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マメ

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side:蒼


***


 眠気に支配された意識の中で、見えたのは金色だった。
 綺麗だなあと思って手を伸ばせば、その手を掴まれ、金色が目の前に近づいてきた。
 そして、何かの重みと同時に唇に何かが触れた。
「ん……」
 柔らかなそれは、蒼の唇を何度も吸い、何度も舐めてくる。それが不思議と気持ちが良くて、抵抗するのを忘れてしまった。
「……ちゃん、……て……?」
 何かがぼんやりと聞こえてくるが、よく聞こえない。
「うん……?」
 とりあえず返事をしたら、何かが口の中に入ってきた。それはぬめりを帯びていて温かい。嫌な気持ちはしなかった。
 口内を這い回るそれを自分の舌で追うと、待っていたかのようにすかさず絡み取られてしまう。舌をなぞられると痺れが身体を支配した。
 気持ち良さに目をつぶり、しばらくされるがままになっていたが、なんだか物足りない。
 もっと、もっときつく吸って欲しい。
 そんな思いが強くなった。
 だから、口内のそれが出て行こうと蒼の舌を解放した時、今度は蒼から仕掛けてみる事にした。
「ん……もっと……」
 目の前の金色に腕を絡ませて抱きつくと、それはビクッとなって動きを止めた。
 しばらくしてから「ヤバい……」と聞こえてきた。何がヤバいんだろう。
 その声に構わず、もう一度ねだってみる。
「……もっと、したい……」
 すると、急に抱きしめられ、口を塞ぐように先ほどの何かが口内に入ってきた。今度は蒼からも舌を絡ませ、味わうように貪り合った。
「んぁ……」
「は……ほんと……蒼……い……」
 やはり何かが聞こえるがよく分からない。自分の名前を呼んでいる気もするが、眠気が凄くて理解できなかった。
ただ分かるのは、この快楽を目の前の金色が与えてくれるという事だけだ。
 この気持ち良さを逃したくなくて、思わず足も絡めてしまう。すると、身体を拘束する力が強くなり、口内を貪る動きも激しくなる。それは舌が痺れて感覚が無くなるまで続き、蒼から仕掛けたというのに、いつの間にか主導権は金色が握っていた。
「あ……ふ……」
 口内を蹂躙していたモノが無くなり、チュッと音を立てて離れていく。少しの寂しさを感じたが、それよりも眠気が頭を支配していた。どうしてこんなに眠いんだろう。
「……ちゃん、まだ眠い?」
「ん……」
 金色から発せられた低い声が、何かを問いかけてくる。だが、答える事が出来ずに再び意識を手放してしまった。



***



「う……重……」
 身体に感じた重さで意識が浮上した。
 何かが上に乗っているような気がする。それとも疲れのせいだろうか。
 そろりと目を開けると金色が見えた。
それは、蒼の胸にしがみついたまま眠る阿知波だった。
「な……んで……」
 阿知波は気持ち良さそうに寝息を立てている。その顔は幸せそうだった。寝室には入るなと言ったのにどういう事だ。
 考えがついて行かなくて、呆然と男の顔を眺めていると、蒼の胸に頬をすり寄せてきた。
「ちょっ……」
 慌てて引き剥がそうと阿知波の髪を引っ張るがびくともしない。身体に絡みつく腕も外そうと試みるが、やはり外れない。
「離せ!」
 だんだんイライラしてきて、思わず男の頭を殴ってしまった。するとすぐに反応が返ってくる。
「……痛え」
「おま……起きて……」
「だって……蒼ちゃんの腕の中が気持ち良くて……」
 反省の色もなしに、再び頬を擦りつける男に怒りが湧いた。蒼の気持ちなど全く気にしていないらしい。 
「離れろ」
 顔を無理やり押しのけると、むすっとした男が不満そうに愚痴をこぼした。
「……蒼ちゃん、朝はあんなに可愛かったのに……」
「朝?」
 時計を見るともうすぐ正午になろうとしていた。なんて事だ。こんな時間まで寝ていたなんて。それに今朝の事なんて覚えていない。
「そう、朝」
「何かあったのか?」
 そう訊ねると、男は一層むくれてしまった。
「酷い……蒼ちゃんから誘ってきたのに忘れるなんて……」
「は?」
 男の言っている意味が分からない。蒼が何をしたと言うのだ。
「蒼ちゃんの寝顔が可愛かったから我慢できなくてキスしたら、もっとしてってねだってきた」
「は?」
「蒼ちゃんが自分からしがみついてきたし、足も絡めてくれた……」
「う、嘘だろ?」
 そんな事をした覚えは全くなかった。
「嘘じゃないよ。もう、蒼ちゃん可愛いすぎてヤバかった」
 その時の事を思い出したのか、阿知波は頬を緩ませている。
「……」
 そういえば、なんだか唇がヒリヒリするような気がする。指で触れると少し痛かった。
 その様子に気づいた阿知波が身体を起こし、蒼にのしかかってきた。
「ねえ蒼ちゃん、蒼ちゃんて朝弱いでしょ?」
「え? ああ……」
「もう誰にも寝てるとこ見せないで?  寝ぼけてる蒼ちゃん凶悪すぎる」
「へ?」
 凶悪すぎるというのはどういう意味だ。相変わらずこいつの言ってる事が分からない。
「まあ俺は嬉しかったけどさ、蒼ちゃんからのキス。気持ち良かった」
「な……」
「またしようね?」
 そう言った男の顔がすごく嬉しそうで、何も言えなくなってしまう。きっと蒼からキスをしたのは本当なんだろう。
 そういえば、何かにしがみついたような感覚はあった。唇の痛みもそのせいなのか。無意識とはいえ、何て事をしたんだろう。
「と、とりあえず、俺の上からどけ……」
あまりの恥ずかしさに、そう言うのが精一杯だった。






「目、腫れてる。冷やさなきゃね」
 昨日、ずっと泣いていたせいか、蒼の目は腫れ、まぶたが重かった。少し熱もあるようで頭が痛い。鏡で確認したが、人前に出られるような状態ではなかった。
 それが自分のせいだと分かっているらしい。阿知波は帰っていいと言ったのにもかかわらず、蒼の側を離れないで甲斐甲斐しく世話を焼いた。世話を焼くと言っても、家事をするわけではなく、額に乗せたタオルを換えていただけだが、それ以外はベッドのそばに座って蒼の顔をじっと見つめていた。
 



「ん……」
 まぶたを開けると、阿知波が冷えたタオルを交換している所だった。その心地よさに思わず吐息が漏れる。
「色っぽい……」と聞こえたのは気のせいにしておこう。
 覚醒したばかりの蒼に、阿知波は言う。
「蒼ちゃん、昼飯どうする?」
 朝から何も食べてはいないが、熱のせいであまり食欲はなかった。薬を飲むには食べた方がいいのだろうが、自分で作るのは億劫だ。
「作るのめんどい。何か買ってきて」
 そう頼むと、阿知波は素直に頷いた。今日はとことん蒼に尽くすつもりらしい。
「何でもいい?」
「うどんがいい……玄関……鍵掛けてって……」
「分かった。鍵はどこ?」
「机の上……」
 ベッドの横にある机から鍵を取り、阿知波が寝室から出ようとしたその時だった。

ピンポーン……。

 突然、蒼の家のチャイムが鳴った。
「……誰だ?」
「新聞の勧誘かも。たまに来るけど無視すれば諦めるから」
「そっか」
 だが、いつまで経ってもチャイムは鳴り響き、音が鳴り止む事はなかった。
「……なんか怖くねえ?」
 さすがの阿知波も不気味に思っているようだった。
「ちょっと出てみる。蒼ちゃんはここにいて」
「大丈夫か?」
「何かあったら殴るから平気」
 物騒な事を呟いて、阿知波は玄関に向かっていった。
 ここに来るとしたら、チームのメンバーか友人、もしくは家族くらいのものだ。その中にあんなにチャイムを鳴らす人物はいない。誰なのか全く見当がつかなかった。
 待てと言われたが、誰が来たのか気になってしまう。足音を立てないように寝室を出ると、玄関へ通じるドアのそばで耳を澄ませた。
 息を潜めていると、カチャリとドアを開ける音がした。
 すると突然「蒼君!」と聞き覚えのある女の声がした。
「……」
 しばらくの沈黙の後、阿知波の低い声がした。聞いただけで不機嫌と分かるほどの。
「……誰」
「え? きゃ……」
「つーか、離れろ」
 バタンと何かがぶつかる音がし、再び「きゃ……!」と女の悲鳴が聞こえた。一体何が起こってるんだ。
「梢! 大丈夫!?」
 すると、違う女の声がした。もう一人いたらしい。
 ちょっと待て。梢だと?
 梢というのは、去年まで蒼の彼女だった女の名前だ。向こうから一方的に別れを告げられ、今は連絡すら取っていない。この場所を知っている一人でもあるが、今の女が彼女だとしても何の用事もあるはずがない。
「うん……大丈夫」
 だが、声は梢のものだった。やはり彼女なのか?
 悩む蒼を置いて、向こうで勝手に物事は進んでいく。
 まず始めに声を出したのは、梢らしき女と一緒に来た人物だった。友人のようだ。
「ちょっとお、女の子に暴力なんて酷いんじゃない!?」
「あ? 勝手に抱きついて来たのはその女だろうが」
 食ってかかる女に阿知波が言い返すと「え……」と戸惑うような声が聞こえた。
「あ、阿知波さん……!? どうして蒼君の家に……」
「え!?…嘘……」
 女は阿知波の名前を口にした。顔見知りなんだろうか。梢らしき女も絶句している。
 それに対する阿知波の言葉は冷たかった。
「お前らが俺を知ってようとどうでもいいけど……とにかく帰れ。望月は出ねえ」
「ど、どうして阿知波さんが……」
 二人は阿知波がいるのが信じられないようで、再び疑問を口にしている。
「俺がここにいたらいけないのか?」
「え、だ、だって、BLACKとBLUEは仲が……」
「悪い? つーか、何でンな事知ってんだ。チームの奴の女か?」
「えっと……あの……」
 阿知波が問うと、友人の女は言葉を濁した。やはりチームの女なんだろうか。
「あの、私……以前、阿知波さんと……」
「ん? お前……」
 ふと、阿知波が気づいたように声を上げた。
「セフレだった女か」
「なっ……」
 うろたえる女を尻目に、阿知波はお世辞にもいいとは言えない言葉を浴びせていく。
「俺の恋人になったと勘違いして、チームの奴らに触れ回った女だろ? アソコの締まりは良くなったか? ユルユルだったけど」
「なっ……」
 容赦ない阿知波の言葉に女は涙声になっている。さすがにこれは言いすぎだ。
「本当の事だろ? ユルすぎて全然気持ち良くなかったし。あれで男を満足させてると思ってんのか?」
「……ひ、ひど……」
「ちょっ……言いすぎです!」
 友人の女が泣き、梢らしき女が文句を言っている。阿知波は何とも思っていないようで、何の反応もしていない。
「お前さあ、二度と俺の前に姿を見せるなって言ったよなあ……?」
「きゃ……」
 阿知波の声に感情が感じられなくなり、ガタンと音がした。これはまずいかもしれない。
 そう思ったら、足が勝手に玄関に向かっていた。
「阿知波、やめろ。言いすぎだ」
「「蒼君……」」
 蒼が姿を現すと、二人の来客は見るからにほっとしたような顔をした。
 やはり、二人は梢とその友人だった。友人の名はくるみと言う。蒼も何度か会っていて知っていた。
 梢はピンクのミニ丈のワンピース、くるみは白いTシャツにジーンズというラフな服装だ。くるみは服を直す仕草をしている。どうやら阿知波に掴みかかられていたらしい。本当に女にも容赦ない男だ。
「蒼ちゃん……出てくるなって言ったのに」
「こんだけ騒がれたらしょうがねえだろ。そのくらいにしとけ。相手は女なんだぞ」
「……チッ」
 阿知波は大人しくなり、蒼の横に立った。その様子に二人はなぜか驚き、目を見開いていた。
「……久しぶり。何の用?」
「蒼君……どういう事? その顔も……まさか、阿知波さんに……?」
 梢は蒼の顔が腫れている事に気付いたのか、阿知波と蒼を交互に見て心配してきた。BLACKとは敵対してると知っていたからだろう。
「……お前に言わなきゃいけない理由が見当たらないけど?」
「え……?」
「お前には関係ない」
「蒼君? なんでそんな冷たい事言うの……? 私達の仲じゃない」
 梢は優しい言葉をかけて貰えると思っていたようで、突き放すような蒼の言葉にショックを受けている。自分から関係を終わらせたというのに、変わらず優しくしてもらえると思っているのが理解できない。
 彼女とはもう完全に終わっているし、蒼は当時のような恋愛感情は全く持っていなかった。これからも無いと思う。
 それを見ていた阿知波が口を挟んだ。
「蒼ちゃん、この女誰?」
「蒼、ちゃん……?」
 梢は阿知波の呼び方にびっくりしている。だが、あえて無視をした。
「俺の元カノ。去年別れた」
 蒼の言葉に梢は泣きそうな顔をした。一体何なんだ。
「もしかして……構ってくれなくて寂しいって蒼ちゃんを振った奴?」
「ああ」
「へえ……」
 阿知波も蒼の話を思い出したようで、じろじろと梢を眺め始めた。その視線が恥ずかしいのか、彼女は頬を赤らめている。
 だが、その顔は阿知波の言葉で色を失う事になった。
「お前かあ……蒼ちゃんとうちのメンバーで二股かけてた淫乱は。蒼ちゃんを振ってくれてありがとな」
「え……?」
「お前、蒼ちゃんとうちの奴で二股かけてたんだろ? 蒼ちゃんがあまりセックスしてくれないからって」
「な……」
 梢は阿知波の言葉に絶句している。どういう事だ?
「おい阿知波、どういう事だ。俺、知らねえぞその話は」
 阿知波に聞いてもニヤニヤと笑っていた。
「だからさ」 
「やめて!」
 梢が必死に阿知波を止めようと手を伸ばすが、構わず阿知波は喋り続けた。
「蒼ちゃんてさ、淡白なんだって? あんまセックスしてやらなかったんだろ? だから欲求不満でうちのチームの奴とデキて二股してたんだってさ。構って貰えなくて寂しいってのは自分を正当化したいだけだろ。女はこえーなあ」
「やめてよ……!」
 梢はその場にうずくまり、耳を塞いでいる。
 この様子だと本当の事なのか?
 でも、なぜ阿知波がそんな事まで知っているんだろう。
「は……何だそれは……何でお前が知って……」
「そこの女が聞いてもいないのに言ってきたんだ。あの子二股かけてるんだよって。そん時たまたま蒼ちゃんに会ってさ、あの人だよって。蒼ちゃんは忘れてるかもしれないけど、去年の話」
 阿知波がくるみに視線をやると、彼女はびくっと身体を震わせた。心当たりがあるのか目を伏せている。
「は……覚えてない……」
「だろうね。俺は蒼ちゃんに会えてすごく嬉しかったのに、蒼ちゃんはすっかり忘れててショックだった……俺の事そいつの彼氏? とか聞いてくるし。そん時の俺の気持ち分かる?」
「……」
 確かに去年、くるみと偶然街で会った事はあったが、一緒にいたのが阿知波という認識は全く無かった。阿知波の気持ちを知った今では、その時の自分の態度を申し訳なく思ってしまう。
「悪い……」
「ま、今はこうして会えたからいいけどさ。ああそれと」
「なんだ?」
 阿知波がからかうように言葉を乗せ、さらに爆弾発言をかました。
「蒼ちゃん、セックス上手いみたいだよ? 良かったね。まあ、下手じゃないけど淡白で物足りないって言ってたみたいだけど」
「な……梢! お前、まさかそんな事まで……」
「いや! お願い……聞かないで……!」
 なんだそれは。梢はそんな事まで言っていたのか?
 梢を見ると、顔を真っ青にして目をつぶっていた。その態度は肯定を意味しているようにも思える。
「まさか、他の奴には言ってないよな……?」
「……ごめんなさい」
「……」
 これはどう取ったらいいんだろう。分からない。
「少なくとも、女友達には言ってんじゃねえの? あと二股相手の男と……そいつのまわりの奴も知ってるかもな。自分を正当化したいなら蒼ちゃんを悪者にするくらい簡単だろ。構ってくれなかったのは向こうです。あくまで私は被害者ですってな」
 阿知波がバカにしたように呟くが、あまりの事に頭がついていかない。
 梢がまわりに、俺との関係を暴露していた?
 下手じゃないけど、淡白で物足りない?
「た、淡白で物足りないって……」
 冷静に考えると、これはかなり恥ずかしい事のような気がする。「女を満足させられない男」と言われているも同然だ。
 そして何より、好きだった女にそんな事を思われていたのがショックでたまらない。心のやり場が見つからなかった。
 彼女の「寂しい」は「会えなくて寂しい」だと思っていた。だが、実際は「H出来なくて寂しい」だったらしい。そういえばあまり頻繁にはしていなかったような気がする。
 振られた本当の理由を突きつけられ、あまりの羞恥に身体が熱くなっていく。
「わ、悪い、気づかなくて……」
「いやぁ……」
 謝られたのが恥ずかしいのか、梢も顔を赤くして震えていた。
 まさかここでバラされるとは思っていなかったらしい。くるみも何も言えないらしく、ずっと黙っていた。
「……帰ってくれないか。これ以上はちょっと、無理」
「いや……蒼君、違うの! 私は……」
 梢は何とか話をしたいらしく、食い下がってくる。しかし、これ以上何かを突きつけられるのは蒼の精神が持たない。早く帰って欲しかった。
「今更何の話があるって言うんだ? お前とはもう一年前に終わったんだ。帰ってくれ……」
「蒼君、話を聞いて!」
「頼む……帰ってくれ。具合が悪いんだ」
 視界が歪んだと思ったら少しめまいがした。とっさに額に手を当てると、さっきよりも熱い気がする。熱が上がってきたのかもしれない。
「蒼君、お願い……」
 そんな姿の蒼を見てもまだ諦めがつかないのか、梢はひたすら懇願してくる。どうすれば諦めてくれるんだろう。
「ねえ梢、もう帰ろう? 蒼君本当に体調悪そうだし……蒼君、ごめんね?」
「嫌よ! 蒼君……」
 見かねたくるみが帰るよう促すが、梢は首を振り、どうしても譲らなかった。
 どんどん疲れが溜まり、めまいが酷くなってくる。思わずよろけてしまうと、すかさず阿知波が支えてくれた。
「う……」
「大丈夫か?」
「ちょっと、しんどいかも……」
 頭が重く、息苦しい。先ほどよりも確実に熱が上がっているような感覚だった。
 それでもまだ、梢は諦めなかった。
「蒼君お願い……私の話を聞いて……?」
「……」
 彼女はこんな女だっただろうか。人の話を聞かず、自分の都合を押し付けるような、自分勝手な人間。
 少なくとも、付き合っていた時はここまでしつこくなかったような気がする。それとも蒼の前では出さなかっただけで、これが彼女の本質なのか。
「お前、いい加減に……」

痺れを切らした阿知波が口を開くが、蒼の方が早かった。
「うるせえ」
 いきなり響いた低い声に、皆が静まり返った。
「え……?」
「……」
 阿知波はたぶん気づいただろう。蒼に限界が来た事に。その顔にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
 梢とくるみが蒼を見つめてくるが、構わず話し出した。
「ったく、帰れっつってんだろうが面倒くせえな」
「そ、蒼君?どうしたの……?」
 突然態度を変えた蒼に驚き、梢が窺うように話しかけてくる。
 そういえば、彼女の前で「BLUEのメンバーとしての自分」は見せた事がなかった気がする。もちろん「総長」としての自分も。総長になったのは彼女と別れてからだ。彼女はまだ知らない可能性がある。
 チームに入っているとは言ったものの、怖がらせないために目の前でケンカをした事はなかった。言葉を荒げた事もない。彼女の中では、あくまで「チームに入っている優しい彼氏」という認識だったかもしれない。
「ああ……お前の前では“何でも言う事を聞いてくれる優しい彼氏”だったもんな」
「蒼君……何か怖いよ……?」
「用件は?」
 梢の身体がビクンと揺れた。
「蒼く……」
「用件を言え」
 冷たく突き刺さる視線と、温度を感じさせぬ言い方に、彼女の瞳からじわりと涙が零れた。
 それでも何とも思わなかった。付き合っていた時は、少しでも彼女の涙を見てしまえばすぐに蒼が折れていた。今はそんな気さえ起きない。
 蒼の中で、彼女との関係が完全に終わった事を意味していた。
「あの、ここじゃちょっと……二人で話したいの」
「チームに関係ある話か?」
「え? ううん、個人的な……」
「なら用はない。帰れ」
 今はチームの事で手一杯だ。個人的な、しかも別れた女の事まで手を回している余裕はない。
「え……蒼君!」
「もうお前と二人で会うつもりはないから。大体、自分から振った男の家にのこのこ来るなんて非常識なんじゃねえの?」
「う……」
「俺は物足りないんだろ? ほら、満足させてくれる奴の所に帰れ」
「なっ……待って!」
 嫌がる梢を無理やり玄関の外へ出すと、続けて出ようとするくるみと目が合った。
「くるみちゃん、後はよろしく」
「うん……蒼君、本当にごめんね? もうここには来させないから」
 くるみは分かってくれたようで、苦笑いをした。そして、阿知波を見つめてこう呟いた。
「……蒼君に惚れたって本当だったんですね」
「……ああ」
 阿知波は素直に頷いている。二人の間で何かあったんだろうか。
「あの時は本当にすみませんでした。梢はもう蒼君に会わせないようにしますから……蒼君をよろしくお願いします」
「ああ、分かった」
 阿知波の返事を聞いたくるみはぺこりと頭を下げ、蒼にも手を振ると玄関から出て行った。
「蒼君!」
「ほら、帰るよ! 蒼君は病人なんだから! 迷惑かけないの!」
 ひたすら蒼の名前を呼ぶ梢を、くるみは引きずるように連れて帰った。途端に辺りが静かになる。
「行ったな……」
「まさか蒼ちゃんがキレるとはね」
 さすがの阿知波も苦笑いをしている。予想外だったらしい。
「いや……本当に具合悪くなってきたし。これ以上騒がれたら無理」
 そこまで言うと、余計にめまいが酷くなってきた。ちょっとまずいかもしれない。
「そうだよ、早く横になった方がいい。蒼ちゃん顔真っ青だよ?」
 阿知波が蒼を支え、ベッドまで運んでくれる。横になって熱を計ると、三十八度を越えていた。
「ヤバい…三十八度六分だって」
「……」
 やはり熱があったらしい。どうりで苦しいはずだ。
「薬は……」
「棚の上……でも、何か食わねえとヤバいかも」
 空腹で薬を飲むのは胃に負担がかかってしまう。余計具合が悪くなる可能性もあった。
「分かった。買ってくる」
 蒼の言葉を聞いた阿知波は、すぐに家から出て行き、さっき言っていたようにうどんを買ってきてくれた。やはり食べきれずに残してしまったが、少しだけでも腹に入れれば違うだろう。
 薬を飲んで再び横になっていると、さっきの事を思い出したのか阿知波が話し出した。
「あの女さ、たぶん蒼ちゃんとよりを戻そうとしてんだと思う。ドア開けた瞬間抱きつかれたし」
「……そうなのか?」
「ああ、だから気を付けて。何が目的だか知らねえけど」
「……」
 梢が蒼とよりを戻そうとしている?
 でも、梢には彼氏がいたはずだ。蒼を振って本命にするほどの。
「よりを戻すったって、あいつには彼氏がいるんだろ? 第一、俺はもう恋愛感情は無いぞ?」
「まあそうだけどさ。今まで連絡も寄越さなかったんだろ? 今更会いに来たのが引っかかる……ただ男とうまくいってないだけならいいけどな。ちょっと怪しい」
 確かに、別れてから会うのは今日が初めてだった。友人に戻ったという訳でもない。理由もなしに会いにくるとは思えなかった。
 ふと、頭の中である事が浮かんだ。
「まさか、梢の男が舞の信者とか言わねえよな?」
「蒼ちゃん?」
「このタイミング……しかもBLACKのメンバーだ。もしかしたら繋がっている可能性はある」
 阿知波を見ると、蒼の言った事が予想外だったのか腕を組んで唸っている。
「そんな都合よく舞に当たればいいけどなあ……」
「まあ、一つの仮説としてだ」
「分かった。頭に入れておく。でさ」
 急に阿知波が真面目な顔付きになった。
「なんだ?」
「あの女とよりを戻すなよ? 絶対。蒼ちゃん優しいから絆されそうで怖い」
「……」
「さっきからすっげー不安だった」
「お前……」
 真面目な話をしていたのに、こいつはそんな事ばかり考えていたらしい。
 熱がもっと上がりそうな予感がした。

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