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第9話 断罪の獣 ①
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有珠斗が叫んだのとほぼ同時に、テントの天井部分の布が裂かれる。
そして真っ逆さまに、「何か」が舞台上に落ちてきた。
「サマエルさん!危ない!」
サマエルは後方に飛びすさり、その目の前、どさり、と大きな「何か」が舞台の真ん中に着地した。
その途端、むせかえるような悪臭が、テントの中に充満する。
落ちてきたのは見るも恐ろしい、化け物だった。
熊のように大きく、どろどろでぐちゃぐちゃの、ピンク色の臓物の塊のような姿。
皮膚もない肉の塊の中、目玉が二つ、牙を持つ口が一つ。肉に埋もれているが、耳と鼻もあるようだ。
昆虫のように六本の脚が生えているが、その脚は人間の腕によく似て先端は五本指の手に見えて、気持ち悪い。
乱入してきた身の毛もよだつ存在は、ぐるりと客席を見回す。
客たちはおののき悲鳴をあげた。席を立って出口へと逃げ出す者が続出する。
有珠斗の隣の女性二人、黒髪の女性が口に手を当てて言った。
「あれはまさか、断罪の獣!?」
「嘘、そんなの迷信でしょう」
と赤毛の女性が返す。
「だって噂通りじゃない、臭くてどろどろで虫みたいな六本脚!」
「だけど本物じゃないでしょう?これも演出なんじゃないかしら?『魔女』はいつも『ザンドギアス大王』に倒されるけど、今回は『断罪の獣』に倒されるのかもしれないわ」
その言葉が耳に入ったかのように、座長、バフォメットの声が響いた。
「これは演出ではございません!侵入者です!公演は中止とさせていただきます!速やかに落ち着いて、迅速かつ冷静に、性急にそれでいて整然と、ご退出願います!」
難しいことを要求された客達は我先にと席を立って出口へと雪崩を打つ。
「やだ本物なの!?」
「ほら言ったでしょう!」
隣の女性二人も立ち上がった。
その時、舞台上で喧騒の会場を見回していた化け物が、ふとこちらを見る。
化け物は、有珠斗の隣の女性二人にじっと視点を固定した。
有珠斗の背筋が凍る。
直感で分かった。この化け物は、この二人に狙いを定めた、と。
「危ない!」
有珠斗は咄嗟に、二人の前に立ちはだかる。
化け物はこちらを見て、口からよだれを垂らし、なんと言葉を喋った。しゃがれた声で。
「オンナ……。オンナノ血……ウマカッタ……。マタ飲ム……」
とんでもないことを言っている。
(だが、どうする)
自分には魔法が使えるはず。しかしそれは先ほど一度、ほとんどヤケクソで「妄想」してみたら本当にできた、とそれだけだ。
いざ落ち着いて考えてみれば、何をどうすればいいのか分からない。
さっきは木を動かした。
自分は植物を操ることができるのか?
有珠斗は後ろを見る。二人は化け物と目が合ってしまったようで、恐怖で固まっている。
赤毛の女性の腕の中、薔薇の花束がある。
(植物……。僕の武器になるか?)
「すみません、それお借りします!あと早く逃げて、早く!」
有珠斗は女性の腕の中から赤い薔薇の花束をすぽんと引き抜く。
女性二人は、はっと我にかえり、悲鳴を上げながら出口へと駆けていく。
「獲物」が逃げ出した瞬間、化け物が動いた。
六本脚をゴキブリのように動かして舞台から降り、こちらに突進してきた。
(やばいやばいやばいやばい)
さっき木の根を動かした時の感覚を必死に思い起こす。
武器になれ、と念じながら花束を振るった。
脳の新しい回路が繋がるような感覚がした。
自分の脳から植物に向かって「信号」を送るような感触。
棘の生えた茎が、蔓草のように一斉に伸びた。
二十本の薔薇の茎は、投網よろしく化け物をとらえ、自ら化け物に巻きつき、締め上げ、がんじがらめにした。
「でで・できたっ!」
「シュアアアアアアアアアア!」
化け物は臭い息を吐きながら、薔薇の茎の網の中でもがく。
化け物の力はすさまじかった。有珠斗は懸命に花束の末端を持って踏ん張る。
生まれてこの方、ここまで腕の筋肉を使ったことはない、というレベルで、有珠斗は化け物の力にあらがった。
有珠斗が必死に堪えていると、急に薄寒い外気が吹き込んできた。
「こちらにも出口を開けました!速やかに迅速に性急に、落ち着いて冷静に整然と、ご退出下さい!」
バフォメットの声が聞こえた。どうやら非常出口を開けたらしい。出口周辺につかえていた人の群れが、一気に外へとはけていく。
有珠斗はホッとして、しかし同時に気合を入れる。
全員が外に逃げられるまで、この化け物を拘束し続けねば、と。
だが化け物の力も物凄い。振り回されないようにその場に留まるだけでも手一杯だった。
(というか……千切れそう!)
と思った瞬間、千切れた。二十本の茎、全てが。
有珠斗の体は床に投げ出される。
化け物は全身をぶるぶるっとびしょ濡れの犬のように振るわせた。絡まっていた茎が弾け飛ぶ。
化け物は怒りの咆哮をあげ、床に尻もちをつく有珠斗に牙を剥き、飛びかかる。
「くっ……」
有珠斗は床に後ろ手をつきながら、手の中の千切れた茎を再び振るった。
茎は再生しながら鞭のように、化け物の醜い顔を引っ叩く。
「ギャッ」
化け物のまぶたのない眼球が肉塊のなかで揺れるように動き、化け物は有珠斗に到達する一歩手前で着地した。
だが一瞬後に牙をむき、再び襲い掛かってきた。
有珠斗が立ち上がり態勢を立て直す隙はなかった。
大きな影に覆われる。
すでに有珠斗は化け物の真下にいた。
頭上に化け物のおぞましい顔、左右に化け物の脚。
(万事休す!)
有珠斗が覚悟した瞬間。
しかし化け物は有珠斗の頭上でなぜかぴたりと動きを止めた。
肉に埋もれた鼻をひくひくと動かし、有珠斗の匂いをかぐ。
化け物は、怯えたように後ずさりした。
有珠斗から逃げるように距離を取り、別の獲物を探すように舞台のほうへときびすを返した。
(なぜ!?)
なぜか化け物が離れていった。
よく分からないが大きなチャンスだ。なんとかして仕留めなければ。
有珠斗は周囲を見回し、テント内の状況を遅ればせながら把握する。
テント内の客はもういなくなっていた。サーカス団員たちも。まずその事実に有珠斗は胸をなでおろす。
本来の出口と、急遽開けられた非常出口から見える外は既に夜空だ。テントの外、人々が大声を出しながら遠ざかっていく音が聞こえる。
だがテント内に残っているのは、有珠斗だけではなかった。
化け物の向こう側、サマエルが舞台の上に立ち、じっとこちらを見ていた。まるで有珠斗と化け物の戦いを観戦していたかのよう。
「危ないです、あなたもどうか逃げて!」
有珠斗は叫ぶ。
この世界で魔法が使えるのは神子だけ、この人たちは神子ではない、ならばこんな化け物と戦えるのは自分だけのはず。
自分しか戦えないのだから、自分が戦うべき。
有珠斗はそう思った。
舞台上で杖を床につき仁王立ちしているサマエルが、冷たい視線でつぶやいた。
「とんだ茶番だな。貴様が呼び込んだんだろう、神子め。断罪の獣など持ってくるとは」
そして真っ逆さまに、「何か」が舞台上に落ちてきた。
「サマエルさん!危ない!」
サマエルは後方に飛びすさり、その目の前、どさり、と大きな「何か」が舞台の真ん中に着地した。
その途端、むせかえるような悪臭が、テントの中に充満する。
落ちてきたのは見るも恐ろしい、化け物だった。
熊のように大きく、どろどろでぐちゃぐちゃの、ピンク色の臓物の塊のような姿。
皮膚もない肉の塊の中、目玉が二つ、牙を持つ口が一つ。肉に埋もれているが、耳と鼻もあるようだ。
昆虫のように六本の脚が生えているが、その脚は人間の腕によく似て先端は五本指の手に見えて、気持ち悪い。
乱入してきた身の毛もよだつ存在は、ぐるりと客席を見回す。
客たちはおののき悲鳴をあげた。席を立って出口へと逃げ出す者が続出する。
有珠斗の隣の女性二人、黒髪の女性が口に手を当てて言った。
「あれはまさか、断罪の獣!?」
「嘘、そんなの迷信でしょう」
と赤毛の女性が返す。
「だって噂通りじゃない、臭くてどろどろで虫みたいな六本脚!」
「だけど本物じゃないでしょう?これも演出なんじゃないかしら?『魔女』はいつも『ザンドギアス大王』に倒されるけど、今回は『断罪の獣』に倒されるのかもしれないわ」
その言葉が耳に入ったかのように、座長、バフォメットの声が響いた。
「これは演出ではございません!侵入者です!公演は中止とさせていただきます!速やかに落ち着いて、迅速かつ冷静に、性急にそれでいて整然と、ご退出願います!」
難しいことを要求された客達は我先にと席を立って出口へと雪崩を打つ。
「やだ本物なの!?」
「ほら言ったでしょう!」
隣の女性二人も立ち上がった。
その時、舞台上で喧騒の会場を見回していた化け物が、ふとこちらを見る。
化け物は、有珠斗の隣の女性二人にじっと視点を固定した。
有珠斗の背筋が凍る。
直感で分かった。この化け物は、この二人に狙いを定めた、と。
「危ない!」
有珠斗は咄嗟に、二人の前に立ちはだかる。
化け物はこちらを見て、口からよだれを垂らし、なんと言葉を喋った。しゃがれた声で。
「オンナ……。オンナノ血……ウマカッタ……。マタ飲ム……」
とんでもないことを言っている。
(だが、どうする)
自分には魔法が使えるはず。しかしそれは先ほど一度、ほとんどヤケクソで「妄想」してみたら本当にできた、とそれだけだ。
いざ落ち着いて考えてみれば、何をどうすればいいのか分からない。
さっきは木を動かした。
自分は植物を操ることができるのか?
有珠斗は後ろを見る。二人は化け物と目が合ってしまったようで、恐怖で固まっている。
赤毛の女性の腕の中、薔薇の花束がある。
(植物……。僕の武器になるか?)
「すみません、それお借りします!あと早く逃げて、早く!」
有珠斗は女性の腕の中から赤い薔薇の花束をすぽんと引き抜く。
女性二人は、はっと我にかえり、悲鳴を上げながら出口へと駆けていく。
「獲物」が逃げ出した瞬間、化け物が動いた。
六本脚をゴキブリのように動かして舞台から降り、こちらに突進してきた。
(やばいやばいやばいやばい)
さっき木の根を動かした時の感覚を必死に思い起こす。
武器になれ、と念じながら花束を振るった。
脳の新しい回路が繋がるような感覚がした。
自分の脳から植物に向かって「信号」を送るような感触。
棘の生えた茎が、蔓草のように一斉に伸びた。
二十本の薔薇の茎は、投網よろしく化け物をとらえ、自ら化け物に巻きつき、締め上げ、がんじがらめにした。
「でで・できたっ!」
「シュアアアアアアアアアア!」
化け物は臭い息を吐きながら、薔薇の茎の網の中でもがく。
化け物の力はすさまじかった。有珠斗は懸命に花束の末端を持って踏ん張る。
生まれてこの方、ここまで腕の筋肉を使ったことはない、というレベルで、有珠斗は化け物の力にあらがった。
有珠斗が必死に堪えていると、急に薄寒い外気が吹き込んできた。
「こちらにも出口を開けました!速やかに迅速に性急に、落ち着いて冷静に整然と、ご退出下さい!」
バフォメットの声が聞こえた。どうやら非常出口を開けたらしい。出口周辺につかえていた人の群れが、一気に外へとはけていく。
有珠斗はホッとして、しかし同時に気合を入れる。
全員が外に逃げられるまで、この化け物を拘束し続けねば、と。
だが化け物の力も物凄い。振り回されないようにその場に留まるだけでも手一杯だった。
(というか……千切れそう!)
と思った瞬間、千切れた。二十本の茎、全てが。
有珠斗の体は床に投げ出される。
化け物は全身をぶるぶるっとびしょ濡れの犬のように振るわせた。絡まっていた茎が弾け飛ぶ。
化け物は怒りの咆哮をあげ、床に尻もちをつく有珠斗に牙を剥き、飛びかかる。
「くっ……」
有珠斗は床に後ろ手をつきながら、手の中の千切れた茎を再び振るった。
茎は再生しながら鞭のように、化け物の醜い顔を引っ叩く。
「ギャッ」
化け物のまぶたのない眼球が肉塊のなかで揺れるように動き、化け物は有珠斗に到達する一歩手前で着地した。
だが一瞬後に牙をむき、再び襲い掛かってきた。
有珠斗が立ち上がり態勢を立て直す隙はなかった。
大きな影に覆われる。
すでに有珠斗は化け物の真下にいた。
頭上に化け物のおぞましい顔、左右に化け物の脚。
(万事休す!)
有珠斗が覚悟した瞬間。
しかし化け物は有珠斗の頭上でなぜかぴたりと動きを止めた。
肉に埋もれた鼻をひくひくと動かし、有珠斗の匂いをかぐ。
化け物は、怯えたように後ずさりした。
有珠斗から逃げるように距離を取り、別の獲物を探すように舞台のほうへときびすを返した。
(なぜ!?)
なぜか化け物が離れていった。
よく分からないが大きなチャンスだ。なんとかして仕留めなければ。
有珠斗は周囲を見回し、テント内の状況を遅ればせながら把握する。
テント内の客はもういなくなっていた。サーカス団員たちも。まずその事実に有珠斗は胸をなでおろす。
本来の出口と、急遽開けられた非常出口から見える外は既に夜空だ。テントの外、人々が大声を出しながら遠ざかっていく音が聞こえる。
だがテント内に残っているのは、有珠斗だけではなかった。
化け物の向こう側、サマエルが舞台の上に立ち、じっとこちらを見ていた。まるで有珠斗と化け物の戦いを観戦していたかのよう。
「危ないです、あなたもどうか逃げて!」
有珠斗は叫ぶ。
この世界で魔法が使えるのは神子だけ、この人たちは神子ではない、ならばこんな化け物と戦えるのは自分だけのはず。
自分しか戦えないのだから、自分が戦うべき。
有珠斗はそう思った。
舞台上で杖を床につき仁王立ちしているサマエルが、冷たい視線でつぶやいた。
「とんだ茶番だな。貴様が呼び込んだんだろう、神子め。断罪の獣など持ってくるとは」
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