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第7話 回想/最悪の朝(1)

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 サギトが孤児院に来てから、あっという間に六年の月日が流れた。
 グレアムとサギトは十六歳になっていた。少年だったサギトたちは、青年になりつつあった。

 その頃、サギトにとっての大事件が起きた。思い出すのも恥ずかしく、でも客観的にはさほど大したことはないのだろう、個人的な大事件。
 その事件は、サギトがグレアムに魔力を与えるきっかけにもなっていく。

 サギトはその朝起きて、自分の下半身が濡れていることに気づいた。
 毛布を持ち上げて、呆然と、股のあたりが濡れたズボンを見つめた。

 あのショックをどう言い表したらいいか。最初、この年になって「おねしょ」をしてしまった、と衝撃を受けた。でも尿とは違う感触だった。サギトは毛布の中に手を突っ込み、ズボンの中を確認した。

 見たこともない、ドロドロした白い大量の粘液が付着していた。
 怖かった。なにがなんだかわからなかった。ただ自分が今、とてつもなく恥ずかしい状態であることだけは確かだった。

 他の孤児達は、服を着替えどんどん寝室を出て行く。
 サギト一人、身じろぎもできずにベッドの上で固まっていた。サギトは静かに、完全なパニックに陥っていた。
 グレアムはこういう所で勘が良く、すぐにサギトの妙な様子に気づき、近づいてきた。

「どうしたサギト。朝食、なくなっちまうぞ」

 サギトは持ち上げていた毛布をばっと下ろした。

「な、なんでもない。行ってくれ」

 この時点でグレアムは既に、サギトに何が起きたか気づいていたのだろう。

「んー。そっか」

 そう言ってグレアムは首もとのアメジストをいじった。この頃になってもまだ彼はそのペンダントをぶら下げていた。
 グレアムは自分のベッドに戻った。が、パジャマのまま着替えるでもなく、他の子供たちが出払うのを待った。
 二人きりになってから再び近づいて来た。サギトはグレアムの行動の意図がつかめず焦った。

「なんでまだいるんだ、早く行け食堂に!」

「サギトもな。毛布かぶったまんまじゃ起きられないだろ」

 グレアムはサギトの毛布を無理やり剥ぎ取った。

「や、やめっ」

 サギトはべったり濡れたズボンを晒され、顔を真っ赤にした。恥ずかしすぎて死にそうだった。目尻に涙が浮かんだ。でもグレアムは冷静で、

「やっぱ夢精か」

 と言った。

「むせー……」

 聞きなれない言葉にサギトはグレアムを見た。目に涙をためて。グレアムはそんなサギトの頭をなでた。

「知らないのか?大丈夫よくあることだよ、泣くなって。ほら立て。洗濯場で洗いにいこう」

「で、でも、洗濯場に行ったらばれるじゃないか」

 孤児が洗濯場を使うときは孤児院の先生達に許可が必要だった。ちゃんと理由を言って借りないといけない。また新しい着替えをもらうのにも、ちゃんと理由を言ってからもらわないといけない。
 それに、ズボンにべっとりこんな塗れ染みをつけて廊下を歩くのもはばかられた。誰かに見られでもしたら。

「正直に言えばいいんだよ」

「い、嫌だ、怒られる。恥ずかしい。それにこんな格好で歩くなんて」

 グレアムは笑ってふうと一息つくと、

「分かった、それ脱げ。俺のパンツはけ」

「えっ……」

 面食らうサギトの前で、グレアムは自分のズボンと下着をさっと脱いだ。そしてあっけにとられてるサギトのズボンを一気に下着ごと引きおろした。

「ちょっ」

 グレアムはむき出しになったサギトの下半身の上に、自分の脱いだものをぽんと被せた。

「ほら、着なよそれ」

「なっ!?だってお前はどうするんだ」

「上が長いから隠れてる、平気」

 確かに孤児院のパジャマの上衣は長めで、ひざ丈くらいはあった。むき出しの足にワンピースをはいてるような形になっている。
 グレアムは汚れたサギトのズボンと下着を丸めて持つと、

「よし、俺が夢精したってことにしよう」

「は!?」

「洗濯場行ってくるわ。ほらお前は早く俺のはけ」

 サギトはくらくらする頭で、懸命に状況を整理した。

(つまり今、グレアムは俺の身代わりになろうとしているのか?)

 サギトはぷるぷると首を横に振った。いくらなんでもそんなこと、させられるわけがない。

「はけるわけないだろ!」

「まー体格が違うから、ブカブカかもしれないけど」

「そうじゃなくて!」

「ん?」

 サギトはやっと冷静になれた。

「ごめん。俺が正直に言えばいい話だった」

 サギトはベッドから立ち上がった。下半身裸で長めのパジャマ上衣というグレアムと同じいでたち。
 グレアムの手の中から夢精で汚れたサギトのものをひったくった。
 そして背を丸め、逃げるように寝室の扉に向かった。最初からこうしていればよかったのだ。恥の上塗りだ、と自己嫌悪にさいなまれた。

 すると後ろから、

「じゃあ、二人とも汚しちゃったってことにするか」

 と、またよく分からないことを言われた。
 サギトは困惑顔で振り向く。

「何言って……」

 グレアムはさっき自分で脱いだズボンと下着を丸めて持った。そして近づいてきてサギトの手を取る。

「さ、一緒に行こうぜ」

 そしてサギトはわけがわからないまま、グレアムに引っ張られて行く。
 グレアムはサギトの手を引いて堂々と廊下を歩いた。
 むき出しの足でスースーする無防備な股。たまらなく恥ずかしかったが、グレアムの手とその背中はとても頼もしかった。
 幸い、みんな食堂で朝食中だったので他の孤児たちとすれ違うことはなかった。

 事務室にたどり着き、ドアを開ける。事務室には二人の先生がいた。男の先生と女の先生。
 グレアムは開口一番、

「先生、俺達夢精して服汚しちゃいました、洗い場使っていいですか?新しいパンツももらいます」

 ちょっとの間があってから、先生たちは失笑した。

「あらまあ」

「しょうがねえなあ、ちゃんと抜いとけよー」

 それだけ。怒られなかった。こんなあっさりした反応なのかとサギトは拍子抜けした。しかし「抜いとけ」とは一体。

「はーい」

 グレアムは元気よく返事し、サギトは無言で頭を下げた。

 新しい下着をはいて、サギト達は二人、洗濯場の水道に並んでパジャマの下と下着を洗った。グレアムは本当は洗う必要なんてなかったが。
 洗いながら、サギトはあらためて、グレアムに謝った。

「すまないグレアム。ほんとに、なんて言うか……ありがとう。ごめん」

 ひどくいたたまれない気分だった。自分がひたすら情けなかった。ムセーをしてしまったことも、グレアムを巻き込んでしまったことも、先生への報告一つ、自分ひとりで出来なかったことも。
 十六にもなって。全部が恥ずかしかった。

「気にすんなって」

「お前はいい奴過ぎる」

「そうか?お前の気持ち分かったからさ、あれ初めてやると結構ショックだよな」

 サギトは驚いて顔を上げた。

「グレアムも経験あるのか?」

「あるさ」

「そうだったのか」

 少し気が楽になってきた。サギトはふと、さっきの先生の言葉を思い出した。

「抜く、ってなんだ?抜けば、ムセーしないのか?」

 グレアムは眉を上げてサギトを見つめた。

「やっぱ知らねえか」

「ごめん」

「はは、今日のお前面白いな、すげえ弱気」

「だって、そりゃ……」

「分かった、教えてやる。そうだよ、抜けば大体おさまるよ夢精」

「ほんとか?頼む!」

 もう二度とこんな恥ずかしい目にはあいたくなかった。

「でもここじゃちょっと教えるの難しいなあ。後でな」

「ああ!」

 真剣な眼差しで答えるサギトに、グレアムはなんだか笑いを噛み殺しているようだった。
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