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第32話 城へ

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「ったく、泣き過ぎだろあのタコ」

 リチェルを乗せて馬を歩ませながら、アルキバは照れくさそうに文句を言った。

 今しがた、養成所から出立したところである。アルキバの左手首にはまだ、バルヌーイ剣闘士団の名が刻まれた黒い鉄輪がはめられているが、既に解錠されている。いつでも外せる状態。あとは城でリチェルの名を刻んだ黒い輪に交換すれば、アルキバの所有者はリチェルに移る。

 アルキバを見送るバルヌーイは、あの初優勝の時と同じくらいのボロ泣きだった。隣でルシスがやれやれと額をおさえていた。

「よく決断してくれたな、バルヌーイ」

 リチェルのつぶやきにアルキバはふっと笑う。

「あんな風に言われたらな。あんたの交渉術、なかなかのもんだ」

「交渉などではない。真の言葉で真の心をぶつけねばならぬと思っただけだ。私だって闘技会の愛好家だ、アルキバを寄越せと言われることがどれだけとんでもないことかはよく理解している。バルヌーイだけではない、全ての剣闘士ファン達に恨まれることをした。私は大勢の者達から、愛するアルキバを奪ってしまった」

 アルキバの目元が緩む。その言葉は妙に嬉しかった。

「心配しなくても、すぐに新しい人気者が現れる。みんなすぐ俺のことなんて忘れちまうさ」

「そんなわけがない!アルキバを超える剣闘士などいるわけがない!」

 振り向いて必死に否定するその様子は、ただの闘技会マニアそのもので、アルキバはおかしくなる。

「ありがとな。ほら城はすぐそこだ、飛ばすからしっかりつかまってな」

 アルキバは笑いを噛み殺しながら馬の腹を蹴る。馬は飛ぶように駆けて行った。

◇  ◇  ◇

 ナバハイル城の敷地内、花壇や噴水が麗しく配置された大庭園を、ぐるりと巡る通りの上。
 アルキバは馬をゆっくり歩ませながら、絵画でしか見たことのなかった、本宮殿の姿に感心したような声をあげた。

「ほお、立派なもんだ」

 南の正門から入って大庭園の向こう側、左右に腕を広げる壮麗な本宮殿が聳えていた。壁の色は黄緑色で、通称「新緑の宮殿」。

「しかしあっさり俺も入れたな」

 正門では、アルキバの前にまたがるリチェルの顔を確認すると、門番は慇懃な礼と共に、何も聞かずアルキバを通した。リチェルは自嘲気味に言う。

「皆、あまり私と関りたくないのだ。腫れ物扱いだよ」

「放蕩息子だからか?」

「『頭がおかしい』からだ」

「は?」

「なに、すぐに分かる。私の居住邸は本宮殿の向こう側、東側の並木道を延々と行ったところだ」

「了解。さて……」

 アルキバは腕の間のリチェルの耳に囁きかける。

「どうやって、隠し子馬鹿兄弟から権力を奪い返す?」

 小声の会話が可能なように、馬をゆっくり歩ませている。通りには、馬に乗った騎士や、貴族を乗せた馬車が行き来している。

「まずはヴィルターの母堂を助け出さねば。生きていればいいが……」

「お優しいことで。息子を殺した俺に助け出されても複雑だろうな、母ちゃん」

「助けてくれぬのか?」

「いいや、絶対に助けるさ。ジルソン達によるリチェル殺害計画の、動かぬ証拠だからな。そういえば、ヴィルターが死んだこと、もう城は把握してるのか?」

「いや、まだだろう。我々は偽名を使っていた。ヴィルターの亡骸は身元不明の死体として処理されてしまっているだろう。私はまず、ヴィルターの死を城の者たちに報告せねばならないな」

「まずはヴィルターに刺された件、だろ」

「分かっている、それを含めてだ。だが私が言って、信じてもらえるか……」

「何言ってんだ、実際にヴィルターが消えてその母親もいないんだ、信じるさ」

「そうだな……」

 リチェルは複雑な顔をした。

「なんか城に入ってから、元気なくなったな」

「そ、そうか?」

「ああ、街にいたときのほうがもっと、目に生気があったぜ。この敷地を奥に進めば進むほど、どんどん縮こまってくぜあんたの体」

「……」

 リチェルは無言でうつむいた。
 その腰に、アルキバの左腕が巻きつく。アルキバは後ろからリチェルを抱きすくめるようにぐっと力を入れた。

「!」

 驚くリチェルの耳元にアルキバが唇を寄せた。

「忘れるな、あんたは俺という最強の兵を手に入れた。存分に使えよ、未来の王」

 リチェルは微笑む。その白く細い手を、そっと、腰に巻かれたアルキバの腕に重ねた。

「ああ、頼みにしている。私は戦うと決めたのだから……」

◇  ◇  ◇
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