傷女、失踪ノ先デ、

みつお真

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挑戦的行動

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去年のクリスマスイヴは、彼氏と東京タワーのバーで食事をして、表参道のイルミネーションを見ながら、プレゼントは何がいいかしら?と考えていた。
結局は、ちょっと無理をさせてコーチのお財布にしてもらったのだけど、その後のホテル代は私が支払ってあげた。
何年もの間そうしていたから、イヴに彼氏がいるのは当然だと思っていた。
だから、今年はどうしていいのかわからない。
唯一の救いは、新しく始めたバイトの予定が入っていて、今の私にとっては好都合な時間潰しだということ――。
大きな雪だるまの着ぐるみで、街中を歩くだけの仕事は、時給千七百円と申し分のない額だった。
もこもこの温かい衣装のお陰で、パズルのような継ぎ接ぎだらけの顔を、人目にさらけ出さなくても済んだ。
頭の上には、みずいろのちいさなバケツ。
黒い目玉は雀みたいにクリクリで、ニンジンの鼻は、出来上がったおじさんみたいに赤かった。
スマイル君みたいな大な口は、弧を描いてにっこり笑っている。
事務所の人たちが、雪だるま君と呼んでいるこの着ぐるみ。
私はそれに身を隠しながら、夜の歌舞伎町をひょこひょこと歩いていた。
首にかけた電飾掲示板には、居酒屋の低価格メニューが、映画のエンドロールみたいに流れている。

「地鶏炙り焼き 砂肝串 レバ刺し 塩ピーマン うずら串 月見つくね――」

私は、塩ピーマンがどうにも気になっていた。
機会があれば、一度は食べてみたいと思いながら、旧コマ劇場前を通り過ぎる。その時、一組の親子が近づいて来た。
女の子は、お母さんの陰に隠れて雪だるま君(私)を見つめている。
お母さんは笑いながら。

「ほら、ゆきだるまさんだよ~」

と、間の抜けた声で娘の頭を撫でた。
お父さんの腕には、買い物袋が山積みになっていて、今にも崩れてしまいそうだ。
この家族は、クリスマスパーティーを例年通りに過ごすのだろう。
そう思うと、なんだかムカついた。
女の子の好奇な目も、やたらと気になって仕方なかった。
異質なものを見ている。
得体のしれないもの。
幽霊。

「そうか、この娘の中では、私は存在していないも同然なんだ」

自分を、見透かされている気がした。
その反動か否か、私のイタズラ心に火がついた。
姿を隠しているという行為が、こんなにも勇気を与えてくれるとは思いもしなかった。
両手を勢いよく突き出して、思い切り天に掲げる。
お父さんは目をまん丸くしながら後退りして、女の子はきょとんとしたまま、雪だるま君(私)を見つめている。
私は、これでもかと言わんばかりに、ぴょんぴょんと飛び跳ねて踊った。
お母さんは。

「あらぁ~」

と、訳のわからない感嘆の声をあげた。
私は、お腹に空気を溜め込んで。

「ガオォオオオー!」

と、雪だるま君の絶叫を、幸せそうな親子に浴びせた。
女の子は泣きそうになっていた。
お母さんは、あんぐりと口を開けたまま、こめかみを痙攣させている。
お父さんの抱えていた荷物が地面に転がった瞬間、女の子は阿鼻叫喚の如く泣き叫んだ。
私は「ケケケケ」と笑いながら、その場を立ち去った。
背中越しに聞こえる女の子の泣き声が、煌びやかな歌舞伎町の夜空に響き抜けた。
親子にとっての、思いがけないクリスマスプレゼト。
私は愉快だった。
心が歪んでしまったわけではないけれど、そう思い込もうとしているだけかも知れないけれど、雪だるま君になっていれば、怖いものなんてない。
そんな気がした。
完全無敵な雪だるま君。それは私のこと。

「メリークリスマス」

様々な街を、雪だるま君になって私は歩いた。
銀座は場違いで、渋谷の街では若者にからかわれた。
巣鴨では、おばあちゃんたちに囲まれて、恵比寿では迷子になった。
素性を隠しながら、賃金を貰うのはこの上なく有り難いことだけど、同じ毎日の繰り返しに、なんとなくやる気を失いかけていた。
そんな大晦日の夜二一時、東京では珍しく大雪が降って、電車のほとんどが運休となった。
仕事が終わると、雪だるま君を事務所に返しに行かなくてはならい。
明治神宮前駅の人の多さと、復旧しない山手線に私は途方に暮れた。
ボストンバックにぎゅうぎゅうに詰め込まれた、哀れ悲惨な雪だるま君は、湿気を帯びていつもよりか重たい。
電光板は、軽量化されているので苦にはならなかった。
私は、キャスケットを深く被って口元をマスクで隠し、首には長いマフラーを何重にも巻いた姿で―もちろん、サングラスも忘れてはいない―駅の改札口に立ち尽くしていた。
今日は、夕方から原宿を歩きまわっていたのでクタクタなのだ。
電光板に。

「年末年始大放出!破産覚悟の設定5!」

という文字を踊らせながら、竹下通りや、表参道ヒルズ近くを歩いていると、なんとも恥ずかしくなって、居心地の悪さに吐き気がした。
実際は、誰も気にかけてはいないのだろう。
だけど、この街にパチンコは似合わないし、やったこともないからテンションだって上がるわけも無く、ただただ詰まらなかった。
目の前の原宿の街は、雪で真白に染まっていく。
初詣の家族連れや恋人たちは身を寄せ合って、年末だというのに、スーツ姿のおじさんは、頬を赤らめながら上機嫌に文句を言っていた。

「こんな日に、大雪なんてたまンねえなあ」

周りの人たちは、素知らぬ顔でスマホをいじったり、本を読んだりしているが、おじさんはお構いなしに笑いながら文句を言い続ける。
綿菓子の端っこみたいな大きな雪が、ひらひらと舞い落ちては消えた。
街明かりと雪景色に見とれていると、なんだかお腹が空いてきた。
事務所に電話をして、戻れないことを伝えると意外な言葉が返って来た。

「ああ、ニュースで見てびっくりしたよ。今日はもういいから気をつけて帰ってください」

「あの、雪だるま君は……」

「そうだなあ、年始はうちも休みだからさ、仕事初めまで自宅で預かっといてよ」

「いいんですか?」

「うん、すまないね、またこちらからも連絡します。よいお年を」

「よいお年を」

私は嬉しかった。
ドキドキしている自分がいた。
恋人を、これからお招きするのだ。
気心知れて、全てを受け入れてくれて、優しくて頼もしくて、私を裏切らない雪だるま君。
私の新しいボーイフレンド。
そんな彼は、ボストンバックの中で眠っている。
私は、ごった返す人々を尻目に、駅前カフェでサンドイッチを食べて、いそいそとトイレへ駆け込んだ。
やってみたい事があるのだ。
今年最後のわずかな時間、私だって楽しまなくちゃ。

朱色の長靴が、ふかふかの雪を踏みしめる。
私は、あえて固まっていない歩道を選んで歩いた。
歩く度に、キュッキュキュッキュと、アイスキャンディーを食べているような音が面白いからだ。
真夜中の東京の雪。
ついさっきから、また粉雪がちらちらと降り始めている。
静かな街は人通りも少なくて、車も随分と減っているから、ぬかるみの飛沫に悩まされることもない。
私は、軽やかな足取りで新宿駅に向かっていた。
雪だるま君の格好で。
すれ違うカップルは、笑顔で手を振ってくれる。
行き場をなくした若者たちと写真も撮った。
まるで虚構の世界の主人公。
接してくれるみんなは、私の事など知りもしない。
これから先、再会することもない別次元の人間たち。

「やっぱり淋しいや・・・」

目頭が熱くなったから、私は歌を歌った。
大好きなABBAの。

「チキチータ」

私のカラオケの18番。
この歌のお陰で、英語が得意科目になって、ノルウェーやスウェーデン、デンマークやイギリスを旅行するようになった。
私は、この歌を繰り返し口ずさんだ。
明治通りをひたすら歩き続けて北参道を抜けた時、一軒のこじんまりとした小料理屋から拍手と歓声が沸き起こった。
一年が――長い長い一年がようやく終わりを告げた。
雪だるま君の格好で、私はいったいどれくらいの距離を歩いたのだろう。
ふくらはぎが攣りそうだし、背中も痛かった。
私は、近くの学校脇の道で。

「ごめんね」

と、言いながら、雪だるま君をボストンバックにしまい込んだ。
雪の粒が、傷だらけの頬にあたっては消えた。
冷たくてやさしい感覚に、私は天を仰いだ。
今まで、重たい雪だるま君を被っていたから、首をうんと仰け反らせると気持ちがよかった。
白く散りばむ雪の粒は、満天の夜空の星々みたい。
その星たちが、一斉に私に向かって降り注いでくれる。
目を閉じて、思い切り両手を広げる。
手のひら、指先、手の甲、手首、やさしい感触は、どれも同じように伝わっていた。
出来るなら全てを脱ぎ捨てて、この場で何もかもを洗い流したかった。
シャワーでは消せないものも、今なら無くせる気がしたから。
私は、口を大きく開けた。
雪は甘い味がした。
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