同僚がヴァンパイア体質だった件について

真衣 優夢

文字の大きさ
上 下
16 / 85

番外編 桐生の初恋 その2

しおりを挟む
 朝霧先生は、人づきあいが好きではなさそうだった。
 黙々と授業のプリントを作っているかと思えば、暇があれば姿を消す。
 狭い生物準備室が彼の巣であり、普段は巣にこもっていると、他の先生が教えてくれた。


 運よく隣に座っているのを見つけると、僕はなるたけ話しかけた。
 最初は、わかりやすく嫌そうだったけれど、そのうち慣れてくれて、雑談ができるようになった。
 僕は、朝霧先生のプリントづくりの合理的さと読解しやすさ、授業計画書の精密さと丁寧さ、個性的ながら論点を逃さない授業が好きだった。
 それをそのまま告げると、朝霧先生は、なぜかすごく嫌そうな顔をした。


「教師、なりたくてなった訳じゃないんで」

「そうなんですか?
 じゃあ、才能があったんでしょうか。
 ううん、違うかも。朝霧先生って、すごく努力する人だから」


 朝霧先生は湯気が出そうに真っ赤になって、生物準備室に逃げ込んでしまった。


 アヤザワ高校での日々は楽しかった。
 前の高校と比較できない、教師に対しても心地いい空間。
 生徒の活き活きした姿が間近で見える嬉しさ。交流できる時間がある喜び。
 授業も、それなりに僕の自由に進めさせてくれる。教えたいものを優先的に教えられる。
 かと思えば受験対策にも力が入っていて、三学期は全力で、ほぼ生徒個々に受験指導ができた。


 深呼吸ができる。生きていると思える場所。
 前の学校でのことは悔しかったけれど、ここにいれば、全部忘れてしまえる。
 なによりこの学校、ウサギの飼育小屋があるという特典付きだ。
 どうしようもない時に頼れる吸血先があるのは、安心できる。


 僕は気が緩んでいたんだろう。心地よくて、のびのびできて。


 成績をつける関係で、生徒のデータを照らし合わせる必要があった。
 正式な手続きをふんで、理事長室から全校生徒の情報入りUSBメモリと紙のファイルを預かった。
 今日中に返却すればいいもので、仕事自体はなんということもなかった。


 僕はその日、とても眠かった。
 文化祭の準備を手伝って、一部の作業を持って帰って、かつてのように徹夜で仕上げてしまった。
 まだ暗黒時代の癖が抜けてないなと苦笑いしつつ、宿直室で仮眠して。


 起きたら、僕は。
 引き出しに入れて鍵をかけておいたはずのUSBメモリとファイルが、どこにもないことに気がづいた。


 青ざめて、息が詰まった。
 あれは、あれは、だめだ。
 全校生徒の個人情報が入っているんだ。
 あれをなくしたら、僕ひとりのクビどころの話じゃない。
 誰かの手に渡ったら。悪用されたら。
 生徒のプライベートが流出する。生徒に危害が及ぶ。
 ネット社会の拡散は一瞬だ。
 生徒の未来に、僕が、一生の傷をつけてしまう……!


「どうした、桐生先生」


 僕が取り乱していたのに驚いたのか、朝霧先生が声をかけてくれた。
 僕は正直に重要データの紛失を伝えた。
 朝霧先生も蒼白になった。
 僕は無理やり座らせられた。朝霧先生はコーヒーをいれてきれくれて、僕に飲めと命じた。
 そうやって、僕を落ち着かせてくれた。


「ものを無くした時は、自分の行動をさかのぼって思い出し、順番に回ることだ。
 お前が持っていたものなら、必ずどこかにある。
 データを預かったのは朝礼の後だろう?
 行ける場所は限られている」

「それが僕、文化祭の買い出しに行って、外へ出ちゃって」

「外出したのか!?
 ファイルにUSBを挟む場所があったはずだ。
 ファイルが見つかればUSBもあるだろう。
 桐生先生は、外にファイルを持って出て行った覚えはあるか?」

「わからない」


 僕は混乱していて、頭は真っ白だった。
 僕の肩を、朝霧先生は渾身の力ではたいた。
 朝霧先生の手のほうが痛そうだった。


「いいか桐生先生。
 動け。考えられないなら動け。
 思いつく限りの場所を探せ。
 返却は今日の17時だったな。
 それまでに見つければいい。見つけさえすれば、おおごとにはならない」


 僕は何度もうなずいて、すぐに外へ飛び出した。
 学外で落としていたら、誰かに拾われてしまう。警察に届けてくれるならまだいい。僕はどんな処分を受けてもかまわない。
 生徒たちの情報を守らなければ。
 僕は、こんな初歩的なミスを。僕は、こんな、馬鹿で、僕は。


 学校を出て歩いた道をなぞって探した。
 買い物に寄った店を順番に巡って、落し物がなかったか聞いて回った。
 電話連絡し、午後の授業を自習にしてもらった。
 途中で僕が無意識に寄り道しそうなところまで、隅々を探した。
 側溝のグレーチングを持ち上げて中を覗いたりもした。
 ヴァンパイア体質は、食事はほぼ不要だが水分は多く必要だ。眩暈を覚え、自販機から水を二本買って一気飲みした。


『結果がどうでも、16時になったらいったん戻ってこい』


 朝霧先生の言葉を思い出し、僕はふらふらと帰校した。
 ファイルはどこにもなかった。
 誰も見ていなかった。
 もう誰かの手に渡ってしまったのだろうか。
 僕は、僕はこの責任を、生徒の安全を、僕は、これから、


「桐生先生――――!!」


 校門をくぐってすぐ、朝霧先生が走ってくるのが見えた。
 理系である朝霧先生は運動が嫌いで、汗をかくのも嫌だと言っていた。
 なのに、髪がしっとりするほど汗だくで、シャツもネクタイもよれてぐちゃぐちゃだった。


「何度もスマホに連絡したのに、なぜ電源を切っている」

「あ……、マップ検索しすぎて、充電が」

「まあいい。ほら」


 朝霧先生は、大きな茶封筒を僕に差し出した。
 開けてみると、ファイルが入っていた。
 茶封筒を破りそうな勢いで取り出して開くと、USBメモリもあった。


「どこで、これを」

「何度考えても、お前が重要データをもって外出するとは思えなかった。
 あるとしたら校内だろう。
 しらみつぶしに探しただけだ」


 運動は嫌いなのに、こんなに走り回ってくれて。
 自分のミスじゃないのに、一緒になって探してくれて。
 僕はデータを校外に持ち出さないと、信頼してくれて。


「古典準備室の棚だった。
 お前、二時間目、授業だったろ。
 資料チェックに寄ったんじゃないか」

「あっ」

「あの混沌、整頓しろ。埃で死ぬかと思った」


 朝霧先生は、僕の胸をこぶしで軽く叩いて、少しだけ笑った。


「どんなにうっかりしていても、桐生先生だぞ。
 生徒に関する書類をぞんざいに扱う訳がないだろ。
 丁寧に棚に置いてあって、余計に見つけにくかった」


 くるっと背を向けて、朝霧先生はすたすた去ってしまった。
 僕は職員室に駆け込み、データとファイルを再チェックして異常がないか確かめて、すぐに理事長室に返しに行った。
 今回は事なきを得たが、一歩間違えば大惨事だった。


 そういえば、ちゃんとお礼も言ってない。
 既に退勤している朝霧先生の机は静かで、いつも整頓されている。
 退勤か出勤か、机を見ればすぐにわかる。朝霧先生は出勤すると机をぐちゃぐちゃに散らかして、退勤前にぴしりと片づける。


「なんであんなに親身になってくれたのかな」


 全校生徒に関わることだから、一緒に探してくれてもおかしくはない。
 でも。


『いいか桐生先生。
 動け。考えられないなら動け』


 混乱して動けなくなっていた僕を鼓舞して、導いてくれて。
 その声で僕は動くことができて。


『お前、二時間目、授業だったろ。
 資料チェックに寄ったんじゃないか』


 普段の僕を、何気に見てくれていて。
 僕がどう動くか推測できるくらい、僕を理解していて。


『どんなにうっかりしていても、桐生先生だぞ。
 生徒に関する書類をぞんざいに扱う訳がないだろ』


 僕を、無条件に信頼してくれていて。


 見返りを求めてこない人間関係なんて、僕の人生にあっただろうか。
 地獄の公立高校時代にプライベートはなかったといえ、それ以前は友人も恋人もいた。
 彼らは僕になんらかを求めていた。いつも何かを欲していて、僕が与えるのを待ち、与えられないと感情的になった。
 僕は与えるのが当然になって、それをなんとも思わなくなっていた。
 僕自身を知ろうとした人なんて、後見人の大山さんくらい?
 自分から僕を理解してくれた人なんて、


 はじめて、で。えっと、
 あれ、その、僕は。
 今、なんだか、すごく嬉しい。


 大惨事を起こしかけた身であるというのに、反省より先に、嬉しいなんて。
 こんなにも嬉しくて、こんなにも幸せなんて。


 僕はこっそり隣の椅子を引いた。
 どくんどくんと心臓が高鳴るのを感じながら、朝霧先生の椅子にそうっと座った。
 背徳感と幸福感と、安心と心地よさと、くすぐったいようなむずがゆさと。
 なんだこれ。僕はまるで、高校生の恋愛みたいなことをして。


「恋愛……」


 恋人はいた。けっこうな数がいた。
 交代が早かったから、何人いたかは覚えていない。
 僕は、そのうち誰か一人でも、こんな感情を抱いたことがあっただろうか。


 朝霧先生は男。
 僕も男。
 ああ、パンセクシャルって、そういうことなのか。
 僕の中で、恋に性別の垣根は存在しない。


 こんな素敵な人、好きにならないわけがない。


 不愛想に見えて人情家で、お人好しで。
 影の努力家で、いつも一生懸命で、褒められなれていなくて。
 生き様も、在り方も、姿も、声も、なにもかも全部。
 想うだけで幸せになれるのは、この人だからだ。


 同性の恋なんて、かないっこない。
 それでいい。僕は朝霧先生の親友を目指そう。
 一生伝えなくていいし、伝える必要もない。
 同性愛というだけでなく、僕はヴァンパイア体質という、やっかいなものも背負っている。


 どうか、ひっそりと想わせて。
 僕が初めて恋した人。
 僕も、君に何も求めないから。
 友達の立場で、一緒に笑うことを許してほしい。


 たまに朝霧先生がしているように、机に突っ伏してみた。
 同じ机なのに、朝霧先生の机でそうすると頭に血が上ってぐらぐらした。
 匂いが残るはずもないのに、朝霧先生の残り香を感じる気がした。


「やめよう、やめ!!
 変態じみてる。
 これ以上はだめだ」


 自分を叱咤して席を立つ。
 そうっと、そうっと、音をたてないように朝霧先生の椅子をしまう。


 それはもう、昔のお話。
 今から四年も前のこと。
 長いような短いような片思いは、告げないままでも十分、幸せだったのに……なあ。




 本編へ続く
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが

五右衛門
BL
 月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。  しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

思い出して欲しい二人

春色悠
BL
 喫茶店でアルバイトをしている鷹木翠(たかぎ みどり)。ある日、喫茶店に初恋の人、白河朱鳥(しらかわ あすか)が女性を伴って入ってきた。しかも朱鳥は翠の事を覚えていない様で、幼い頃の約束をずっと覚えていた翠はショックを受ける。  そして恋心を忘れようと努力するが、昔と変わったのに変わっていない朱鳥に寧ろ、どんどん惚れてしまう。  一方朱鳥は、バッチリと翠の事を覚えていた。まさか取引先との昼食を食べに行った先で、再会すると思わず、緩む頬を引き締めて翠にかっこいい所を見せようと頑張ったが、翠は朱鳥の事を覚えていない様。それでも全く愛が冷めず、今度は本当に結婚するために翠を落としにかかる。  そんな二人の、もだもだ、じれったい、さっさとくっつけ!と、言いたくなるようなラブロマンス。

【第一章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を

逢生ありす
ファンタジー
 女性向け異世界ファンタジー(逆ハーレム)です。ヤンデレ、ツンデレ、溺愛、嫉妬etc……。乙女ゲームのような恋物語をテーマに偉大な"五大国の王"や"人型聖獣"、"謎の美青年"たちと織り成す極甘長編ストーリー。ラストに待ち受ける物語の真実と彼女が選ぶ道は――? ――すべての女性に捧げる乙女ゲームのような恋物語―― 『狂気の王と永遠の愛(接吻)を』 五大国から成る異世界の王と たった一人の少女の織り成す恋愛ファンタジー ――この世界は強大な五大国と、各国に君臨する絶対的な『王』が存在している。彼らにはそれぞれを象徴する<力>と<神具>が授けられており、その生命も人間を遥かに凌駕するほど長いものだった。 この物語は悠久の王・キュリオの前に現れた幼い少女が主人公である。 ――世界が"何か"を望んだ時、必ずその力を持った人物が生み出され……すべてが大きく変わるだろう。そして…… その"世界"自体が一個人の"誰か"かもしれない―― 出会うはずのない者たちが出揃うとき……その先に待ち受けるものは? 最後に待つのは幸せか、残酷な運命か―― そして次第に明らかになる彼女の正体とは……?

ハンターがマッサージ?で堕とされちゃう話

あずき
BL
【登場人物】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ハンター ライト(17) ???? アル(20) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 後半のキャラ崩壊は許してください;;

処理中です...