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Ⅳ.道行き
第7話 湖上祭①
しおりを挟む「久しぶりだな、サフィード」
「ユーディト様たちも、お元気そうで何よりです」
黒髪の騎士は、柔らかな微笑みで屋敷の主たちを迎えた。
「貴方に出迎えていただけるなんて、なんだか不思議な気持ちですよ」
「ほんの一年前には、逆の立場でしたからね」
湖畔屋敷は久々の賑わいを取り戻していた。
ユーディトもシヴィルも、屋敷の中に入って、ほっと息をついた。
女神の湖は王都よりもずっと北にある。季節が変わるとはいえ、王都はまだ秋だった。馬車が進むにつれ、空気が変わり、空の色が変わる。山々はうっすらと雪の冠を被り、冬がやってきていることを知った。
「部屋は一年前のままです。⋯⋯ユーディト様がそれでよいと仰ったので」
ユーディトは頷いた。イルマ王子の面影を拭い去るのは嫌だった。それが、たった半月の思い出であっても。
「ありがとう。家令から聞いている。守護騎士殿は、身分に合わぬようなことまで何でもしてくださると」
「王子がおられぬのに、騎士も何もありません。徒人の私をここに置いてくださったことに感謝しております」
抜き身の剣のようだった男の瞳には、静かな光があった。
湖畔屋敷の家令からは定期的に報告を受けている。イルマ王子の守護騎士は屋敷の警護だけでなく、人手の足りないところに出向いて様々な仕事を手伝っている。そうして、空いた時間に湖に向かうのだと。
「⋯⋯殿下をお守りするのと違って、屋敷での日々は甲斐がなかったことだろう」
「そんなことはありませんよ。王宮にいるよりもずっと落ち着きます。それに」
騎士は、窓から見える湖に視線を投げた。
「時折、シェンバー王子がおいでになりました」
「シェンバー王子が?」
「いきなりやって来て、酒の相手をしろと仰るのです。こちらが黙っていると、王宮のことを話される。陛下たちの様子や、セツのこと。イルマ王子が毎週行かれていた孤児院や、王子が目をかけて育てていた穀物の成長など。湖にも、何度か入られました」
サフィードの話は、思いがけないものだった。
宰相府に勤めるユーディトとシヴィルは、日々、自分たちの仕事をこなすのに必死だった。シヴィルは春から仕事に就いたばかりだし、ユーディトには宰相の補佐官として様々な役目があった。
「シェンバー王子が、なぜ?」
「さあ。ご自分のことはお話しになりませんので⋯⋯」
サフィードは、ふっと微笑んだ。
「不思議ですね。以前は殺したいと思うほど腹をたてた方ですが、今はイルマ殿下の話ができることが嬉しいのです」
ユーディトとシヴィルは、返す言葉がなかった。
「さて、ここからが腕の見せ所ー!!」
同じ頃、フィスタ王家の書庫には、3人の王子たちがいた。
司書たちがせっせと、ラウド王子の言うがままに本を積み重ねていく。
別のテーブルでは、呼び集められた専門家たちが、それらを必死で読み込んでいた。
アレイド王太子が、いらいらと指の爪を噛む。
「⋯⋯こんな調子で間に合うのか。本当に何事もなく済むのだろうか。いや、そもそも弱気でいてどうするのだ」
「そうでーす! いいですか、アレイド兄上? 当たって砕けろと昔から言うではありませんか! どうせこのままではイルマは水底に沈んだままですよ。道が開けば、それこそ儲けものです!!」
ラウド王子の頭にガツンと拳骨が落とされた。
「いったぁああ! 何をなさるんです、ヨノル兄上!!」
「何と言う言い様だ! もう少しマシな物言いを学べ!! それでもお前はフィスタの王子なのか。市井の庶民どもと変わらん口を聞いて!」
「長いこと旅暮らしばかりで、王族の習いなど忘れましたよ。こんな弟のおかげで、伝説が手に入ったのではないですか」
口を尖らせるラウドに、ヨノルは渋々口を閉じた。
自分たちが見つけられなかったものを、確かにこの弟は自力で手に入れたのだ。
「今、古代ガッザーク語の専門家が研究していた伝説をさらに分析させています。道について詳しいことがわかるかもしれません」
「ラウド王子」
シェンバー王子が、両手に積み重ねた本と紙の束を持って部屋に入ってきた。
「こちらもお使いください」
「これは?」
「スターディアにある女神の文献と、宰相殿の別荘の書庫にあった湖についての写しです」
王子たちは目を瞠った。
「我がスターディアは、女神への信仰が厚い国の一つ。弟の第三王子ミケリアスは、神殿の長を務めております。弟から女神と湖に関わるものを取り寄せました。これは、代々王家と神殿に保管されていたものです。また、宰相殿にお許しいただき、湖畔屋敷の書庫にお邪魔して、気になるものを書き留めました」
女神の湖は、元々宰相家が代々治めていた土地にある。領主である宰相の湖畔屋敷には、湖の発祥とされる記録が残っていた。
「おお! 助かります、シェンバー王子!! 早速お借りします」
ラウド王子は喜び勇んだが、アレイド王太子とヨノル王子は驚いた。
シェンバー王子はいつの間に、これらのことをこなしていたのだろう。
──自分たちが目の前の悲しみと後悔に沈んでいる間。
彼は何も言わず、女神について調べていたのか。
イルマのやっていたことを一つずつ、日々の仕事に加えながら。
「シェンバー王子⋯⋯」
「お役に立てばいいのですが」
美貌の王子は、まるで何でもないことのように告げた。
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