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第15話 善き日々のことはわすれましょう

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 「美味い」

 男は満足そうにいい、カップを置いた。椅子に深く座り直す。

 「わたしはこの土地が好きだ。革命以前からなんどか来ていたんだよ。夏の花、冬の雪、おなじ国とは思えないくらい四季がはっきりしている。高度もさほど高くないのにな。不思議なものだ。そして、茶葉は絶品だ」

 「……用件を伺っていませんが」

 ジェクリルが少し苛立ちを含めて言った。

 さきほど兵士に通させたこの男は、ジェクリルにとって初対面ではなかった。先日の評議会のときに座の末端におり、問答をしたからである。港町の豪商、執行官を兼ねていると聞いた。

 名は、ユトラスと覚えていた。

 通常なら、絶対にこの執務室にはとおさない。ジェクリルの部屋にはいれるのは限られた側近だけだった。客人は広間で適当にあしらうこととなっていた。だが、今日の朝方、ふいにこの城をおとずれたユトラスが兵士に伝えさせた伝言。それを聞いたジェクリルは黙り込み、そしてこの執務室へ通させた。

 伝言の内容は、あの誕生日の夜のことで、だった。

 ユトラスはほとんど真っ白の頭髪を後ろにすべて撫でつけている。そのことと、鼻に乗せたちいさな眼鏡が彼を老いてみせていた。年齢は五十そこそことジェクリルは聞いていた。身につけている真っ黒な詰襟の服は、彼の地元のならいであろうか。

 ほとんど使われたことがない応接の長椅子で、ユトラスは足を組み、演技をするようにため息を吐いた。

 「なぜ、雇われ軍師のエルレアが王室を狙ったといわなかったのかね」

 「……なんのことです」

 「魔式の事故などと。君にどんな利点があるのか、わたしには理解できない。はじめからエルレアにすべてを負わせ、そこからいくさに導くことが近道であったのに」

 「いまのところわかっている事実を述べただけです」

 はは、とユトラスが笑った。

 「うん、そうか……では質問を替えよう。エルレアはいまここに向かっている。どう、迎えるかね」

 ジェクリルはこの会談ではじめてユトラスの顔をみた。

 「……なぜ、そのことを」

 「我が港町の斥候は優秀だ。君たち革命軍の兵士とは経験がちがう」

 それは事実であった。この国でほとんど唯一の港湾施設を有するユトラスの街は、それゆえに諜報をおこなうものの聖地となっている。他国と、ほかの地域と、あらゆる情報と物流がユトラスの街を経由したからである。

 「半日ほどの村あたりをのんびり、移動しているよ。どんなつもりかわからぬが。この城を目指しているのだけは間違いないがね」

 「……エルレアが戻ってくるなら、問い糺すだけです。例の一件に関わっているのか、そうだとすればなぜか」

 ユトラスは、ふたたびカップを持ち上げ、淹れられている茶の香りをたしかめた。

 「もういい、ジェクリル。革命の赤獅子、灼熱の闘士。もう、いいんだ。さらに質問を替えるぞ。君は……どこで生まれた?」

 「……」

 「訊いてみようか? 君の、眠り姫に」

 ユトラスがそういった刹那、ジェクリルの姿はすでにユトラスの後ろにあった。右手を手刀の形にし、ユトラスの首に沿わせる。手の甲が冷たい燐光を帯びている。わずかでも動かせば、次の瞬間にユトラスの首は床に転がっているはずだった。

 「なにを知っている」

 ユトラスはゆっくりとカップを置き、その右手を静かにジェクリルの手首に添えた。

 「おろしたまえ。わたしは、君の味方だよ」

 「……」

 「なにを知っている、と言ったね。君があの日、業火のなかで叫んだことだ。君が魂をかけて望んだことだ。君がなぜ、ここにいるのか、をだ」

 「……」

 「アルティエール、君の妻は、我が港町の出身だ。そうだな」

 その名を聴き、わずかに仰け反るように動くジェクリル。

 「あの大火の日、王都が焼けた大火のとき、わたしの耳にもその報せはすぐ入った。情報を集めさせた。だから、君の妻が、術師団の精鋭だった君の妻が焼け死んだことも知っている」

 「……」

 ユトラスがジェクリルの手をとり、握った。

 「君は現場にすぐに向かいたかった。だが、王宮守護だった君は任務を優先せざるを得なかった。大火は王宮のすぐそばだった。だから、近くにあった君の家に駆けつけることは容易だった。にも関わらず、だ」

 「……」

 「やっと戻った君は、まだ燃え盛る火の中から妻を運び出したそうだね。おそらく、虫の息だっただろう。君は、王室の術師たちにたすけをもとめた」

 「……」

 「君は快復の神式が得意ではなかった。きっと、まわりのすべての術師たちに声をかけたのだろう。たすけてくれと。なんども、なんども」

 ジェクリルの顔が歪んでいることは、ユトラスも見て取れていない。

 「だが、術師たちは王宮のこと、まちの重鎮たちのことを優先した。君のもとへは、誰もこなかった。君は回復の神式、延命の神式、そして戻命の神式を、しるかぎりすべて試しただろう」

 「……ちがう。なにも、できなかった」

 「ついに息が絶えたとき、君は泣いたのか」

 「……」

 「泣くことはできなかったのだろう。それが、いまここにいる理由だ。そのまま、妻を腕にかかえたまま、いまだ燃え盛るほのおのなかへ、懐かしい君の家のなかへ、入っていった」

 ジェクリルからの返答はなかった。

 「……ウィズスさまからいのちを受けているものは、君だけではないんだよ」

 ジェクリルが一歩、二歩、さがる。表情がこわばる。この城にきて、彼がはじめてみせる動揺だった。

 「……つうじて、いるの、ですか」

 「君だけではない、といったろう」

 ユトラスがにわかに襟元のボタンを外す。胸元をみせる。目を見張るジェクリル。そこには、なにもなかった。黒い空間がくちをあけていた。襟元はすぐにあわされた。

 「わたしは君の味方だ。君がその左の手のひらでまもっている、それ、を失うわけにはいかんのだ」

 「……あなたは、だれですか」

 「わからん男だな。味方だと言っている。さあ、エルレアを、我らの女神の眷属をどう迎え討つ。答えろ」

 女神の眷属、とユトラスが言ったところで、ジェクリルはよろめいた。

 「けっして油断するな。すでにゼディアの手のものに通じている。<主人>に会っている」

 「……」

 「そうであれば、<証>……いや、<ゼディアの瞳>も手中にしていると見るべきだろう。わかるか。その手のひらのもの。それを、滅しにくるのだ」

 ユトラスが振り返る。背後のジェクリルの目を覗き込む。その瞳が、瞳孔が、縦にながい。蛇と、蜥蜴とおなじように、そしていまジェクリルの瞳がそうであるように、赫く、燃えている。

 「あの娘をあなどるな。君がウィズスさまから受けたちから、魔式には限界がある。あの娘は、どちらの女神からもちからを受けている。絶対にあなどるな。わたしの手のものを連れてきている。君につける。それが今日の用件のひとつだ」

 ユトラスが立ち上がる。窓に近寄る。

 「君の兵士たち、魔式の術師たちは、ゆっくり眠っている。君がこんな想いをしているというのに、な」

 ジェクリルも窓に歩み寄る。執務室から見える中庭。警備の兵士、術師たちが倒れている。それぞれのそばに、黒い影が見えた。

 「もうひとつの用件は、君の行く末についてだ」

 「……どういう、ことでしょうか」

 ユトラスは、嘲笑った。

 「なに、これから来る君の死後の話だよ。二回目のね」

 ◇

 第十五話、寄り添っていただきお礼申し上げます。
 ほんとうに、ありがとうございます。

 ジェクリルとアルティエール。
 エルレアとレリアン。
 いきている、ってなんでしょうね。

 今後ともエルレアを見守ってあげてください。
 またすぐ、お会いしましょう。
 
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