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1 あぁ、憧れのドアマットヒロイン

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 バルサン伯爵家令嬢ヴィクトリアは、何を隠そう恋愛小説フリークである。
 彼女はまだ10歳なのだが、年の離れた従姉の影響を受け、8歳の頃から恋愛小説漬けの日々を送ってきた。そのヴィクトリアが最近もっともハマっているのが【ドアマットからの溺愛】という流れのストーリーだ。ヒロインに感情移入しまくりながら読んでいるうちに、すっかり【憧れ】になってしまった。

 ヴィクトリアは裕福な伯爵家の令嬢だが、3年前に実の母を病気で喪っている。当時まだ7歳だったヴィクトリアにとって、辛過ぎる別れであった。その後、もともと一人っ子の一人娘であるヴィクトリアに対して過保護だった父と使用人達は、更に輪をかけて過保護となり、ヴィクトリアはかなり我が儘な令嬢に育っていた。そしてその事をヴィクトリア自身も自覚していた。

⦅ドアマットからの溺愛ヒロインになりたいのに、私ってばドアマット要素ゼロだわね……。どちらかと言うと流行りの【悪役令嬢】要素の方が強い? う~ん⦆
 ヴィクトリアはまだ10歳ではあるが、冷たい美貌の持ち主であった。確かに美しい。美しいのだが、それは氷のような冷え冷えとした美しさだった。おまけに我が儘で高慢とくれば、もうそれは【悪役令嬢】以外の何物にも見えない。だいたい名前からして「ヴィクトリア」である。産まれた瞬間から人生の勝者となることが決まっているかのような名前だ。少なくともドアマットヒロインの名ではない。
 実に不本意である。
 しかし、名前も容姿もそうそう自分で変えられるものではない。
 だったら、せめて意識して我が儘を止めればいいと思われるかも知れないが、止められない。ヴィクトリアは悪くない。際限なく甘やかしてくる父や使用人達が悪いのだ。

「いいえ。そもそもそういう他責思考が悪役令嬢っぽいのだわ。どうして私は謙虚になれないのかしら?」
 独り呟くヴィクトリア。
「でもやっぱり私の所為じゃないわよね? 甘やかす大人たちの所為よ!」
 自分に甘く、ヒトには厳しいヴィクトリア。思いは堂々巡りである。
 



 だが、転機はある日突然やって来た。
 父が再婚するのだと言う。
 母が亡くなってから既に3年半が経っている。故に父が再婚をする事自体は貴族の常識の範囲内だ。ちっ。
 父には、できれば母が亡くなって3ヶ月も経たないうちに愛人を連れて来て妻にする、くらいの鬼畜な所業を実行して欲しかった。だが仕方ない。時間ときは巻き戻せないのだから。
 だったらせめて相手にヴィクトリアと大して歳の違わない連れ子がいて、その子が父の実子――つまり母の存命中に産まれていた隠し子――なら、ヴィクトリアのドアマットヒロイン指数が爆上がりするのだが……
 ヴィクトリアは期待を込めて父に尋ねた。
「お相手の女性にお子さんはいらっしゃるのでしょうか?」
 ヴィクトリアの質問に、何故か父は焦りの色を浮かべた。おや?

「実は彼女には娘が一人いる……のだが、その……」
 口籠る父。額には汗を浮かべる始末だ。
 父のこの反応。
 これはもしかしたらもしかする?
 ヴィクトリアの心は浮き立った。
「お父様。どうなさいました? その女の子は何歳ですの?」
 意地の悪い笑顔を父に向けるヴィクトリア。
 その笑顔はドアマット感ZERO。まさに「出た! これぞ悪役令嬢!」という顔になっているのだが、ヴィクトリア本人は気付かない。

「すまない! 本当にすまない!」
 突然そう叫び、ヴィクトリアに向かって土下座をする父。
 頭頂部が丸見えだ。
 父の頭のテッペンがいつの間にか薄くなっていることに驚くヴィクトリア。
「お父様?(知らぬ間にそんな薄毛になっていらしたの!?)」
「……実は、その娘はお前と一つ違いの9歳で……あの、その……私の実子なんだ」
 キタコレ! まさかのビンゴ!?
 興奮するヴィクトリア。もう父の頭頂部の毛の事などどうでも良い。

「つまり、お母様が生きていらっしゃる頃からその女性と乳繰り合い、挙句に子供まで儲けていたという事ですのね?」
 10歳の娘ヴィクトリアのあまりにもストレートな物言いに、ガックリと肩を落とす父。
「ヴィクトリア。すまない。すまない。本当に何と言って詫びたらいいか……不誠実な私を許してくれ!」

「お父様。お父様の事を特別不誠実な人間だなどとは思いませんわ。男なんてそんなモノですもの」
 とびきりの笑顔を父に向けるヴィクトリア。
「え……!?」
「妻と子供と愛人と隠し子がいる――ごく普通の貴族男性ですわ。お父様は」
「うぅっ」
 苦しそうに胸を押さえる父。
 一方のヴィクトリアは望み通りのストーリー展開に嬉しさが隠し切れない。
 これから(きっと)始まる、憧れのドアマットヒロイン生活! ウッキウキのワックワクである。

 継母となる愛人は、容赦なく継子であるヴィクトリアを苛めるだろう。彼女はずっと日陰の身だったのだ。正妻の子であるヴィクトリアを憎み、恨んでいるに決まってる。
 そして、今まではヴィクトリアに甘かった父も使用人達も、やがて継母の言いなりになり、ヴィクトリアを虐げるようになる。間違いない。恋愛小説では定番の流れだからね。
 そうそう。一つ違いの異母妹は、きっと「お姉様ばかりズルい」が口癖で、ヴィクトリアの物をアレもコレも欲しがり、次々と奪い取っていくに違いない。

⦅そしてついには私の婚約者(まだ、いません!)まで横取りする、というのがお約束よね。妹に婚約者(まだ、いません!)まで奪われるだなんて、何て可哀想な私。これぞドアマットヒロインだわ。その後、すっかりお義母様の操り人形と化したお父様の命令によって、私は【冷酷無比】【女嫌い】と評判の軍人とか辺境伯とか、或いは素性の分からん訳ありの貴族男性(物語後半で実は高貴な血筋の方と判明する)とかに嫁がされるのよね。でもって、そこから始まる溺愛生活♡ 一見怖い旦那様が私にだけは甘々で~……ぐふふふふ。あ、でも溺愛までに時間がかかるパターンだと、初夜に「君を愛するつもりはない」の台詞があるかも。油断は大敵だわ!⦆

「お父様。お義母様と妹との新生活。とっても楽しみです!」
 清々しい顔でそう言い切ったヴィクトリアに、父はただただ困惑の表情を浮かべたのだった。
 
 

 

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