上 下
25 / 27

第24話 身を灼く炎を、抱きしめましょう

しおりを挟む

 徽章の術師が右足を前に出し、複雑な手印を組んだ。同時に左右の術師らがたがいに距離をとり、包囲陣を形成する。腕がわずかに発光しはじめる。

 が、アルティエールが早かった。

 背中に両の腕をまわし、手のひらを組み合わせる。目を瞑り、祈る。ちからを呼ぶ。握ったこぶしが、黒い光を纏う。

 目を見開く。正面を見据えて、瞬時に拳を前に振り抜く。

 術師たち自身に、直截の打撃が加えられた。並んだ全員が強い衝撃を頭頂に感じ、なにかを思う前に地に打ち据えられていた。うめく。意識を失った者、頭をかかえてのたうつ者もいた。

 彼らは神式の衝撃を学んでおり、慣れている。空間を構成する粒子を媒介し、なんらかの物理的影響を対象にあたえるちから。それが神式であり、作用機序は熟知している。

 だが、いまアルティエールが放ったものは、彼らが予想しえない、未知のちからだった。

 「……おのれ……魔物め」

 徽章の男が噛み締める歯のあいだから声をだした。半身を起こし、手印を組み、拘束の神式を起動する。その効果は、だが、アルティエールに及ばない。すでに反転し、走り出していたからだ。

 術師たちが跳ね起きる。脚のはやいものはすぐに彼女に追いつき、打撃をくわえた。が、手刀はアルティエールをつつむ薄い霧のようなものに阻まれ、雷撃も炎撃もとおらない。

 アルティエールは振り返り、追っ手が一定数を超えたことを確認して立ち止まった。術師たちが勢いあまって前方にのめる。アルティエールの二の腕が顔の前で組み合わされる。風が舞い、紫色のちいさな雷が彼女のまわりで踊った。

 はぁっ、と強く息を吐くとともに両腕を左右に展開する。雷たちはゆきばを失い、前後左右をかこみつつあった術師ひとりひとりに直撃した。

 悲鳴をあげて倒れる術師たち。だが、攻撃を避けたものもいた。その反撃のいくつかが彼女の顔を打ち、背中を切り付けた。振り向きざまに拳を握りしめ、直後に相手に向けてひらいた。攻撃者は見えないちからに吹き飛ばされ、転倒した。

 アルティエールは、奔った。口のはしに血が滲んでいる。片足を、ひきずっている。左の腕は腹をおさえている。服のあちこちがあかく染まっている。

 幾度もの攻撃を退け、なんども相手を打ち据え、それでも無数の衝撃をうけて、アルティエールはいま、なかば意識を失いかけながらはしっていた。

 やがて、攻撃がやんだ。足を止める。追手は来ていない。

 どこをどう走ったのか、彼女自身にもわからない。ただ、気がつけば、わが家のすぐそばにいた。

 追ってが掛かっているのだ。本来なら、こんな場所に来るべきではない。知られているとはいえ、自らの家を彼らにわざわざ示すことはない。

 だが、いまの彼女に、そのことに思い至らせるちからは残っていなかった。

 度重なる打撃に機能を失った腕をおさえ、鮮血に塞がれかけた目をようやく見開き、彼女は、なつかしい、ふるさとをみた。

 重い足をゆっくりと動かす。もはや、はしれない。ようやく一歩、そして一歩。レクスが待つ、彼との想い出が彩る、あの家に。彼女は、一歩ずつ、足をひきずり、ひきずり、すすんだ。

 戸口に手をかけたが、転倒した。しばらく苦悶し、なんとか身を起こす。しろかった服は、すでにどす黒く染まっている。部屋にはいる。見慣れた情景。ほんのわずかまえに出たばかりなのに、もう、何年もかえっていないかのように感じた。

 食卓。炊事場。窓。皿、食材、室内着。長椅子、敷物、壁の絵、奥の寝室につながる扉。空気。レクスとともにくらし、レクスとおなじ匂いをかんじ、レクスとならんでうたた寝をした、なつかしい、部屋。

 レクスが、食卓のむこうでわらっているのが見えた。アルティエールも微笑んで、そちらに手をのばす。

 「……ただい、ま」

 地面を揺るがす衝撃音。

 転倒するアルティエール。

 家ぜんたいが、呪いの炎に包まれていた。

 もがきながら身を起こし、窓のそとをみる。

 さきほどよりも多い術師たちが手印を組み、包囲と焼滅の神式を起動していた。

 アルティエールは水をよび、熱に備えた。が、できない。神式による、能力の阻害が発動していた。ふだんの彼女ならわけもなく跳ね除けている。しかしいま、幾重にも受けた傷が、彼女の能力をほとんどうばっていた。

 出口に這い寄る。熱と煙が彼女を包む。焼ける腕をのばす。出口は、しかし、神式により閉鎖されていた。なにものも、空気すら、出入りが許されない。指が分厚い空気の壁に阻まれる。

 呼吸が、苦しい。息ができない。閉鎖された空間であがる激しい炎は、急激に酸素を消費し、有害な煙をうんでいた。アルティエールは喘いだ。喉をおさえる。視野が霞む。

 戸口の向こうに、透明な神式の壁のむこうに、わらう術師たちの姿。

 涙が落ちたが、灼熱がすぐに蒸発させた。

 死ねない。

 アルティエールは思いつくすべてのちからをつかい、いずれも無効であることを知り、床に爪をたて、肘と膝でうごいて壁に背中を叩きつけ、息がつづくかぎりそれを続けた。続けて、そうして、息が、やがてとまる。

 レクスを、待たなきゃ。

 かれが、かえってくるから。

 むかえなきゃ。むかえたい。むかえたい。

 しね、ない。

 し、ねな、い。

 呪いの炎はすでに部屋いっぱいにまわっている。椅子にかけられていたレクスの室内着に着火した。それを見るアルティエールの黒い髪も、いまや熱をたくわえ、ゆがみ、縮れている。

 れ……く、す……。

 動きをとめた彼女は、やがてゆっくり這いずってくる炎に飲み込まれていった。そのからだは、すぐには灼きつくされない。意識は、しばらく続いた。末期の苦悶が途切れるころ、彼女は痛みとくるしみから自由になった思念で、レクスに、さいごの言葉を残して、この家の、この世のすべてにそれを刻み込んで、絶えた。

 左手で輝いている指輪、つい先日の誕生日にレクスから贈られたそれが、彼女を構成するもののうちで、最後まで形とひかりを失わなかった。

 情景は、炎で塗りつぶされた。

 エルレアは絶叫していた。

 彼女は、くろい骸となったアルティエールのすぐ横にたっている。

 はじめからみていた。アルティエールの横で、ずっと、奔るのを、たたかいを、そして徐々に灼かれる身体といのちを。アルティエールの魂、その最期の一片が溶けて消えるのを、ずっとみていた。なにもできず、ただただ、無惨な舞台の観客であることを強要されていた。

 エルレアの涙は炎に炙られることはなかった。熱をかんじない。演劇のように、絵画のむこうのように。

 音も消えている。

 炎だけが、禍々しい光だけが、なにかの冗談のように踊っている。

 エルレアは悶え、膝を折り、アルティエールのほうに手を伸ばす。が、指は虚しく空を切る。身体をまげて、こえもだせずに、ただ、泣いた。額を床に叩きつけ、頭を抱えて、震えながら泣いた。

 横には、いつかジェクリルがたっていた。

 レクスのまっすぐな金髪はもう、そこにない。やわらかい瞳ももう、ない。革命の赤獅子とよばれた跳ねた赤毛。絶望をたたえ、ひかりを見ることを拒絶した、くらい目。

 腕を組み、目の前の情景を、焼き尽くされるアルティエールを、見据えている。

 「……目を逸らすな」

 ジェクリルは膝をつき、床に突っ伏すエルレアの髪を乱暴につかみ、持ち上げた。目の前の光景を突きつける。

 場面が戻る。アルティエールが戸口からよろめき、這入ってくる。エルレアは叫び、止める。が、倒れ、炎に包まれ、やがて果てる。エルレアは泣き喚く。場面が戻る。アルティエールが戸口からはいり、やがて果て、場面がもどり、なんども、なんども、なんども、アルティエールの最期が、アルティエールの苦悶が、エルレアを襲う。襲い、襲い続ける。

 もはや、エルレアは、うごけない。目が光をうしなっている。

 「……これが、神式だ。これが神のことわりだ」

 ジェクリルの言葉は、ことのほか、静かだった。

 「正しいちから。唯一の正しいちからが、誤ったちからを、訂正する。それが、神の……精霊の、意思だ。そのことから目を逸らすな」

 エルレアの髪を離すと、彼女はそのまま床に落ちた。震えている。床に額をつけたまま、なにかを拒絶するように小刻みにあたまを振り、嗚咽のような、空気が震えるような声を、ずっと、吐いている。

 「わたしは……レクスはこのあと、戻ってくる。アルティの骸とともに、焼けて死ぬために。アルティをひとりにするわけにいかなかったからだ。そうして永劫の扉をくぐろうとするとき、あの方に声をかけられた」

 目の前の光景は、いまだ繰り返されている。アルティエールは、なんどもその美しい髪をやかれ、なんども苦悶の表情をうかべ、なんどもレクスの幸福だけをいのり、生命を終え、また、炎につつまれた。

 ジェクリルはエルレアの肩をささえ、顔を起こし、その目をまっすぐ見据えた。

 「……君のたすけが、必要だ」

 ◇

 第二十四話、いのちの、ほんとうに大事なものの、所在。

 今後ともエルレアを見守ってあげてください。

 またすぐ、お会いしましょう。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

異世界で生きていく。

モネ
ファンタジー
目が覚めたら異世界。 素敵な女神様と出会い、魔力があったから選ばれた主人公。 魔法と調合スキルを使って成長していく。 小さな可愛い生き物と旅をしながら新しい世界で生きていく。 旅の中で出会う人々、訪れる土地で色々な経験をしていく。 3/8申し訳ありません。 章の編集をしました。

姫騎士様と二人旅、何も起きないはずもなく……

踊りまんぼう
ファンタジー
主人公であるセイは異世界転生者であるが、地味な生活を送っていた。 そんな中、昔パーティを組んだことのある仲間に誘われてとある依頼に参加したのだが……。 *表題の二人旅は第09話からです (カクヨム、小説家になろうでも公開中です)

嫌われ聖女さんはとうとう怒る〜今更大切にするなんて言われても、もう知らない〜

𝓝𝓞𝓐
ファンタジー
13歳の時に聖女として認定されてから、身を粉にして人々のために頑張り続けたセレスティアさん。どんな人が相手だろうと、死にかけながらも癒し続けた。 だが、その結果は悲惨の一言に尽きた。 「もっと早く癒せよ! このグズが!」 「お前がもっと早く治療しないせいで、後遺症が残った! 死んで詫びろ!」 「お前が呪いを防いでいれば! 私はこんなに醜くならなかったのに! お前も呪われろ!」 また、日々大人も気絶するほどの魔力回復ポーションを飲み続けながら、国中に魔物を弱らせる結界を張っていたのだが……、 「もっと出力を上げんか! 貴様のせいで我が国の騎士が傷付いたではないか! とっとと癒せ! このウスノロが!」 「チッ。あの能無しのせいで……」 頑張っても頑張っても誰にも感謝されず、それどころか罵られるばかり。 もう我慢ならない! 聖女さんは、とうとう怒った。

チート幼女とSSSランク冒険者

紅 蓮也
ファンタジー
【更新休止中】 三十歳の誕生日に通り魔に刺され人生を終えた小鳥遊葵が 過去にも失敗しまくりの神様から異世界転生を頼まれる。 神様は自分が長々と語っていたからなのに、ある程度は魔法が使える体にしとく、無限収納もあげるといい、時間があまり無いからさっさと転生しちゃおっかと言いだし、転生のため光に包まれ意識が無くなる直前、神様から不安を感じさせる言葉が聞こえたが、どうする事もできない私はそのまま転生された。 目を開けると日本人の男女の顔があった。 転生から四年がたったある日、神様が現れ、異世界じゃなくて地球に転生させちゃったと・・・ 他の人を新たに異世界に転生させるのは無理だからと本来行くはずだった異世界に転移することに・・・ 転移するとそこは森の中でした。見たこともない魔獣に襲われているところを冒険者に助けられる。 そして転移により家族がいない葵は、冒険者になり助けてくれた冒険者たちと冒険したり、しなかったりする物語 ※この作品は小説家になろう様、カクヨム様、ノベルバ様、エブリスタ様でも掲載しています。

旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします

暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。 いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。 子を身ごもってからでは遅いのです。 あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」 伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。 女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。 妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。 だから恥じた。 「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。 本当に恥ずかしい… 私は潔く身を引くことにしますわ………」 そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。 「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。 私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。 手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。 そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」 こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

転生少女、運の良さだけで生き抜きます!

足助右禄
ファンタジー
【9月10日を持ちまして完結致しました。特別編執筆中です】 ある日、災害に巻き込まれて命を落とした少女ミナは異世界の女神に出会い、転生をさせてもらう事になった。 女神はミナの体を創造して問う。 「要望はありますか?」 ミナは「運だけ良くしてほしい」と望んだ。 迂闊で残念な少女ミナが剣と魔法のファンタジー世界で様々な人に出会い、成長していく物語。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...