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set list.9―花の名前
note.57 「私に必要なものは私が決めたいの」
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「どこ行ったんだ、アイツ……」
思わず飛び出してきてしまったが、想定外にも、後に続く者はいなかった。
「クソ……なんか胸糞悪いぜ、あんな奴等に囲まれて城で暮らしてたんだったら、フレディアもああなるわ」
キングにとってはまだまだ幼い子供に見える。
思春期のアンバランスな心をどうにかしようと、おぼつかない足取りで大人の間を行ったり来たりしながら他人の顔を盗み見て笑顔を作ったり、顔を伏せて涙をこらえて唇を噛んでいる。
(なんだかほっとけねえんだよな……新宿や渋谷にいた成人すらしてない子供がうろついてるのを見かけた時と似てる。いや……俺も昔似たようなもんだった)
走って走って、次第に息が切れてくる。
しかしそれにも気付かず、キングは庭園の方へ向かった。
既に今日はたくさん脚を使っている。
この庭園にだって、通ったのは今日で四回目。幸い、宿泊所までの道のりは覚えていた。
道順も垣根ももはや関係なく、ズンズンとキングは庭園を歩き回った。
夕飯を大量調理している間に、陽はとっくに暮れていた。小柄な少女の足でどこまで進めるかわからないが、もしかしたらまだ宿泊所の近くに隠れていて暗いせいで見落としている可能性もある。森の奥の方へ誤って入り込んでいたら……魔物に襲われる可能性もあるだろう。
いやな想像ばかりが膨らむし、未だにどの男の声も聞こえてこない。
(なんで誰も来ないんだ!? お前んとこの姫さんだろうがよ!!)
宿泊所まで戻るか。
それともこのまま見通しも悪く迷路のように広い庭園を探し続けるか。
(フレディアは、何を考えて……――そうか、あのまま飯が終わったらまた元に戻されるのが嫌だから!? え、でもそもそも何で嫌なんだ? なんでだっけ……バザールの事を思い出せ――!)
はじめは、意地っ張りで、独り城を抜け出して半島までやってきてしまう行動力に強情さを見ていた。まるで、地方から東京へ、生まれ持った家庭環境を捨てて、自分の居場所を探している十代の子供たちのようだと。
(でもよ、思い出したら俺もだったわ。俺の家族はロックとかポップスとかには目もくれずに、陽がな俺にクラシックピアノを教え込もうとしてたな。それに嫌気がさしてあんまり家に帰らないようにして……――そうしたらエレキギターに出会ったんだ。誰かと音を合わせる楽しみを知って、プロバンドを目指して、親の目の届かない東京でのデビューを目標に……実家を捨てて、上京したんだ)
今まで忘れていたことが不思議なくらいに、すらすらと苦しみが甦ってくる。
あまりに馴染みすぎた頭痛は、もう涙も出ないくらいに飽き飽きしていた。
(だからってそれをフレディアにそのまんま勧めるわけにゃいかん。アイツはこの国の大事な王女らしいからな。よくわかんねえけど、たぶん皇室の次期天皇? みたいな立場なんだろ? かといってそれを俺が押し付けるのも違うし……)
堂々巡りな考え事はそれこそ迷路のようだ。
(城には帰りたくない、騎士団も親父の差し金で気に入らない……どうしたいんだ? じゃあ、お前はどうしたいんだ!? お前の――フレディアの心はどこにあるんだ!?)
バザールでもそうだった。
キングは己の提案ばかりを歌に載せてフレディアに押し付けるばかりで、結局何も出来なかったのだ。彼女の真意はわからないままだ。
(話を聞いてやらねえと。どうして逃げ回ってばかりなのか……って、責めてるわけじゃねえんだけど……むずかしいな)
キングは星明りの下、藍のかかった緑の中を駆けずり回る。
だがやはり、こういう時にキングが他人にしてあげられることは、一つしかない。
キングはすうっと夜気を吸い込んだ。
迫りくる朝が恐ろしくて
冬の虫みたいにもぐってた
近づいてくる足音
耳を塞ぐばかりだった
名前がなくても花は咲く
何者か知るのは
咲け 君はここにいる
光 途切れることなく続く季節が
いつか辿り着くだろう その名に
咲け 君よ導け
開花を待つ宇宙
眼差しの先に 解き放て未来
(歌えば、暗い庭園の挟間でもきっと心が伝わるはずだ――!)
夜の花園はぼうっと浮かび上がるような白と薄桃の束が、むせかえるような甘い香りを漂わせていた。
きれいに刈られたアーチを潜って(キングの身長では額が枝葉に引っ掛かれる)、職探しの帰りに見たガゼボが見えてくる。真っ白く塗られたそれは浮き上がる花々に囲まれて一層神秘的に映った。
(そういえば、帰り道にフレディアが実家にも大きな庭があって、果物のなる木を自分で植えたって話てたな。でも実がならなかった……とか。そこにもこういう屋根があるベンチあんのかな)
口ずさみながらそちらの方へ吸い寄せられるように足を伸ばす。
すると、ガゼボから垂れるつる植物の合間から、細っこい肩が見えた。長く艶めく髪は月を帯びているよう。
「っ、フレディア!」
キングは走り出した。
「フレディア……! ――フレ……?」
「何で歌うのやめちゃったのよバカ! せっかくいい気分だったのに……!」
なんと、意外と元気に頬を膨らませてらっしゃる。
フレディア・マーキュリーは育ち盛りの少女でありながらこの国の後継者であり、それでいて思春期の女の子らしく、ぷいっと背けた顔で「怒ってるんだからね」という態度を隠すことなく示していた。行儀よく脚を揃えているのに、腕を組んでバカと罵る。
そのガゼボは大理石のようにキングは思ったが、月明かりの返し方がそれとは違うように、底から輝いているように見えて不思議だ。この世界特有の素材なのかもしれない。
そろりとフレディアのテリトリーに足を踏み入れた。
「遅いのよ! 王女を待たせるなんて! あれだけあの建物に男が押し込められていながら、か弱い私を放置するなんて考えられないわ!」
「あのな……お前が黙って出て行ったんだからな?」
何という理不尽。これが王政資本主義の結果なのか。
キングはがっくりと力が抜けてしまった。
「ってか、何で何も言わずにこんなところまで来たんだよ? ジギーヴィッドさん達心配させるなよ」
頭をカキカキ、キングもベンチに座る。フレディアの向かい側だ。
「そっちこそ……何で歌うのやめたのよ」
「はあ? こっちはお前探しに飯の前に腹ペコで走って来たんだぞ」
「そういうのはどうでもいいの」
「どうでもって」
「私は、もっと聞きたいの。私に必要なものは私が決めたいの。貴男は歌ってればいいの」
「そりゃ横暴……いって!」
キングの鼻をつまんだ。フレディアはなぜだか嬉しそうに笑う。
「さっきからそのノリはなんなんだよ……ご機嫌ちゃんか?」
キングは白い手の離れた鼻っ柱を撫でながら、それでもどこか嬉しそうに瞼を解いて微笑む少女から目が離せなかった。
彼女の中で変化が始まっているのを、キングは感じ取った。
「ふふふ、そうね……なんでかしら。ここでお母様の好きな花や、果物や、木々から落ちる陽の光――遠い日のことを考えた。そうしたら貴男の歌声が遠くからやって来たの。思い出と重なるみたいに」
「フレディア……」
「貴男の声を聞いて、私、この世界でも歩いていけるかもって、なぜかストンと胸のつかえが取れたみたいに息が楽になった。……ありがとう」
瞳が花開く。
マーキュリー王家の血筋を引く者の、エメラルドの瞳。きらきらと夜の星が宿っている。
「じゃあ家に帰るんだな?」
「それは嫌」
「なんでだよ……」
二度目のがっくり。
ここでフレディアが「うん」と首肯しなければ、結局はそこの宿泊所の食堂にも戻るつもりはないと同義なのだ。
(飯が冷めちまうだろうが、ってそれよりも、思春期女子のコイツを何とかしないといけねえのか。うーん……でもバザールでのなんつーか、悲壮感? みたいなのは確かに吹っ切れたみたいだ。何が本当の理由かは俺にはわかんねえけど。……でも俺じゃあダメなんだよな、フレディアの場合……クソ、やっぱり俺の音楽では、ここまでしか引っ張ることは出来ないのか……)
その時だった。
どこかで聞いたことのあるような、カシャンカシャン、という金属の擦れる足音。騎馬用のブーツの音である。
急ぎ足の主は、国王直属騎士団団長ジギーヴィッド・メリヤールだった。
「――っ、フレディア様……!」
思わず飛び出してきてしまったが、想定外にも、後に続く者はいなかった。
「クソ……なんか胸糞悪いぜ、あんな奴等に囲まれて城で暮らしてたんだったら、フレディアもああなるわ」
キングにとってはまだまだ幼い子供に見える。
思春期のアンバランスな心をどうにかしようと、おぼつかない足取りで大人の間を行ったり来たりしながら他人の顔を盗み見て笑顔を作ったり、顔を伏せて涙をこらえて唇を噛んでいる。
(なんだかほっとけねえんだよな……新宿や渋谷にいた成人すらしてない子供がうろついてるのを見かけた時と似てる。いや……俺も昔似たようなもんだった)
走って走って、次第に息が切れてくる。
しかしそれにも気付かず、キングは庭園の方へ向かった。
既に今日はたくさん脚を使っている。
この庭園にだって、通ったのは今日で四回目。幸い、宿泊所までの道のりは覚えていた。
道順も垣根ももはや関係なく、ズンズンとキングは庭園を歩き回った。
夕飯を大量調理している間に、陽はとっくに暮れていた。小柄な少女の足でどこまで進めるかわからないが、もしかしたらまだ宿泊所の近くに隠れていて暗いせいで見落としている可能性もある。森の奥の方へ誤って入り込んでいたら……魔物に襲われる可能性もあるだろう。
いやな想像ばかりが膨らむし、未だにどの男の声も聞こえてこない。
(なんで誰も来ないんだ!? お前んとこの姫さんだろうがよ!!)
宿泊所まで戻るか。
それともこのまま見通しも悪く迷路のように広い庭園を探し続けるか。
(フレディアは、何を考えて……――そうか、あのまま飯が終わったらまた元に戻されるのが嫌だから!? え、でもそもそも何で嫌なんだ? なんでだっけ……バザールの事を思い出せ――!)
はじめは、意地っ張りで、独り城を抜け出して半島までやってきてしまう行動力に強情さを見ていた。まるで、地方から東京へ、生まれ持った家庭環境を捨てて、自分の居場所を探している十代の子供たちのようだと。
(でもよ、思い出したら俺もだったわ。俺の家族はロックとかポップスとかには目もくれずに、陽がな俺にクラシックピアノを教え込もうとしてたな。それに嫌気がさしてあんまり家に帰らないようにして……――そうしたらエレキギターに出会ったんだ。誰かと音を合わせる楽しみを知って、プロバンドを目指して、親の目の届かない東京でのデビューを目標に……実家を捨てて、上京したんだ)
今まで忘れていたことが不思議なくらいに、すらすらと苦しみが甦ってくる。
あまりに馴染みすぎた頭痛は、もう涙も出ないくらいに飽き飽きしていた。
(だからってそれをフレディアにそのまんま勧めるわけにゃいかん。アイツはこの国の大事な王女らしいからな。よくわかんねえけど、たぶん皇室の次期天皇? みたいな立場なんだろ? かといってそれを俺が押し付けるのも違うし……)
堂々巡りな考え事はそれこそ迷路のようだ。
(城には帰りたくない、騎士団も親父の差し金で気に入らない……どうしたいんだ? じゃあ、お前はどうしたいんだ!? お前の――フレディアの心はどこにあるんだ!?)
バザールでもそうだった。
キングは己の提案ばかりを歌に載せてフレディアに押し付けるばかりで、結局何も出来なかったのだ。彼女の真意はわからないままだ。
(話を聞いてやらねえと。どうして逃げ回ってばかりなのか……って、責めてるわけじゃねえんだけど……むずかしいな)
キングは星明りの下、藍のかかった緑の中を駆けずり回る。
だがやはり、こういう時にキングが他人にしてあげられることは、一つしかない。
キングはすうっと夜気を吸い込んだ。
迫りくる朝が恐ろしくて
冬の虫みたいにもぐってた
近づいてくる足音
耳を塞ぐばかりだった
名前がなくても花は咲く
何者か知るのは
咲け 君はここにいる
光 途切れることなく続く季節が
いつか辿り着くだろう その名に
咲け 君よ導け
開花を待つ宇宙
眼差しの先に 解き放て未来
(歌えば、暗い庭園の挟間でもきっと心が伝わるはずだ――!)
夜の花園はぼうっと浮かび上がるような白と薄桃の束が、むせかえるような甘い香りを漂わせていた。
きれいに刈られたアーチを潜って(キングの身長では額が枝葉に引っ掛かれる)、職探しの帰りに見たガゼボが見えてくる。真っ白く塗られたそれは浮き上がる花々に囲まれて一層神秘的に映った。
(そういえば、帰り道にフレディアが実家にも大きな庭があって、果物のなる木を自分で植えたって話てたな。でも実がならなかった……とか。そこにもこういう屋根があるベンチあんのかな)
口ずさみながらそちらの方へ吸い寄せられるように足を伸ばす。
すると、ガゼボから垂れるつる植物の合間から、細っこい肩が見えた。長く艶めく髪は月を帯びているよう。
「っ、フレディア!」
キングは走り出した。
「フレディア……! ――フレ……?」
「何で歌うのやめちゃったのよバカ! せっかくいい気分だったのに……!」
なんと、意外と元気に頬を膨らませてらっしゃる。
フレディア・マーキュリーは育ち盛りの少女でありながらこの国の後継者であり、それでいて思春期の女の子らしく、ぷいっと背けた顔で「怒ってるんだからね」という態度を隠すことなく示していた。行儀よく脚を揃えているのに、腕を組んでバカと罵る。
そのガゼボは大理石のようにキングは思ったが、月明かりの返し方がそれとは違うように、底から輝いているように見えて不思議だ。この世界特有の素材なのかもしれない。
そろりとフレディアのテリトリーに足を踏み入れた。
「遅いのよ! 王女を待たせるなんて! あれだけあの建物に男が押し込められていながら、か弱い私を放置するなんて考えられないわ!」
「あのな……お前が黙って出て行ったんだからな?」
何という理不尽。これが王政資本主義の結果なのか。
キングはがっくりと力が抜けてしまった。
「ってか、何で何も言わずにこんなところまで来たんだよ? ジギーヴィッドさん達心配させるなよ」
頭をカキカキ、キングもベンチに座る。フレディアの向かい側だ。
「そっちこそ……何で歌うのやめたのよ」
「はあ? こっちはお前探しに飯の前に腹ペコで走って来たんだぞ」
「そういうのはどうでもいいの」
「どうでもって」
「私は、もっと聞きたいの。私に必要なものは私が決めたいの。貴男は歌ってればいいの」
「そりゃ横暴……いって!」
キングの鼻をつまんだ。フレディアはなぜだか嬉しそうに笑う。
「さっきからそのノリはなんなんだよ……ご機嫌ちゃんか?」
キングは白い手の離れた鼻っ柱を撫でながら、それでもどこか嬉しそうに瞼を解いて微笑む少女から目が離せなかった。
彼女の中で変化が始まっているのを、キングは感じ取った。
「ふふふ、そうね……なんでかしら。ここでお母様の好きな花や、果物や、木々から落ちる陽の光――遠い日のことを考えた。そうしたら貴男の歌声が遠くからやって来たの。思い出と重なるみたいに」
「フレディア……」
「貴男の声を聞いて、私、この世界でも歩いていけるかもって、なぜかストンと胸のつかえが取れたみたいに息が楽になった。……ありがとう」
瞳が花開く。
マーキュリー王家の血筋を引く者の、エメラルドの瞳。きらきらと夜の星が宿っている。
「じゃあ家に帰るんだな?」
「それは嫌」
「なんでだよ……」
二度目のがっくり。
ここでフレディアが「うん」と首肯しなければ、結局はそこの宿泊所の食堂にも戻るつもりはないと同義なのだ。
(飯が冷めちまうだろうが、ってそれよりも、思春期女子のコイツを何とかしないといけねえのか。うーん……でもバザールでのなんつーか、悲壮感? みたいなのは確かに吹っ切れたみたいだ。何が本当の理由かは俺にはわかんねえけど。……でも俺じゃあダメなんだよな、フレディアの場合……クソ、やっぱり俺の音楽では、ここまでしか引っ張ることは出来ないのか……)
その時だった。
どこかで聞いたことのあるような、カシャンカシャン、という金属の擦れる足音。騎馬用のブーツの音である。
急ぎ足の主は、国王直属騎士団団長ジギーヴィッド・メリヤールだった。
「――っ、フレディア様……!」
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