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16.竜と幼き日の思い出①

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 フロルは竜の背に乗りながら、見る間に流れていく風景に息を呑んだ。そして、これが自分が選んだことだと思うと、信じられない気持ちでいっぱいになった。

 これまでの人生で自ら選んだことは、どれだけあったのだろうか。物心ついた時には、自分の道は既に決まっていた。家族も周囲も皆、愛情を持って接してくれたけれど、誰もフロルの意思を尋ねた者はいなかった。

 ――フロル、自分の幸せを一番に考えればいい。

(僕の幸せって、何だろう……)

 竜の言葉を頭の中で繰り返した時だった。

〈フロル、あれが私の城だ〉

 空にそびえたつような山々の間、切り立った岩肌に張り付くように城が建っていた。フロルを背に乗せて、竜が大きく張り出した岩のバルコニーに降り立った時、城の中からたくさんの人々が飛び出してきた。

「カイ様!」
「ご主人様!」

 長らく留守にしていた主人が客人を連れ帰ったと、上から下への大騒ぎだ。自分と同じような人間たちが働いていることにフロルは驚いた。

〈客人を部屋へ〉

 主人の言葉を聞いて、使用人たちがフロルを客室へと案内する。まるで王族が住むような豪華な部屋に、フロルは息を呑んだ。部屋の中は潤沢な魔石が使われて明るく、床には何枚も上質な毛織物が敷き詰められていた。
 フロルが長椅子に座っていると、部屋の扉が開いた。入って来たのは人間の姿になったカイだ。フロルと目が合うと、まるで悪戯が成功した子どものように楽し気に笑う。

「……カイって、本当は竜だったの?」
「そう。でも竜の一族の中では、まだ子どもみたいなものだけど。フロルたちのような人間よりは、ずっと長く生きてるよ」
「……だからあんなに、宝石が好きだったのか」

 竜はきらきらと輝くものが好きで宝飾品を好むと言われていた。どんなにフロルが急いでいる時も、カイはフロルを着飾ることをやめなかった。

「ふふ、どんな宝石よりもフロルの方が綺麗だけどね」

 くつろぐカイは、シセラ王国にいた時よりもずっと気安い。これがカイの本来の姿なのだろうかと、フロルは瞳を瞬いた。城の中では、使用人を驚かさないようにずっと人の姿をとっていると言う。

 カイがどうやってクラウスヴェイク公爵家に入り込んだのか、フロルは知らない。気がついた時には自分の侍従になっていた。今までとは違って砕けた口調で一緒にいるのが不思議だが、これもいいなと思えた。
 温かなカイの瞳を見ているうちに、フロルは体の緊張がほぐれていくのを感じた。

「カイ、どうしよう。僕、シセラから逃げ出してきちゃった」
「あんなところにいても、いいことはないよ。フロル、ずっとこの城にいたら」

 カイが屈託のない笑顔で言う。琥珀色の瞳が輝いて、フロルに顔を近づけた。

「フロルはずっと、王太子や周りのことばかり考えて来ただろう? もう、自分のことを考えたらいいと思うんだ」
「自分の……」

 自分のこと、と言われてフロルはうろたえた。カイが、にっと人好きのする笑みを浮かべる。

「あの時、私に言われて選んだじゃないか。王宮に残るか、共に行くかを。フロルはちゃんと、自分で選ぶことができるさ」

(ああ、そうだ。僕は確あの時、確かに自分で選んだんだ。……もうここに居たくない。だから、カイと一緒に行こうと)

「カイはどうして、王宮から僕を連れ出してくれたの?」

 ふふ、とカイは微笑んで、優しくフロルを見つめた。

「昔、フロルが見世物小屋にいた私を助けてくれただろう? 王都で大きな祭りがあった時だ。まだ幼かったから、あの時の事を覚えているかな。私はずっと忘れられなくて、いつか恩を返したかった」
「見世物小屋?」

 フロルは、あっと思った。カイの琥珀色の瞳に遠い日の記憶が甦る。
 幼い頃、王都の祝祭で城下に見世物小屋が立ったことがある。侍女たちが話すのを聞いて、レオンと二人でこっそり覗きに行ったのだ。その時、小屋の裏手にあった檻の片隅でぐったりと横たわっていた竜を見た。弱っていた竜を、子どもたちは持っていた金を全てはたいて買った。

「あの時の竜!」

 フロルはさらに思い出した。最初に「檻の中に竜がいる」と言ったのはレオンだ。大人二人分の背ほどもある竜は弱っている。このままでは死んでしまうと言われ、何とか助けたいと思った。
 レオンにこの竜を助けたいと言えば、すぐに頷いた。竜を買いたいと持っていた銀貨を出すと、見世物小屋の男たちは渋りもせずに売ってくれた。もう長くはもたないことがわかっていたからだろう。

 木陰に座ってフロルが竜の頭を抱き抱え、レオンが魔力を注いだ。二人の子どもが長い時間をかけて竜にありったけの魔力を注ぐと、やがて竜は回復して羽を動かせるようになった。子どもたちが見守る中、竜は夕暮れの光の中を、なんとか空を飛んだのだ。
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