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第四部 婚礼
第13話 形①
しおりを挟むイルマは、婚礼の衣装を見つめていた。
スターディアの職人たちが精魂込めた衣装は、輝くばかりの白地に眩い金糸や銀糸がふんだんに使われている。薄闇の中で自らが仄かに光を放っているようだ。
シェンバーは衣装をイルマの望む通りにしようと言ってくれた。だが、イルマは普段から衣装や装飾品に特に興味を持たない。伝統的な王族の衣装でいいと言おうとした時に、一つだけ望みを告げた。
「あのね、シェン。ヴェールをつけたいんだ。スターディアではつけないと聞いたんだけど」
「つけてはいけないと決まったものではない。衣装の採寸もある。すぐに職人たちを呼ぼう」
シェンバーは、あっという間に何人も人を呼びつけた。
体中を採寸された時は目が回るようだったが、彼等の熱量に押されて、イルマは人形のようにおとなしくしていた。身に付ける宝石やら靴やら、あまりに次々に並べられるので、段々無口になる。心配したシェンバーが選んだものに、ただこくこくと頷いていた。
ヴェールの布地だけは自分で真剣に見たけれど、望むものはなかった。サウルに頼むと、思った以上のものを探し出してくれた。
「スターディアでは、白は死に装束なんじゃないの?」
王族の婚礼衣装に白を使うことに、イルマは驚いた。
この国では、普段、白を身に付ける者はいない。服装の一部として使うことはあっても、全身に白を纏う者は、神官たちと近衛騎士たちだけだ。神官たちは女神に、近衛たちは王族に、己の命を捧げる覚悟を表すのだと言う。
「その昔、スターディアの王族に離縁は認められていなかった。婚姻は死出の旅路まで共に歩むことを女神に誓う」
白は覚悟の現れだ、そう言ってシェンバーは微笑む。
「同じ白でも、フィスタとは全然違う」
フィスタでは、白は女神の色だ。そこにはただ、歓びと祝福がある。
「同じ女神を崇拝していても違うものだな。戦ばかりを繰り返してきた我が国とは。フィスタには女神の情愛が満ちている」
──遥か昔、女神は湖から誕生し、人々の求めに応じて人の世に降りた。
フィスタに伝わる物語とは違う伝説を、イルマは兄のラウド王子から聞いたことがある。
ラウドがはるばるガッザークの山奥に在る秘湖まで行って確かめた伝説は、悲恋だった。傷つき何もかもを失くした女神に、イルマは涙をこぼした。
女神も彼の湖の国の王子も、互いに想い合っていたはずなのに。何もかもを失った女神の目に、フィスタはどう映ったのだろう。
湖の底で、女神の世界は眩い白に包まれていた。自分を包む温かい手をイルマは思い出す。ただゆっくりと漂う時の中で、女神は優しかった。なんの不安も与えず、己の腕の中に愛する者がいることだけを望んでいた。
⋯⋯女神は今も、失くした王子を想っておられるのだろうか。
「イルマ様」
「サフィード」
「もうじきに暗くなります。灯りをお持ちした方がよろしいでしょうか」
「ありがとう」
振り返って微笑むイルマの表情には、わずかな翳りがあった。控えていた騎士の心にさざ波が立つ。
窓から差し込んでいた夕陽が沈もうとしていた。セツが未だ戻らないので、部屋の中には二人だけだった。長い間イルマが黙って考え事をしていることに、騎士は何も触れようとしない。
「サフィードはいつも、ぼくの気持ちを一番優先してくれる」
「それは、臣下として当然の行いかと⋯⋯」
「当然のことを日々己に課して、自らを律しながら生きられる者がどれだけいるだろう。ぼくは⋯⋯いつも、感謝している」
サフィードは、思わず主の瞳を見た。黄金色の瞳は沈む夕陽の色を含んだように、どこか暗い琥珀の色を宿している。
黄金の瞳を長いこと見つめて生きてきた。嬉しい時は明るく輝き、悲しい時は沈んだ色に変わる。幼い時は、すぐに腕の中に飛び込んできた小さな姿が、幻のように胸に浮かぶ。
長じるにつれて抱きつかれることはなくなったが、視線を感じることはあった。自分と目が合うと、にこりと笑う。主は何か不安なことがあると自分の姿を探すのだと気づいた時、声にならない喜びを覚えた。
「サフィード、ぼくはずっと⋯⋯、甘えていたのかもしれない」
「イルマ様?」
「父に呼ばれた」
跪いたままの騎士の体が、震えた。
「幼い頃から、いつも一緒にいてくれた。だから、それが当たり前だと思ってしまって⋯⋯。忘れそうになるんだ。サフィードはフィスタだけじゃない。スターディアでも、誰もが認める素晴らしい騎士だ。実力も騎士としての心構えも申し分ない。ぼくは、サフィードにずっと助けられてきたけれど、サフィードの、一人の人間としての幸せを考えてきただろうか」
サフィードの耳の奥で警鐘が鳴り響く。主は何を言おうとしているのか。部屋の中には、静かに夕闇が迫っている。
「守護騎士は、一度決まったら生涯を主と共に過ごす。だけど、それは強制じゃない。⋯⋯解消することも出来るんだ」
「イルマ様!」
サフィードは、それ以上イルマの言葉を聞くことが出来なかった。主の言葉を遮る無礼よりも、自分の心が悲鳴を上げるのを防ぐ方が先だった。
「私の身をご心配くださるお心遣い、陛下のみならず誠にありがたい限りです。ですが、⋯⋯私は」
「ゆっくり考えてくれていいんだ。急いで答えを出さなくても」
イルマの声は揺れていた。サフィードは主に返す言葉を持たず、主もまた、それ以上、騎士にかける言葉を持たなかった。
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