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1 想い人は……
しおりを挟む決して愛してはいけない男性を愛してしまった、罪深いレティシア。
その男性はレティシアの姉ポーラの婚約者だった。
彼と初めて顔を合わせた席。そこはレティシアとポーラの家――ブラシェール伯爵家本邸の客間だった。
「ジェローム様。妹のレティシアです。私より2つ下の16歳ですの。可愛いでしょう? 私の自慢の妹ですのよ。オホホ。」
姉ポーラは朗らかな声で、レティシアの事をそう紹介した。レティシアは確かに可愛らしい容姿をしている。が、華やかな姉と並ぶと影は薄い。姉のポーラは社交界で大人気の美人令嬢なのだ。
「レティシア。こちらが私の婚約者のジェローム様よ。ご挨拶なさい」
「は、初めまして。ブラシェール伯爵家次女のレティシアです。よろしくお願いします」
緊張して声が上ずってしまったレティシアに、ジェロームは優しい笑顔を返してくれた。爽やかで清潔感溢れる笑顔。ジェロームはただ格好良いというだけではない、独特の透明感を纏った男性だった。16歳の誕生日を迎えたばかりのレティシアの目には、そんなジェロームがとても魅力的に映った。
「ジェローム・ダントンだ。半年後には君のお姉さんと結婚してブラシェールの姓を名乗ることになる。よろしく」
そう。ポーラとレティシアはブラシェール伯爵家の二人きりの姉妹であり、男兄弟がいない為、姉ポーラがダントン侯爵家の次男であるジェロームを婿に迎える予定なのだ。親の決めた政略結婚である。
「はい。よろしくお願いします」
たったこれだけの会話をしたその日。レティシアは恋に落ちてしまった。
レティシア16歳。姉ポーラは18歳。ジェロームが19歳の夏のことだった。
半年後、ポーラとジェロームは予定通り結婚式を挙げ、ブラシェール伯爵家に婿入りしたジェロームは、当然のことながら、レティシアと同じ屋根の下で暮らし始めた。姉ポーラとジェロームは政略結婚とは思えぬほど仲睦まじい夫婦となり、そんな若い夫婦を見守るレティシアの両親も満足気だ。
この平穏な家庭を乱してはならない――レティシアは自分の想いを誰にも知られぬよう、緊張の日々を送ることになった。
レティシアの両親は今までずっとレティシアを大切に育んできてくれた。姉ポーラも幼い頃からいつもレティシアに優しかった。そんな両親と姉を悲しませるような事は絶対に出来ない。
⦅ジェローム様にも、お姉様にも、もちろんお父様、お母様にも、そして使用人達にも絶対に私の気持ちを気付かれないようにしないと……⦆
ついついジェロームの姿を目で追いそうになってしまうのを必死で堪え、出来るだけジェロームに関わらないように生活するレティシア。それも行き過ぎると不自然に見えるだろうから、最低限の交流はする必要がある。
義妹になったレティシアに、ジェロームは優しかった。遠慮がちなレティシアを気遣い、温かく接してくれるジェロームに、レティシアの恋心は募るばかりだった。
だがそれは、決して許されない恋……日を追うごとに、少しずつ少しずつレティシアは疲弊してきた。
⦅この家を出たい⦆
ジェロームと姉ポーラの婚姻から1年が経つ頃には、レティシアは切実にそう考えるようになっていた。つい先日、ポーラとジェロームの間には赤子も産まれた。玉のような男児の誕生に、ブラシェール伯爵家は喜びに満ちている。レティシアももちろん上辺を取り繕い、甥の誕生を喜ぶ振りをしている。だが、彼女の心は限界だった。
貴族令嬢が家を出るには、結婚以外の道は無い。
レティシアは17歳になっている。2ヶ月前には無事に王立貴族学園も卒業した。そろそろ縁談が持ち込まれても不思議ではない。
⦅どんな相手でもいいわ。とにかく一刻も早くこの家を出なければ――⦆
そんなある日。
「レティシア。実はお前に縁談が来ているんだが……」
難しい顔をした父がそう切り出した。
相手は現在17歳のレティシアより5つ年上の、公爵家の長男だそうだ。
公爵家の令息ならば、レティシアにとってこれ以上はない身分の相手であるはず。年齢も釣り合う。なのに、父はどうしてそんな渋い表情なのだろうか?
「何か問題のあるお方なのですか?」
思わず父に尋ねるレティシア。
「ボードレール公爵家の長男フィリップ・ボードレール。22歳。名門公爵家の跡取りで、優秀な上に見目も良い令息だ。だが……彼は2年前から、平民の愛人を囲っているらしい」
父は苦々しく、そう答えた。そして続ける。
「やんわりと縁談を断ろうとしたが、公爵家の当主夫妻が必死でな。平民の女に現を抜かしている息子をとにかく貴族令嬢と結婚させて、貴族の血筋を守りたいようだ」
ブラシェール伯爵家は長い歴史を誇る由緒正しい家だ。公爵家に嫁ぐことに何の不足もない血筋である。
「……なるほど」
名門公爵家からの縁談を無下に断る事は出来ない。父が「やんわりと」でも断ろうとしてくれた事は、レティシアを思っての親心以外の何物でもない。レティシアは父の深い愛情を感じて嬉しかった。と同時に、だからこそ自分は決して家族を困らせたくない、ジェロームへの恋心を知られぬうちにこの家を出なければという思いを、一層強くした。
父の目を見て、はっきりと告げる。
「愛人を囲っている貴族男性なんて珍しくもありませんわ。お父様、私はもう17歳です。夢見る少女ではありません。公爵家に嫁ぎます。そして必ずやブラシェール伯爵家に利益を齎しますわ」
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