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第二夜 応声虫
第2話 腹中にて飼う
しおりを挟む「……だからって、極道と関わりがあるとは思わなかった」
冷たいリノリウムの廊下を歩く信一郎は疲れきっていた。
丁重に扱われたとはいえ、ヤクザの事務所で二時間も軟禁されたのだ。神経のか細い信一郎には堪える仕打ちである。
「俺たちはちと野暮用があってね、先生の迎えは連中に任せたのさ」
ここは事務所と同じ区内にある大型の総合病院。この病院への送り迎えも彼らの黒塗りの車だった。白山は彼らを手足のように使える身分のようだ。
信一郎を招いた用件は、この病院にあるらしい。
「あそこの組とは縁があってな」
先を歩く白山は、振り返りながら説明してくれた。
「俺たちみたいな渡世にゃあ協力者が欠かせねえ。そういった便宜を図ってくれるのが、ああいう連中って寸法さ。だから、頼まれたら嫌とは言えなくてよ……なぁに、これも人付き合いの一環だ。先生ならわかるだろ?」
「言い分はわかりますけどね……」
正直、巻き込まれたくないというのが本音だった。
信一郎には魔道師としての自覚がなく、その感性は未だに一般人だ。
覚悟を胸に刻んで魔道を進む幽谷響たちと違い、信一郎は押し付けられる形で魔道師にされてしまったのだ。魔道師の中でも特殊な存在である。
魔道とは──終わることなき永劫の道。
一人の魔道師が志半ばで倒れたとしても、大抵は後継者がいる。そして、後継者は先代に対して覚悟や決意を示すものだという。
だが、信一郎は先代の木魂から『波長がピッタリ適合する! 君の身体ならイケるイケる♪』という理由だけで、魔道を委ねられたのだ。
本人の同意も中途半端なままに──。
「……私を呼び出したってことは、そういう用件なんですよね?」
不機嫌そうな信一郎から、白山は眼を逸らす。
「いやぁ、俺ぁ幽谷響で事足りると踏んだんだがな。こいつが……」
「拙僧じゃあ『アレ』は取り除けやせんぜ」
逸らした視線の先にいる幽谷響は素気なく言った。
「そうかぁ? おめえの音霊──あれなら何とかなるだろ」
音霊──幽谷響が扱う音の秘術だ。
聴覚から他者の脳神経に働きかけ、その術中に嵌った者に幻覚を魅せ、極上の仮想現実を体感させるらしい。
その効能は凄まじく、現実の肉体にさえ影響を及ぼす。
「ですから、再三ご説明申し上げたでしょうに……ああなっちまった方には無駄なんでございやすよ。音を聞かないから術が効かないでさ」
「そうか? 逆に掛かりやすいと思うんだが」
「拙僧の音霊はね、相手に意識がねえと騙せねえんでやすよ」
二人の会話に信一郎が割って入る。
「あの、だから私の呼ばれた理由が未だにわからないんだけど……」
おずおず尋ねる信一郎に、幽谷響と白山は顔を見合わせた。
「まずは現物を見てもらいやしょうかねえ」
幽谷響も顎をしゃくった。釣られて信一郎も視線を上げる。
そこは個室の病室で、扉の前には門番のような屈強なヤクザが二人、ガードマンよろしく立ち尽くしている。一応、警備役のようだ。
彼等に一礼されて病室に入ると、個室には一人の男が寝かされていた。
「この御仁が先生を呼んだ理由でございやすよ」
ベッドの上、寝息も静かに眠るのは線の細い神経質そうな男だ。
あのヤクザたちが護衛につく以上、彼等より上の立場なのだろう。しかし、重傷を負って生死の淵をにある様子はない。ただ寝ているだけだ。
「──あの組の若頭さ」
白山は男の素性を簡潔に教えてくれた。それ以上の情報は詳らかにしない。
信一郎も知りたくはないので頷くだけに留めた。
「事の起こりは四日前、何の変哲もねえありきたりな夜に起きた」
組は街を仕切る──無論、表ではなく裏からだ。
ところが最近、組が仕切る地域に外来の勢力が進出してきたらしい。詳しくは聞かないが大陸系マフィアだそうな。
若頭はそいつらに対処するべく、若い衆を率いて行動を開始した。
彼らが動き出した夜──事態は急変した。
「……ちょいと偵察に行くつもりが、全部バレてたって寸法さ」
白山は苛立ち紛れに煙草を取り出して口にした。それに火を灯す直前に信一郎が横から奪うと、白山は信一郎のタバコ嫌いを思い出したらしい。
白山は苦笑いのまま話を続ける。
「若い衆十三人は行方知れず。一報を受けた組の連中が応援に駆けつけた時には、この若頭だけが路地裏にぶっ倒れてた。後には手掛かり一つなかったとよ」
「まぁ、この御仁こそが手掛かりでやすがねえ」
含みある言い方なので、信一郎は耳聡く拾っていた。
「……どういう意味だい?」
「この御仁、腹から同胞の臭いがプンプンするんでさ」
即ち──魔道に関わる気配。
「もう三日眠ってるのに起きやしねえ。どんだけ診察しても、外見も中味もあらゆる面で異常はないんだそうで」
「どうにも妙だってんで、魔道の事情を噛んでる組長が俺を頼ってきたのさ。だが、俺の領分じゃねえからコイツを呼んだんだが……」
白山は幽谷響の頭を軽く小突いた。
「どうにも拙僧の領分でもねえようなんでさ。そこで考えやしてね」
二人の視線は、信一郎へと向けられる。
「それで……私?」
自分を指差す信一郎に、二人は頷いた。
「生身の人間をいじくる術で、先生を超える方はおりやせんからね」
「謝礼は組からたんまり出るんだ。断る理由なんざねえだろ、先生?」
魔人たちの愛想笑いに信一郎は嘆息した。
いや──今や私も彼らの同胞、魔人のはしくれか。
手で覆った顔の下で歯噛みすると、晴れぬ表情のまま幽谷響に尋ねた。
「どんな症状かくらいは把握してるんだろう?」
「さすが先生、そうでなけりゃあ我々の道は成り立ちやせんぜ」
幽谷響はシーツを取ると、若頭の寝間着を剥いで上半身を裸にする。そこそこ鍛えられた腹筋の辺りを幽谷響が撫でると、波打つように蠢いた。
「どうもここに何かが潜んでるようでございやしてね」
「潜んでる? いったい何が──」
幽谷響は申し訳なさそうに首を横に振る。
「そこまでは拙僧にも見当がつきやせんでした。音で探ってみやしたが、どうもあっちに行ったりこっちに行ったり……生き物みたいに動いてるんでさ。生き物なら拙僧の音も通じるかと思いやしたが、こいつがどうもいけやせん」
信一郎はなんとなく察した。
「人体が発する音に邪魔されて、君の音霊が通用しないんだろ?」
人間の体内は音──振動の坩堝だ。
心臓の脈打つ音、血液の流れる音、筋肉の伸縮する音、骨の動く音音──数え上げればキリがないほど音を発する部位がある。
どれもこれも微弱だが、いくつも鳴り響く音は複雑に折り重なる。
そうなると音を重視する幽谷響には難儀な条件だろう。
信一郎の言葉に幽谷響は些か驚いていた。
「……御名答、よくご存知で」
「長い付き合いだからね。生体内部の音を聞き取るのは楽でも、響かせるのは難儀だって聞いた覚えがあるから、そう思っただけだよ」
信一郎は幽谷響を退かせ、自分が患者の腹部へと手を添えた。
「ああ、確かに……潜んでるね」
添えた掌に念を凝らすと、魔道師としての能力を使う。
信一郎は『木魂』という魔道師で、その異能は自他問わず生命活動を自在に操作することにある。幽谷響が評した通り、生体関係に卓越した魔道師なのだ。
信一郎の手がズブリ、と若頭の腹にめり込んでいく。
それは沼へ沈むかのように潜り込み、手首まで腹の内へと入っていく。信一郎は目を閉じると指先の神経を鋭敏にして腹中を探る。
ようやく腹に潜む者を探り当て、それを掴んだ。
「これか……う、うわああああああっ?」
掴んだ物を引きずり出そうとした信一郎は、それが急に暴れたのに驚いて一気に引き抜いた。患者の腹に傷痕すら残さずに引き抜かれたのは──。
長さ60センチ──触手みたいな胴体を蠕動させる奇怪な蟲だった。
不快な粘液を撒き散らして、信一郎の手から逃れようと暴れ回る蟲。あまりの激しい動きに信一郎が放り捨てると、蟲は白山へ飛んで行く。
どこかで鍔鳴りが響き──閃光が走る。
鋭利な音を響くと、蟲はズタズタに切り裂かれた。
赤い体液を流す蟲の残骸を、白山は無感情に見下ろしている。
「へえ、これが獅子身中の蟲かい?」
「その言葉使いは間違いでやしょう。言うなれば腹の蟲って奴でさ」
どっちも用法が間違ってるが、信一郎はツッコまない。
「しかし、何なんだ……これ?」
自分で取り出しといてなんだが、この蟲は正体不明すぎる。
「拙僧も初見でやすね。どうやら腹に巣食う寄生虫みたいでやすが……」
「俺も知らねえな。魔道絡みってのは一目瞭然だが」
当然、信一郎だって知る由もない。
「と、とにかく……それが悪さをしていたみたいです。患者さんもまだ影響が残ってるから昏睡状態ですけど、直に目を覚ますはずですよ」
ハンカチで手を拭って信一郎は報告する。
「かたじけねえな先生。さて、問題はこいつの飼い主だな」
白山は懐から一枚の紙を取り出した。
それを蟲の残骸へ乗せると、紙は蟲の血を吸収して赤く染まる。血で濡れた紙はひとりでに折り曲がり、一羽の赤い鶴を形作る。
白山が指を鳴らすと、鶴は宙に浮かんである方角を差し示した。
「よーしよし、親玉はそっちか」
獲物を見つけた魔獣のような眼が獰猛な輝きを放っていた。
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