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Ⅴ.後日談

第2話 秘め事②

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「⋯⋯本を」
「本?」
「読んだんだ⋯⋯」

 シェンバーは、イルマを長椅子に座らせて、自分もその隣に座る。
 うつむいた頬に指で触れれば、イルマはその指に自分の手を重ねた。
 すりすり、と頬をすりよせてくる。

 シェンバーの胸は跳ねた。
 ──待て。落ち着こう。
 平静を装って尋ねる。

「書庫の本だろう。何を読んだ?」
「房中術雑記」
「!!!!!」

 シェンバーは、血が逆流するのを感じた。

「⋯⋯日記になってて。閨の中でするあれこれについて、綴ってあった」

 その本なら、ずっと昔に読んだことがある。
 閨房術で人気を博した本だ。美貌の主人公が、男女問わずたくさんの恋人と華やかな生活を繰り広げる。性遍歴と多様な性技が王宮でも話題になっていたから、誰かが書庫に入れたのだろう。

 イルマは、シェンバーの手を握ったまま続けた。

「⋯⋯何か面白い本がないかな、って思って。赤い革表紙で題名がなかったから読み始めたんだけど」
 衝撃の内容続きで、頁を繰る手が止まらなくなった。

「は、話もそうなんだけど⋯⋯あんなことやこんなことまでするのか⋯⋯って」
 ぷるぷると小刻みに震えているのがわかる。

 シェンバーは眩暈がしそうだった。
 王族たるもの、幼い頃に結婚相手が決まるのはごく普通のことだ。
 フィスタの王子は留学期間があり、結婚年齢が遅い為に婚約まで時間がかかると聞いていた。しかし、閨事は早いうちから教師がつくものではないのか⋯⋯。

「⋯⋯シェ、シェンもああいうのが、好きなのかな」
 イルマは絞り出すように言った。

 ⋯⋯どうしたらいいんだ。
 話と現実は違う。しかし、言葉を選ばなければ、ろくなことにならない気がする。
 今までにない展開に、黙り込んだのが良くなかったのだろう。

「ご、ごめん! 変なこと言って!!」
 イルマが立ち上がる。
「⋯⋯ちょ! 待って、イルマ!!」
 扉が音高く開いて、走り去る音がした。

 忘れていた。
 イルマは人よりも逃げ足が早かったのだ。
 以前も目の前で逃げられたり消えたりされたじゃないか。
 一人残されて、シェンバーは頭を抱えた。


 翌朝の食事も静まり返っていた。
 流石に、セツとレイは顔を見合わせた。
 イルマが部屋に戻った後、シェンバーから話を聞いたセツは、なるほどと頷いた。

「イルマ様は、そつ無く何でもお出来になるんですけどね。色事だけは、純粋培養されてきたような方なんですよ。末っ子で箱入りって言うんでしょうか。百戦錬磨のシェンバー殿下でも、勝手が違いそうですねえ」
「さり気なく人聞きの悪いことを言わないでほしいんだが。それに、聞いても全然嬉しくないような話だな」
「⋯⋯どなたかに指南を受けておいて欲しかったんですか?」

 シェンバーの纏う空気が変わった。
 セツは気にも留めず、にっこりと笑った。

「まあ、そういうことでしたら、おまかせください」





「イルマ様ー! 新しいお茶を手に入れましたよ!!」
「⋯⋯おちゃ」

 ベッドで丸くなっていたイルマ王子は、セツの言葉にふらりと起き上がった。

『小動物には、元気がなくなった時の為に特別なご褒美を用意しておきなさい。何も受け付けなくなっても、それだけは口に出来る、というものは大切だから』

 セツは、母から教わった言葉を思い出した。
 スターディアで採れる最高級のお茶の葉で、注意深く一杯を淹れる。
 茶葉は、シェンバー王子に口入れし、近衛が馬を飛ばして手に入れた苦労の品だ。

美味おいし⋯⋯」
 手渡されたお茶を、王子はゆっくりと飲み干した。
 少しずつ顔色もよくなり、丸まっていた背がぴんと伸びていく。
 まるで、しおれた草花に水が与えられるように。

「ありがと、セツ⋯⋯」
「それは、シェンバー殿下からの贈り物です」
「シェンから?」

 イルマ王子は、くしゃくしゃの髪の間から丸い目を覗かせて、にっこり笑った。
 セツは、心の中でうんうん、と頷く。
 これならいけそうだ。

「シェンバー殿下は、イルマ様を心配して取り寄せられたのですよ。元気なお顔を見せて御礼を申し上げましょう」
 イルマ王子は、こくんと頷いた。
「それで、ですね」

 セツが耳元で囁くと、王子の顔は、たちまち真っ赤になった。

「そそそそそそれは⋯⋯」
「早いうちに礼を尽くすことが大切です。母も常々そう言っておりました」

 しばらくして、部屋の中には、か細い悲鳴が響き渡った。



「イルマ、もう起きて大丈夫なのか?」
「う、うん」
「食欲は、まだそんなに無いようだが⋯⋯」

 夕食の席に着いたものの、イルマ王子は、ほんの少ししか食べなかった。
 昨夜と変わらない様子に、シェンバー王子の心配は募る。

「もう平気。えっと、その、貴重なお茶をありがとう。とても美味しかった」
「気に入ってもらえて良かった。スターディアにも質のいい茶園があるから、今度行ってみようか」
「うん。後で、部屋で一緒にお茶を飲みたいんだけど。⋯⋯いいかな」
「もちろん」

 イルマ王子の言葉に、シェンバー王子は花のように微笑んだ。
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