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番外編 桐生の初恋 その2
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朝霧先生は、人づきあいが好きではなさそうだった。
黙々と授業のプリントを作っているかと思えば、暇があれば姿を消す。
狭い生物準備室が彼の巣であり、普段は巣にこもっていると、他の先生が教えてくれた。
運よく隣に座っているのを見つけると、僕はなるたけ話しかけた。
最初は、わかりやすく嫌そうだったけれど、そのうち慣れてくれて、雑談ができるようになった。
僕は、朝霧先生のプリントづくりの合理的さと読解しやすさ、授業計画書の精密さと丁寧さ、個性的ながら論点を逃さない授業が好きだった。
それをそのまま告げると、朝霧先生は、なぜかすごく嫌そうな顔をした。
「教師、なりたくてなった訳じゃないんで」
「そうなんですか?
じゃあ、才能があったんでしょうか。
ううん、違うかも。朝霧先生って、すごく努力する人だから」
朝霧先生は湯気が出そうに真っ赤になって、生物準備室に逃げ込んでしまった。
アヤザワ高校での日々は楽しかった。
前の高校と比較できない、教師に対しても心地いい空間。
生徒の活き活きした姿が間近で見える嬉しさ。交流できる時間がある喜び。
授業も、それなりに僕の自由に進めさせてくれる。教えたいものを優先的に教えられる。
かと思えば受験対策にも力が入っていて、三学期は全力で、ほぼ生徒個々に受験指導ができた。
深呼吸ができる。生きていると思える場所。
前の学校でのことは悔しかったけれど、ここにいれば、全部忘れてしまえる。
なによりこの学校、ウサギの飼育小屋があるという特典付きだ。
どうしようもない時に頼れる吸血先があるのは、安心できる。
僕は気が緩んでいたんだろう。心地よくて、のびのびできて。
成績をつける関係で、生徒のデータを照らし合わせる必要があった。
正式な手続きをふんで、理事長室から全校生徒の情報入りUSBメモリと紙のファイルを預かった。
今日中に返却すればいいもので、仕事自体はなんということもなかった。
僕はその日、とても眠かった。
文化祭の準備を手伝って、一部の作業を持って帰って、かつてのように徹夜で仕上げてしまった。
まだ暗黒時代の癖が抜けてないなと苦笑いしつつ、宿直室で仮眠して。
起きたら、僕は。
引き出しに入れて鍵をかけておいたはずのUSBメモリとファイルが、どこにもないことに気がづいた。
青ざめて、息が詰まった。
あれは、あれは、だめだ。
全校生徒の個人情報が入っているんだ。
あれをなくしたら、僕ひとりのクビどころの話じゃない。
誰かの手に渡ったら。悪用されたら。
生徒のプライベートが流出する。生徒に危害が及ぶ。
ネット社会の拡散は一瞬だ。
生徒の未来に、僕が、一生の傷をつけてしまう……!
「どうした、桐生先生」
僕が取り乱していたのに驚いたのか、朝霧先生が声をかけてくれた。
僕は正直に重要データの紛失を伝えた。
朝霧先生も蒼白になった。
僕は無理やり座らせられた。朝霧先生はコーヒーをいれてきれくれて、僕に飲めと命じた。
そうやって、僕を落ち着かせてくれた。
「ものを無くした時は、自分の行動をさかのぼって思い出し、順番に回ることだ。
お前が持っていたものなら、必ずどこかにある。
データを預かったのは朝礼の後だろう?
行ける場所は限られている」
「それが僕、文化祭の買い出しに行って、外へ出ちゃって」
「外出したのか!?
ファイルにUSBを挟む場所があったはずだ。
ファイルが見つかればUSBもあるだろう。
桐生先生は、外にファイルを持って出て行った覚えはあるか?」
「わからない」
僕は混乱していて、頭は真っ白だった。
僕の肩を、朝霧先生は渾身の力ではたいた。
朝霧先生の手のほうが痛そうだった。
「いいか桐生先生。
動け。考えられないなら動け。
思いつく限りの場所を探せ。
返却は今日の17時だったな。
それまでに見つければいい。見つけさえすれば、おおごとにはならない」
僕は何度もうなずいて、すぐに外へ飛び出した。
学外で落としていたら、誰かに拾われてしまう。警察に届けてくれるならまだいい。僕はどんな処分を受けてもかまわない。
生徒たちの情報を守らなければ。
僕は、こんな初歩的なミスを。僕は、こんな、馬鹿で、僕は。
学校を出て歩いた道をなぞって探した。
買い物に寄った店を順番に巡って、落し物がなかったか聞いて回った。
電話連絡し、午後の授業を自習にしてもらった。
途中で僕が無意識に寄り道しそうなところまで、隅々を探した。
側溝のグレーチングを持ち上げて中を覗いたりもした。
ヴァンパイア体質は、食事はほぼ不要だが水分は多く必要だ。眩暈を覚え、自販機から水を二本買って一気飲みした。
『結果がどうでも、16時になったらいったん戻ってこい』
朝霧先生の言葉を思い出し、僕はふらふらと帰校した。
ファイルはどこにもなかった。
誰も見ていなかった。
もう誰かの手に渡ってしまったのだろうか。
僕は、僕はこの責任を、生徒の安全を、僕は、これから、
「桐生先生――――!!」
校門をくぐってすぐ、朝霧先生が走ってくるのが見えた。
理系である朝霧先生は運動が嫌いで、汗をかくのも嫌だと言っていた。
なのに、髪がしっとりするほど汗だくで、シャツもネクタイもよれてぐちゃぐちゃだった。
「何度もスマホに連絡したのに、なぜ電源を切っている」
「あ……、マップ検索しすぎて、充電が」
「まあいい。ほら」
朝霧先生は、大きな茶封筒を僕に差し出した。
開けてみると、ファイルが入っていた。
茶封筒を破りそうな勢いで取り出して開くと、USBメモリもあった。
「どこで、これを」
「何度考えても、お前が重要データをもって外出するとは思えなかった。
あるとしたら校内だろう。
しらみつぶしに探しただけだ」
運動は嫌いなのに、こんなに走り回ってくれて。
自分のミスじゃないのに、一緒になって探してくれて。
僕はデータを校外に持ち出さないと、信頼してくれて。
「古典準備室の棚だった。
お前、二時間目、授業だったろ。
資料チェックに寄ったんじゃないか」
「あっ」
「あの混沌、整頓しろ。埃で死ぬかと思った」
朝霧先生は、僕の胸をこぶしで軽く叩いて、少しだけ笑った。
「どんなにうっかりしていても、桐生先生だぞ。
生徒に関する書類をぞんざいに扱う訳がないだろ。
丁寧に棚に置いてあって、余計に見つけにくかった」
くるっと背を向けて、朝霧先生はすたすた去ってしまった。
僕は職員室に駆け込み、データとファイルを再チェックして異常がないか確かめて、すぐに理事長室に返しに行った。
今回は事なきを得たが、一歩間違えば大惨事だった。
そういえば、ちゃんとお礼も言ってない。
既に退勤している朝霧先生の机は静かで、いつも整頓されている。
退勤か出勤か、机を見ればすぐにわかる。朝霧先生は出勤すると机をぐちゃぐちゃに散らかして、退勤前にぴしりと片づける。
「なんであんなに親身になってくれたのかな」
全校生徒に関わることだから、一緒に探してくれてもおかしくはない。
でも。
『いいか桐生先生。
動け。考えられないなら動け』
混乱して動けなくなっていた僕を鼓舞して、導いてくれて。
その声で僕は動くことができて。
『お前、二時間目、授業だったろ。
資料チェックに寄ったんじゃないか』
普段の僕を、何気に見てくれていて。
僕がどう動くか推測できるくらい、僕を理解していて。
『どんなにうっかりしていても、桐生先生だぞ。
生徒に関する書類をぞんざいに扱う訳がないだろ』
僕を、無条件に信頼してくれていて。
見返りを求めてこない人間関係なんて、僕の人生にあっただろうか。
地獄の公立高校時代にプライベートはなかったといえ、それ以前は友人も恋人もいた。
彼らは僕になんらかを求めていた。いつも何かを欲していて、僕が与えるのを待ち、与えられないと感情的になった。
僕は与えるのが当然になって、それをなんとも思わなくなっていた。
僕自身を知ろうとした人なんて、後見人の大山さんくらい?
自分から僕を理解してくれた人なんて、
はじめて、で。えっと、
あれ、その、僕は。
今、なんだか、すごく嬉しい。
大惨事を起こしかけた身であるというのに、反省より先に、嬉しいなんて。
こんなにも嬉しくて、こんなにも幸せなんて。
僕はこっそり隣の椅子を引いた。
どくんどくんと心臓が高鳴るのを感じながら、朝霧先生の椅子にそうっと座った。
背徳感と幸福感と、安心と心地よさと、くすぐったいようなむずがゆさと。
なんだこれ。僕はまるで、高校生の恋愛みたいなことをして。
「恋愛……」
恋人はいた。けっこうな数がいた。
交代が早かったから、何人いたかは覚えていない。
僕は、そのうち誰か一人でも、こんな感情を抱いたことがあっただろうか。
朝霧先生は男。
僕も男。
ああ、パンセクシャルって、そういうことなのか。
僕の中で、恋に性別の垣根は存在しない。
こんな素敵な人、好きにならないわけがない。
不愛想に見えて人情家で、お人好しで。
影の努力家で、いつも一生懸命で、褒められなれていなくて。
生き様も、在り方も、姿も、声も、なにもかも全部。
想うだけで幸せになれるのは、この人だからだ。
同性の恋なんて、かないっこない。
それでいい。僕は朝霧先生の親友を目指そう。
一生伝えなくていいし、伝える必要もない。
同性愛というだけでなく、僕はヴァンパイア体質という、やっかいなものも背負っている。
どうか、ひっそりと想わせて。
僕が初めて恋した人。
僕も、君に何も求めないから。
友達の立場で、一緒に笑うことを許してほしい。
たまに朝霧先生がしているように、机に突っ伏してみた。
同じ机なのに、朝霧先生の机でそうすると頭に血が上ってぐらぐらした。
匂いが残るはずもないのに、朝霧先生の残り香を感じる気がした。
「やめよう、やめ!!
変態じみてる。
これ以上はだめだ」
自分を叱咤して席を立つ。
そうっと、そうっと、音をたてないように朝霧先生の椅子をしまう。
それはもう、昔のお話。
今から四年も前のこと。
長いような短いような片思いは、告げないままでも十分、幸せだったのに……なあ。
本編へ続く
黙々と授業のプリントを作っているかと思えば、暇があれば姿を消す。
狭い生物準備室が彼の巣であり、普段は巣にこもっていると、他の先生が教えてくれた。
運よく隣に座っているのを見つけると、僕はなるたけ話しかけた。
最初は、わかりやすく嫌そうだったけれど、そのうち慣れてくれて、雑談ができるようになった。
僕は、朝霧先生のプリントづくりの合理的さと読解しやすさ、授業計画書の精密さと丁寧さ、個性的ながら論点を逃さない授業が好きだった。
それをそのまま告げると、朝霧先生は、なぜかすごく嫌そうな顔をした。
「教師、なりたくてなった訳じゃないんで」
「そうなんですか?
じゃあ、才能があったんでしょうか。
ううん、違うかも。朝霧先生って、すごく努力する人だから」
朝霧先生は湯気が出そうに真っ赤になって、生物準備室に逃げ込んでしまった。
アヤザワ高校での日々は楽しかった。
前の高校と比較できない、教師に対しても心地いい空間。
生徒の活き活きした姿が間近で見える嬉しさ。交流できる時間がある喜び。
授業も、それなりに僕の自由に進めさせてくれる。教えたいものを優先的に教えられる。
かと思えば受験対策にも力が入っていて、三学期は全力で、ほぼ生徒個々に受験指導ができた。
深呼吸ができる。生きていると思える場所。
前の学校でのことは悔しかったけれど、ここにいれば、全部忘れてしまえる。
なによりこの学校、ウサギの飼育小屋があるという特典付きだ。
どうしようもない時に頼れる吸血先があるのは、安心できる。
僕は気が緩んでいたんだろう。心地よくて、のびのびできて。
成績をつける関係で、生徒のデータを照らし合わせる必要があった。
正式な手続きをふんで、理事長室から全校生徒の情報入りUSBメモリと紙のファイルを預かった。
今日中に返却すればいいもので、仕事自体はなんということもなかった。
僕はその日、とても眠かった。
文化祭の準備を手伝って、一部の作業を持って帰って、かつてのように徹夜で仕上げてしまった。
まだ暗黒時代の癖が抜けてないなと苦笑いしつつ、宿直室で仮眠して。
起きたら、僕は。
引き出しに入れて鍵をかけておいたはずのUSBメモリとファイルが、どこにもないことに気がづいた。
青ざめて、息が詰まった。
あれは、あれは、だめだ。
全校生徒の個人情報が入っているんだ。
あれをなくしたら、僕ひとりのクビどころの話じゃない。
誰かの手に渡ったら。悪用されたら。
生徒のプライベートが流出する。生徒に危害が及ぶ。
ネット社会の拡散は一瞬だ。
生徒の未来に、僕が、一生の傷をつけてしまう……!
「どうした、桐生先生」
僕が取り乱していたのに驚いたのか、朝霧先生が声をかけてくれた。
僕は正直に重要データの紛失を伝えた。
朝霧先生も蒼白になった。
僕は無理やり座らせられた。朝霧先生はコーヒーをいれてきれくれて、僕に飲めと命じた。
そうやって、僕を落ち着かせてくれた。
「ものを無くした時は、自分の行動をさかのぼって思い出し、順番に回ることだ。
お前が持っていたものなら、必ずどこかにある。
データを預かったのは朝礼の後だろう?
行ける場所は限られている」
「それが僕、文化祭の買い出しに行って、外へ出ちゃって」
「外出したのか!?
ファイルにUSBを挟む場所があったはずだ。
ファイルが見つかればUSBもあるだろう。
桐生先生は、外にファイルを持って出て行った覚えはあるか?」
「わからない」
僕は混乱していて、頭は真っ白だった。
僕の肩を、朝霧先生は渾身の力ではたいた。
朝霧先生の手のほうが痛そうだった。
「いいか桐生先生。
動け。考えられないなら動け。
思いつく限りの場所を探せ。
返却は今日の17時だったな。
それまでに見つければいい。見つけさえすれば、おおごとにはならない」
僕は何度もうなずいて、すぐに外へ飛び出した。
学外で落としていたら、誰かに拾われてしまう。警察に届けてくれるならまだいい。僕はどんな処分を受けてもかまわない。
生徒たちの情報を守らなければ。
僕は、こんな初歩的なミスを。僕は、こんな、馬鹿で、僕は。
学校を出て歩いた道をなぞって探した。
買い物に寄った店を順番に巡って、落し物がなかったか聞いて回った。
電話連絡し、午後の授業を自習にしてもらった。
途中で僕が無意識に寄り道しそうなところまで、隅々を探した。
側溝のグレーチングを持ち上げて中を覗いたりもした。
ヴァンパイア体質は、食事はほぼ不要だが水分は多く必要だ。眩暈を覚え、自販機から水を二本買って一気飲みした。
『結果がどうでも、16時になったらいったん戻ってこい』
朝霧先生の言葉を思い出し、僕はふらふらと帰校した。
ファイルはどこにもなかった。
誰も見ていなかった。
もう誰かの手に渡ってしまったのだろうか。
僕は、僕はこの責任を、生徒の安全を、僕は、これから、
「桐生先生――――!!」
校門をくぐってすぐ、朝霧先生が走ってくるのが見えた。
理系である朝霧先生は運動が嫌いで、汗をかくのも嫌だと言っていた。
なのに、髪がしっとりするほど汗だくで、シャツもネクタイもよれてぐちゃぐちゃだった。
「何度もスマホに連絡したのに、なぜ電源を切っている」
「あ……、マップ検索しすぎて、充電が」
「まあいい。ほら」
朝霧先生は、大きな茶封筒を僕に差し出した。
開けてみると、ファイルが入っていた。
茶封筒を破りそうな勢いで取り出して開くと、USBメモリもあった。
「どこで、これを」
「何度考えても、お前が重要データをもって外出するとは思えなかった。
あるとしたら校内だろう。
しらみつぶしに探しただけだ」
運動は嫌いなのに、こんなに走り回ってくれて。
自分のミスじゃないのに、一緒になって探してくれて。
僕はデータを校外に持ち出さないと、信頼してくれて。
「古典準備室の棚だった。
お前、二時間目、授業だったろ。
資料チェックに寄ったんじゃないか」
「あっ」
「あの混沌、整頓しろ。埃で死ぬかと思った」
朝霧先生は、僕の胸をこぶしで軽く叩いて、少しだけ笑った。
「どんなにうっかりしていても、桐生先生だぞ。
生徒に関する書類をぞんざいに扱う訳がないだろ。
丁寧に棚に置いてあって、余計に見つけにくかった」
くるっと背を向けて、朝霧先生はすたすた去ってしまった。
僕は職員室に駆け込み、データとファイルを再チェックして異常がないか確かめて、すぐに理事長室に返しに行った。
今回は事なきを得たが、一歩間違えば大惨事だった。
そういえば、ちゃんとお礼も言ってない。
既に退勤している朝霧先生の机は静かで、いつも整頓されている。
退勤か出勤か、机を見ればすぐにわかる。朝霧先生は出勤すると机をぐちゃぐちゃに散らかして、退勤前にぴしりと片づける。
「なんであんなに親身になってくれたのかな」
全校生徒に関わることだから、一緒に探してくれてもおかしくはない。
でも。
『いいか桐生先生。
動け。考えられないなら動け』
混乱して動けなくなっていた僕を鼓舞して、導いてくれて。
その声で僕は動くことができて。
『お前、二時間目、授業だったろ。
資料チェックに寄ったんじゃないか』
普段の僕を、何気に見てくれていて。
僕がどう動くか推測できるくらい、僕を理解していて。
『どんなにうっかりしていても、桐生先生だぞ。
生徒に関する書類をぞんざいに扱う訳がないだろ』
僕を、無条件に信頼してくれていて。
見返りを求めてこない人間関係なんて、僕の人生にあっただろうか。
地獄の公立高校時代にプライベートはなかったといえ、それ以前は友人も恋人もいた。
彼らは僕になんらかを求めていた。いつも何かを欲していて、僕が与えるのを待ち、与えられないと感情的になった。
僕は与えるのが当然になって、それをなんとも思わなくなっていた。
僕自身を知ろうとした人なんて、後見人の大山さんくらい?
自分から僕を理解してくれた人なんて、
はじめて、で。えっと、
あれ、その、僕は。
今、なんだか、すごく嬉しい。
大惨事を起こしかけた身であるというのに、反省より先に、嬉しいなんて。
こんなにも嬉しくて、こんなにも幸せなんて。
僕はこっそり隣の椅子を引いた。
どくんどくんと心臓が高鳴るのを感じながら、朝霧先生の椅子にそうっと座った。
背徳感と幸福感と、安心と心地よさと、くすぐったいようなむずがゆさと。
なんだこれ。僕はまるで、高校生の恋愛みたいなことをして。
「恋愛……」
恋人はいた。けっこうな数がいた。
交代が早かったから、何人いたかは覚えていない。
僕は、そのうち誰か一人でも、こんな感情を抱いたことがあっただろうか。
朝霧先生は男。
僕も男。
ああ、パンセクシャルって、そういうことなのか。
僕の中で、恋に性別の垣根は存在しない。
こんな素敵な人、好きにならないわけがない。
不愛想に見えて人情家で、お人好しで。
影の努力家で、いつも一生懸命で、褒められなれていなくて。
生き様も、在り方も、姿も、声も、なにもかも全部。
想うだけで幸せになれるのは、この人だからだ。
同性の恋なんて、かないっこない。
それでいい。僕は朝霧先生の親友を目指そう。
一生伝えなくていいし、伝える必要もない。
同性愛というだけでなく、僕はヴァンパイア体質という、やっかいなものも背負っている。
どうか、ひっそりと想わせて。
僕が初めて恋した人。
僕も、君に何も求めないから。
友達の立場で、一緒に笑うことを許してほしい。
たまに朝霧先生がしているように、机に突っ伏してみた。
同じ机なのに、朝霧先生の机でそうすると頭に血が上ってぐらぐらした。
匂いが残るはずもないのに、朝霧先生の残り香を感じる気がした。
「やめよう、やめ!!
変態じみてる。
これ以上はだめだ」
自分を叱咤して席を立つ。
そうっと、そうっと、音をたてないように朝霧先生の椅子をしまう。
それはもう、昔のお話。
今から四年も前のこと。
長いような短いような片思いは、告げないままでも十分、幸せだったのに……なあ。
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