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しおりを挟む触れるだけのキスに、阿知波は何も言ってはこなかった。
文句があれば、すぐに身体を離して言ってきただろうし、何も言わないならこれでいいって事に違いない。
「……」
数秒経ったのでもう離してもいいだろうか。いいよな。
そう決めて身体を離そうとした瞬間、いきなり両方の二の腕を掴まれた。
「!?」
身体を離そうとしても、力が強くて離れる事ができない。唇が合わさったまま攻防は続く。
「~~!」
何度阿知波を叩いても離れてはくれない。唇を離そうとしたら無理やり舌を入れられてしまった。
「ん……待っ……!」
「嫌」
いつの間にか阿知波から押してくる力が強くなり、堪える事ができずに仰向けに押し倒されてしまう。そのまま腕を押さえ込まれ、逃げる事ができなくなった。
「おま、動かないって言ったじゃねえか!」
「んーもう無理。我慢出来ない。やっぱ蒼ちゃんからって破壊力すげえ……」
「意味分かんねえよ!」
責める蒼を無視してキスを仕掛けてくる阿知波に怒りが湧いた。やっぱりこいつの言う事は信用できない。そう思うのに、弱った身体のせいで力が出ず、阿知波のキスを受ける事になってしまった。
「蒼ちゃん……好き……」
「う゛……」
遠慮なく侵入してきた舌は、我が物顔で口内を這い回り、合わさった粘膜からは水音が生まれていく。何度もしていたから慣れてしまったのだろうか。男の思うがままにされても嫌な気持ちは全くせず、それどころか気持ち良くなるばかりで戸惑ってしまう。
「蒼ちゃん……気持ちいいの? 目がトロンてなってる……」
少し顔を離した阿知波が問いかけてきた。
「ん……」
「やば……可愛い……」
働かない頭で思わず頷いてしまうと、阿知波はそれに満足したのか、更に強い力で押さえ込み、より深く唇を押しつけてくる。
「蒼ちゃん、口開けて……」
「ん……」
もっと気持ち良くなりたくて、素直に口を開いたら再び男の舌が入り込んできた。お返しとばかりにこちらからも舌を絡めて応戦すると、男がわずかに動きを止めた。
「……?」
だがそれは一瞬の事で、すぐに男は蒼の舌を味わい始めた。
何度も角度を変えて合わさる唇は離れる事はなく、男は快感を与え続けてくれた。
「ぁ……」
「……最高」
感覚が麻痺するほど口内を貪られ、いつの間にか力が抜けていた。抵抗する気力も無い。そのまま身体を委ねていたが、男はまだ足りないのかいつまでも唇を離そうとしなかった。
「ふぁ……」
「蒼ちゃん……蒼ちゃん……」
男はひたすら蒼の名前を呼び、何度も何度も口内を愛撫する。時には目尻や耳朶にも口づけられ、首すじをも吸われた。
それは、蒼を支配しているのは自分なのだと主張しているかのようだった。
「……」
そこまでされているのに、なぜか逆らうという気にはならなかった。男に身を委ねているのが心地良かったから。
これが好きという事なんだろうか。安心するのは確かだが、肝心な部分がよく分からない。
「蒼ちゃん、ダメだよ考え事しちゃ。俺を見て」
「ん゛」
ぼんやりしている蒼に気づいた男は、ふてくされながら口を塞いできた。自分以外の事を考えていたのが不満らしい。
再び舌を絡め取られ、さらに頭が混乱していく。蒼の腕を押さえつける手は逃がさないとばかりに力を強めていた。
この男の執着が怖かった。怖いけど、それを心地良いと感じる自分もいる。
この男に出会った時から決まっていたかのように物語は動いていく。それが不思議だった。まるで最初から逃げられないのだと言われているかのようで。
「俺……」
そう思ったら、思わず口を開いていた。男も愛撫をやめ、蒼の顔を覗き込んでくる。
「蒼ちゃん? どうした?」
「俺……もう、逃げられない……?」
「え?」
「俺……お前から、もう、逃げられない……? こうなる運命だったのかな……」
真っ直ぐに男を見つめると、男も蒼を射抜くように見つめてきた。
「「……」」
しばらくの沈黙の後、男が自嘲気味に笑うとこう言った。
「……運命かもね」
「……」
「蒼ちゃんと俺はこうなる運命だった。だから、蒼ちゃんは逃げられないし、俺も逃がさない」
「……」
「ね?」
「……うん」
思わず頷いてしまったが、それをすんなり受け入れた自分に驚いた。これもこの男に心を許した証拠なんだろうか。
「悩んでる蒼ちゃんも可愛いけどさ、今は考えなくても大丈夫だよ。後でゆっくり考えよう?」
「……うん」
「もう一回キスしようか?」
男に髪を撫でられると気持ちが和らいでいく。そのまま男の顔が近づき、唇に温もりを感じた。
*
それからどのくらい経っただろうか。
男の言うがまま、素直に唇を合わせていると、どこかで物音がした。だが男が離れる気配はない。気のせいだろうか。
「ちょっと、何か音が……」
「気のせいじゃない?」
動こうとしたら押さえつけられ、何度もがいてもその繰り返しだった。さすがに疲れて力を抜くと、男はさらにキスを仕掛けて来ようとする。
「もう無理」
「いいじゃんあと一回くらい」
もう疲れてきたしいい加減終わらせてくれないだろうか。手のひらで男の口を押さえ、迫る身体から逃げようともがいていたら、いきなり頭上から声がした。
「あの、お取り込み中、申し訳ないのですが……」
「ひっ」
「チッ」
横たわったまま天井を仰ぐと、なぜか上原がいた。そしてその横には白坂の姿。二人の後ろにも誰かがいるが、誰なのかは分からなかった。
阿知波は蒼を押し倒したまま不機嫌になっている。そして動く気配はない。どうしたらいいんだ。
「な……んで……」
さっきまで誰もいなかったはずだ。いつから見られていた?
「すみません。玄関のチャイムが鳴らなくて。悪いと思ったのですが、鍵が開いていたので何かあったのかと思いまして……いつも閉めてるでしょう?」
「あ、ああ……開いてたのか……」
「はい」
上原は蒼を上から覗き込みながら微笑んだ。
どうしてこんなに冷静なんだろう。阿知波も白坂も何も言わないし、自分の反応がおかしいような気さえしてくる。
しばらく呆然としたまま動けずにいると、それに気づいた白坂が笑いながらからかってきた。
「つーか黒夜ぁ、病人にサカってんじゃねえよ。蒼ちゃんが青くなってんじゃねーか」
「うるせえな邪魔しやがって……これは合意の上だ。ね、そうだよね蒼ちゃん?」
「……」
「あれ? 蒼ちゃん大丈夫?」
青ざめた蒼に気づいた阿知波が身体を起こしてくれたが、どう答えればいいのか、どう対処すればいいのか分からず頭の中は混乱するばかりだった。
「いつから……」
とりあえずいつからいたのか聞いてみると、白坂がすぐに答えてくれた。
「五分前くらいか?」
「そうですね。そのくらいです」
上原も何事もなかったのように受け答えをしている。
なぜだ、なぜなんだ。
戸惑う蒼を尻目に、白坂は阿知波を茶化していた。
「入ったらラブラブだったからびっくりしたぜ。キスはさせて貰えるようになったんだな……良かったな黒夜」
「ああ、蒼ちゃんキスは好きだから」
「マジで?」
「マジ。しかも上手い」
「へえ~良かったなあ」
「蒼? 大丈夫ですか?」
すぐそばで自分についての会話が交わされている。上原も心配そうに訊ねてくるが、見られていたという現実があまりにも衝撃すぎて反応できなかった。
「……」
さっきのキスはただのキスではなかった。舌を絡め、貪り合う深いキスだ。
あれを、見られていた……。
そう思ったら余計に混乱してきた。恥ずかしさに熱が集まり、自分でも顔が赤くなっているのが分かってしまう。どうしてみんながいる事に気づかなかったんだろう。
「ああああ~……」
居たたまれなさに頭を抱えてうずくまると阿知波と上原が反応した。
「蒼!?」
「うわ……蒼ちゃんてば赤くなっちゃって可愛いー!」
「……」
すかさず抱き締めてきた阿知波と、それをニヤニヤしながら眺める白坂。
ああ、この二人を殴りたい。どうしていつも脳天気なのか。
早くこの場から逃げたい。
ぼんやりと思っていたら聞いた事の無い声がした。
「なあ、そろそろ俺にも紹介してくんね? 蒼ちゃんと話したいんだけどー」
「……?」
声のする方を見ると、上原の後ろに知らない男が立っていた。
少し長めの髪を赤茶色に染め、それを斜めに軽く流した髪型はどこぞのアイドルグループを連想させた。意識してるんだろうか。
さらに、垂れ目がちな瞳に左の目尻の泣きボクロ。そのせいで柔らかい印象を与えている。
「初めましてー」
「……初めまして?」
男は爽やかな笑顔を浮かべてこっちを見ていた。声を掛けられて思わず返してしまう。
誰だ?
いきなり現れた人物に戸惑っていると、阿知波がその人物に声を掛けた。
「橘(たちばな)……なんでてめえがいるんだよ」
「いや~、噂の蒼ちゃんに会いたくて?」
「ふざけんなバーカ」
阿知波はその男を橘と呼んだ。しかも親しげだ。
もしかして、さっき言っていたNO.三の橘だろうか。
「……橘?」
「ん?」
「橘って、さっき言ってた奴?」
下から覗き込むように見上げると、なぜか阿知波が口を押さえた。
「ちょっ、蒼ちゃん……上目遣いはやめてよ勃っちゃうじゃん!」
「はあ? 死ねよボケ!」
ふざけた言葉に思わず阿知波を殴ってしまうと、橘と呼ばれた男が豪快に笑った。
「うはっ! 超ウケる~本当にクロ君が尻に敷かれてんじゃねーか」
「な? だから言っただろ? 珍しいもん見れるって」
白坂が何やら説明しているが、やめて欲しい。頼むから黙っていてくれ。ていうか帰れ。
そう思うのに、二人はテーブルの向かいに座ってしまい、上原も蒼の横に座った。
「おい上原……なんで止めないんだ」
「すみません。橘はまだあなた達の関係を疑っていまして……少し見せつけた方がいいかなと」
すみませんと謝る上原だが、悪いとは思っていないだろう。顔にはそう書いてある。
なんて事だ。上原まで敵に回ってしまった。
「そんな……」
がっくりとうなだれる蒼を見ながら、橘が話し掛けてきた。
「蒼ちゃん俺ね、橘灰路(たちばなはいじ)って言います。ちなみにタメだから敬語はナシでよろしく!」
「……望月蒼です。よろしく」
テンション高くウインクしてきた橘について行けず、かろうじて絞り出せたのは自分の名前だけだった。そんな蒼を知ってか知らずか、橘は遠慮なく質問をしてくる。
「蒼ちゃんはさ、どうやってクロ君を落としたの? なんか色っぽいから色仕掛け? それとも弱み握ったの?」
「え?」
「だって、男なんて気持ち悪いしホモは死ねって豪語してたクロ君が……迫ってきた男をフルボッコにしてたクロ君が落ちるなんてさ、ありえねーもん。相当アッチの方が上手いか弱み握ったんだよね? どうやって迫ったの?」
「……」
もしかしなくても、これはさっきと同じ…藤倉君の時と同じパターンだろうか。また蒼が迫った事になっている。
信じられないのは仕方がないと思う。自分だって信じられないのだから。けど、どうして毎回蒼が悪者にされるんだろう。いい加減うんざりだった。
「……」
はあ……とため息をついて押し黙ると、橘が慌てたように目の前で左右に手を振った。
「あ! 蒼ちゃん違うよ? 責めてるんじゃないから!」
「……」
「誤解しないで? 純粋に興味があるだけだから! クロ君を落とせた理由が知りたいだけだから」
「……本当?」
じっと橘を見つめたら、なぜか橘の顔が輝き、そして僅かに赤くなった。
「……なるほど。潤んだ瞳に上目遣い……そして訴えかけるような視線……これはクロ君じゃなくてもクるな。可愛い」
「おい……あんま見てんじゃねーよ蒼ちゃんが減る」
それを聞いた阿知波は急に不機嫌になり、抱きついてきたかと思うと蒼の頭を自分の胸に押しつけた。何だこれ。
「なるほど。嫉妬ってワケね。愛されてんね蒼ちゃん」
しばらくの沈黙の後、阿知波の不機嫌さに気づいた橘がにやけながら言ってきた。
「しかもBLUEの総長ですからね。あなたより強いです」
さらになぜか上原まで参戦してきた。一体どうしたのか。
「BLUEってお前のとこだっけ?」
「はい」
「へえ……お前が下につくって事は相当凄いんだ?」
「ええ。だからあまりからかわないでやって下さい」
「ふーん……こう見るとそうは見えないけどなあ……不良っぽくもないし」
まるで品定めでもしているような視線を感じ、身体がビクリと震えた。どう反応したらいいんだろう。
「今は弱ってんだからしょうがねえだろ。病人をイジメるんじゃねーよ」
「病人にサカってたお前に言われたくねー」
阿知波が橘を責めて庇ってくれたが、橘もここぞとばかりに言い返す。遠慮の無いやりとりは二人の関係を表していた。きっと白坂と同じくらい親しいのだろう。でなければここまで言えないだろうから。
「ははっ」
そう思ったら、少し笑ってしまった。
「蒼ちゃん?」
「仲良いんだな」
「仲良くねーよ腐れ縁なだけ」
「でも嫌じゃないから一緒にいるんだろ?」
「まあ……」
「素晴らしい!」
「ん?」
いきなり声を上げた橘を見ると目が爛々と輝いていた。ちょっと怖い。
「彼氏の友人にからかわれても怒らないで笑って流し、さらに関係性まで理解するとは……俺、蒼ちゃん好きだわ~いい人って言われない?」
「はあ……」
祈るように手を組んで語り始めた橘は何がしたいのかよく分からない。けど、阿知波と白坂の二人が認めているなら信頼できそうだ。
「……」
これだけ爽やかで美形だったらモテるんだろうなあ。そう思ってしばらく橘を見つめていたら、白坂が淡々とからかい出した。
「蒼ちゃん……灰路ばっか見てたらソイツが拗ねるから」
「え? うわっ」
視線の先にいた阿知波を見ると、店で起こった事を話している時と同じ顔つきになっていた。
「……蒼ちゃんのバカ」
「なんでだよ」
「橘ばっか見てた」
「初めて会うんだからしょうがねえだろ」
「俺と初めて会った時はこんなに興味持ってくれなかった。再会しても覚えてねえし」
「なんで今ごろその話……ウザいんだけど」
「ひでえ」
「まあまあラブラブなこと」
「は?」
いつものように拗ねる阿知波をあしらっていると、橘がまたしてもニヤニヤしていた。
「……とまあ、これが二人の日常です。橘、分かりましたか?」
「は?」
さらに上原まで意味の分からない事を言っている。誰でもいいから早く説明して欲しかった。
「上原、どういう事だ?」
「さっきも言ったでしょう? 二人の関係を橘が疑ってるって。だから二人の日常的な様子を見せただけです」
とりあえず上原に話し掛けると、あっさりと教えてくれた。
「いや~これはマジだな。あのクロ君が何言われても怒らないとは……蒼ちゃんどんな魔法使ったんだ?」
それを聞いた橘も脱力したように呟いている。だが白坂だけは冷静だった。
「灰路、逆だ逆。蒼ちゃんが落としたんじゃなくて黒夜の一目惚れ」
「そうだっけ?」
「そうそう。黒夜がずっと追いかけてた。粘り勝ちだ」
「へえ……」
「俺も勘違いして蒼ちゃん泣かせたから気をつけな。黒夜が怒る」
白坂は淡々とした口調で橘の勘違いを訂正している。以前蒼を責めた事を反省しているような言い方だった。
「……クロ君怒らせたくねえな」
「だろ?」
過去に何かあったんだろうか。橘は腕をさすりながら「危なかった」と呟いている。
「ってかさ、クロ君が追いかけてたって具体的にはどんな感じ?」
「会う度にセクハラして迫ってたな。あとスマホの待ち受けは蒼ちゃんの隠し撮りだ」
「いや、今は寝顔のやつに変えたから」
「いつ撮った?」
「この前の日曜」
「阿知波……何だそれ」
初めて知る事実に、開いた口が塞がらない。
淡々と話す白坂に、それを認めている阿知波。いつ撮られたのか見当もつかなかった。
「だって蒼ちゃん写真ちょうだいって言ってもくれないだろうしさあ……本当は笑顔の写真がいいんだけど、撮ってもいい?」
「嫌だ」
「ほらね」
当たり前のように言い返すと、それを見ていた橘が何かを企んだような顔をした。嫌な予感がする。
「はいはい! じゃあ俺が撮ってあげる! ピンじゃなくて二人でツーショット撮ればいいじゃん」
「なっ……」
「ほれ、クロ君スマホ貸して」
「はいよ」
素直にスマホを渡した阿知波は、蒼の腰に手を回し、身体を寄せてくる。
「蒼ちゃんほら、ピースピース」
阿知波はそのまま蒼の頬に自分の頬をくっつけ、指でピースの形を作っていた。
こいつ、マジでぶっ殺す。
「やめろって……上原頼む、止めさせろ!」
「いや……いいじゃないですか写真くらい」
「は……?」
「付き合ってるんですから、二人の写真くらい撮らせてあげなさい」
阿知波を引き剥がして上原に助けを求めると、意外な答えが返ってきた。
なぜだ。なぜ上原は味方してくれないんだ。
そんな蒼の心を読んだかのように白坂が言った。
「綾都、お前楽しんでるだろ」
上原はちらりとこっちを見た後、少し笑った。
「いや……まさか阿知波のこんな姿を見る日が来ると思いませんでしたから。貴重だなと」
「だよなー」
「ええ。蒼には悪いですが楽しいです」
なんてことだ。上原は助けるつもりは無いらしい。白坂と二人で笑いながらこっちを眺めている。
「ほら~蒼ちゃんこっち見て」
「え……」
カシャ。
呆気に取られていたら橘の声がして、そのまま引き寄せられて撮られてしまった。さっきのように頬をくっつけたまま。
「うはっ、クロ君の笑顔気持ち悪い!」
「どれどれ見して」
「俺も見たいです」
撮った画像を橘が笑いながら見ていると、白坂と上原も画面を覗き込んだ。阿知波の笑顔が珍しいのか、茶化す声が聞こえてくる。
「蒼も見ます?」
はい。と差し出された画面には、笑顔でピースする阿知波と戸惑う表情の自分が写っていた。これを待ち受けにされるなんて消えてしまいたい。
「……最悪」
「へえ~よく撮れてるじゃん」
「あっ」
顔を覆って嘆いていたら阿知波にスマホを奪われた。
「ふふ……ツーショットか。ちょっと蒼ちゃんの表情が硬いけどまあいいか」
阿知波は嬉しそうに画像を保存している。こうなったらもう諦めるしか無いのか。
「クロ君、俺にも送って」
「黒夜、俺にも」
「ああ」
橘と白坂が口々にねだり、阿知波も受け入れている。
「おい……ばら撒くなよ」
この調子で広まるのは避けたい。慌てて止めると橘が言い聞かせるように話してきた。
「蒼ちゃん、これは対策だよ?」
「何の?」
何の対策なのか全く分からない。何を言ってるんだろう。
「こいつらから話は聞いたけどさ、舞って奴がクロ君の恋人で、それを蒼ちゃんが邪魔してるみたいになってるんだよね?」
「……ああ」
「俺はクロ君から蒼ちゃんの話聞いてたから信じてなかったけどさ、舞って奴の仲間はそう思ってるわけだよ」
「だから?」
だから何だと言うのだ。
「だ・か・ら、もしまた舞の仲間や他の奴が同じように言ってきたら、これ見せて分からせればいいかなって」
「は?」
「だってさ~、この写真どう見てもクロ君の一方通行じゃん? 間違っても蒼ちゃんから迫ってるなんて思わないよ~」
「なるほど……灰路お前頭いいな。その手があったか」
「じゃあ俺にも送って下さい。協力します」
楽しそうに笑う橘は本気でそう思っているらしい。さらに説明を聞いた白坂と上原も同意している。
ちょっと待て。本気で他の奴に見せるつもりなのか?
「ちょっと待て。本気か?」
「当たり前じゃん。蒼ちゃんの為だよ?」
橘は何言ってんだというような目線を送ってくる。二人もそれに頷いている。
途端に目の前が暗くなった気がした。
「阿知波……やめさせろ」
「なんで?」
皆の本気が怖くなって縋ってみたが、阿知波は全く気にしていなかった。
「なんでって……」
「俺は蒼ちゃんが俺のもんだって見せびらかしたい。誤解も解けるしいいと思うけど」
「……」
「蒼ちゃんにも送っとくね」
誤解が解ける?
確かに舞の仲間は思い直すかもしれない。だが、舞本人はどうだ? 写真だけで納得するのか? 思い込みの激しい奴だ。蒼が無理やり撮らせたと余計に恨むのではないだろうか。
「そうか。じゃあお前は俺がどんな目にあってもいいって言うんだな」
スマホに送信された画像を眺めながら、自分の思いを口にすると阿知波が眉を寄せた。
「蒼ちゃん?」
「舞はお前を好きなんだぞ? 見せたら舞を煽るだけだ」
「蒼ちゃん考えすぎじゃない?」
橘が口を出すがやっぱり分かっていない。舞の行動力の凄さを。
「前にこいつにも言ったけど、舞は思い込みだけで……俺がこいつを困らせてるってだけで俺のチームを潰すやつだ。分かってんのか?」
「!」
「こんなの見せたら逆上するだけだ。またBLUEと俺が狙われる。体調も悪いし、今度狙われたら勝てる自信はない」
今回は上原がいたからなんとかなったが、一人の時に同じ事をされたらどうなるか分からなかった。
「「……」」
橘と白坂が顔を見合わせ、息を飲むのが見えた。どうせ思いつきで言っただけだろう。それがどんな結果を生むのかまでは考えていないはずだ。
「それでもいいならどんどん見せてくれ。その代わり俺は……それが理由でまた襲われたらこいつと別れるから」
「なんで!?」
阿知波が声を荒げたが、気にしてなどいられない。自分の危険が迫っているのだから。
「まあ、確かにそうですね。阿知波と別れて事が収まるなら別れるのが手っ取り早いでしょうし」
「だろ?」
「ええ。阿知波も別れたくないでしょうから、見せるのは極力避けましょうか」
「ああ、頼む」
上原は話を聞いて考え直してくれたようだ。うんうんと頷いていた。
「お前らも分かったか?」
「ああ……」
「悪かった」
橘と白坂を見るとやはり素直に頷いた。軽率な行動に反省しているようだ。
「阿知波も……おい?」
阿知波を見るとどこか泣きそうな表情を浮かべていた。どうしたんだろうか。
「阿知波? どうした?」
「……」
「阿知波?」
顔を覗き込んだが反応しない。様子のおかしい阿知波に白坂も首を傾げていた。
「黒夜? 腹でも痛いのか?」
「クロ君?」
「大丈夫ですか?」
どうしたんだと皆で顔を見合わせていると阿知波がわずかに口を開いた。
「……だ……」
「何?」
「嫌だ!」
「え」
いきなり叫んだと思った次の瞬間、物凄い勢いで腰に抱きつかれ、バランスを崩して後ろに倒れてしまった。
「ちょっと、何……」
身体を起こすと、阿知波が腰に抱きついていた。そして蒼の腹のあたりに顔を埋めている。髪を掴んで引っ張っても離れる様子はない。
「阿知波、離せ」
「嫌だ」
他の皆を見ると、呆気に取られて何も言えずにこちらを見ていた。
「阿知波? どうしたんだ?」
「……」
話し掛けると、阿知波はわずかに身じろぎ、何かを呟いていた。
「何?」
「嫌だ……」
「何が?」
「別れたくない……」
どうやらさっきの「画像を見せたら別れる」に反応したらしい。
「あれはまた襲われたらの話だ。今すぐって訳じゃない」
「でも蒼ちゃんなら何かあったら絶対別れようとする」
「……」
思わず無言になると、阿知波の手に力が入り、抱きつく力が強くなるのが分かった。
「絶対に別れない。何があっても蒼ちゃんにしがみついてやるから」
「阿知波……」
「俺を捨てないで」
阿知波は苦しそうな声で訴えている。その姿に他の三人も息を飲んでいた。
「クロ君が捨てないでって縋るとか……マジかよ……」
「ええ……話は聞いていましたが生で見ると凄いですね……」
橘と上原が呆然と呟いている。目の前で起こっている事なのに信じられないらしい。
阿知波を見ると、しがみついたまま微動だにしない。どうしようか迷っていたら白坂と目が合った。
「白坂……助けてくれ」
「そうだなあ……」
いつも一緒にいる白坂ならば、阿知波の扱いを分かっているだろう。助けを求めたら腕を組んで考え始めた。
「とりあえず頭撫でてやれば?」
「……何で」
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「……」
頭に手をやると阿知波がわずかに動いた。だが、それだけで離れる様子はない。
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そのまま髪を梳くように撫でると、さらに腕の力が強くなった。まるで逃がさないと言われているかのようだ。
「……別れないって約束して」
「襲われなかったらな」
「もう絶対に襲わせない。守る」
力強く言い切った阿知波は、何かを決心したかのようにも見えた。
ならば、信じてみようか。
「本当に守れよ?」
ゆっくりと頭を撫でると阿知波が顔を上げて頷いた。
「だからもう別れるなんて口にしないで。蒼ちゃんいつも本気だから怖い」
「……ああ」
返事をすると、安心したのか身体を離してくれた。阿知波はばつが悪そうな顔をしている。
もしかして、何かある度にこうして縋られるんだろうか。昨日の暴力もそうだし、その前も似たようなものだ。
「お前、もしかして面倒くさい奴だったのか?」
思わず口にしてしまうと、阿知波がふてくされた。
「何それ酷い」
「いや……もっとサバサバした付き合いをする奴だと思ってたから」
女は消耗品とまで言った男だ。その執着の無さは本命でも変わらないと思っていた。
「蒼ちゃんは別って言ったじゃん」
「だって女は消耗品とか言ってたじゃねえか」
「蒼ちゃんはあの女達とは違うでしょ?」
「そうだけど……」
そこまで言うとパンッ! と大きな音がした。音の方を見ると橘が拍手をしていた。
「凄い! 凄いよ蒼ちゃん! クロ君にそこまで言わせるなんて……俺感動しすぎて明日死ぬかもしれない」
「黙れ橘」
「黙らないよ楽しいもん。馴れ初め教えて」
阿知波が睨んでも橘はどこ吹く風だ。ずっとニヤニヤしていて怖かった。
「黒夜の蒼ちゃん好きは異常だからな。初恋だし仕方ない」
「それより、女が消耗品て最低ですね……」
橘が言うと、他の二人もそれぞれ思った事を口にした。まだまだこの話は続くらしい。
「……」
早く終わってくれないかなあなんて思っていたら、急に頭がぼーっとしてきた。もしかして点滴の効果が切れたんだろうか。
「なあ……ちょっとダルいかも」
「具合悪くなっちゃった?」
「分かんねえけど、頭がぼーっとする」
阿知波が心配そうに覗き込んできたが、急激に襲ってきただるさと眠気で頭が働かなくなっていた。
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