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17話 できることを全力で
しおりを挟むインターホンを押すと、「開いてる」と声がした。
オレはそうっとドアを開け、中からロックして奥に入った。
桐生のマンションに来るのは初めてではない。
徹夜でミーティングしたり、語り合ったり、教師はやること多いくせにリターンが少ないとぼやきながら酒を飲んだり。
オレにとって桐生は友達だった。
オレだけがそう思っていて、相手は恋愛だったなど考えたことはなく、桐生もそんな素振り一つ見せなかったから。
「桐生、怪我はどうだ」
手に食い込むほど重い買い物袋を揺らしながら、リビングを覗く。
想像はしていたが、なかなかの状態だった。
桐生は人間の姿でソファに転がっていた。
服を着る余裕がなかったのだろう。上半身は裸体のままだ。下半身は、長袖Tシャツを適当に巻いただけ。バスタオル一枚より生々しい。
バスルームから電話まで、ここからこう歩いたんだな、とはっきりわかる血の跡。
カーペットは表面こそ濡れているが、じっとり染みこんではいない。
「なんとかもたせてる……」
桐生が弱々しく返事する。左腕の高い位置をタオルで縛っていて、右手で左手の甲あたりを布越しに押さえ、ソファの腕置きに乗せている。
その周辺も血まみれだ。ドラマの殺人現場のように、血の付いた手の跡がべたべた付いている。
「桐生。オレがちゃんと見えているか」
「見えてるよ。大丈夫」
意識確認を兼ねて呼びかける。
一般生活をする部屋が、こんなに血で染まっているのが恐ろしかった。
桐生が死んでしまうのではないかと思った。
オレは医者ではない。しかし、桐生はオレが、最低限の治療が可能だと知っている。
かつては研究者を目指した生物学専攻のオレは、かなりの量の動物実験をこなしている。
学校のウサギが難産の時、こっそり帝王切開して助けたこともある。
生物の構造を知り、縫合の経験があるだけの素人。人体になにかしたことはない。
そんなオレに、桐生は助けを求めた。
オレがヴァンパイア体質の理解者でなければ、桐生はどんな怪我でも部屋にこもり、安静にしてやり過ごしただろう。
やるしかないなら、やってやろうじゃないか。
桐生に軽く触れる。体が冷たい。体温が下がっている。
オレはエアコンを操作し、暖房を最大限にした。
桐生の顔色は悪い。呼吸は少し浅め。
裏倉庫からここまで飛んできたらしいが、道中どこまで出血したのだろう。
本来なら今すぐ救急車を呼んでいるぞ、くそったれ。
「体の状態を教えてくれ」
「ちょっとだるいかな。
傷が、すごく痛い……。
飛んでる時は必死だったから、わからなくて。
今は地獄の痛み」
「隙間を抜ける時、何か刺さったと自分で言ってただろ。
ささくれた扉の金属部分ではないかと予想する。
どうしてすぐ引っ込まなかった。そうすれば軽症ですんだはずだ」
桐生は苦笑して答えなかった。
オレが止めても桐生は隙間をくぐっただろう。
わかっていても腹が立つ。
オレは、買ってきたバケツの上に桐生の手を動かした。
前腕、肘近くまで痛々しく刻まれた傷。どれだけ我慢したかよく解る。
桐生も自分でできる防御はしたようで、前腕の傷はさほどではない。最初に刺さったと思われる左手背が深かった。
精製水と指で、左手背を中心に傷全体をしっかり洗い流す。
まったく容赦しなかったので、桐生が悲鳴をあげた。
「痛い痛い痛い!!
やさしく…やさしくお願いします……!」
「知るか」
再び圧迫止血する。
バケツの中の水は真っ赤だった。出血が止まらない。
オレは片手で市販の鎮痛剤を取り出し、少し多めに桐生の口に入れて経口補水液で流し込ませた。
「水、できるだけ飲んでおけ」
「うん」
「解っていると思うが、オレができる処置には限界がある。
医師免許なしで治療するのは犯罪だぞ?
オレを犯罪者にしやがって」
「緊急事態なのと……、僕はヴァンパイアだから、セーフにならない?」
「お前は人間だ馬鹿者」
さて、いくか。
「縫うぞ」
「……うん」
麻酔などない。医療用の針や糸もない。
ナイロンの成分が多い糸を選んだが、ドラッグストアで買えるふつうの糸だ。針もただの縫い針。
それを消毒液に浸し、針と糸を滅菌する。
「息を止めるなよ。血圧が上がる。ゆっくり呼吸しろ。
運が良ければ、さっき飲ませた鎮痛剤が効く」
「そんな速効で効かないよね……っつう!」
ここに来るまでに脳内で人体図を描き、傷を見て、手の作りを何度も反芻した。
この傷の縫合はできる。オレにはできる、やれる。
手が付けられないような傷ではない。落ち着け、朝霧令一。
オレはできる……。
さくさくと針を進め、糸を通す。
かつての腕は鈍っていないようだった。丁寧に、正確に、素早く、をモットーに……。
「い、た……! くうぅ……っ!!」
桐生が身をこわばらせて呻いているが、気にしている余裕はない。
こっちもいっぱいいっぱいだ。
5針縫って、そこで止める。腕の傷にも化膿止め軟膏を塗りたくってガーゼを当て、包帯を巻き、再び圧迫止血した。
このまま出血が止まれば成功だ。
「傷口、縫えたぞ。オレはこれ以上何もできんからな」
「ありがとう……。速いね、お医者さんみたいだ」
「こんなこと二度とさせるなよ」
ぐったりしている桐生の汗を拭いてやる。
桐生はもう一度、小さく「ありがとう」と笑った。
「礼を言うのはオレのほうだ」
「?」
「こんな無茶をして、オレを助けてくれた」
「脱出方法、あれしか思いつかなかったからね」
「どうだろうな。お前は焦っていたように思う。
お前は肝が据わっている。
あの場所に桐生ひとりだったなら、無茶をせず確実な方法で救助を呼んでいた気がする」
「焦っていたのは事実だけど、僕も混乱してたから」
嘘をつけ、と言いたくなるのを我慢した。
いつもいつも、こいつは自分のことより他人を優先する。知っている。
優しすぎて自分を大切にしない、むかつく男だ。
「お前に言いたいことがある。
聞いてもらおう。
この体勢では逃げられんぞ」
「へ?
待って、なに、こわい」
オレは一度大きく深呼吸すると、すぐ近くにある桐生の顔を睨みつけた。
「オレは桐生のことが好きだ」
つづく
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