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第一章 5号棟505号室
5―とある鬼子について、ゴッちゃん曰く
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団地に併設されている公園は遊具も滑り台から雲梯やブランコと、一通りそろっていて広さがそこそこあった。同じような大きさの公園は団地敷地内に他にもいくつかあるんだが、ここの公園はミヤが住んでる5号棟からいちばん近いので特によく見かけた。
「おいミヤ、お前か。洋子ちゃん泣かしたんは」
今日もミヤは、道具も持たずぼーっと砂場にいた。こちらを見遣る目は底知れず爛々と光っていて、夜中に見る野良猫みてえだと思った。
ミヤの両眼は独特で、左目はぱっちり開いているのに右目は睨み上げるような鋭い目つきをしていた。日頃から何もしなくてもそんな顔なので、それが更に気味悪かった。
俺の問いかけには鼻水を啜り、ミヤはこう言った。
「うるせー」
「うるせーとは何だこのビンボー人!」
「ゴッちゃんが聞いたらちゃんと答えろ!! バカミヤ!!」
「しらねー」
「とぼけんなっ! 洋子ちゃんに何したんだよ!?」
「うるせー」
「こンの……ッ」
尋問を繰り返していた仲間の一人が、埒があかないと早々に鉄拳制裁に乗り出す。
ボコッ!
しかしミヤの頭突きを顔面に貰い、呆気なく倒れてしまった。こっちの仲間の方が上背があるのに、一体どうやったんだ?
「あーーーーっ! 人にケガさせたぞコイツ! いけないんだー!」
俺の後ろで出番を待っていた仲間は口々に囃し立てた。
ミヤは黙っている。黙って、真っ赤になった鼻っ柱を押さえて倒れているそいつに歩み寄った。
「あがぁッ……ぎゃあああああああああっ!!!!」
頭突きだけで痛がっていた仲間の脛を踵でガンガンガンガン踏みつける。俺はギョッとした。
「お、おい! やめろって! 痛がってるだろうがっ!」
それどころか爛々とした瞳のまま、どちらかといえばイキイキとした顔で無言でガンガンガンガン続けている。
「痛い痛いィッ!!! 降参だッ、やめてくれミヤぁ……ッ!」
「降参してる相手に、ヒキョーだぞ!」
しかしミヤは止まらなかった。痛ましい凄惨な場面を文字通り目の前で繰り広げられた洋子ちゃんは、サイレンのように泣き叫んだ。
「やめろって言ってるだろ……ッ、この!」
執拗な追い打ちを止めないミヤの前に、ついに俺が躍り出る。ここは大将の俺が成敗しなくてはならない。
「年上の言うことを聞けーッ!」
俺の拳が唸りを上げ、ミヤの頬をめがけ飛んだ。
ゴッ……
テレビで見ている正義のヒーローはカッコよくて、どれだけ大勢の敵に囲まれても怯むことなく立ち向かう。ヒキョーな手にも屈さず、最後にはボカーンと悪党をやっつける。
殴られて歪んだ頬でにやりと笑うミヤはどうだ?
俺の渾身の右ストレートに走った鈍い感触。
何で、こんな時に笑えるんだ?
ミヤは倒れたりしなかった。微動だにしない二本の足。切れた唇から流れる血をペロリと舐めた。
「……っ!」
他人の目付きを見て鳥肌が立ったのは初めてだった。
いつの間にか手取られてた俺の右腕は、勢いよく内側に捻られる。
「いっでぇ……っ、うわっ!?」
ぐるんっ、と視界がひっくり返った。その次にやって来たのは脚の痛み。
ミヤは力の法則とやらを利用して、右腕を軸に内側へとバランスを崩させて蹴手繰りで俺を地面に転がしたのだ。
更に俺の頭上に肘鉄が降ってくる。
「ぐあぁっ!」
情けないことに大将の俺の叫びを聞いて、後ろに控えていた仲間は後ずさりを始めた。
「ゴッちゃん……!? うわっ! こっちに来んなミヤ!!」
純粋な危機感。仲間は背中を見せて逃走を図ったが、はたしてミヤのキレイな飛び蹴りで仕留められる。
その頃の俺は、後頭部に一撃が入ったおかげか、視界の地面が揺れていた。込み上げるものを地面に吐き出す。
「おえェッ……」
学校や仲間内でも、手が出るケンカはままある。怒りや悔しさにまかせて叩いてしまったり足をつっかけたり。
だけども、コイツは別次元だった。ヒトの子供がしそうではないことを、ミヤは天性で行っていた。
「ヒっ……ゴッちゃんがァ~~~~~うあああああああああああああああああん……っ」
「俺を狙うなよ、向こう行けよ……っ! ぎゃあああああああ!!!」
「オイ、なんなんだよコイツ!?」
えづきながら、俺も心の中で同意した。
何なんだ、コイツ……?
いつの間にか公園は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。たまたま公園で遊んでいた関係のない子供たちまで、騒ぐ奴を片っ端から殴りつける。どつき回す。
狂乱の中、みんな挙って自分だけは何とか助かろうとジャングルジムや地球儀遊具の上などに避難した。そして安全地帯に着いてから、恐々とミヤの凶行を見守っていた。
「あれが、本当に小一なのかよ……ヤバいヤツじゃん……」
「あの子誰?」
「ミヤって言うんだって。さっきゴッちゃんと話してたよ」
「でもゴッちゃんて二年生だよね?」
「二年生とケンカして泣かしてんのか。コワ」
ひそひそ声で観戦を決め込む子供はいれど、ミヤに背中を見せて大人を呼びに行けるような勇気は誰にも無かった。その瞬間にターゲットとなり、自分もやられる。みんな理解していた。
脳が揺れる感覚がまだ抜けきらない俺は、呻きながら自分の吐いた物が涙で滲んでいくのを地蔵の様に固くなった体で惨めに見つめ続けることしか出来なかった。
せめてこの場に大人じゃなくても、誰でもいいから来てくれ、と思っていた矢先だ。
「あ、いたいた! 何してんだよミヤって、あらら……また派手にやってるね。どうしたんだよ?」
「……リョウか」
ミヤにまっすぐに近寄っていく男児。その姿をみとめたミヤは、掴んでいた罪なき子供の胸倉を離した。ドサッと力なく子供は地面に落っこち、静かに泣いていた。
「こっちの公園にいたんだね。遅くなってごめん。ミヤに見せたい本を選んでたら、いつの間にか時間経っちゃってて」
まだすすり泣きが公園中から聞こえる異様な景色の中、あっけらかんと待ち合わせの遅刻を詫びる幼い声。
早くこの惨状を大人に知らせてくれ!
この場にいる子供たち全員が、ミヤがリョウと呼んだ男児に縋るような視線を送っていた。だのに、リョウはみんなの期待とは違った方向へ動いた。
「君かな? ミヤを困らせたのは」
「えっ……と、あの……ヒック……あ、のね……っヒック」
台風の大風が去った後のように、不穏は未だありつつ。朗らかにリョウは洋子ちゃんに語りかけた。
「……っミヤが洋子ちゃんを泣かしたんだ! 俺らもミヤに……っ」
なかなか言葉が出てこない洋子ちゃんにしびれを切らした俺の仲間が先に口を割った。確かにミヤの乱暴を一声で止めさせたリョウは、もしかしたらこの状況を何とかしてくれるかもしれない。
心の底から情けないが、このままじっとしていた方が自らが下手に動くよりはよっぽどいい。
「僕はこの女の子と話してるんだよ。そのまま黙って這いつくばってろ」
「う……っ」
俺はこの頃、リョウという子供をよく知らなかった。あまり見かけない子供だったからだ。
しかしリョウもまたそのへんの子供たちとは何か違う、言葉に出来ない違和感を持ち合わせていた。
「ミヤ、この女の子は知ってる子?」
「……しらねー」
「君は、洋子ちゃんだっけ? あ、小学二年生の――確か、5号棟402の西川洋子ちゃん」
「う、うん、そうだよ! 私、西川洋子」
「そっか。君はミヤの事知ってるんだよね」
あれだけ泣いているだけだったのに、リョウに名前を当てられてから洋子ちゃんは不思議と少しホッとした表情に戻っていた。
「ミヤ君のことは知ってるよ。いつも、一人で公園で遊んでるから……今日も一人でいたから、いっしょに遊ぼうって言ったの」
「そうだったんだね。それで? ミヤはどうしたの?」
こんな時でもミヤはほんの少しも顔色を変えなかった。それどころか、会話のやりとりにちっとも興味が無さそうによそを向いていた。
この頃のミヤはほとんど喋らない暗そうな奴だった。
というより、話す相手がいなかったから傍目から見てそういう印象だったのかもしれない。子供らしく声を上げてはしゃいだり、泣き喚いたりわがままを言ったりもしない。不気味な奴だった。それはミヤを知ってるほかの子供たちも同じ気持ちだっただろう。
それでもいっしょに遊ぼうと声をかけた洋子ちゃんは、みんなが認めるマドンナ性をここでも発揮してしまったのだ。
「アンタだれ、ってきいた」
「あのねえ、ミヤ。洋子ちゃんは小学校の登校班が同じだし、学校の縦割り活動でも同じ班でドッヂボールやったじゃないか。覚えてないの?」
「しらねー」
ミヤの返答にリョウはやれやれといった様子で息を吐いた。その仕草はまるで大人だ。
「まあいいや。それで、洋子ちゃんはどうして悲しくなっちゃったの? ミヤに何かされた?」
途端にもじもじとうつむいてしまう洋子ちゃん。
「叩かれたりはされてないの……。でも、お前なんか知らないって言われて……私ね、何でいつもミヤ君一人でいるのかな、友達になりたいのになって思ってて。ミヤ君と遊んだらきっと楽しいだろうなって思って、ミヤ君のこと、す、好きだから……っ、いっしょに遊ぼって言っただけなのに……な、んでっか、かなし、く……ヒックヒック、うぅ~……」
「あー泣かないで。大丈夫だから。ミヤは君のことが嫌いだからそう言ったわけじゃないんだよ」
「でもォ~うッううゥ~~……ヒック」
なんということだ……!!!!
俺たちのマドンナはあのボンクラなミヤの事が好きだったのだ!!!!
しかも、特に洋子ちゃんに悪事を働いたでもないミヤを俺たちは悪党だと決めて掛かって、なおかつ洋子ちゃんの目の前で返り討ちにされている。こんなにカッコ悪い事は無い。俺は愕然とした。
「……ということは、ミヤを傷つけようとしてケンカを吹っ掛けた誰かが原因てことになるよね」
「ぅ……ッ!?」
ギクッと強張った顔をしてるのは仲間たちだ。
「お前と、そこのお前。あと、そっちと向こうにいるお前もか」
もれなく俺も指を刺された。図星を指されながらも、逃げたり言い返したりできるほど今のコンディションは良好ではない。しかしリョウは勝手に探偵のように話を続ける。
「現場を見てないのに何で犯人がわかるかって? お前らがそういう面してるからだよ。そのバカ面。自分から虎の尾を踏んでおいて、ただじゃ済まないこともわからないバカだよ。己の弱さ加減も知らないただのバカ」
それからリョウは公園を見渡した。
「とはいえ、無抵抗な子供をこれだけ好き放題したんだ。ミヤ、何を言えばいいかわかるよね?」
「……ごめん」
俺は呆気にとられた。たぶんそこにいる奴らみんなそうだ。
これだけのことをしておいて、コイツは「ごめん」の一言で済まそうとしてるのか!?
コイツらはおかしい!!!!
「ま、待て……ゴラ待てミヤあぁぁぁぁぁぁーーーッ!!!!」
自分の頭が割れるかと思うほどの渾身の叫び。
俺は俺のゲロの上に立った。
「てめぇ……おかしいだろうが……おかしいだろうがァァァァァァァァッ!!!!」
その場を後にしようとした二人の背中に思いっきりぶつける。
その時の俺は、その後のことは何も考えていなかった――だから、
「リョウ……あやまった俺、おかしいって」
振り向いたミヤの目が底の無いドブ沼のように輝いてるのを見て、後悔した。
トンボの翅を毟ったり、つながれた番犬に離れた場所から石を投げたり。そういった無邪気で残酷な遊びをしているに過ぎないのだ。ヤツはいつだって笑顔だった、振り返ったその顔も、笑顔だった。
「いいさ、言わせておけば」
そう言ったリョウに促されて、今度こそ二人は公園から出て行った。
結局、俺は靴を汚したまま、そこから一歩も動けなかった。
その日の件は、公園にいた子供たちの中だけの出来事として葬り去られている。大人は今でも知らないままだ――
語り終えたゴッちゃんの顔は少し青ざめていた。
「あの日以来、俺はお前を人の子だと思わないことにした……ミヤ、お前は鬼だ!」
「いや人間ですけども!?」
「おいミヤ、お前か。洋子ちゃん泣かしたんは」
今日もミヤは、道具も持たずぼーっと砂場にいた。こちらを見遣る目は底知れず爛々と光っていて、夜中に見る野良猫みてえだと思った。
ミヤの両眼は独特で、左目はぱっちり開いているのに右目は睨み上げるような鋭い目つきをしていた。日頃から何もしなくてもそんな顔なので、それが更に気味悪かった。
俺の問いかけには鼻水を啜り、ミヤはこう言った。
「うるせー」
「うるせーとは何だこのビンボー人!」
「ゴッちゃんが聞いたらちゃんと答えろ!! バカミヤ!!」
「しらねー」
「とぼけんなっ! 洋子ちゃんに何したんだよ!?」
「うるせー」
「こンの……ッ」
尋問を繰り返していた仲間の一人が、埒があかないと早々に鉄拳制裁に乗り出す。
ボコッ!
しかしミヤの頭突きを顔面に貰い、呆気なく倒れてしまった。こっちの仲間の方が上背があるのに、一体どうやったんだ?
「あーーーーっ! 人にケガさせたぞコイツ! いけないんだー!」
俺の後ろで出番を待っていた仲間は口々に囃し立てた。
ミヤは黙っている。黙って、真っ赤になった鼻っ柱を押さえて倒れているそいつに歩み寄った。
「あがぁッ……ぎゃあああああああああっ!!!!」
頭突きだけで痛がっていた仲間の脛を踵でガンガンガンガン踏みつける。俺はギョッとした。
「お、おい! やめろって! 痛がってるだろうがっ!」
それどころか爛々とした瞳のまま、どちらかといえばイキイキとした顔で無言でガンガンガンガン続けている。
「痛い痛いィッ!!! 降参だッ、やめてくれミヤぁ……ッ!」
「降参してる相手に、ヒキョーだぞ!」
しかしミヤは止まらなかった。痛ましい凄惨な場面を文字通り目の前で繰り広げられた洋子ちゃんは、サイレンのように泣き叫んだ。
「やめろって言ってるだろ……ッ、この!」
執拗な追い打ちを止めないミヤの前に、ついに俺が躍り出る。ここは大将の俺が成敗しなくてはならない。
「年上の言うことを聞けーッ!」
俺の拳が唸りを上げ、ミヤの頬をめがけ飛んだ。
ゴッ……
テレビで見ている正義のヒーローはカッコよくて、どれだけ大勢の敵に囲まれても怯むことなく立ち向かう。ヒキョーな手にも屈さず、最後にはボカーンと悪党をやっつける。
殴られて歪んだ頬でにやりと笑うミヤはどうだ?
俺の渾身の右ストレートに走った鈍い感触。
何で、こんな時に笑えるんだ?
ミヤは倒れたりしなかった。微動だにしない二本の足。切れた唇から流れる血をペロリと舐めた。
「……っ!」
他人の目付きを見て鳥肌が立ったのは初めてだった。
いつの間にか手取られてた俺の右腕は、勢いよく内側に捻られる。
「いっでぇ……っ、うわっ!?」
ぐるんっ、と視界がひっくり返った。その次にやって来たのは脚の痛み。
ミヤは力の法則とやらを利用して、右腕を軸に内側へとバランスを崩させて蹴手繰りで俺を地面に転がしたのだ。
更に俺の頭上に肘鉄が降ってくる。
「ぐあぁっ!」
情けないことに大将の俺の叫びを聞いて、後ろに控えていた仲間は後ずさりを始めた。
「ゴッちゃん……!? うわっ! こっちに来んなミヤ!!」
純粋な危機感。仲間は背中を見せて逃走を図ったが、はたしてミヤのキレイな飛び蹴りで仕留められる。
その頃の俺は、後頭部に一撃が入ったおかげか、視界の地面が揺れていた。込み上げるものを地面に吐き出す。
「おえェッ……」
学校や仲間内でも、手が出るケンカはままある。怒りや悔しさにまかせて叩いてしまったり足をつっかけたり。
だけども、コイツは別次元だった。ヒトの子供がしそうではないことを、ミヤは天性で行っていた。
「ヒっ……ゴッちゃんがァ~~~~~うあああああああああああああああああん……っ」
「俺を狙うなよ、向こう行けよ……っ! ぎゃあああああああ!!!」
「オイ、なんなんだよコイツ!?」
えづきながら、俺も心の中で同意した。
何なんだ、コイツ……?
いつの間にか公園は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。たまたま公園で遊んでいた関係のない子供たちまで、騒ぐ奴を片っ端から殴りつける。どつき回す。
狂乱の中、みんな挙って自分だけは何とか助かろうとジャングルジムや地球儀遊具の上などに避難した。そして安全地帯に着いてから、恐々とミヤの凶行を見守っていた。
「あれが、本当に小一なのかよ……ヤバいヤツじゃん……」
「あの子誰?」
「ミヤって言うんだって。さっきゴッちゃんと話してたよ」
「でもゴッちゃんて二年生だよね?」
「二年生とケンカして泣かしてんのか。コワ」
ひそひそ声で観戦を決め込む子供はいれど、ミヤに背中を見せて大人を呼びに行けるような勇気は誰にも無かった。その瞬間にターゲットとなり、自分もやられる。みんな理解していた。
脳が揺れる感覚がまだ抜けきらない俺は、呻きながら自分の吐いた物が涙で滲んでいくのを地蔵の様に固くなった体で惨めに見つめ続けることしか出来なかった。
せめてこの場に大人じゃなくても、誰でもいいから来てくれ、と思っていた矢先だ。
「あ、いたいた! 何してんだよミヤって、あらら……また派手にやってるね。どうしたんだよ?」
「……リョウか」
ミヤにまっすぐに近寄っていく男児。その姿をみとめたミヤは、掴んでいた罪なき子供の胸倉を離した。ドサッと力なく子供は地面に落っこち、静かに泣いていた。
「こっちの公園にいたんだね。遅くなってごめん。ミヤに見せたい本を選んでたら、いつの間にか時間経っちゃってて」
まだすすり泣きが公園中から聞こえる異様な景色の中、あっけらかんと待ち合わせの遅刻を詫びる幼い声。
早くこの惨状を大人に知らせてくれ!
この場にいる子供たち全員が、ミヤがリョウと呼んだ男児に縋るような視線を送っていた。だのに、リョウはみんなの期待とは違った方向へ動いた。
「君かな? ミヤを困らせたのは」
「えっ……と、あの……ヒック……あ、のね……っヒック」
台風の大風が去った後のように、不穏は未だありつつ。朗らかにリョウは洋子ちゃんに語りかけた。
「……っミヤが洋子ちゃんを泣かしたんだ! 俺らもミヤに……っ」
なかなか言葉が出てこない洋子ちゃんにしびれを切らした俺の仲間が先に口を割った。確かにミヤの乱暴を一声で止めさせたリョウは、もしかしたらこの状況を何とかしてくれるかもしれない。
心の底から情けないが、このままじっとしていた方が自らが下手に動くよりはよっぽどいい。
「僕はこの女の子と話してるんだよ。そのまま黙って這いつくばってろ」
「う……っ」
俺はこの頃、リョウという子供をよく知らなかった。あまり見かけない子供だったからだ。
しかしリョウもまたそのへんの子供たちとは何か違う、言葉に出来ない違和感を持ち合わせていた。
「ミヤ、この女の子は知ってる子?」
「……しらねー」
「君は、洋子ちゃんだっけ? あ、小学二年生の――確か、5号棟402の西川洋子ちゃん」
「う、うん、そうだよ! 私、西川洋子」
「そっか。君はミヤの事知ってるんだよね」
あれだけ泣いているだけだったのに、リョウに名前を当てられてから洋子ちゃんは不思議と少しホッとした表情に戻っていた。
「ミヤ君のことは知ってるよ。いつも、一人で公園で遊んでるから……今日も一人でいたから、いっしょに遊ぼうって言ったの」
「そうだったんだね。それで? ミヤはどうしたの?」
こんな時でもミヤはほんの少しも顔色を変えなかった。それどころか、会話のやりとりにちっとも興味が無さそうによそを向いていた。
この頃のミヤはほとんど喋らない暗そうな奴だった。
というより、話す相手がいなかったから傍目から見てそういう印象だったのかもしれない。子供らしく声を上げてはしゃいだり、泣き喚いたりわがままを言ったりもしない。不気味な奴だった。それはミヤを知ってるほかの子供たちも同じ気持ちだっただろう。
それでもいっしょに遊ぼうと声をかけた洋子ちゃんは、みんなが認めるマドンナ性をここでも発揮してしまったのだ。
「アンタだれ、ってきいた」
「あのねえ、ミヤ。洋子ちゃんは小学校の登校班が同じだし、学校の縦割り活動でも同じ班でドッヂボールやったじゃないか。覚えてないの?」
「しらねー」
ミヤの返答にリョウはやれやれといった様子で息を吐いた。その仕草はまるで大人だ。
「まあいいや。それで、洋子ちゃんはどうして悲しくなっちゃったの? ミヤに何かされた?」
途端にもじもじとうつむいてしまう洋子ちゃん。
「叩かれたりはされてないの……。でも、お前なんか知らないって言われて……私ね、何でいつもミヤ君一人でいるのかな、友達になりたいのになって思ってて。ミヤ君と遊んだらきっと楽しいだろうなって思って、ミヤ君のこと、す、好きだから……っ、いっしょに遊ぼって言っただけなのに……な、んでっか、かなし、く……ヒックヒック、うぅ~……」
「あー泣かないで。大丈夫だから。ミヤは君のことが嫌いだからそう言ったわけじゃないんだよ」
「でもォ~うッううゥ~~……ヒック」
なんということだ……!!!!
俺たちのマドンナはあのボンクラなミヤの事が好きだったのだ!!!!
しかも、特に洋子ちゃんに悪事を働いたでもないミヤを俺たちは悪党だと決めて掛かって、なおかつ洋子ちゃんの目の前で返り討ちにされている。こんなにカッコ悪い事は無い。俺は愕然とした。
「……ということは、ミヤを傷つけようとしてケンカを吹っ掛けた誰かが原因てことになるよね」
「ぅ……ッ!?」
ギクッと強張った顔をしてるのは仲間たちだ。
「お前と、そこのお前。あと、そっちと向こうにいるお前もか」
もれなく俺も指を刺された。図星を指されながらも、逃げたり言い返したりできるほど今のコンディションは良好ではない。しかしリョウは勝手に探偵のように話を続ける。
「現場を見てないのに何で犯人がわかるかって? お前らがそういう面してるからだよ。そのバカ面。自分から虎の尾を踏んでおいて、ただじゃ済まないこともわからないバカだよ。己の弱さ加減も知らないただのバカ」
それからリョウは公園を見渡した。
「とはいえ、無抵抗な子供をこれだけ好き放題したんだ。ミヤ、何を言えばいいかわかるよね?」
「……ごめん」
俺は呆気にとられた。たぶんそこにいる奴らみんなそうだ。
これだけのことをしておいて、コイツは「ごめん」の一言で済まそうとしてるのか!?
コイツらはおかしい!!!!
「ま、待て……ゴラ待てミヤあぁぁぁぁぁぁーーーッ!!!!」
自分の頭が割れるかと思うほどの渾身の叫び。
俺は俺のゲロの上に立った。
「てめぇ……おかしいだろうが……おかしいだろうがァァァァァァァァッ!!!!」
その場を後にしようとした二人の背中に思いっきりぶつける。
その時の俺は、その後のことは何も考えていなかった――だから、
「リョウ……あやまった俺、おかしいって」
振り向いたミヤの目が底の無いドブ沼のように輝いてるのを見て、後悔した。
トンボの翅を毟ったり、つながれた番犬に離れた場所から石を投げたり。そういった無邪気で残酷な遊びをしているに過ぎないのだ。ヤツはいつだって笑顔だった、振り返ったその顔も、笑顔だった。
「いいさ、言わせておけば」
そう言ったリョウに促されて、今度こそ二人は公園から出て行った。
結局、俺は靴を汚したまま、そこから一歩も動けなかった。
その日の件は、公園にいた子供たちの中だけの出来事として葬り去られている。大人は今でも知らないままだ――
語り終えたゴッちゃんの顔は少し青ざめていた。
「あの日以来、俺はお前を人の子だと思わないことにした……ミヤ、お前は鬼だ!」
「いや人間ですけども!?」
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