめんなさいね。まだちょっと記憶が混乱してて」

 リュンヌは眉間を抑えて可愛らしくウンウン唸る。
 ――もしかしてとリュンヌは……。
 話をすればするほど感じる妙なひっかかり。私の想像が当たっているとしたら、ラグナルの印を解いてもらうのは夢ではないかもしれない。

「あの、リュンヌ……」

 一層声を落として自分の考えが当たっているのか尋ねようとすると、ポンッとリュンヌが手を打つ。

「わかった! その支配。私が解けばいいのよ。そうしたらイーリスは幸せよね?」

 ――は?

 支配を解く? ラートーンにかけられたヘソの印を?
 私はテーブルに手をつき勢いよく立ち上がった。
 椅子が倒れて派手な音を立てる。
 周りの人々が怪訝な顔で振り向く。その視線に我に返った。軽く頭を下げて騒ぎを起こしたことを謝りつつ、椅子を起こそうするが、腕が震えて椅子がつかめなかった。

「イーリス大丈夫か?」

 見かねたラグナルが椅子をたて、私を座らせた。

「ね、いい案でしょう? イーリスも嬉しいでしょう? 力が取り戻せるのよ?」

 そんな私の様子を見てどうとったのかリャンヌは上機嫌だ。

「い、いえ、そのような恐ろしいことは……」

 占者トヨ・アキーツが大罪を犯して子に、孫に、子孫に与えた力。
 かつてのイーは奴隷を生み出すときのように、痛めつけたり、薬を使って心神喪失状態に追い込むなんて必要はなく、たやすく人に印を刻めたという。誰にも悟られることなく手駒を増やし、意のままにした。
 その力を取り戻す?
 冗談ではない。そんなものはいらない。
 どんな状況に陥っても絶対に使わないとは言い切れないと分かっているから余計にだ!

「東の魔人が与え封じた力です。それを解除しようなどとは……」
「だから余計によ。私、あの男が嫌いなの。だって彼だけずるいじゃない?」
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