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第七夜 血塊
第3話 追儺の方相氏
しおりを挟むそこに辿り着けば、幼き者は成長し、老いた者は若返るという。
そこには時の流れというものがなく、いつまでも健やかに暮らせるという。
あらゆる力に満ち溢れ、あらゆる存在の礎となり、あらゆる生が産まれ、あらゆる死が還る。永久に永遠で永劫たる地、絶対不変たる始原の地。
──それが常世だ。
『この世界をひとつの球体と考えるんだ』
その球体の中に世界があり、その球体が回るからこそ時間が流れる。
『その球体が転がる空間があるとする──そこが常世だよ』
回転によって時間が生じる球体の中の現世とは違い、常世は球体の外にある空間なので時間の流れが発生しない。
だから永遠に変わらないし、この世界を包容する力を持っている。
『そこはこの世界にある全ての存在を創り出す力に満ちているんだ。あらゆるものの存在を根底から維持する力、無色透明だから如何様にも塗り替えられる力、多様に分化する可能性を秘めた力』
常世の力を使えたあの人は、常世のことを丁寧に教えてくれた。
『それはね、幽谷響……無限大の力ということなんだよ』
~~~~~~~~~~~~~
「──先輩、着きましたよ」
夢現の狭間にいた幽谷響は、周介の呼び声で現実に引き戻された。
事件現場に向かう車の中でうたた寝をしていたようだ。
着いた場所は東京郊外の閑静な住宅街──その外れにある屋敷。
事件から二週間を経ているが、立ち入り禁止の黄色いテープが外されていない。
念のため、特対課が封鎖しているそうだ。
得体の知れない何かが捕まってない以上、賢明な判断だろう。
車から降りた幽谷響は周介と共に屋敷へと踏み込んだ。
広い──ともすれば信一郎の屋敷よりも大きな和風建築のお屋敷である。
しかし、今や見るも無惨に荒れ果てていた。
かつて日本庭園だったかも知れない広大な庭は、多様な雑草が群雄割拠しており、屋敷の壁は蔦に浸食され、屋根にはみすぼらしいペンペン草が蔓延っている。
外観が酷いのもさることながら、内観は輪をかけて醜悪なものだった。
「こりゃあ……写真で見るより現物のが酷ぇな」
屋敷の内装は、薄汚れた魔法陣によって埋め尽くされていた。
「近所のガキ共が肝試しに入ったら泣き出すぞこりゃ」
「実際、バケモノ屋敷って評判が近所を席巻してるようですよ。もっとも、英行が生きてた頃からそうだったらしいので、相当前からいかがわしい魔道の実験でもしてたんでしょう」
屋敷の廊下でさえ異世界めいた様相を呈していた。
数字が描かれたもの、英語で描かれたもの、ギリシャ語で描かれたもの、ヘブライ語で描かれたもの、梵字で描かれたもの、漢字で描かれたもの。
この辺りは判読できるだけマシである。
それよりも判読不能な文字で描かれた魔法陣が圧倒的に多い。
興味深げにそれらを眺めていた幽谷響を周介が手招いた。
「そんな落書きより先輩、本命はこっちですよ」
周介に連れてこられたのは、屋敷の中心にある大広間だった。
十数畳はあろうかという大広間は庭に面しており、雨戸を開け放つと日の光が差し込んで開放的になるのだが、畳一面に広がる魔法陣まで白日の下にさらした。
大広間を占める巨大な魔法陣だ。
その陣に描かれた文字は一文字たりとも判読不可能。触手がのたうち回ったかのような規則性のない文字は、そもそも言語であるのかさえ疑わしい。
紋様というにもデタラメ過ぎる。
だが、幽谷響はおぼろげながらも記憶にあるものだった。
「間違いねぇ……常世への門を開くためのもんだ」
「こういうことに詳しい先輩が言うんだから信憑性ありますね……それでですね、ほら、あそこですよ」
周介は魔法陣の中央にある赤黒い染みを指差した。
「あそこが永世英行の上半身があったところです。そこからズリズリと……」
「ああ、いかにも下半身を引き摺っていきましたって跡があるな」
大ナメクジが這ったかのように、くどい色の赤でラインが引かれている。それは大広間から縁側に続き、地面に落ちると、そこから床下に続いていた。
「当然、床下は調べたんだよな?」
「無論です。ですが何もありませんしいませんでした。下半身を引き摺ったと思しき跡も途中で消えちゃってましたしね。先輩の耳には何か隠れてるようなものの音は聞こえませんか?」
「ああ、いねぇみたいだな……今のところは」
その英行が死んだ魔法陣を見下ろして、幽谷響は嘲る笑みを浮かべた。
「もう『英行は魔法陣から出てきたおっかない怪物に喰われました』って報告書に書きゃいいんじゃねえか?」
「ハハハハ、それ楽ちんですね……って、だからそれじゃ何にも解決しないんですってば! 英行が殺された理由と殺した犯人の正体、最低でもその二つが判明しないと警視庁に帰れません!」
冗談に決まってんだろ、と幽谷響は舌を出した。
「しかし、縁の下に潜り込むねぇ……なんだっけかな、大分前に先生がそんな妖怪の話をしてくれた気がするんだがな……ありゃあなんて名前だったか……」
信一郎は妖怪を研究する民俗学者だ。
その手の話は百一夜語っても尽きることはない。
よく酒の肴に話してくれるのだが、幽谷響はうろ覚えだった。
「決壊……いや、結界だったか? 語呂は合ってるはず……んっ?」
──その時、幽谷響は怖気を浴びた。
その気配は噴き上がるように現れた。しかも空虚だったはずの床下からだ。
床下には何もいない。それは周介たち特対課が確認済みだし、音を統べる幽谷響がこの屋敷内に入って再確認した事実である。
なのに、その得体の知れない何かは突然現れたのだ。
まるで異世界から喚び出された魔物のように──。
「周介、飛べっ!!」
幽谷響はその場を飛び退き、ただならぬ気配に周介も無言で従った。
瞬間、二人のいた辺りの床が吹き飛んだ。
床板を突き破り、畳を跳ね上げ、太い緑色の柱が伸び上がる。
それはまるで魔法陣から現れたようで、周介は驚きのあまり声が裏返る。
「なっ……ホントに魔法陣から怪物が!?」
「違ぇよ! こいつぁ床下から……いや、最初っから床下にいやがったんだ!」
見えず、知られず、聞こえず、気付かれず──蹲っていた。
幽谷響と周介は緑色の柱から目を離さずにバックステップの要領で後退る。
開け放たれた縁側から飛び出して、雑草だらけの庭へと着地する。
そこで様子を窺った。
床板を突き破った緑色の柱は、どうやら腕のようだ。
大広間の床を壊して現れたのは、象ほどの大きさはある緑色の怪物だった。
全体のフォルムは熊に近い。基本四足歩行だが二足歩行も可能で、前足を腕のように扱えるらしい。緑色の毛は長毛種の犬ぐらいの長さはある。
そのせいか頭や顔が判別しづらかった。
ただ、口が大きいのだけは窺い知れる。
あの口なら、余裕で人間を飲み込めるだろう。
呆然としていた周介は、怪物の外見をわかりやすくまとめた。
「……ガチ○ピン色のでっかいム○ク?」
「ポン○ッキ知ってる人間には涙目もののわかりやすさだな」
軽口を叩いてる場合ではない。緑色の怪物はこちらへ前足を踏み出した。
──おぎゃあああああああああああああんっ!
不可思議な雄叫びを上げて、一直線に幽谷響へ向かってくる。
それを幽谷響は迎え撃ち──あっさり投げ飛ばした。
突進してきた力を受け流し、自身を軸に回転させて宙へ飛ばす。
象ほどはある重量が空に舞い、全壊した大広間に落ちて、地震のような地響きを起こした。
周介は狐に抓まれたような顔をしているが、彼にもできるはずだ。
何故なら幽谷響たちが習得した武術とは、こうした力の使い方をするものなのだから。出来ないとかほざいたら、張り倒してやる。
「さすが『力法宗』序列第二位……お美事な合気投げです」
「うるせぇよバーロー、感心してねぇでオメェはさっさと変身しやがれ。そうでもしねぇとオメェは半人前の役立たず以下、屁のつっかい棒にもなりゃしねぇんだからよ。ほら変身だ変身、この仮面ライダーモドキめ」
幽谷響の罵詈雑言を受けて、周介は渋々準備を始めた。
「はいはい、わかってますよ……ホントのことだけど酷いこと言うなぁもう」
周介は大きなバックルが目立つ金属製のベルトを装着する。
剣の形をしたネクタイピンを取り外すと、それをバックルへ差し込んだ。
「──変身」
刹那、目映い光に包まれた周介の姿が変わっていく。
何本もの黒い帯が現れて周介の全身をボディースーツのように隈無く覆い、更に赤と金のカラーリングが施された装甲で鎧われ、最後に黄金の目を持つ鬼を模した仮面が装着される。
『方相氏──撃魔剣フォーム』
バックルから電子音が響き、変身した周介は一振りの大剣を構えていた。
「それでは方相氏の追儺の舞い──とくと味わっていただきますか」
緑色の怪物が立ち上がり、それに黄金の鬼が立ち向かう。
これが魔道師『方相氏』──その真の姿。
方相氏とは金色に輝く四つの眼を持った鬼神で、剣や矛や盾を構えて、人々に仇なす悪鬼を追い払い、世に蔓延る邪鬼を駆逐すると伝えられている。
魔道師『方相氏』はこれを受け継ぎ、悪鬼滅殺を誓う正義の魔道師なのだ。
「しかし……どう見たって平成版の仮面ライダーだよな」
代替わりする度に変身時の衣装が替わるそうだが、どうやら世相を反映しているらしい。彼の親父さんは昭和初期のヒーローっぽいデザインだったという。
緑色の怪物が前足を振り下ろすが、周介は大剣で易々と受け止めた。
理屈はよく知らないが、『方相氏』は変身すると身体能力が何十倍にも跳ね上がるそうだ。
膠着状態となった周介は仮面をこちらに向けて怒鳴り声を上げた。
「ちょ、先輩! なに避難してるんですか!? 手伝ってくださいよ!」
そう──この隙に幽谷響は引っ込んでいたのだ。
屋敷を取り囲む塀に昇り、そこで高みの見物を決め込んでいた。
「俺ぁ戦闘能力一辺倒のオメェと違って、そんなバケモノと真正面からやりあうほど尖ってねぇんだよ。ヤバくなったら助けてやっから」
まずはオメェ1人でやってみな、と幽谷響は後輩に丸投げした。
正体不明の怪物と予備知識も無しに戦わない──。
これは幽谷響なりのポリシーだ。
弟弟子を実験台にするような気がしないでもないが、変身した『方相氏』は本物の仮面ライダー並みに不死身なので死ぬことはあるまい。
危険になったら周介を掴んで逃げればいい。
「あーもう! やればいいんでしょやれば!!」
腹を括った周介は怪物を押し返して間合いを取り、すぐさま『方相氏』の振るう退魔の剣で、緑色の怪物へ幾度となく斬りつけた。
剣術に関しては一端の腕を持っているのだ。
──しかし、無意味だった。
切断した端から泥のように再生してしまうのだ。
右前足を斬り落としても、落ちる前にくっついて元通りに治ってしまった。この緑色の怪物、再生能力には一目置くものがある。
だが、周介の攻撃がダメージを与えていることを幽谷響は感じていた。
攻撃を受ける度に怪物から響いてくる鼓動に変化があるのだ。確実に攻撃が効いており、弱っている証拠だった。
「そんな訳だから休まず攻め立てろ。今んとこそれしか手がなさそうだ」
「はいはい、ホント後輩使いが荒いんだから……ん?」
──おぎゃあああっ! おぎゃあああんっ! おぎゃあああああんっ!!
唐突にも怪物の行動に変化が現れた。
まるで駄々でも捏ねるかのように前足を振り回し、その場で地団駄を踏んでいる。そして、今までとは段違いの雄叫びを迸らせた。
──おぎゃあああああああああああああああああああああああああんん!!
再び幽谷響は怖気に震えた。いいや、先程以上の驚異である。
「こりゃあ……やべぇ! 周介、身ぃ守れ!!」
「え……は、はいっ!」
幽谷響の命に従い、周介はバックルを操作すると異なる姿に変身した。
『方相氏──辟邪盾フォーム』
装甲が分厚く頑丈になり、手にするのも大剣から堅牢な盾に変わった。
その巨大な盾で周介は身を守り、幽谷響も音波の壁を形成する。
──おぎゃああああああああああああああああああああああああんんん!!
雄叫びが周囲に響き渡った途端、あり得ない現象が起こり始めた。
屋敷の庭を占拠する雑草がざわめき、一気に伸び始めたのだ。
その逆に花を咲かせていた桜の木が瞬く間に枯れ果てて、その他の庭に生えている木々も腐り落ちていった。
かと思えば柿の木に花が咲き、あっという間に果実を実らせていく。
「間一髪……遅けりゃガキに若返るか、ジジイになるかの二択だったぜ」
「な、なんですかこれっ!? 植物が咲いたり枯れたり……?」
周介が驚くのも当然だ。
こんな時間の法則を無視した真似、魔道師でも不可能である。
「だが、もう間違いねぇ……こいつぁ常世のものだ」
──おぎゃあああああああああああああああああああああああああん!!
緑色の怪物は最後に一吠えすると、その姿を霞のように消えてしまった。
だが、その巨大な存在感までは消えず、この場に留まっている。
その存在感が屋敷の塀をぶち壊して移動すると、そのまま何処かへ走り去ってしまった。図体の割にかなりの速度で走っているようだ。
「逃げちゃった、みたいですね……あずたっ!?」
「逃がしてどうするよ!? さっさと追うぞアホンダラ! ほら車出せ!」
周介の後頭部を錫杖でドツいて、幽谷響は車に向かった。
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