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第5章 想世のケツァルコアトル

第117話:ヴァナラの森へようこそ

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 その少年の第一印象は──痩せた狼。

 細いけれど強靱きょうじんに練り上げられた肉体は、針金を寄り合わせたかのようで胴体も手足も細長い。痩せているが適度な筋肉で覆われていた。

 真っ黒のズボンに安全靴みたいに頑丈そうなブーツを履き、身体にピタッと張りつくシャツを着て、金属片で肩や肘をガードしたジャケットを羽織っている。

 防御力よりも身軽さを重視しているらしい。

 顔立ちはシャープさが際立つ細面で鼻筋も通り、長めのウルフカットがよく似合うイケメン。ただし、その目付きは最悪というより猛悪だ。

 誰にでも「ガンをくれる」レベルの喧嘩越しである。

 もしもジャジャが街中で彼と出会でくわしたら絶対に目を合わせない。

 年の頃は15~17ぐらいだろうが、この目付きのせいかもう少し大人に見えなくもなかった。それほどの眼力を有している。生まれつきだろうか?

 牙みたいな並びの歯を噛み締めたまま口を向いており、喉の奥ではグルル……と獣じみた唸り声まで上げている。どう見たって痩せ狼にしか見えない。

 そして──右腕だけが根元からない。

 見ればジャケットも右袖は肩から破けており、右腕ごと引き千切られたかのようにも見える。痛々しい限りだ。

 まだ健在の左腕は、遺跡からへし折ってきたらしい石柱を担いでいる。

 研究施設をぶち破ってジャジャたちの前に現れた狼少年は、“ギロリ!”というオノマトペが聞こえそうな眼光を叩きつけてきた。

「ガキとメイドだぁ!? てめえら! ナアクの手先──」

「──断じて違うでゴザル!」
「──断じて違います」

 ジャジャとクロコは顔の前でブンブンと手を振り、狼少年の問い掛けを全力で否定した。狼少年は眉間に皺を寄せてこっちを見据えている。

 喧嘩を売るレベルの「ガンをくれる」目付きで睨んでいるのだ。

 たっぷり1秒ほど考えて──彼は答えを出した。

「……おし、信じよう! アイツの手下にしちゃキャラが立ってる!」

「妙な判断基準でゴザルな!?」
「いえ、先ほどの衛兵を見れば一目瞭然かと思われます」

 言われてみれば彼らは没個性だった。

 兵士と考えれば量産的で使い勝手がいいのだろう。そのための制服と仮面のようだが、そういえば彼らもプレイヤーなのだろうか?

 生物としての気配が希薄だったように思う。

「アイツにゃ人間の仲間なんかいねぇよ。ここにいんのはアイツが作ったホムンクルス兵だけだ。おめぇらみてえにキャラが立ってるわけねぇ」

 ジャジャの疑問に気付いたわけではあるまい。

 クロコの言葉尻を拾い、自分の知ってることを言っただけだろう。

 階下から走る足音が聞こえてくる。

 先ほどからの騒ぎから考えるに、この狼少年を追ってそのホムンクルス兵たちが殺到しているはずだ。狼少年の舌打ちがいい証拠である。

「ちぃっ! しつけぇーなぁ本当にもうッ!」

 狼少年は肩に担いだ大きな石柱を左腕1本で振り上げる。



 過大能力オーバードゥーイング──【我が掌中にあるもウェイクアップ須く武器と成るべし】・アームズ



 彼が何らかの能力を発動させると、振り上げられた石柱は何十本もの石槍へと姿を変え、狼少年はそれを自分が破った研究施設の穴へと投げ込む。

 石槍は駆けつけたホムンクルス兵たちの行く手を塞ぐように突き立つと、爆薬でも仕込まれていたかのように大爆発を起こした。

 なかなかに攻撃的だ。戦闘系に秀でた能力らしい。

「おし、この隙にケツ巻くって逃げっぞ!」

 狼少年はジャジャたちにも「逃げろ!」と発破はっぱをかけてくる。

 ナアク側の人間じゃないと知り、共闘を持ち掛けてくるではないにしろ「自分と同じ境遇にある人間だろうな」と察してくれたようだ。

 ジャジャは軽く頷いて駆け出そうとした。

 いや、本気で逃げるつもりならば、この人の過大能力に頼ればいい。

「逃げるのならばお任せを──」

 パン! とクロコが胸の前で手を合わせると、彼女の背後に観音開きの大きな扉が現れる。それは内開きになっており、彼女の舞台裏バックヤードへと続いていた。

 クロコのみが操れる不可侵の亜空間。逃げ場とするには最適だ。

「避難場所をご用意いたしました──さあ、こちらへ」

 クロコが一足先に後ろへ跳び、ジャジャもそれに続く。

「あの、えっと……そこの人! 早くこっちへ!」
「お……おう、なんか知らんが世話んなる!」

 わずかに躊躇ちゅうちょした狼少年だが、連中に追い回されるよりはマシと判断したらしい。緊張した面持ちでクロコの舞台裏に飛び込んできた。

 扉が閉まれば安全地帯──ジャジャたちはホッと胸を撫で下ろす。

 安心したところで、ジャジャは素朴な疑問をぶつけてみる。

「そうだ……クロコさん、このまま脱出できないんですか?」

 この大穴の直径は500m。

 研究施設や遺跡のある内壁の高さは地下300m。

 どちらもクロコの過大能力の効果範囲である半径500m内だ。このまま地上に出口を作ってもらえば、難なく抜け出せるはずだ。

 ジャジャの意見にクロコは小さなため息をついた。

「……私が試さないとお思いですか?」
「……ですよね」

 ジャジャを助け出した後、すぐさま脱出するためにも事前に逃走経路を確保しておく。クロコの性格上、既にそのための手段を確かめているはずだ。

 クロコは悩ましげに頬へ手を当て、残念そうに説明する。

「この大穴……特殊な結界に包まれております。頭上に見える開口部からは出られませんし、穴の壁面には縦穴や横穴などの地上まで繋がる空洞があるようなのですが、そちらへの移動も適いませんでした」

 些か奇妙な結界ではありますが、とはクロコの談だ。

「奇妙、というのは?」

「この結界──どうにも古臭い・・・のです」

 彼女はGMという職業柄、自分と同じように神族化したプレイヤーやGMと接触する機会が多かったため、彼らの結界には多少なりとも精通している。

「この結界は神族のプレイヤーが使うものに酷似しているのですが、旧式というか旧型というか……関係あるのかわかりませんが、頑丈さも段違いです」

 私では破れません、とクロコは嘆息する。

 かつて──幽冥街という忘れられた街での出来事。

 クロコはドンカイやトモエと共にその街に閉じ込められてしまい、ツバサたちが助けに来るまで手をこまねくことしかできなかったらしい。

 彼女の過大能力オーバードゥーイングは便利だが、結界は飛び越えられないのだ。

 そこでジャジャは逆説的な提案をしてみる。

「下に降りる……というのはどうですか?」
「なりません! そのような蛮勇ばんゆう、決して許されません!」

 クロコは珍しく、目の色を変えて怒ってきた。

 これは──ワガママなお嬢様を叱るメイドそのものだ。

 クロコの最優先事項はジャジャの安全、その次が自分の身だという。

「ジャジャ様の身に何かがあれば、私はツバサ様とミロ様の百合ご夫妻に顔向けできません……未知の危険に飛び込むなど言語道断でございます」

 お忘れですか──クロコは続ける。

「この大穴より出現したと思しき異形を討伐するため、ツバサ様たちはこの地を訪れたのですよ? だとすれば、この大穴の底には……」

「奴らの巣窟そうくつ……でゴザルな」

 自分が早計でした、とジャジャは素直に謝った。

「ご理解いただけて何よりでございます」

 クロコが瀟洒しょうしゃにお辞儀したところで、ドサリと物音がした。

「よーわからんけど……アンタらジャングルの外から来たプレイヤーか? なんだ、ナアクの野郎が外でも悪さしたのか?」

 例の狼少年が床に腰を下ろした音だった。

 ジャジャとクロコの会話を聞いていて、「とりあえず敵じゃないな」と判断して気を緩めたのだろう。ちょっと寛ぎかけている。

 それでもクロコはジャジャを背に庇い、自分が前へと進んでいく。

 そして、狼少年を見下ろしながら尋ねた。

「あなたも奴とは敵対している御様子……して、あなたはどちら様ですか?」

 よくぞ聞いてくれた! と狼少年は膝を叩いた。

 オレっちは──カズトラ・グンシーン。

「このジャングルに覆われた大地を治める偉大なる獣の王! アハウ・ククルカンの懐刀ふところがたなたぁオレっちのことよぉ! 見知りおいてくんな!」

   ~~~~~~~~~~~~

「では──まだ仲間が生きている可能性が?」

 戦いを終えて、簡単な話も済ませて、ツバサたちは密林を進む。

「ああ……先ほどはつい勢いでみんな殺した……死んだと言ってしまったが、もしかしたら何人かは……生きているかも知れない」

 道案内として先を行くのは、アハウ・ククルカン。

 その横には支えるように、甲斐甲斐しくマヤムが寄り添っている。

 彼らと生き残った現地種族の暮らす隠れ里へ、ひとまず案内してくれるということになった。先導する彼らの後にツバサたちは続いていく。

 ツバサは左腕1本でマリナを抱き上げ、自分とマリナの頬が触れ合うように首筋に抱きつかせている。右手はミロの手と恋人つなぎで固く結んでいた。

 娘2人を連れ歩いているお母さん──そんな風に見えるだろう。

 でも、こうしないと落ち着かないのだ。

「あの、センセイ……ワタシ、自分で歩けますから……」

 マリナが照れ臭そうに「降ろしてください」と訴えてくるが、ツバサはそれを聞き入れない。隙さえあればマリナに頬ずりしなければ落ち着かないのだ。

「ツバサさ~ん、子離れできないお母さんみたいになってるよ~?」

 ミロらしからぬ呆れた苦言を呈してくるが、こちらも聞き入れるつもりはないし、隙あらば片手で抱き寄せて彼女の温もりを感じていた。

「いい……お母さんでもいい……だから、もうちょっとだけ……」
 こうさせてくれ、とツバサは呻くように言った。

 ミロとマリナとは再会できたが──ジャジャとはまだだった。
(※クロコはどうでもいい)

 おかげで母性本能が心配で心配で心配で……いても立ってもいられない。
(※重ねて言うが、クロコはどうでもいい)

 今すぐに密林を焼き払ってでも探し出したい衝動に突き動かされるのだが、それを理性でなんとか押し止めているのだ。
(※脳内では「放置プレイありがとうございます!」とクロコが踊っていた)

 そんなツバサの胸中をミロは察しているのだろう。

 長いため息をつくと、もう10回目になる安心材料を提示してきた。

「ツバサさん……ジャジャちゃんなら大丈夫だって。アタシの直観と直感が『無事だよ』って言ってるんだからさ……それにクロコさんも顔を出さないところを見ると、ジャジャちゃんの護衛をやってるはずだから……」

「わかってる! そんなことはわかってるよ!」

 ツバサだってそれぐらい洞察できる。

 だけど──神々の乳母ハトホルという母心が納得してくれないのだ。

「もうちょっと、もうちょっとだけだ! 娘成分を摂取して母心が落ち着くまで、こうしててくれ! さもないと、またセクメトになりそうで……」

 ツバサの長い髪がザワザワと逆立ち、燃えるような紅に染まりかける。

「「それだけはマジでやめて!?」」

 ミロとマリナが異口同音で叫んだ。

 叱られたみたいなツバサは感情を抑えることに集中した。

 やはり、あの殺戮の女神セクメトは娘たちにも恐れられているようだ。どういう状態かは説明しておいたし、あの姿の時には近付くなと厳命しておいた。

 それでも──あの姿には頻繁ひんぱんになりたくない。

 軽々にアハウを殺そうと決意した自分に寒気を覚える。

 完全に殺戮の女神セクメトとなっていた自分を思い返す度、震えが止まらない。

 そうして──ミロやマリナの温もりを求めてしまう。

「ううっ……センセイが、お母さんが、こんなに甘やかしてくれるなんて夢みたいなのに……何か違うというか、もっとシチュエーションが欲しいというか」

「切羽詰まってる感あるから、イマイチ楽しめないよねー」

 一方、娘2人は言いたいことを言ってくれていた。

 たまにお母さんらしいことをしてやると、すぐこれだ──ムカつく!

「あの……話を続けてもいいかな?」

 アハウがこちらの機嫌を伺うように尋ねてきた。

「あ、すいません! 話の腰を折ってしまって……どうぞ」
 
マリナを抱き直してツバサはアハウへと促した。

 隠れ里に向かう道すがらも、アハウの話は続けられていた。

 そこで生き残った仲間について言及してきたのだ。

「そもそも、事の起こりは1ヶ月前だ……」

 現地種族の何人かが──行方不明になった。

 獲物の狩りや果物の採集のためにジャングルへ出向いた数人が、夜になっても戻ってこない。当然、アハウたちは心配した。

 危険なモンスターに襲われた可能性もある。

 そう思って2人のプレイヤーが様子を見に行ったという。

「血の気が多くて少々荒っぽい少年と、おっとりしているが芯のしっかりした少女の2人で、よくコンビを組んでいた……あの子たちならば大丈夫だろうと、信じて送り出したのだが……」

 彼らもまた──帰ってこなかった。

 これに危機感を煽られたアハウは、マヤムと共に自らが出た。

 アハウのパーティーでは彼らがLV的にも実力的にもツートップ。下手に戦力を小出しにして仲間を危機にさらすわけにはいかない。

 そう判断して、2人は行方不明者の捜索に出た。

 村の守りは残りの仲間に任せて──。

「今にして思えば……あれはナアクの罠だったんです」

 マヤムは憎たらしげに言葉を添える。

 その時の出来事を思い出すのは彼女も辛そうだった。

 アハウも話ながら喉を鳴らしている。

 怒りや悔しさを滲ませる響きに、過去の陰惨な事件が窺える。

 一時は5mを超えかけていたアハウの巨体は、戦闘が終わって傷を癒やすと2mに戻っており、その歩き方も類人猿ではなく人間に近くなっていた。

 どうやらアハウの肉体は、状況に応じて可変できるらしい。

 その肉体がまた膨張を初め、羽毛や獣毛、たてがみまで逆立ってきている。
 アハウの怒りに呼応して肉体が戦闘状態を取りつつあった。

 ツバサは彼を落ち着かせるためにも、冷静な声で問い掛ける。

「……あなたたちの留守の隙にナアクは事を起こしたのですね?」
「そうだッ……奴は! おれの仲間たちを……ッ!」

 アハウは怒りのあまりガチガチと牙を鳴らす。

 思い出した怒りだけでも発狂しそうな獣王の形相に、マリナどころかミロですら引くほどだ。その気はないのにツバサの影へと隠れてしまう。

 怒り狂いそうなアハウと、泣き出しそうなマヤム。

 2人の証言をまとめると──こんな具合になる。

 行方不明になった現地種族と仲間2人を探して、アハウとマヤムはジャングル内での捜索を続けた。日の出と共に出掛けて、日が沈むまで探し続けたという。

 夕暮れ時が近付いた時──アハウが異変に気付いた。

 村のある方角から、風に乗って悲鳴のような声が聞こえてくるのだ。

 まさか!? と思ってマヤムと共に急いで取って返せば、村に近付くと助けを求めてくる現地種族たちに出会した。

 彼らは口々に「神様たちがおかしくなりました!」とか「神様がお化けになってしまった!」とか「仲間が変なものにされてしまった!」と繰り返し、アハウたちに縋りついてくる。

 何が起きているかはわからないが──明らかに異常事態だ。

 アハウはマヤムに命じて無事だった現地種族たちを空間水晶に匿うと、村へと急いだ。彼らの言葉を信じれば、行けば最悪の光景を目の当たりにすることは想像に難くなかった。だが、それでも行くしかないのだ。

 村に戻ってきたアハウたちを出迎えたのは──。

『おや、想定したよりもお早いお帰りですね……アハウさん』

 怪物のパレードを率いるナアクだった。

 怪物たちは異常に膨れ上がった筋肉や、何処までも長く伸びた手、子供が遊びで書いたような巨大な頭を持った者など様々だが、どれも仲間が装備していた武器や防具を半壊させながらも身につけている。

 その足下に蠢く不定形の毛玉たちもまた、現地種族に織ってあげた衣類をそのアメーバー状の流れ落ちそうな身体にまとわせている。

 怪物たちは潰れた喉で苦悶の絶叫を搾り出す。

 一目でわかってしまった──あれは仲間たちの成れの果てだと。

 アハウの習得した技能スキルが感覚的に理解する。

 見目こそ変わり果てているが、仲間と同じ波動が伝わってくるのだ。

 想像を絶する光景にアハウは絶句した。

 そんな彼にナアクはアルカイックスマイルで告げてくる。

『皆さんの魂を解き放つため、もっと自由になっていただくためにと試行錯誤してみたのですがね……御覧の通り、どうにも上手くいかない。やはり成熟した個体では調整が難しいのか……皆さん、本当の自由・・・・・には耐えられないらしい』

『ナアク……貴様、みんなに何をした…………?』

『私の研究において、あなたがたのような内在異性具現化者アニマ・アニムスこそが解決の糸口と思いまして、マヤム君共々しばらく観察させていただくために一時的に村から離れるよう仕向けたのですがね……その隙に実験を完了させ、彼らを真の自由を得た完全体に仕立てておくつもりでしたが……』

『おい、ナアク……貴様……まさか、おれたちを騙して……?』

『皆さん、見事に失敗作と成り果ててしまいました。こうなると隠し立てもできませんし……あなたの怒りは勿論、首謀者であるこの私に向けられますよね? まあ、それもまた私の計画の一端・・・・・・・ではあるのですが……』

 スマートではありませんね──ナアクは困ったようにかぶりを振った。

『ナァアアアアアアアアアアクゥゥゥゥゥゥゥゥ!!』

 それ以上の問答は無用だった。

 怒り狂ったアハウは血の涙を流して慟哭を張り上げ、それを実験動物を見るような眼で冷静に観察するナアク。

 両者の戦いは丸1日は続けられたという。

 ナアクは戦闘が苦手──というのも大嘘だ。

 仲間の中で最高の戦闘能力を誇ったアハウを敵に回して、24時間戦っても顔色ひとつ変えぬ実力の持ち主だった。

『ナァァァァクゥゥッ!! 貴様ぁぁぁぁぁぁああああああーーーッ!!』

『いいですね、その激情──それがあなたに真の自由をもたらすやも知れない』

 かつて仲間と共に暮らした村は崩壊した。ジャングルを荒らし尽くすほどの戦いは一昼夜繰り広げられ、翌日の夜明けと共に終わりを迎えた。

「戦いに飽きたかのように……ナアクは逃げた」

「逃げた? 一体どこへ?」

 ツバサの質問にアハウは喋りかけた口を一文字に結んだ。

「それは……じかに見せながら説明しよう。奴が逃げた後、おれとマヤムは……二目と見られぬ姿に変えられた仲間たちを救おうとしたが……叶わなかった」

 回復魔法も修復魔法も効かない。

 何をどうやっても彼らの肉体を元に戻すことはできず、時間を追うごとに彼らの姿は変貌を続け、より醜悪かつ原型を留めない方向へと変異していく。

 殺して……誰が最初にそう言ったのだろう。

 家庭的で現地種族を誰よりも可愛がっていた彼女かも知れない。
 ちょっと気障キザでプレイボーイ気取りの彼だったかも知れない。
 いいや、他の仲間だったものかも知れない。

 もう彼も彼女も──見分けがつかなくなっていた。

 辛い、苦しい、殺して──。

 そんな譫言うわごとを繰り返す彼らを、アハウは泣く泣く手に掛けたという。

「だが……おれが殺したのは7人……行方知れずになった2人はどこにいるのかわからないし……残りの2人は、五体満足のままナアクに連れ去られた」

「その4人がまだ無事な可能性もあると……」

 微かな希望だがな……アハウは寂しげに呟いた。

 アハウは行く手を阻むように生い茂る木々をかき分ける。

「さあ、着いたぞ──ここが我らの隠れ里だ」

 そこは正しく隠れ里といった風情のある場所だった。

 だが、見方を変えれば童心に返った気持ちになれる風景でもあった。

 鬱蒼うっそうとしたジャングルの中でも特に樹木が密集しており、その中心には一際大きな巨木が聳えている。その巨木を取り巻くように濃い枝葉が群れており、この里を外から見えぬように覆い隠していた。

 きっとアハウがあの大地を操る過大能力オーバードゥーイングで作り出したのだろう。

 植物が自然にこのような形へ生い茂るとは考えにくい。

 その密集した森の中に──いくつもの小屋が設けられていた。

 いわゆるツリーハウスというやつだ。

 巨木を大黒柱にして何層もの小屋を重ねたり、周囲の木々の上にも大小の小屋を建てて吊り橋で繋げたりと、アトラクションめいた作りにもなっている。

 少年の心を持つミロが当然のように瞳を輝かせていた。

 そして──この里で暮らす現地種族の姿も見える。

「あれは……人間ですか? いや、人間じゃなくて……お猿さん?」

 マリナが困惑するのも無理はない。

 ツバサも人間と見間違えたが──どちらかといえば猿だ。

 チンパンジーを直立歩行させて人間に近付けたような、人間をちょっと毛深くして猿の要素を加えたような、人と猿の中間にある種族だった。

「人間でも猿でもない──彼らはヴァナラ族という」

 この森は元来、彼らヴァナラ族が繁栄した土地だったそうだ。

「あ、アハウ様だ! アハウ様がお戻りになったぞ!」
「お帰りなさいませアハウ様!」
「アハウ様、お帰りなさい! そちらはお客人ですか?」

 アハウが里に戻ると、ヴァナラ族は静かに喜びの声を上げて出迎えにやってくる。大声を出すと気付かれる可能性があるので、声を潜めているのだ。

 ──ナアクに勘付かれるのを恐れている。

 彼らの出迎えに応じながら、アハウはこちらに振り返った。

 そして、家族とともに客を迎え入れるように少しだけはにかんだ。



「ヴァナラの森へようこそ──歓迎しよう、ハトホルファミリーの諸君」


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