51 / 202
Ⅳ.道行き
第9話 帰還①
しおりを挟むだれかが呼んでいる。
「イルマ」
なつかしい、だいじな人の声。
やわらかな手がぼくの耳をふさぐ。
ここにいれば、何も考えなくていい。
あたたかい手が、ずっと一緒にいてくれる。
でも、ぼくはこれが欲しかったのかな。
ずっと、ここに来たかったのかな。
本当は、もっと⋯⋯。
閃光が、湖を白銀に塗り替える。
山々が輪郭を持って、真昼のように浮かび上がった。
人形を成した女神の足元からまっすぐに、岸に向かって白銀の道がかかる。
詠唱を続けていた神官たちが、次々に力尽きて倒れていく。
女神の輪郭の中に、淡い人影があった。
「イルマ!」
「殿下!!」
岸にいた人々は誰もが叫んだ。
詠唱の声が細くなると共に、道の光が弱くなる。
シェンバー王子は、迷わず走り出した。岸で必死に歌う神官たちの前に続く、白銀の道を。
──女神への道は、彼に続く道だ。
踏み出せば湖に落ちるかもしれない。そんなことは、少しも考えなかった。
サフィードも同時に地を蹴った。
暗い湖面に揺らぐ道の上を、男たちは振り返りもせずに走っていく。
ユーディトが追いかけようとした時、シヴィルが名を呼んだ。一瞬振り返った時に、人々の声が聞こえた。
「女神が!!」
白銀の光は見る間に淡くなり、女神の姿は光の残像となる。
「ユーディト様!」
道は湖面から消え、ユーディトが足を踏み出した場所はただの水だった。
シヴィルと周りの人々は、抱きついて必死でユーディトを止めた。
「離せ! 道が!!」
「だめです! もう、もう道は閉じたのです」
「イルマ!」
「シェンバー王子と守護騎士殿が行かれました。後は、もう⋯⋯」
シヴィルのすすり泣く声が聞こえる。
人々は、ただ呆然と光と人の消えた湖を見た。
「ここは⋯⋯どこだ?」
王子と騎士は立っていた。
二人だけで、どこまでも広がる白銀の空間に。
上も下もない。なのに、確かに立っていると感じる。
戸惑うような意識を感じた。
自分たちを取り囲んでいるのは敵意ではない。
「女神⋯⋯。湖に坐す女神よ」
シェンバー王子が呼びかける。
「フィスタの王子を、貴女の恩寵の子をどうか現世にお返しください」
──なぜ?
──これは、わたしの王子
──だいじな、だいじな子
澄んだ鈴の音のように軽やかな声が、流れてくる。
騎士が跪く。
「⋯⋯元より、我がフィスタは貴女様の恩恵の許に栄える国。ですが、イルマ殿下は我らにも大切な方なのです。女神⋯⋯どうか!!」
光が強くなり、眩しさに騎士は目を開けていることができなかった。
頭を下げ、額を白銀の地につける。
──恵みと、実りと、繁栄と
──人が望んだ全てを、与えたはず
「貴女の尊き温情はフィスタのみならず、あまねく大地に広がります。しかし、女神よ。子や兄弟を失くした嘆きは止むことがない。王子を失うことは、皆が生きる希望をなくすこと」
光に目が眩みながら、必死でシェンバー王子は言葉を続ける。
──生きる希望を、なくす?
「そうです。フィスタの王族は言いました。繁栄も実りも十分に頂戴した。祝福の子はもう、いらないと」
──!!!!!
まるで抜き身の剣のように一閃が走り、まっすぐに王子の瞳を焼いた。
「──つッ!」
周りの空間が歪む。
──いらない?
──いらない!?
──どうして? どうして?
──与えたのに
──叶えたのに
おぼろげに人の姿を成す光は、両手で顔を覆うようにして蹲った。
「女神様。泣かないで」
王子と騎士の耳に 聞きなれた声が届いた。
長い間追い求めた、華奢な体が。
ふわりと微笑む穏やかな姿が。
「イルマ王子!」
「殿下!!」
イルマ王子の姿は、金色の光に包まれていた。ふわふわした髪も、細い手足も、瞳の色と同じ輝きを放っていた。
「いらないなんて、そんなの⋯⋯。今さら、ひどいよ。女神はずっと、皆が望むままに加護を与え続けてきたのに。
ぼくは、ここにいる。もう誰も、貴女を悲しませたりしない」
イルマ王子の手が、女神の姿となった光をそっと撫でた。
騎士は、求め続けた主の輝く姿を捉えようと、必死で目を開ける。
「イルマ様! 貴方がいらっしゃらぬ地にどんな意味があるでしょう。風も光も何の輝きもない。⋯⋯貴方が女神の許に留まると仰るなら、いっそ、水底で果てるのが私の願いです」
「⋯⋯サフィー」
イルマ王子が、騎士の名を呼ぶ。
──自分を見る穏やかな瞳、何度も夢で聞いた懐かしい声。
サフィードの瞳からは、熱いものがあふれた。
「イルマ殿下! フィスタは自分の足で歩こうとしています。恩恵を受けるよりも、ただ、貴方に戻ってきてほしいと願っています」
シェンバー王子は必死で叫んだ。
イルマ王子の瞳が揺らめく。
「ぼくに⋯⋯戻って?」
「そうです。貴方を失ったフィスタの人々は皆、嘆き続けています」
シェンバー王子は、もう一度言った。
「殿下、戻りましょう。女神、貴女への感謝と敬慕の念は変わりません。我らは貴女のことも、イルマ王子のことも大切に思っているのです!」
その時、光の中に分け入るように歌が響いた。
神官たちのように美しい声ではない。音もろくに合ってはいなかった。
それは、祈りの籠もった歌だった。女神への詠唱を、多くの人々が続けている。
老いも若きも、男も女も、身分の高い者も低い者も。
「あれは⋯⋯ユーディト? 兄上たち⋯⋯」
決して上手くはなかったが、歌は途切れることなく続く。
イルマ王子の瞳に、わずかな迷いと人々への想いが浮かぶ。
40
お気に入りに追加
1,054
あなたにおすすめの小説
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
ヒロイン不在の異世界ハーレム
藤雪たすく
BL
男にからまれていた女の子を助けに入っただけなのに……手違いで異世界へ飛ばされてしまった。
神様からの謝罪のスキルは別の勇者へ授けた後の残り物。
飛ばされたのは神がいなくなった混沌の世界。
ハーレムもチート無双も期待薄な世界で俺は幸せを掴めるのか?
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
旦那様と僕
三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。
縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。
本編完結済。
『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。
この噛み痕は、無効。
ことわ子
BL
執着強めのαで高校一年生の茜トキ×αアレルギーのβで高校三年生の品野千秋
α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。
いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。
千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。
そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。
その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。
「やっと見つけた」
男は誰もが見惚れる顔でそう言った。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる