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第9章 奈落の底の迷い子たち
第217話:ヴァトとイヒコの隠れん坊?
しおりを挟む「開口一番、セクハラをかましてくる男は殺されて然るべきだと思う」
「そうじゃな。少なくとも女性に殴られても文句は言えん」
爆乳の下で腕を組んで仁王立ちするツバサ。
その後ろには女性の味方をするドンカイも腕を組んで立っており、ツバサの意見に「ウンウン」と賛同の頷きを繰り返していた。
セクハラの張本人であるセイメイは──正座で反省中だ。
「いや、だから悪かったって土下座して五体投地までして謝っただろ。言葉が足んなかったのは認めるよ。だけどさぁ……」
セイメイは変わり果てた自分の顔を指差して抗議してきた。
「秒間3億発もの連打で! 寸分の狂いもなく正確に! 顔のど真ん中を殴るってのはやり過ぎだろ! 過剰防衛で訴えたらおれが勝つぞこれッ!?」
セイメイの顔面はツバサが怒りに任せて「オラオラ!」の連打を叩き込みすぎて、顔面の真ん中が陥没して『*』みたいになっていた。神族だからこの程度で済んでいるものの、人間だったら頭蓋骨陥没で即死だ。
陥没した中心をモゴモゴさせてセイメイは訴えてくる。
「おかげで前が見えねぇからツバサちゃんのデカ乳も見え……でべらぁ!?」
「そういうのが逐一セクハラなんだよ!」
セイメイの顔面を貫くように『*』へ足の裏を蹴り込んだ。
セクハラまがいの連絡を受けた直後──。
ツバサはセイメイとドンカイの気配を辿って、西南西に広がる樹海らしき場所へ飛んだ。位置的には還らずの都とハトホルの谷のちょうど中間辺り。
直線的に結んだ中間ではなく、かなり西寄りなところだ。
……いや、正確に計ったわけではないから断言できないが、これもうほとんど西じゃないか? ハトホルの谷から見たらほぼ北なのでは?
とにかく、この辺りはアハウの暮らすククルカンの森のように広大な森が広がっているのだが、亜熱帯には属していない。どちらかといえば温暖湿潤で日本を思い出させる樹林が繁茂していた。
比較的、蕃神の侵略を受けなかった地域らしい。
真なる世界に残された、生のままな原生林である。
この近辺で探索していたドンカイたちの元に飛んできたツバサは、駆けつけ三杯とばかりにセイメイの顔面に秒間3億発のパンチをお見舞いしたのだ。
「どうせ大して効いてないくせにほざくな、ニート侍」
見事に『*』を描かれた顔面をアピールして被害者ぶるセイメイを、ツバサは元よりドンカイも冷淡にあしらっていた。
「セイメイよ……おまえさんこの間、SP余っとるからって子供たちのウケ狙いで『コメディリリーフ』の技能を習得してたじゃろ。なら死にゃせんわい」
コメディリリーフ──早い話、ギャグキャラになれる技能だ。
大爆発に巻き込まれても、黒焦げになって頭がアフロになるだけ。
ダンプに撥ねられても、血反吐を吐いて悲鳴を上げるだけ。
巨大な石に押し潰されても、ぺったんこになるだけ。
被害こそ受けるものの死にはしない。しばらくすれば元通り。
アニメやマンガのギャグキャラが死ぬようなことをされても平然としていられるように、笑いのためにウケを狙えば身体が極端に変形して多少なりともダメージは受けるが死ぬことはなく、大抵のことはやり過ごせるようになる。
ある程度までなら“不死身”が保証される技能だ。
ツバサたちの仲間では、変態と変態が習得済みである。
どちらも“伝説の芸人”というランクにまで極めているので、身内のおふざけでは間違っても死なない。ギャグキャラならではの耐久性を持っている。
「ちぇっ……オヤカタにはバレてたのかよ」
へへっ、と笑い声を漏らすとセイメイの顔は瞬く間に戻る。
ツバサの連打を受けたのもわざとだ。セイメイが本気を出せば、一発も食らわないことさえできただろう。イタズラがバレた悪ガキのような顔でセイメイは照れ臭そうに頭を掻いた。
あのセクハラ発言からして、このためのフリだったのかも知れない。
「……ったく、いい年こいて下手すりゃ子供たちより餓鬼なんだから」
ツバサは年上なのに世話の焼けるセイメイに嘆息した。
セイメイは、まったく悪びれた様子もなくヘラヘラと笑いながら、ヒラヒラ片手を振って許しを請う。まるで飲み過ぎてベロベロの酔っ払いだ。
……あ、こいつは常態的に酒を呑んでいる酔漢だったか。
「まあまあ、そう言うなって──お義母さん」
セイメイに義母と呼ばれた瞬間──かつてない怖気に見舞われた。
「だっ……誰がお義母さんだッッッ!?」
得体の知れない嫌悪感から、本気で決め台詞を叫んでしまった。
しかし、セイメイは意に介することなく続ける。
「いや、だってさ、おれの嫁であるジョカはツバサちゃんの娘になったろ? その娘であるジョカとおれは夫婦になったわけだから……」
「うっ、眼を背けていた事実を……」
思わずたじろいだが、こればかりはセイメイの言葉に分があった。
ジョカが「ツバサさんの娘になる」と言い出して、その直後に「セイメイと結婚する」と宣言した時も考えないわけではなかったが……。
「セイメイが義理の息子って……なんか嫌だな」
「そうかい? おれはツバサちゃんが義理の母ちゃんで楽しいけど」
嬉しいならともかく楽しいって何だよ?
……いかん、ツッコミを入れると更に気持ち悪い返事をされそうだ。
面と向かって義母と呼ばれたツバサは拒否感を露わにするが、それに露骨な嫌悪感を示したまま口頭で伝えても、セイメイはケロッとしていた。
大物なのか、神経が図太いのか……セイメイの場合、両方か?
「ま、まあ……そこら辺は言及するのをやめておこう。俺の精神衛生上のためにも……そんなことより、子供を見掛けたっていうのは本当ですか?」
ツバサはセイメイではなくドンカイに尋ねた。
セイメイは『子供欲しくない?』とセクハラまがいの電話をしてきたのでツバサはすぐに激怒したが、慌ててセイメイからスマホを取り上げ、事の次第をちゃんと報告してくれたドンカイによれば──。
「うむ、この場所でな……しかも、現地種族の子供ではない。ありゃあ一端のプレイヤーじゃ。ぱっと見、マリナちゃんぐらいの年格好じゃったのぅ」
マリナはまだ9歳──いや、もう10歳になった。
アルマゲドンにはマリナのように年齢詐称でログインしていた幼い子供が、大勢いたという。各陣営にも何人かいるのがその証拠となっている。
中学生にも満たない子供がアルマゲドンのような難易度の高いVRMMORPGをプレイしていた理由は様々だが、いくつかは解明されているものの謎めいた部分がまだ多い。GMたちも首をひねることがあるそうだ。
それはさておき──子供と聞いては見過ごせない。
「幼年組プレイヤーか……だとしたら、奇跡的ですね」
「ああ、この世界で生きていくのは大変じゃからのぉ……ワシも君らと再会するまでは四苦八苦したもんじゃ。襲ってくる敵も強いし、衣食住もままならん」
真なる世界での生活は過酷だ。
神族や魔族になっても、油断ひとつが死に直結する。
モンスターたちはアルマゲドンより数段強力になっているから、戦闘で少しでもミスをすれば即死、運が悪ければ蕃神という異次元の怪物に出会して即死、キョウコウやナアクのような悪性の高LVプレイヤーに会っても即死、地球では考えられない天才や災害に見舞われたら即死……難易度は地獄級である。
住めば都となるものの、そのためには技能がいくらあっても足りない。
特に生産系や生活系の技能は必須となるのだが──。
「幼年組のプレイヤーは傾向として、冒険を楽しむために戦闘向けの技能ばかりを揃えたがる……ジンのような生産系を楽しめるのは、若くても高校生ぐらい……俺みたいに生活系を揃えるなんて考えもしないでしょう」
「何より、子供たちではいくらLVを上げたとしても、様々な面において大人より数段劣るからのぉ……この世界で生きていくには辛かろうて」
そんな幼年組プレイヤーが──今日まで生き延びた。
もしも、その子供がドンカイやセイメイの見間違いでなければ、この弱肉強食な滅びかけた世界で、強かに生きていく能力を持っていたことになる。
「あるいは──保護者がいるのかもな」
セイメイは『*』から戻した顔を揉んで、正座から立ち上がる。
「ツバサちゃんたちがマリナの嬢ちゃんを養ってたように、気のいい誰かが守ってやってた……って線もあると思うぜ。もしそうじゃなくて、自力で今日までやってきたってんなら、それはそれでタフなガキンチョたちだぜ」
景気づけにと腰に下げた瓢箪から酒をラッパ飲みするセイメイ。
彼の何気ない発言をツバサは拾い上げる。
「おい、セイメイ……ガキンチョたち、って言ったか?」
「おお、すまん。言葉が足りなかったな。1人ではなかったんじゃ」
セイメイの代わりにドンカイが詫びを入れる。
そして、目撃した子供たちについて丁寧に説明してくれた。
「ワシらが見掛けた子供は2人──1人は男の子じゃな、多分。動きやすさを重視した格好を見るに、戦闘系の職能じゃろうがワシらのような近接格闘がメインかも知れん。もう1人は見るからに女の子じゃった。ローブのようなもんをまとっておったから魔法系か何か……まあ、後衛の職能じゃろうて」
「前衛と後衛……2人いれば神族なら程度により何とかなるか」
蕃神でも“王”でなければ対処できるかも知れない。
実際、ダインとフミカはツバサたちと出会うまで、たった2人で津波のように押し寄せる蕃神の眷族から現地種族を守り切ったくらいだ。
あの子たちも大概タフである。もっと逞しく育てよう。
「んで、見掛けたおれとオヤカタは笑顔で手を振って呼び掛けたんだけどな。警戒されたのか逃げられちまったってわけよ。だから……」
「俺を呼んだ、とでも言いたいのか?」
セイメイはツバサを呼んだ理由を臭わせたので、先手を打って訊いてみた。
そうそう♪ とセイメイはご機嫌を伺うように答える。
「厳ついオッサンコンビじゃチビッコはおっかながって寄ってこないかもだけど、母性のシンボルみたいなツバサちゃんならワンチャンあるんじゃない? ついでに家族に誘って、新しい息子と娘にしちまえ……って寸法よ」
これが『子供欲しくない?』の台詞に繋がるわけか──。
「誰が母性のシンボルだ」
決め台詞を返したところで念のため確認する。
「セイメイも、そして親方も笑顔で手を振ったんですよね? その子たちもプレイヤーならわかりそうなものだが……どんな感じで挨拶したんですが?」
再現するよう促せば横綱と剣豪は顔を見合わせて──。
「そりゃあ愛想良くちゃんと営業スマイルで……」
「んだんだ、怖がらせないようにオレたちにできる精一杯の笑顔で……」
ドンカイとセイメイは、本人たちが最高だと思っている笑顔でツバサに向き直り、敵意がないように手を振ってみせるのだが……。
「あ、ダメだこれ──魔王も裸足で逃げ出すわ」
本人たちは極めて優しい作り笑いを浮かべているつもりだろうが、第三者から見れば牙を剥いた鬼神にしか見えない。陽炎のような覇気まで漂わせている。
子供の感性なら逃げて当然だ。
「そして、このだだっ広い森の中に隠れられてしまったと」
ツバサは鬱蒼と生い茂る樹林を見回した。
「やれやれ……隠れん坊にしては子供らしからぬ難易度だな」
この広く深い森に逃げ込んだ子供2人を探し出すのは、ヘンゼルとグレーテルを追い詰めたおとぎ話の魔女にだって至難の業だろう。
しかし──神となったプレイヤーならば容易いこと。
セイメイとドンカイも気配感知などの技能で追いかけたという。最初は難なく追跡できたそうだが、途中で見失ってしまったそうだ。
ドンカイは申し訳なさそうに、その時の状況を話してくれた。
「子供相手だからと油断しとったわけでない……とは言い切れんが、すぐに追いつけると思っとったら、急に気配が消えてしもうてな。そこからは完全に行方を掴めんようになった。しかし、気配遮断の技能にしては妙なんじゃ」
ドンカイほどの達人になれば、その遮断した気配すら感知できるはず。
同レベルの達人であるセイメイも舌を巻いている。
「隠密できる結界を張るとか、自然物に溶け込んで自分の存在を消すって遁法系の技能かとも思ったんだけど……こいつぁ違う、おれたちの手に負えねえ」
ドンカイもセイメイも、現実では達人と讃えられたほどの武道家。
この世界に来て神族になっても修練を積み重ね、場合によってはツバサをも凌駕する腕前を備えた武人だ。この2人を出し抜ける者など滅多にいないだろう。
その2人から逃げ果せた子供──尋常ではない。
「こいつぁおれの勘だがよ……奴さんら、クロコさんやダイン坊みたいな過大能力を持ってんじゃねえかな?」
だとしたらお手上げだぜ、とセイメイは袖をまくるように両手を挙げた。
「道具箱に自分だけの領域を持てる過大能力か……」
確かに──別空間へ逃げ込まれたら厄介だ。
最近ツバサも似たような“位相の異なる空間”へ移動できる能力を開発したが、あれを使われると能力の当事者以外は行き来できないし、その空間へ逃げ込まれたら手も足も出せなくなる。
「取り敢えず、俺も探してみよう。俺の過大能力なら、この辺り一帯の自然に働きかけることができるし、何か手掛かりを見つけられるかも……」
ツバサの過大能力──【偉大なる大自然の太母】。
自然を操って支配下に置くのではなく、大自然を生み出す根源の太母として全ての自然を司るようになり、これによって自然はツバサの意のままとなる。
まさしく──地母神に相応しい過大能力だ。
「──誰が地母神だ!?」
「「いや、なんにも言ってないし!?」」
脳内独白にいつも通りの決め台詞でツッコミを入れ、ドンカイとセイメイに目玉が飛び出すくらい驚かれながらツッコミ返された。
おバカな寸劇をやりつつも、ツバサの意志は樹林に行き渡っていく。
10秒と経たずに樹林における森羅万象を地母神として掌握したツバサは、件の子供たちがどこかに潜んでいないか探してみた。
いない──姿形どころか気配も掴めない。
これはセイメイの読み通り、道具箱や亜空間に自分だけの領域を持てる過大能力でも持っているのか? と勘繰り始めたその時だ。
樹林のある一点に、奇妙な空白地帯があることに気付かされた。
~~~~~~~~~~~~
「ねえねえ、ヴァト──あれ、そうだよね。やっぱりツバサさんだよね!?」
少女は眼鏡越しに双眼鏡を押し当てたまま、レンズの彼方に映る爆乳美女を興奮の眼差しで見つめていた。声には憧れの感情が隠せていない。
「ああ、イヒコ──見間違えようもない、ツバサさんだ」
眼鏡の少女を“イヒコ”と呼び返し、そのイヒコに“ヴァト”と呼ばれた少年は落ち着き払った声で返した。彼の瞳もまた憧憬に輝いている。
尊敬するヒーローに出会えた──そんな眼だ。
2人は樹林の奥、青葉が良く繁った木陰に身を潜めていた。
どちらも地べたに仰向けで寝そべり、隙間からそっと様子を窺っている。
少年は双眼鏡いらずの視力で、数㎞先の3人組を眺めていた。
その目付きは仔細を漏らさぬ観察眼を働かせている。
「さっき、鬼の形相で襲いかかってきた2人組の大男……よく見たら、片方は見覚えがある。あれは“轟腕”のドンカイさんだ」
「あの轟腕さん!? 第32回の配信でツバサさんと激闘を繰り広げたお相撲さんだよね!? 現実でも本当の横綱で、ツバサさんの親友っていう……」
「間違いない。突然のことで逃げてしまったが……もう1人、あの黒いサムライ風の男もなんとなく覚えがあるんだが…………ごめん、思い出せない」
「ヴァトが思い出せないんじゃ大したことないんじゃない?」
イヒコは双眼鏡を覗いたままぞんざいに答える。
少女は双眼鏡の先にいるツバサを一心に見つめており、涎が漏れそうなほど口元をにやけさせると、嬉しさのあまり両足をバタバタさせていた。
まるで憧れのアイドルを前にしたファンのようだ。
「そんなことよりツバサさんだよぉ……ああ、ここまで来て初めて本物に会えたよぉ……今からちゃんと名乗り出れば、サ、サインとかもらえるかな!?」
「イヒコ、落ち着いて──あんまり騒ぐとばれる」
大丈夫だいじょぶ♪ とイヒコはのんきにはしゃいだ。
「あたしの“隠身奏”は誰も気付けない絶対無音領域を作るんだから、ツバサさんでも見付けられっこないって……それよりどうかな? 出てってみる?」
言うが早いか、イヒコは木陰から這い出ようとする。
ヴァトはその肩を掴んで彼女を止めた。
「待って……彼女の仲間であるドンカイさんやサムライ男から、ぼくらは逃げてしまった。あちらも警戒しているかも知れない。それに……」
彼女は本当に──ツバサ・ハトホルなのだろうか?
「なっ……何を言い出すの、ヴァト!?」
訝しげなヴァトの発言にイヒコは異を唱える。
「あの凛々しくもダンディなのに母性を讃えた女神さまな美貌に、豊乳の二つ名に相応しいたわわに実った超爆乳! おっぱいのついたイケメン女神とアルマゲドンで大評判だったツバサさんに間違いないじゃない!」
イヒコは思いつく限りのボキャブラリーで、ツバサを褒め称える。
「うん、ぼくもそう思う……だが、この世界は得体が知れない」
ヴァトは彼女を意見を尊重するが、自分の考えもしっかり述べた。
「何度、騙され、欺かれたか……殺されかかった回数を数えたらキリがないじゃないか。家族の幻を見せて誘惑しようとしたモンスターも一度や二度じゃない……君も幸せそうな顔のまま飲み込まれかけただろう」
忘れたのか? とヴァトは教訓めいた物の言い方をする。
身に覚えがあるイヒコは萎縮してしまった。
「うっ……じゃあ、あれもツバサさんじゃなくて……悪いモンスターが化けているってこと? あたしたちが会いたがっている人の姿を真似て……」
「その可能性もある、ということだ」
ヴァトは用心深くツバサたちの様子を探り、しばらく考え込んだ。
「いっそ…………こちらから挑んでみようか」
「挑むって……戦うつもりなの、ツバサさんと!? ヴァト正気!?」
驚愕のイヒコにヴァトは頷くだけで応じた。
ヴァトは覚悟を決めた表情で振り向く。
「あれが本物のツバサさんなら、ぼくたちの挑戦を受けてくれるし、その勇気を褒めてくれるはずだ。もしも、ツバサさんを騙る偽物なら倒せばいい。負けたら……ぼくたちの冒険はここでお終いだ」
「あ、そっか……偽物なら勝っても負けても仕方ないと。本物のツバサさんなら、オカンの優しさで許してくれて、お近づきになれちゃうかも……」
「──誰がオカンだ」
背後から聞こえた声に、イヒコとヴァトは総毛立った。
配信された動画で何度となく聞いた、彼女の決め台詞。
生で聞けた喜びよりも度肝を抜かされた驚きが今だけは勝った。
視界に収めていたはずの──数㎞先にいた3人組の姿がない。
瞬きを1回しただけで見失い、ここまでの接近を許したというのか!?
ヴァトが自問自答した瞬間、潜み隠れていた木陰は刈り取られたかのように斬り払われてしまった。イヒコと自分の姿が白日の下にさらされる。
現れたのは──男勝りな微笑みを湛えた女神。
後ろにはうっすら青い肌をした鬼神とも相撲取りとも見て取れる大男と、真っ黒な着物を着込んだ酒飲みの剣客を従えるように連れている。
微笑みを濃くした女神は、ヴァトの瞳を覗き込む。
「少年、肝が据わっているな。それに──良い思案だ」
褒められた、と同時に物質的な圧力のある闘気が叩きつけられる。
まともに浴びたイヒコは「ひゃああっ!?」と悲鳴を上げながら後転するみたいにゴロゴロと後ろへ吹き飛ばされ、ヴァトも仰け反りそうになった。
まだ戦ってもいないのに屈服させられそうな威圧感。
これが天空の大母神──ツバサ・ハトホル。
ヴァトは格の違いを思い知らされるも、魂の奥底から込み上げる激情に突き動かされていた。その激情は、男の子だからこそ持ち得るものだ。
自分より強い者に挑みたい──という挑戦者の衝動。
「はっ、よ、ぼっ……おお、あぁ……ああああああああああああああっ!」
ヴァトは「はじめまして」とか「よろしくお願いします」とか「ぼくたちは……」とか様々な言葉が出掛かったが、最終的に雄叫びとなった。
ヴァト・アヌビスは──ツバサに殴り掛かったのだ。
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