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第8話 興行師の椅子 (1)

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 今日の試合に出場した剣闘士たちが、闘技場から「バルヌーイ剣闘士養成所」へと戻って来ていた。
 救護室で傷の手当を受けるもの、整体師にマッサージをさせるもの、食堂で飯にありつくもの、それぞれだ。

 アルキバはまっすぐ、興行師の事務室に向かった。剣闘士団の稼ぎ頭であるアルキバの意見を、興行師も無視はできない。これまでも何度か忌憚ない意見をぶつけてきた。

 事務室のドアをノックもなしに開けた。が、いるかと思ったバルヌーイはいない。
 留守かと立ち去ろうとしたが、ふと気付いた。いつも開け放してある、奥の部屋の扉が閉じている。何か人に聞かれたくない話をする時によくバルヌーイが使う部屋だ。

 怪しみ近づくと、中に人の気配がした。アルキバは耳をそばだてた。
 中から聞こえて来たのは、バルヌーイと、あと誰か若い男が話す声だ。

「えっ、今からサイル様の所に?また俺ですか?」

 まさにサイルの名前が出て、アルキバの顔はにわかにくもる。若い男が何か不満を漏らしている様子だ。それにバルヌーイが答える。

「ああ、ちょっくらグリンダス通りまでな。極秘任務だよ、頼む」

「一体いつまであの人の相手しなきゃいけないんですか。こんなことが皆にバレたら、俺なんて言われるか」

「いつまでってそりゃ……。ウーノ、お前も男娼上がりなんだから、頼むよひとつ。次はヒーラスかナギに行かせるから、あいつらまだ怪我が治ってないんだよ」 

 ウーノ、ヒーラス、ナギ。みんな元男娼の新人で、剣闘士見習いにしては小柄で、中性的な外見をしている。男娼の「賞味期間」は十代半ばから二十歳までとされているから、二十歳を過ぎて娼館から剣闘士団に売られてくる者も多い。

 全てを把握したアルキバは舌打ちし、乱暴に扉を開けた。
 安物の机のむこうに座ったバルヌーイが、眼帯をしていないほうの目を丸くした。
 新人剣闘士のウーノも、滑稽なほど体をびくりとさせて振り向いた。

 オリーブ色の肌をした、黒い縮れた巻き毛の、可愛らしい顔立ちの青年。
 何度か養成所の練習風景の中で、素振りをしているのを見たことがあるかもしれない。

「よう、アルキバ……」

 バルヌーイが渋面を作って坊主頭をがりがりと掻いた。めんどくさい奴に見つかったな。そんな表情。
 アルキバはそんなバルヌーイはとりあえず無視して、ウーノの胸ぐらを掴んだ。

「お前、サイルに掘られてんのか?」

 単刀直入な質問。ウーノは目に涙をためて震え上がった。

「す、すみません!だって俺、親方に頼まれて、断れなかったです!」

 アルキバは奥の歯を噛み締めてバルヌーイを睨みつけた。肩をすくめる興行師。くそったれ。小さくつぶやくと、乱暴にウーノを手から解放した。

「もう二度とサイルのとこには行くな」

「えっ」

 ウーノは目を泳がせて、アルキバとバルヌーイを交互に見ている。

「分かったらさっさと失せろ!」

「はいっ!」

 アルキバの剣幕に気おされて直立不動になり、転げるように部屋を出ようとする。ドアノブに手をかけたウーノに、アルキバは再度声をかけた。

「おい待て」

「は、はいっ」

 ウーノはぴたりと止まって振り向いて、おそるおそるアルキバの顔色をうかがった。

 大先輩は新人の目を真っ直ぐ見て言った。

「俺はこのことを誰にも言わない。だからお前も忘れろ。お前はもう男娼じゃない。剣闘士だろ?」

 ウーノはぐっと言葉に詰まった。その胸の内に何が去来したのか、もう一度、目を潤ませる。

「……っ、ありがとうございます!」

 張りのある大きな声。そして深々と頭を下げる。ウーノはくるりと振り向き、部屋を後にした。

 看板剣闘士は興行師を睨みつけた。
 相手もそれを受け止める。しばし睨み合いの沈黙が続いた。

 やがて興行師が目をそらした。
 ふーっと長いため息をついた。机の引き出しからタバコを出して火をつけ、口に咥える。煙を吐き出しながら、ぼやくように言った。

「もう噂になってんのか」
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