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第四部 婚礼

第20話 心②

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 宴もたけなわとなり、祝辞を述べる客が途切れれば、宴席は外交の場へと変わる。イルマが一息ついた時に、セツがそっと声をかけた。

「イルマ様、少しだけよろしいでしょうか⋯⋯」

 セツの顔は青白く、緊張を孕んでいた。今日のセツは、無駄口一つかずにイルマに仕えている。背筋を伸ばし、涙一つ見せない姿は、今日の日を無事に終えてみせると言う気概に溢れていた。

「どうしたの、セツ?」
「一言、お祝いを申し上げたいと言う者がおります」
「ありがとう。誰だろう?」
「兄です。⋯⋯名代として参りました」

 イルマの瞳が見開かれる。驚愕を受け止めて、セツは静かに頷いた。
 
 同じ頃、黒髪の騎士は王宮の庭にいた。
 祝い酒を手にしたラウド王子に声をかけられ、庭に出ないかと誘われた。イルマを祝宴の場に残したままで辞すことは出来ない。すげなく断る騎士に、王子は気を悪くした様子もなく鷹揚に頷いた。

「さすがは、守護騎士の鑑だな。だが、スターディアにはたちがいるだろう。今日は普段の何倍も投入されているはずだし、イルマの隣にはシェンバー王子もいる。少しだけ付き合ってくれ」

 まるで自分などいなくても事が足りるようだ。じわりと滲む騎士の苛立ちを、ラウドの瞳は余すところなく捉えていた。


 午後の庭園は穏やかな陽射しが降り注いでいる。ラウドは先に立って歩き、サフィードは黙って後ろをついていく。風に乗って遠くから陽気な楽の音が聞こえ、時折、歓声が交じった。市中はお祭り騒ぎになっていることだろう。王都のあちこちで祝菓子が配られ、幼い子どもまでが今日の日を祝う。
 ドォンと祝砲が上がり、ラウドは足を止めて空を見上げた。雲一つない青空がどこまでも広がっている。

「もう何発目なのか。スターディアの心意気だな」
「⋯⋯」
「二国のより強い結びつきを祝うだけではないそうだ。今日まで生き延びた武の王子、現世に戻った女神の愛し子。その二人の婚姻だからだと、スターディアの国王陛下が仰っていた」

 あれから、どれだけの月日が経ったのか。
 サフィードの脳裏にイルマが湖で消えてからの日々が甦る。数年しか経っていないはずなのに、まるで長い月日が経ったかのようだ。ラウド王子が帰国しなければ、イルマ王子は今でも女神の元にいただろう。

「イルマ様がお戻りになれたのは、ラウド殿下のご活躍があればこそです」
「ふふ。お前たちが女神の元に行って取り戻してくれたからだ。あの時、女神への道を渡れなかったことは、今でも口惜しい。だが、まだ機会はある」
「機会?」
「諦めたら、そこで終わりだろう。俺は女神に会うまで諦めない」

 サフィードに衝撃が走った。
 ⋯⋯あの時、ラウド王子は女神に会いたかったのか? イルマ殿下を取り戻すためだけではなく?
 騎士の困惑を目にして、ラウドはからかうように言った。

「おいおい、勘違いするなよ。もちろん、何としてもイルマを取り戻すとは思っていたぞ? だが、同じ位女神にお会いしたかった。自分の口から伝えたかったんだ」

 もう十分だ。贄と引き換えの加護などいらない。たとえ加護が無くても、心から貴女を大事に想っています、と。

「人生とは、儘ならないことばかりだな」 

 女神は大いなる敬慕の対象だ。ラウド王子の想いが常人の持つ恋愛と同じなのかどうか、騎士には見当もつかない。

「ガッザークの北の果ての果て。案内人を何度も替えながら辿り着いた地に、伝説の女神の湖があった。俺は⋯⋯、あんなに美しくて哀しい湖を見たことがない」

 何もないのだ、とラウドは続けた。
 驚くほど透明な湖は、遥か底までが見通せるほど澄んでいる。そこには魚一匹いない。鬱蒼として陽も差さぬ周りの森は暗く、霧の中に果てもなく続く。神々の加護を失くした地は寂寞として、生あるものの気配が全くなかった。

「あんなに寂しく美しい湖が女神の御心なのだとしたら、悲しすぎる。祝福の子を何人召されようとも、真に満足されることはないだろう。だから、自分だけでも伝えたかった。フィスタには、貴女を愛する者がたくさんいると。祝福の子を傍らに置かなくても⋯⋯」

 女神を愛し、いつも大切に思っている。北の地の優しい民を、どうか信じてほしい。

「女神は、わかってくださったと⋯⋯思います。イルマ様も無事に戻られました」
「ふふ。湖上祭を行った甲斐があったな」

 騎士は、楽し気に笑う王子の背を眩しく感じた。第三王子は、フィスタの王族の中でも椅子が温まらぬ王子と言われていた。大人しく座に着いても、いつのまにか消えている。自由を愛し、とどまることのない風のようだと。

「ラウド殿下。⋯⋯殿下は、諦めようとは思わないのですか?」
「諦める? 女神に会うことをか?」

 騎士が頷くと、王子は即座に首を振った。

「この心が向かうのだ。誰にも止められはしない。無理にとどめれば、生きることは出来ても死んでいるようなものだ」

 ラウド王子の言葉は、まるで一陣の風のように騎士の中を吹き抜けた。
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